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ギャッツビーが「偉大な」理由

これも私の別ブログに書いたばかりの記事だが、ここにも載せておく。

(以下自己引用)
フィッツジェラルドの「The great Gatsby」の日本語訳題名が「華麗なるギャッツビー」というアホな訳がされているのはみなさんご承知だろうが、これはその当時映画題名に「華麗な(る)」という題名を付けるのが流行っていたため、映画がそういうアホな題名になり、その後では小説もそういう題名を踏襲しているだけなのを知っている人も少なくなったのではないか。当然、原題は「偉大なるギャッツビー」と訳すべきものである。
ところで、このアホな死に方をした、どうやらギャングの小ボス、あるいは成り上がりチンピラらしい男がなぜ「偉大な」とされているか、ということを問題視した人はあまりいない気がする。
というのも、フィッツジェラルドはアメリカ文壇では群小作家のひとりだとされているからではないか、と思われるし、それも当然ではないか、と私は思うが、別の面では大作家たちが足元にも及ばない重要性を持った作家だとも思っている。たとえば、私はほとんど読んだことがないが、スタインベックとかフォークナーなどは、長い作品を書いただけの、根気のある鈍才作家だと見ることも可能だろう。そこは趣味の問題だ。
では、なぜフィッツジェラルドが重要作家だと私が思うのか。それは、彼の詩人性と思想性にある。このふたつは一体である。つまり、彼は詩も哲学書も書かなかった詩人であり思想家なのである。そして、小説を書く才能(「物語」を作る才能)が無いのに小説家になった、「道を間違えた」作家だ、というのが私の考えだ。

「偉大なるギャッツビー」は、私が昔から気になっている作品なのだが、小説を読んだこともなく、映画もまともに見たことがない。映画は、レッドフォード版をテレビで見たと思うが、ほとんど覚えていない。ところが、小説を読まなくても、私はこの作品を日本で一番理解している人間、いや、それは言い過ぎだが、この作品の精神をかなり理解している人間のひとりだという気がする。それは、この作品の本質が、作品冒頭に書かれたエピグラフ(引用句)にあると思うからだ。極論すれば、この小説を読まなくても、小説の大筋を知っていて、このエピグラフに感動できるなら、それはこの作品を本質的に理解したということである、と私は思う。何しろ、フィッツジェラルドは「小説の下手な小説家」なのだから、真面目に作品を読むと、かえって混迷に陥るとすら私は思うのである。

そこで、ダイジェスト好きの私が、この作品を思い切ってダイジェストしてみるつもりだ。英語版を元にするつもりだが、私は英語は苦手なので、この作品の「本質」を示す部分だと私が思う部分だけを訳(意訳になるだろうが)してダイジェストにする。
まあ、冒涜的作業と思う人もいるだろうから、そういう人は、次回の「偉大なるギャッツビー」ダイジェストを読まなければいい。
念のために言うが、「物語」的部分はほとんど省略するので、ダイジェストではなく、作品の「エッセンス」と言うのが適切だと思う。つまり、一種の「作品評論」でもある。







 そして、彼女が望むなら金の帽子をかぶるがいい
 高く跳ね上がることができるなら、彼女のために跳ねるがいい
彼女が「金の帽子をかぶった恋人よ 高く跳ね上がる恋人よ
 私はあなたを愛します」と言うまで
                 (トーマス・パーク・ディンビリエ)


ーーーーーーーーー

ただギャッツビーだけが私の反発心から免れていた。ギャッツビーは、私が自然な軽蔑心を持つすべてを代表していたのだが。
仮に個性というものが、途切れることなく続けられた一連のジェスチャー(身振り:仮装や演技)であるなら、彼には何か豪華なものがあった。約束された人生への高められた敏感さのようなものが。
それは軟弱な感受性とは異なる、希望を求める度外れた才能、ロマンチックな心構えとでも言えそうなもので、私が他の誰にも見たことがなく、これからもおそらく見いだせないと思う。
ギャッツビーは、その正しさを最後に証明した。「希望」はギャッツビーを捉えたのである。
彼の夢からの目覚めに伴う汚いゴミの浮遊物は、悲哀の不毛さや人間の意気揚々たる絶頂期のはかなさへの私の目を時々閉ざさせるのである。

