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「ロンドンデリーエアー」の各種ミックス

今朝の夢の中で、なぜか昔の職場の同僚(ひとりはなぜか皆川猿時だったようだが、もちろんテレビでしか見たことがない俳優だ。)と雑談して、なぜか、「島崎藤村の『椰子の実』は実は監獄で刑死した我が子を偲ぶ母の歌だ」という「驚異の発見」が生じて、職員一同が驚くという変な出来事があったのだが、起きて考えてみると、その歌(曲)は『椰子の実』ではなく、「ロンドンデリーの歌」だった。まあ、「ロンドンデリーの歌」は確かに(下の記事の津川圭一作詞だと)「我が子の不在(兵士となって、椰子の実と同じく流離している)を嘆く母の歌」ではある。だが、監獄での刑死ではない。
昨日だったか、終身刑になろうとして人を2人殺したアホの記事を書いたが、その残留記憶がこの夢につながったのだろう。
その一節を夢(覚醒前の朦朧状態)の中で作ったので、その部分を載せておく。

暖かき春の日差しに
監獄に光はめぐる
耐えがたき母の悲しみ
さなり我が子は逝きぬ

最後の2行は誰かが作詞した「ロンドンデリーの歌」の詞をそのまま使った。私が作った前の2行だと、母親を監獄に呼んで、その目の前で殺したみたいだが、まさかそういう習慣は無いだろう。津川圭一作詞の歌詞とミックスすると、こうなる。(「愛(いつく)しむ」は「慈しむ」が一般的だろうからそう書いた。)(「暖かき」は最初は「暖かな」だったが、古文文法に従って「暖かき」とした。すると自動的に「き」「に」「き」「り」と語尾が「イ音」で揃うことになり、少し通韻(押韻)がうるさいかな、と思ったが、そのままにする。各行の語尾も1行ごとに「イ音」と「ウ音」が交替し、これも押韻になっている。)(光は「めぐる」ものではない、という批判は受け付けない。母親が感情の問題でそう感じただけだ。)(この「母親」は刑死した犯人の母親ではなく、殺人犯の死刑に立ち会った、殺人事件の被害者の母親としてもいい。)

吾が子よ 愛しの汝(なれ)を
父君の形見とし
心して慈しみつ
今日まで育て上げぬ

暖かき春の日差しに
監獄に光はめぐる
耐えがたき母の悲しみ
さなり吾が子は逝きぬ

ロンドンデリーの歌 Londonderry Air

18世紀から伝わる古いアイルランドの旋律

『ロンドンデリーの歌』(The Londonderry Air)、または『デリーの歌』(The Derry Air)は、18世紀から伝わる古いアイルランドの旋律『若者の夢(The Young Man's Dream)』に基づく歌詞の無い器楽曲。


1855年出版の楽譜集「The Ancient Music of Ireland(アイルランド古代音楽)」に収録され、ロンドンデリー出身のジェイン・ロス(Jane Ross/1810–1879) が収集したことから、後年この曲名がついた(出版当時は無名だった)。


このメロディには様々な歌詞がつけられているが、『ダニーボーイ(Danny Boy)』が最も有名と思われる。


ロンドンデリーの街並み


写真:ロンドンデリーの街並み(出典:Wikipedia)


『Londonderry Air』のメロディにつけられた数多くの歌詞の中では、キャサリン・タイナン・ヒンクソン(Katherine Tynan Hinkson)が1894年に発表した『アイルランドの恋の歌(Irish Love Song)』が世界的に知られている。


歌詞の一行目から、『私がリンゴの花だったら(Would God I were the tender apple blossom)』の曲名で呼ばれることも多い。


このページでは、この『アイルランドの恋の歌(Irish Love Song)』の歌詞について、その意味・和訳を掲載しておく。

【YouTube】ロンドンデリーの歌 Londonderry Air

歌詞の意味・日本語訳(意訳)

『Irish Love Song』(アイルランドの恋の歌)


作詞:Katherine Tynan Hinkson


1.
Would God I were
the tender apple blossom
That floats and falls
from off the twisted bough,


To lie and faint
within you silken bosom,
Within your silken bosom
as that does now!


