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気の赴くままにつれづれと。
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第三条
一 善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるを世 のひとつねにいはく、「悪人なほ往生す、いかにいはんや善人をや」。 この条、一旦そのいはれあるに似たれども、本願他力の意趣にそむ けり。そのゆゑは、自力作善のひとは、ひとへに他力をたのむここ ろかけたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のここ ろをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生を とぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなる ることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、 悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往 生の正因なり。よつて善人だにこそ往生すれ、まして悪人はと、仰 せ候ひき。
しかし、礼儀や礼節が拙ければそうもいかないし、私たちは完璧ではないから、非礼やボタンの掛け違いだって起こる。だからこそ「すみませんでした」とわびることも含め、意見のすり合わせや譲り合いが大切だし、礼儀や礼節にかけるコストをおろそかにし過ぎてはいけない。そこをおろそかにしている最も極端な例が、SNSにおいて他人のタイムラインに無礼なコメントや不躾なメンションをばらまいているアカウントであって、ああいうのは良くない。
礼儀や礼節は、無料ではない。
精神的なコストを支払いあい、ときには時間的・経済的コストも支払いあい、お互いがお互いのことを尊重しあっている人間関係を維持するために努めあっている。挨拶などもそうだが、およそ人間の暮らすところではどこでも、私たちはお互いに敬意を払いあい、争いを避けるために気を遣ったり汗をかいたり、ときにはお金を支払ったりしている。
しかし、そうしてお互いにお互いを気遣うコストを支払いあっているなかで、その礼儀や礼節にコストをぜんぜん支払わない人がいるとしたら、その人は意図するしないにかかわらず、いろいろな人に「この人、なめているんじゃないか」という印象を与えかねない。
藤田 正勝
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