ーーーーーーーーーーーー

ーーーーーーーーーーーー

ギャッツビーは青い信号を、熱狂的な未来を信じた。その未来は我々には毎年のように後退していくのである。そして、我々の傍を巧みにすり抜けていく。だが、それは問題ではない。ーーー明日は我々はもっと速く走るだろう。両腕をより遠くに伸ばして。……そして、ある晴れた朝にーーー
だから我々は流れに逆らってボートを漕ぎ続ける。絶え間なく過去に押し戻されながら。














(夢人追記)

あまりにも露骨な説明なので、書かないほうがいいかもしれないが、要するにギャッツビーとは、存在しない「永遠の恋人」の幻のために、滑稽な金の帽子をかぶって高く跳ね上がって墜落して死んだすべてのアホな男の象徴である。そして彼らのその度を超した愚かさこそが「偉大」なのである。
今では、女性への崇敬(女性の神格化)というものは女性にとって唾棄すべき概念とフェミニストの女性たちから言われていると思うが、はたしてそれは男にとっても女にとっても幸福な在り方なのだろうか。
少なくともギャッツビーという存在には、ある種の永遠性、象徴性があるようだ。

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児童文学の心理学

市民図書館から借りて来た、リンドグレーンの児童文学「ラスムスくん英雄になる」を、気の向いた時に間断的に読んでいるが、リンドグレーンというのは、少し前の流行語で言えば「根が暗い」作家だな、という気がする。つまり、脳天気な子供の世界の背後に、常に、どこか暗い大人の世界がチラチラしている感じが私にはある。たとえば、「名探偵カッレくん」などだと、子供の探偵ごっこの世界に実際に現実の殺人事件が起こるのである。(子供のころ読んだ記憶で書いているので、本当にそういう内容だったか確かではないが。)

で、ここで論じたいのは、昨日書いた「エランヴィタール」と「フランヴィタール」の話である。その定義を私なりにすれば、エランヴィタールとは「無秩序な生命力」、フランヴィタールとは「秩序ある生命力」で、後者は、「生命力」の本質とは異なるもので、前者だけが本当の生命力だろう、と私は思う。鋳型にはめられた生命力というのは本質的生命力ではなく、外的な力の産物だろう。だが、その概念を使うなら、人間の人生とは、(その良し悪しは別として)エランヴィタールがフランヴィタール化される過程である、と言えるのではないか。
たとえば、性欲の発現の仕方は原始的な無秩序性から、倫理や法律や習慣(風習・制度)という社会的強制によって「許容される性発現」と「許容されない性発現」に分けられていく。これは女性を「所有物」としていた男社会の産物で、女性は概してこの分化に否定的な感情を持っている、つまり性的アナーキズムに惹かれる傾向があると感じる。女性の自然性と言ってもいい。だが、性的アナーキズムの下では、性交(強姦含む)はあっても恋愛や結婚は無い、と私は考えているので、恋愛や結婚という人工的文化を完全に否定していいのかどうか、非常に疑問視するわけだ。

これが児童文学とどう関係するかと言えば、児童文学がなぜ「腕白小僧」を主人公にするか、という問題を私は論じたいわけだ。
腕白小僧の言動は周囲の迷惑だが、外部の観察者や観客の目からは「面白い」から彼らを主人公にする、というのがその理由だろう。では、彼らはなぜ周囲に迷惑な行動をするのか。それが「エランヴィタール」の発現だからである。彼らは社会について無知だから、やっていい行動といけない行動の区別がつかない。だから、結局は、活発な子供は傍迷惑な腕白小僧の行動をし、おとなしい子供はやりたいことをじっと我慢する。どちらが「話として面白い」かは明白だろう。

子供の頭の中の知識は、「理解されず、知っているというだけの、ゴミのような、無秩序な知識」と「整理され、理解された有益な知識」に分類される。前者でも、その知識が冗談のネタにはなるから、無益だとばかりは限らないが、人生の指針や参考にはならないわけだ。学校で習う知識の大半が、結局はそういうもので終わることは誰でも認めるだろう。まあ、進学に有益なだけだ。