もし私がリンゴの花だったなら
ねじれた枝から
ふわり浮かんでふわり落ちて
貴方のシルクの胸元に
舞い降りたい


Or would I were
a little burnish'd apple
For you to pluck me,
gliding by so cold,


While sun and shade
your robe of lawn will dapple,
Your robe of lawn,
and you hair's spun gold.


もし私が磨かれたリンゴの実だったら
木漏れ日の中で ローブが揺れる
金色の髪の貴方に
もぎ取ってほしい


2.
Yea, would to God
I were among the roses
That lean to kiss you
as you float between,


While on the lowest branch
a bud uncloses,
A bud uncloses,
to touch you, queen.


もし私が野薔薇だったら
軽やかに舞う貴方に
身を傾け口づける
貴方に触れたいがため
開く下枝の芽


Nay, since you will not love,
would I were growing,
A happy daisy,
in the garden path;


That so your silver foot
might press me going,
Might press me going
even unto death.


貴方が愛してくれないのなら
庭の小道に咲くヒナギクとなって
銀色の靴を履いた貴方に
枯れるまで踏み潰されたい

日本語で歌える訳詞

『ロンドンデリーの歌』には、日本語で歌える訳詞がつけられている。


まずは、訳詞:近藤玲二による日本語の歌詞を次のとおり引用し、その内容を原曲と比較してみたい。


1.
北国の港の町は
リンゴの花咲く町
したわしの君が面影
胸に抱きさまよいぬ


くれないに燃ゆる愛を
葉かげに秘めて咲ける
けがれなき花こそ君の
かおりゆかしき姿


2.
さぎり降る港の町は
リンゴの花咲く町
いつの日も匂いやさしく
夢はぬれてただよいぬ


たそがれにほほすりよせて
リンゴはなにを語る
誓いせしあの夜の君の
かおりゆかしき姿


近藤玲二による訳詞では、「リンゴの花」という原曲との共通点が見られるが、それ以外は独自の内容で日本語歌詞がつけられているのが分かる。

津川主一による訳詞

『ロンドンデリーの歌』の訳詞としては、フォスター歌曲の訳詞で知られる津川主一(つがわ しゅいち)による次のような日本語歌詞が知られている。引用してご紹介したい。


1.
わが子よ いとしの汝(なれ)を
父君の形見とし
こころして愛(いつく)しみつ
きょうまで育て上げぬ


古き家を巣立ちして
今はた汝は何処(いずこ)
よわき母の影さえも
雄々しき汝には見えず


2.
はてしもなきかの路の
あなたに汝はゆきぬ
むなしき我が家見れば
亡き父君おもわる


足もとの草むらより
立つはさえずる雲雀(ひばり)
ああ われも強く立ちて
我が家の栄誉(ほまれ)を守らん


津川氏による日本語歌詞を見ると、『ロンドンデリーの歌』原曲の歌詞とはまったく関係のない内容である事がわかる。


おそらくこの日本語歌詞は、『ロンドンデリーの歌』に別の英語の歌詞がつけられた『ダニーボーイ Danny Boy』の内容を念頭においたものと推測される。

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恋の風雅

睡眠時間が短いので、深夜に目覚めることが多く、寝床の中で目をつぶって半覚醒状態であれこれ妄想的な思考をするのが常だが、今朝の朦朧思考のひとつが「恋の風雅」というものである。ただし、恋とはまったく関係なく、単に思考のタグ付けとして付けたタイトルだ。