で、知識についても、「無秩序から秩序へ」という進行が頭の中で起こるのが知的進化だろう、というのが私の説だ。つまり、エランヴィタールからフランヴィタールへというわけである。
だが、どんな大人の中にも、子供のころの「無垢な(白紙の)状態で」世界を見ていた、あのころへの懐かしさというものがあり、それが子供期をある種の「黄金時代」と思わせるのだろう。


ついでに書いておく。私は2週間に1回、市民図書館から10冊の本を借りてくるが、そのほとんどは最初だけ読んで、読む価値がないと判断したら、それ以上読まないで返す。で、借りる本の半分くらいは児童書である。児童書を「大人の目」で読むと非常に面白いのである。もちろん、その大半は屑であるが、中に非常に優れたものがある。逆に、高名な作家の「大人向け文学」でも、私にはまったく興味を惹かないものもゴマンとある。むしろ、興味を惹くもののほうが希少である。それ以前に、「読むのが面倒くさい」ものが多い。(今回は気まぐれで大江健三郎の「宙返り」という小説を借りてきたが、彼がどういう意図でこれを書いたのか、さっぱり分からず、興味も惹かれないので途中放棄した。登場人物の女性が、奇妙な「事故」で処女喪失する話が冒頭にあるのだが、そのエピソードがどういう「重要な」意味を持って、わざわざ話の冒頭に書かれたのか、理解する気にもなれない。)大衆小説は読みやすさはあるが、たいていは「読むのが時間の無駄」だったということが多い。人生の残り時間が少ない年齢だと、「読むのが面白い」や「読んで有益だった」ということが大事になるのである。
たとえば、現代のアメリカインディアンの少年が、白人の高校に転校する話を書いた「はみだしインディアンの物語」という小説は、現代のインディアンの置かれた状況(主人公の家族や知人が無意味にゴロゴロ殺される。あるいは他人の過失で事故死する。)を舞台に、主人公が悪戦苦闘する様がユーモアを持って書かれて、面白い。まあ、そのユーモアの質はかなりブラックなので、読む人に不快感を与える可能性が高いが、「読んで有益な」作品であるのは間違いない。そういう本が児童文学の書棚(YA、つまりヤングアダルト本だが)にあったりするのである。あるいは、R・L・スチーブンソンの「誘拐されて」などが児童文学に分類されていたりする。これは作者が「宝島」の作者だからという偏見からだろう。実際は、彼の時代のスコットランドの置かれた政治状況を舞台にした高度な「大人向け」小説だが、子供でも読める娯楽性の高い冒険小説だ。それが大人の目に触れない場所にあるわけだ。



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資本主義社会と「感性」と「精神性」

昨日に続いて、私の別ブログの漫画関連の記事をもうひとつ自己引用しておく。まあ、資本主義社会では「売れれば勝ち」である。
下品という言葉は「精神的階級思想」なので、問題があると言えばあるが、貧乏人や社会の落伍者でも「自分は精神貴族だ」と自己満足できる利点があるww  
下層社会の多くの人(もちろん、「多くの」の解釈次第だが)は、精神的にはビル・ゲイツやクラウス・シュワッブ、ユヴァル・ノア・ハラリよりはるかに上だろう。知的に、とは言わない。IQや知識量と精神の高低は別である。宗教者や知識人が一般人より精神的に高いわけでもない。庶民の中にこそ「聖人」のような人間がいる気がする。あなたの近所の爺さん婆さんの中に。

(以下引用)下の論は「精神性」ではなく「感性」の話である。上記の論はそこからの脱線思考である。
ここに挙げられている漫画のほとんどは、「キモい絵だ」という意見に同感である。中には、最初は敬遠していたが読むと違和感がなくなったものもある。
「ゴールデンカムイ」は話作りは評価するが、絵はやはり嫌いで、アニメも抵抗があって、途中で見るのをやめている。「キングダム」や「ブラックジャックによろしく」の絵が嫌いというのも、よく分かる。だが、世間にはその種の抵抗感が無い人も多いのである。「ジョジョ」は第一話しか見たことがない。第一話時点ではまだ普通の絵だったのだが、それでもダメだった。「バキ」は最初から敬遠である。福本伸行(漢字は適当)の絵は嫌いだが、あの内容には合っているようだ。「進撃」は嫌いというより、下手すぎて見る気がしない絵である。まあ、個性はある。個性があるという点では下に挙げられているのはほとんど個性はある。それを嫌うたいていの人は「その個性が嫌い」ということだが、感性の鈍い連中にとっては見慣れると平気になるし、他の作品との差別化が容易なので、売る側としては無個性より個性的な絵が売りやすい。
「ワンピース」の作者はもともとは絵が上手い人なのだが、わざと「人に嫌われる絵柄にしよう」という戦略を取ったらしい。この場合は、「好みのうるさい人、感性の鋭敏な人に嫌われる絵柄」ということである。つまり、大衆の大多数は下品な感性の持ち主だ、という賢い戦略だ。


(以下引用)

三大 絵がキモくて読んだことないマンガ
2023年04月30日
漫画総合

1:   2023/04/29(土) 07:05:03.201 ID:ZqSPfIZwa
バキ カイジ
あと1つは?
entertainment_comic (1)

https://viper.2ch.sc/test/read.cgi/news4vip/1682719503/
2:   2023/04/29(土) 07:05:37.952 ID:/pTk3tzx0
ワンピース

3:   2023/04/29(土) 07:06:19.176 ID:IpledVKzp
ゴールデンカムイ

4:   2023/04/29(土) 07:06:23.733 ID:k+z2muFDM
ジョジョ

5:   2023/04/29(土) 07:06:48.000 ID:LyEmn5Pha
ベルバラ

6:   2023/04/29(土) 07:07:21.622 ID:WvC0qPPr0
ブラックジャックによろしく、ホーリーランド、ドラゴン桜、キングダム、シグルイ、ゴールデンカムイ、土竜の唄

7:   2023/04/29(土) 07:08:03.730 ID:Lj2BA5YH0
御茶漬海苔の漫画全部

8:   2023/04/29(土) 07:08:11.915 ID:6OqgrTfr0
その2つとジョジョはもう殿堂だろ

9:   2023/04/29(土) 07:08:58.115 ID:d/hSGhui0
カイジって下手だけど不快な絵じゃなくね?

12:   2023/04/29(土) 07:09:38.332 ID:WvC0qPPr0
>>9
わかる

10:   2023/04/29(土) 07:09:19.947 ID:d/hSGhui0
下手でキモい絵っていうとドラゴン桜かなー

11:   2023/04/29(土) 07:09:34.802 ID:74S67dNG0
キングダムは全員同じに見える

26:   2023/04/29(土) 07:59:21.575 ID:fSxl0GgQd
>>11に同意+進撃
あれ系は見るの苦痛

13:   2023/04/29(土) 07:11:30.792 ID:2NPHq1QI0
ジョジョや

14:   2023/04/29(土) 07:15:45.070 ID:YKOtvc1U0
ワンピース
途中まで読んだけど、描かキツくて止めたら

15:   2023/04/29(土) 07:16:45.531 ID:2r9CYrPYd
きらら系全般

16:   2023/04/29(土) 07:17:14.133 ID:EvQd38Iu0
ワンピ

17:   2023/04/29(土) 07:19:03.161 ID:mvD/Sj2C0
きめつ

18:   2023/04/29(土) 07:19:40.249 ID:EvQd38Iu0
スラムダンク

19:   2023/04/29(土) 07:20:10.422 ID:xXtxa1jc0
NARUTO、ワンピ

20:   2023/04/29(土) 07:21:01.679 ID:EvQd38Iu0


21:   2023/04/29(土) 07:26:51.616 ID:081wyv6y0
頭文字D

22:   2023/04/29(土) 07:35:02.512 ID:MBHD0sGT0
めしぬまは読むどころか見たくない

23:   2023/04/29(土) 07:41:05.397 ID:/SJTxwv2r
JOJO定期

24:   2023/04/29(土) 07:46:30.394 ID:9WpEWpql0
鬼滅

25:   2023/04/29(土) 07:56:08.144 ID:04AyYUKk0
トリコ

27:   2023/04/29(土) 08:00:54.459 ID:irItnXnTr
福本の絵はむしろ見た者を一瞬で
惹きつける強烈な絵柄だと思うわ
ヤンマガ連載で限定ジャンケン北見戦を
見たのが最初なんだがアカギ知らなかったから強く印象に残ったな