先ほどカレンダーで確認すると、今日は旧暦の9月2日のようだ。つまり、暦の上では晩秋だ。なぜ確認したかというと、朦朧思考の内容が「枯れ枝に烏の止まりけり 秋の暮れ」という芭蕉の俳句に関するものだったからで、「秋の暮れ」は「秋の夕暮れ」とも「晩秋」とも取れる。まあ、晩秋でもあり夕暮れでもあるという情景だろう。
で、私が考えたのは、この俳句の音調の良さであり、それが実は「字余り」であることと、飛び飛びに出て来るK音の作るリズムのためだろう、ということである。
「字余り」は普通は俳句の音調を悪くするが、しかしたとえばこの俳句を「枯れ枝に烏止まるや 秋の暮れ」とか「枯れ枝に烏の止まる 秋の暮れ」としたら、実に愚劣な、平凡な印象になるのではないか。この俳句の非凡な印象は実は「烏の止まりけり」という破調にある、ということだ。
そして、K音の作るリズムとは、全部平仮名書きした次の赤字部分で分かるだろう。

れえだにらすのとまりり あ

K音というのは鋭い音である。それが一定間隔で出てくるので、その度に我々の心が驚くわけだ。
「烏の止まりけり」という破調も、「り」のK音を入れた効果もあるわけである。通常は「けり」は伝聞過去の助動詞とされているが、詠嘆の助動詞でもある。

言うまでもないが、「恋のフーガ」はザ・ピーナッツの歌で、「フーガ」とは「遁走曲」と訳されたりする。つまり、同じメロディーが繰り返されるのが、訳名の理由だろうが、上に書いた俳句はK音の繰り返しという、フーガ的な俳句でもあるから、風雅でもありフーガでもある。
ただし、この考察をしていて考えたのだが、この烏が止まっていたのは本当に枯れ枝だったのだろうか。それもまたK音を出すための工夫だったのではないか。烏がわざわざ枯れ枝を選んで止まったわけではないだろう。もちろん、この「枯れ枝」とは、実際に枯れている枝ではなく、晩秋の、葉が落ち切った枝、ということだろうとは思う。

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秋空や朝日東に月西に

私の住んでいる海岸の町は、東側に海があって、堤防というか、護岸壁があり、その上が広い通路になっている。通路の隣は自動車道だが、通路との間はガードレールがある。つまり、海を眺めながら安全な散歩ができるわけだ。
で、今朝は夜明け前から朝日を眺めに東側の海沿いの道に行ったが、なかなか太陽が昇らない。何の気無しにその反対側、つまり西の空を見ると、何と、大きな満月が浮かんでいるではないか。もちろん、夜明け近くだから地平近く(仰角20度くらい)まで降りているし、空も明るくなりかかっているので、月の出の時のような鮮やかさは無いが、満月を朝に見るという経験自体、貴重である。
昨夜が満月(旧暦八月十五夜)であることは知っていたが、忘れていたのである。スーパーで買った安い月見団子は、夜まで待てず朝のうちに食べてしまったwww 
そこで一句詠んでみようかと思って作ったのが、次の句だ。(「詠む」のは短歌・和歌で、俳句は「ひねる」ものだという説には与しない。「ひねる」という言葉自体、下品である。)

満月や近く輝く朝の雲

朝の満月との偶然の遭遇もさることながら、むしろそれから少し離れた朝雲の薔薇色の輝きが気に入って、その両者を句に入れたわけだ。「満月に近く輝く朝の雲」でもいいが、これだと「満月に近い」という言葉が時間的な近さとも読める。空間的な近さで、しかも少し離れた近さなので、「隣り」という言葉も不適切である。「満月の傍に輝く朝の雲」のほうが語呂はいいが、「傍」でもない。まあ、光を失い、沈みつつある満月と、夜明けと共に光を増す朝雲との対比を出したかったが、いずれ考えてみる。
ついでに言えば、朝焼けの雲の色を表す適切な言葉が無い。色そのものが、「桃色」ではなく、赤でも黄色でも朱色でも緋色でもない。「薔薇色」が一番適切に思えるが、薔薇色はべつに「輝き」を表すものではない。そういう、「輝きを伴う色」を表す言葉があるだろうか。「瑠璃色」などがそれに近いか。