28:   2023/04/29(土) 08:11:07.583 ID:2BfSLZmn0
バキは最初見やすかったな

29:   2023/04/29(土) 08:11:24.666 ID:DszzvMNsd
ポプテピピック

30:   2023/04/29(土) 08:11:38.891 ID:zpsMnVxS0
進撃の巨人

31:   2023/04/29(土) 08:16:05.066 ID:oftbDXmqp
ゆるキャンは実写面白かったけど原作はキモくて無理だった

32:   2023/04/29(土) 08:18:31.763 ID:rosNG8lK0
ドラゴン桜だなあ

33:   2023/04/29(土) 08:48:01.221 ID:fC9KxSu90
この人の漫画



34:   2023/04/29(土) 08:52:52.287 ID:f7ZSUL1/0
ウシジマくん

35:   2023/04/29(土) 08:55:18.151 ID:Hdpi2OdPd
ウシジマくんとかGANTZとかファブルとかアイアムアヒーローみたいなやつ
なんとなくわかってくれる人いたら嬉しい

37:   2023/04/29(土) 09:16:57.541 ID:VUEk/Pp80
>>35
劇画とマンガの中間くらいの絵柄って事かな

36:   2023/04/29(土) 08:56:06.170 ID:dqYtTHMz0
絵柄で読まず嫌いしたのはめしぬまだけだ
めしぬま。 1 (ゼノンコミックス)
めしぬま。 1 (ゼノンコミックス)
あみだむく
コアミックス
2016-12-20

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実写化に向いた漫画

実写版「ゴールデンカムイ」の評判がいいようなので、私が自分の別ブログで、この作品は実写化に向いていると「予言」した(笑)記事を転載する。2021年6月下旬の記事だと思う。

(以下自己引用)
アマゾンプライムにもネットフリックスにも見たい作品があまり無いので、アニメ「ゴールデンカムイ」を最初から見ているが、思ったより面白い。最初は、絵が下手なのが気に入らなかったが、見慣れるとさほど気にならない。まあ、「ワンピース」のようなグロテスクに誇張された絵柄ではないから、素人臭い感じは我慢できる。
だが、この作品は実写映画向きだろう。美男美女が出てこないのだから、いくらでも演技力の高い脇役俳優を使える。大部屋俳優には最高に腕の見せどころだろう。
ただ、主演俳優に魅力と人気のある男優が必要だ。それでないと客を呼べない。昔なら、菅原文太とか高倉健あたりか。そうなれる可能性のある無名男優は探せばいるはずだ。
私は「ゴールデンカムイ」という薄っぺらな印象のタイトルも嫌いなので、重厚に「黄金の神」でいいと思う。(カムイはアイヌ語で「神」)

俳優名鑑で調べてみたが、現在の顔写真が無い人も多く、顔は個性的だが演技力不明の者も多い。
とりあえず、
主人公(不死身の何とか)候補は
斎藤工
要潤
オダギリジョー
あたりか。
白石は
鈴木亮平
柳楽優弥
中尾明慶
あたり
後は、かっこいい老人が必要である。
吉川晃司
加藤雅也
榎木孝明
山下真司
鹿賀丈史
本田博太郎
団時朗
綿引勝彦など
悪人顔や面白い顔の俳優も必要
嶋田久作
平泉成
大地康雄
岸部一徳
安田顕
荒川良々
香川照之
古田新太
温水洋一
城田優
森山未來
柄本時生など

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キューブリックの映画が理解できない人たちへ

私の別ブログに書いた文章だが、わりと良く書けたと思うので、こちらにも載せておく。記事中の引用コメントは単なる参考コメント(大半が馬鹿コメント)なのでここには載せない。