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海と信号機

気まぐれに市民図書館から借りてきたのだが、穂村弘に「手紙魔まみ、夏の引っ越し(兎連れ)」という作品集があり、後書きを見ると、実際にまみという少女の作品集のようだが、あるいはそれは嘘で、全部穂村弘が作った歌かもしれない。しかし、それにしては、あ まり感心するほどの作品は無く、本の題名だけがいい、という気もする。まあ、変な少女の変な感覚を短歌とも何ともつかない短文にしたのを集めたものに見える。
ほとんどが短歌としては破調なのだが、ほとんど唯一「五七五七七」になっている作品があり、それが短歌としても、優れていると私には思える。まあ、この程度の感覚なら歌人を名乗る者なら無数に書いているのかもしれないが、私は現代短歌をほとんど知らないので、これがプロの目でどう評価されるかは分からない。とにかく、私は気に入った。

夜明け前 誰も守らぬ信号が海の手前で瞬いている


誰もがいつかどこかで見た情景で、その時に何かの感情を生じたと思うが、それが、その信号が「誰も守らぬ」ものであることから生じたものであることが的確に表現されていて、しかもその信号が「海の手前」にあることで、情景が完璧になっている。海という巨大な存在と、信号という小さな人工物(しかも、誰も守らない)の対比。我々の存在自体、この信号のようなものではないか。

次の作品は、穂村弘の作品として私は記憶していたのだが、どうなのだろうか。素人の作品には思えない。


「凍る、燃える、凍る、燃える」と占いの花びら毟る宇宙飛行士






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西洋人の細密描写と日本人の簡潔描写(あるいは図書館での奇跡の出逢い)

9月27日の「盗侠行」記事の内容を一部訂正する。その前に、事情説明をしておく。下記文章で訂正に関する部分は下線をつけた。

昨日、市民図書館に借りた本を返しに行き、新しく読む本を探した。物色した本が貸し出し限度の10冊近くになったので、何の気なしに児童文学の棚へ足を向けた。深層意識の中で、「盗侠行」の原詩の作者が童話作家だという情報が動いていたのだろう。棚をほとんど見終わって最後のあたりで、「ウィルヘルム・ハウフ」という名前を見つけ、もしかしたらこの作家が、探していた人物ではないか、と思って本を取り出し、中身を見ると、目次の最初に「隊商」という作品名がある。ドンピシャだ、と喜んで少し読むと、詩ではなく小説(童話というには大人向けの内容のようだ。)だが、その内容はまさしく「盗侠行」そのものである。しかし、どうやら「枠物語」のようで、幾つもの話を挟んだもののようだ。
立ち読みするのももったいないので、借りだした。(数えると、それがちょうど貸し出し限度の10冊目だった。)
家に帰って読むと、詩の「盗侠行」を数倍にふくらましたというか、細かい描写がされて、全体が200ページほどもある。つまり、「おもかげ」で「盗侠行」を書いた人は、このエッセンスを見事に抜き出してあの簡明かつ雄渾な「盗侠行」という詩にしたのである。だから、私が「『盗侠行』の原詩」という言い方をしたのは誤りだったということだ。ただそれだけのことに長い説明をしたが、これは、「小説のエッセンスを物語詩にする」作業が偉業であることを言いたかったからである。詩のほうの作者は鴎外とは限らない。「新声社」というグループで、その代表名が森鴎外である。

小説の「隊商」は、まだ「盗侠行」関連部分しか読んでいないが、細部の描写が膨大にあり、悪くない描写だが、私のような日本人には無くもがな、という気がする。我々は事物のエッセンスを17字や31字で簡潔に表現することに慣れた民族なのである。

たまたま興味を持った作品の関連図書を同じ図書館で見つけるというのは、実際にはかなり稀だと思う。私がいつも利用している市民図書館は蔵書数そのものがひどく少ないのである。だが、それでもこのような「奇跡」を与えてくれたわけで、図書館という存在の素晴らしさを教える話だ。


盗侠行

何か創作的な作業をしないと頭が寂しいので、鴎外の詩集「おもかげ」から、少し珍しい物語詩を口語訳してみる。ただし、図書館の返却期限が明日なので、今日中に出来るかどうか。意味不明の部分はほとんど適当訳である。つまり、「超訳」だ。原詩はウィルヘルム・ハウフの「隊商」である。話の意外な展開(ただし冒頭は淡々としている。)が非常に面白い物語詩だ。

盗侠行     (夢人注:「行」は物語詩の意味。白楽天の「琵琶行」など)

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「或る時」

「おもかげ」から、或るドイツ詩人の「ある時」の文語訳を、時間が無いので30分で口語訳してみる。(今訳し終わって、どういう詩か分かった。最後の一句が素晴らしい。)
詩人の名はエドゥアルト・フェラント、詩の原題は「Einst(いつかあるとき)」である。


 或る時

墓場の前にふたりは立った
接骨木(にわとこ)の花は匂い
夕暮れの風に草葉はそよぐ

乙女はささやく声も細く言う

私の身がこの世を去った後
詠んだ歌だけが残り
あなたは広い世に取り残され
共に語らう友もなく
思い寝の夢に私を見たなら
接骨木の花と薔薇の花が
囲んだ墓場を訪ね来て
緑の草葉を寝床にし
匂い良い花の一束を
私に向けて手向けてくださるなら
馴れた足音に私は目を覚まして
静かに忍び寄って
心を隔てず囁きましょう
共に世にあった時のように
過行く人々のことを思うでしょう
接骨木の花を静かに
緩やかに揺らす夕風だね、と
生きた世にいるように何事も
聞かせなさるなら私もまた
夢見たことを語りましょう
その時互いに心が静まり
目を覚ました星に気がついて
「さようなら」と、とても静かに言いましょう
あなたは元気を取り戻し夕暮れに
帰りなさるでしょうあなたの家に
私は再び花の底に











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盗侠行

何か創作的な作業をしないと頭が寂しいので、鴎外の詩集「おもかげ」から、少し珍しい物語詩を口語訳してみる。ただし、図書館の返却期限が明日なので、今日中に出来るかどうか。意味不明の部分はほとんど適当訳である。つまり、「超訳」だ。原詩はウィルヘルム・ハウフの「隊商」である。話の意外な展開(ただし冒頭は淡々としている。)が非常に面白い物語詩だ。

盗侠行     (夢人注:「行」は物語詩の意味。白楽天の「琵琶行」など)

平原のような砂漠が天に接し、太陽は焼けるようだ。
馬や駱駝の列が長々と続き、塵煙が起こる。
目路の限り朦朧として人は見えない。
ただ馬の鈴の音が遠くからも耳に入る。
烈しい風が一陣、地を払って吹き、
刀槍の輝きを目をぬぐって観る。
駱駝の背は隊商の舟であり
砂を渡るのは海を渡るのに似ている。

突然、一頭の馬に騎った者がこの旅群に近づくのが見えた。
巨きな眼、竜のような髭、そして名馬にまたがっている。
体は巨大でたくましく、
その姿はいかにも勇者である。
守兵は肝が潰れ、心は恐慌状態だ。
戦おうとする者も、ただ衆を頼むのみ。

騎士が笑って言う「驚き疑いなさるな」と。
「単身で旅群を脅かすのは不可能な企てだろう。
お聞きしたい、商旅の主は誰であるか」と。
「拝謁して、お話したい」と。

すでに日は中天にある。
一族の帳幕(天幕群)に旗を立てる。
守兵が客を導いて天幕に入る。
大商人の老翁ツァロイコスは美々しい服装である。
この人は成年後に左腕を肘から失っている。
憔悴した顔立ちで、憂いがある様子に見える。
客は一礼して来到した理由を語る。