(以下自己引用)
大半が馬鹿コメントだが、取捨せずに載せておく。中に、「バリー・リンドン」が面白いと書いているコメントがあって少し驚いた。あれを面白いと思えるのは(それが本当なら)凄い知性と感覚である。あれは「凄い」映画だが、あれを「面白い」とは、観ている間中私には思えなかった。つまり、主人公がどうしようもない立身出世主義の俗物で、その行動も悪辣なので、まったく感情移入ができないからで、しかも主人公の俗物性がなかなか観ている者には分からないので、主人公が明白な暴力型悪党である「時計仕掛けのオレンジ」以上に共感が難しいのである。
キューブリックの特徴のひとつが、そういうところ(キャラへの共感が困難なところ)なので、下のコメントの中の大半がそこで反発しているわけだ。

私は、キューブリックの映画というのは、「宇宙人が地球人を科学的に観察しているような」映画だな、という印象をかなり初期から持っている。観る側もそういう意識で見ると、理解できると思う。「シャイニング」のホテルの名前が「オーバールック」だが、彼の映画そのものが、上方から下界を見る「オーバールック」的なのである。言葉を換えれば「神の視点」だ。物事の客観視というのは、彼がカメラマン上がりであることと関係しているかもしれない。ただ、普通のカメラマンには彼のような映像・音楽・ドラマという万能性は無い。おそらく、彼は膨大な読書の蓄積があったと思う。サッカレーなどという、「誰もが忘れた昔の二流作家」の本(「バリー・リンドン」)まで読み、興味を持つのだから。

だが、キューブリックの特徴の最大のものは、映像と音楽の使い方にある。もっとも、それも中期(バリー・リンドン)以降はやや衰えた印象だが、「博士の異常な愛情」のラストが、地球全土が各国の核攻撃で破壊され崩壊する映像に合わせて、古い懐かしいポップスの「また逢いましょう」(ヴェラ・リン)が流れるなどは、凄いとも何とも言いようがない。「時計仕掛けのオレンジ」も、不良チームの間の闘争場面に重ねて、優雅な「泥棒かささぎ」がゆったり流れるというところ、河畔の暴力場面の映像と音楽など、素晴らしい感性である。まあ、天才としか言いようがない。

要するに、キューブリックの映画は「人物に感情移入せずに、冷静に観て、映像と音楽とドラマそのものを味わえ」ということだ。ドラマ性という点では「時計仕掛けのオレンジ」は一番分かりやすいだろう。(彼は人間に関心はあるが、人間を「昆虫観察」的に見るので、キャラを「人間的」に描くのが苦手というか、あまり好みではないようである。その傾向が一番分かりやすいのは「時計仕掛けのオレンジ」の「ウィリアム・テル序曲」に載せた早送りのセックスシーン。だから、「スパルタカス」での主人公の描き方に満足できなかったカーク・ダグラスは彼と喧嘩し、彼をクズだと言っている。)

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「三四郎は」と「三四郎が」の違い

私は、些細な謎を推理するのが好きなのだが、今、市民図書館から借りて読みかけ(三読目か四読目である)の、夏目漱石の「三四郎」の一節に、こういう部分がある。話ももう終盤というあたりだ。

広田先生が病気だと云うから、三四郎見舞いに来た

これを読んで、不思議に思わないだろうか。三四郎はこの小説の主人公で、話は彼の経験したことが中心となって進んでいる。ところが、

広田先生が病気だと云うから、三四郎見舞いに行った

ではなく、「三四郎が見舞いに来た」である。これでは、三四郎は主人公でも何でもなく、有象無象のひとりのようではないか。
そこで気が付くのは、それこそが漱石の意図なのではないか、ということだ。つまり、漱石は三四郎という人物を描きたかったのではなく、彼を中心に起こる、さまざまな人間模様を描きたかったのであり、三四郎は、いわば話の結節点ではあっても、「主人公」でも何でもない、ということである。主人公は、むしろ、「無意識の偽善者」であり、三四郎を翻弄する、美禰子ではないか。
もちろん、彼女を無意識の偽善者と断定するのは彼女に気の毒で、彼女は、単に「誰かに愛されたい」という願いから、無意識的に男を操縦する手管を使うだけだろう。その相手が、誰になるのか、彼女自身にも分からないから、「候補」となりそうな相手には謎めいた接近をしたり、遠ざけたりするわけだ。
彼女が三四郎に「迷子のことを英語で何と言うか知っているか」と聞き、「ストレイシープ(迷い羊)」だと教えるのは、彼女自身がまさに精神的迷子であることを示している。