「私もまた砂漠を旅する者である。
かつて巨盗のために生け捕られ、
今は囲みを脱して万死を免れた。
お願いしたい、あなたが私を商旅の仲間に入れてくれることを。
その恩は子孫の末まで忘れないだろう」と。

ツァロイコスは喜んで同行を承知した。
数日も轡を並べて旅し、主客は仲良くなった。
或る日、正午に天幕を貼り
主客は大飲し、酔いを尽くした。
ツァロイコスは言う「万事、ままならないことが多い。
どうか、私の家が衰え、また盛んになった話を聞いていただけないか。」

「私の家は今はコンスタンチノープルにある。
私は幼くして医者の道を学び、成長して商人となった。
毎年、万里の砂漠を渡り、
今はまさにメッカから故郷に帰ろうとしている。
私はかつて店をフィレンツェに開き、
布衣を売り、また薬湯を売る。
或る人が、手紙を投じて夜間に私を招いた。
ひそかに病者の室に私を招くのである。
この夜、空は寒く、肌が震えた。
剣を帯びて独りヴェッキオ橋の霜を踏む。
月はアルノ河の水に映り、波を金色にしている。
寺院の鐘の音が遠くに聞こえ、夜はまさに半ばである。
突然、巨人が私の背後に立ったのが分かった。
赤いマントと金糸の縫い飾りが月光に映えている。
顔半分は覆面をし、眼光が炯々としている。
手にした千金の袋を側に置き、
告げて言う、「私の妹は旅の途上で死んだ。
故国の老親は心を痛めることだろう。
我が家には決まった礼がある。
妹の頭部を断ち切って
故郷に送り与えて弔いの礼をさせたい。
あなたが手を労してそれをやってくだされば、
千金を送ってその謝礼としたい」と。

私は既に巨人が語るのを聞き、
金を好む心が動き、詳しい話を聞かず、
男に従ってすぐに死体を納めた部屋に入った。

かがり火の光は薄く、縫い取りをした絨毯が床を覆っている。
私はかつて外科の術を学んで習熟し、
人の手足を切るのは普通の技である。
短刀を提げてためらい、死体の顔を眺めた。
黒髪がふさふさと顔を取り巻き、顔色は青白い。
短刀が一閃して首の骨に入る。
思いがけなく、鮮血が傷から流れ、
痛苦を訴える細い声を聞く。

振り返ると巨人は既に逃亡していた。
私がこの美人を自分の手で殺したのである。
夢か、現実か、私は狂ったのか、狂っていないのか。
フラフラと家に帰ったが、逃げる方法もない。
身は獄舎につながれ、刑場に上る。
幸い、親友がいて、
金品を官吏に送って法を曲げ、
役人は私の左腕を肘から断ってフィレンツェから放逐する。

悄然として故郷に向かい、市の境を出て
よろめきながら、かろうじてコンスタンチノープルに入った。
誰かが私のために、彫刻を施した屋敷を準備してあった。
手紙に、これを贈ると書いてあった。
その筆跡を今でも忘れようか。
ヴェッキオ橋で私を欺いて殺人を行わせた者が
私のために家を贖い、生活の安楽を計ってあったのである。
いまだにその巨人が人だったか鬼だったかは知らない。
その心の良し悪しもわからない。
しかし、その巨人を恨もうとは思わない。
この不思議な出来事が、その後の人生の福をもたらしたのである。」

客はこの話を聞いて涙を流し、
惻隠の心が腸を絶たんばかりであった。

突然、危急が悲しみを散らす出来事があった。
守兵が顔色を失った様で来て報告した。
前方に一隊の兵士の群れが見える。
砂漠の盗賊以外の何者でもない。

世間ではその首魁の名を伝えている。
オルバザンと言って、山をも抜く力がある。
獰猛な獣をもとりひしぐ力があるが、
その心中には威徳があると。
報告の言葉が終わる前に、旅群が驚いたことには
明らかになった賊兵の数はまさに無数であり、
隊伍は厳粛で刀槍も見え
こちらの天幕群に迫るように見える。

客は緑の旗を出し、旗竿の頭に挿し
笑って言う、君たちは慌てる必要はないと。
商旅の人々がどうしてたやすくその言葉を信じられようか。
手には銃や槍を提げ、憤怒の気持ちが胸に満ちる。
だがどうしたことか、群盗は向きを変えて過ぎて行き、
緑の旗の不思議な威力で災難は去った。

紅い日が西に沈み、涼風が吹いて
列を整えて隊伍は天幕を畳み巻く。
これからまた数十里を踏破し
砂漠を渡り終えて山脈を見る。
緑樹や流水が故郷の友に似て
路がカイロに近づいて初めて愁いの眉を解く

隊旅が客に恩があることは、その深さは海のようで、
客がいなければ、まさに天幕に巣を作った燕の危うさだっただろう。

送別の宴を新たに高殿に開き
ツァロイコス翁は杯を手にして待つこと長い。
沓(くつ)の音高く階段を踏み
突然、片手で幔幕を持ち上げる。
紅いマント、金糸の縫い取り、顔の半分は覆っている。
彼はどうしてここにいるのか。
マントを脱ぎ、顔を表すと、我が客である。
ツァロイコス翁の心は乱れて麻のようである。
客は翁に言う、私を覚えていますか、と。
ヴエッキオ橋のほとり、アルノの水の岸を。

「私の先祖はフランスの名族でした。
父母は先祖の産業を継いで家産を減らし
家をアレキサンドリアに移して日月を送っていました。
兄がいて、両親に期待されておりました。
私はフランスに遊学しました。
ちょうど乱賊が蜂起した時節に遭遇し
アレキサンドリアに帰って父母の面倒を見ようとしました。
両親のもとで暮らすのは望むところでした。
ところが、家中に出来事があって、
一門はほとんど滅びていたのです。
兄は隣家の娘をめとろうとし
その結婚が間近になって破談されたのです。
その娘はまさに妙齢で容色は美しく
薄衣を着て宝石で飾り
狂った蝶が花を追うような浮気者でした。
早くから、遊び人の青年と私通していたのです。
その遊び人の家は大富豪で、
彼自身も好い風貌をしていたのですから、娘がなびいたのは当然でしょう。
隣人はもとはフィレンツェで商売し
家を挙げて故郷に帰り、息子もそれに従ったのです。
兄はこの密通を聞いて憤怒し、
ただちにこのことを書状に書いて官司に訴えました。

隣家の父は富み、身分も高かったので
汚吏は舞文曲筆して兄を罪に落とし
死罪にした上でありもしない罪を兄と父に負わせたのです。
重なった厄運は悲しむ以外にはありません。
続いて老母も発狂して死に
私はひとり、家族との別れを悲しむのみ。

骨身に刻まれた恨みの種は隣家の娘にあります。
ひそかにフィレンツェに渡り、これに復讐しようと考えました。
金を投げ出して門番を買収し、屋内でひそかに行動する便りを得ました。
そしてついに、あなたを誘って恨みを晴らすことができました。
この秘策は今に至るも人は知りません。
あなたのために屋敷を買ってあなたの徳に感謝し
そして身をくらまして異国に移りました。
異郷の純朴な気風を愛して
同志を集めて財産を増やす土台を作ったのです。

さて、私の従者が輿を準備して私をずっと待っています。
これであなたとお別れしたい」

ツァロイコス翁は男が語るのを聞いて涙を流し
禍福のもつれる様を嘆くのみ。
貴君のために富貴になって二十年
とっくに恨みは氷解してあなたを咎める気はまったくない。
貴君の国はどこで名は何と言う。
今日、君と別れるのが名残り惜しい。
客は翁の左の肘を取り、笑って言う。
「私は、かの大盗賊オルバザンです」と。















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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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