私が、この作品を映画化するなら題名を「迷い羊たち」とする。この話の登場人物の中の若者たちは、みな、迷いの中にあり、それこそが青春の本質だろう。



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fancy でもfunでもfantasiticでもない fantasyとは何か

記事タイトルを書いた後で、ところで、fancyとはどういう意味かと気になって調べたら、大きく分けてふたつの意味があり、「装飾的な」「空想、幻想、奇想」などの意味のようだ。
で、fantasticは、英語の意味はともかく、日本人としては「空想的、幻想的で素晴らしい」ニュアンスの言葉だろう。当然、fantasyに我々が期待するのもそれで、それは基本的にはfun(面白み、楽しみ)であると思う。
なぜこういうことを書いているのかというと、先ほどまで、寝覚めに読んでいた小野不由美の短編集の冒頭の作品が、面白さ、楽しさとは対極にあるものだったからだ。もちろん、彼女の代表作である「十二国記」自体が「ダークファンタジー」の部類に入るものだろうと私は思っているし、彼女がホラー小説作家としても高く評価されていることは知っている。
では、ダークファンタジーはファンタジーの同類なのか、と言えば、それは「空想的内容」つまり、現実の世界にはありえない話だ、という点で同類というだけで、ファンタジーの特長を「現実から遊離することの『楽しさ』」にある、とすれば、それはファンタジーとは別種のジャンルになるのではないか。そういう点では先ほど読んだ小野不由美の作品は(「十二国記」もたぶんそうだろうが)「指輪物語」の同類で、つまり「空想力によって緻密に構築された、現実とは別の物語世界」であるわけだ。で、その種の作品によくみられる欠点は、「楽しくない」つまりfunなところが無いことだろう。たいていの場合、その種の作品にはユーモアの要素が欠けている。ほとんどゼロなのではないか。笑いは緻密に作られた「真面目な」構築物を破壊する可能性があるわけだ。
だが、私はユーモアの要素の無いフィクションは体質的に「読めない」のである。「十二国記」は最初の数行で投げ出した記憶がある。文章自体が、明らかにユーモアの欠如を示していたからだ。いや、難解な哲学の文章でも読むことはあるが、私が小説に求めるのは慰安と娯楽と「自分の内的世界が広がること」なのだ。単なる作り物(細工物)で世界は広がらない。
ついでに言えば、ドストエフスキーもバルザックもユーモアの要素がある。ドストエフスキーなど、ユーモア満載と言っていい。カフカですらある種のユーモアはあるだろう。「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」のナンセンスユーモアの偉大さは言うまでもない。
そして、女性作家には、その種のユーモア、特にナンセンスユーモアが欠如した作家が多いと感じる。私は女性にユーモアが欠如していると言うのではない。ただ、そのユーモアは、キャラの失敗や特殊な個性による言動(たいていはその失敗)から来るもので、世界そのものの不条理性を笑いにするというナンセンスユーモアは女性には少ないのではないか、と思っているわけだ。(「赤毛のアン」の中で、一番ナンセンスユーモアに近いのは「物語クラブ」の話の中でダイアナが物語のストーリー作りに難渋して、登場人物をどんどん「殺してしまう」話ではないか。物語の作中人物は筆者の恣意で簡単に殺される不条理世界を生きているわけだ。)それだけ女性は現実主義的なのだろう。(女性は男性より「現実観察眼」があり、些細なことも見逃さない繊細さがあるので、それが一種の笑いや詩情を作品に添えることが多いのだが。)(笑いとは何か、という哲学的問題については、私の宿題にしておく。)

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