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高校生のための「現代世界」政治経済編9(全体終了)

終わりに

 以上で、この「高校生のための現代世界」は終わりです。この本を書くために使った本は、帝国書院の高校教科書と旺文社の「詳解シリーズ」と、山川出版社の用語集と、93年版の古い「イミダス」、それに三省堂から出ている「最新世界の国ハンドブック」(地理データは、だいたい1995年から97年です。)くらいです。中の表現に、それらの丸写しはしていないつもりですが、多少似た表現はあるでしょう。つまり、この本のデータ自体は、そのへんの教科書の中にあるということです。
高校教科書や参考書の中にも面白い世界は広がっています。それを誰も本気で読まないのはもったいないことです。しかし、それには理由があります。
 残念ながら、教科書や参考書の書き方は無難で正確なだけで、面白くはない。何よりも、物事の因果関係や意味の連鎖がわからないということが致命的な欠点です。(それに、たとえば、イミダスなどにも、マッカーシズムとか、逆コースのような大事な言葉が載っていません。新しい情報にばかり捉われていると、かえって物が見えなくなります。)
 私は、その無味乾燥な地理や世界史や政治経済に血を通わせようと考えました。つまり、社会科をドラマとして描こうと考えたのです。ドラマには悪役が必要です。そのために西洋文明と、特にアメリカをその悪役にしたのですが、実際、このとおりの事を彼らはしてきたわけですから、言葉は過激でも、それを訂正する必要は認めません。要は、面白いかどうかです。そして、面白さという点では、これまでに書かれた社会科教科書や参考書の百倍の面白さがあり、有益さという点では千倍も有益だと自負しています。おそらく、この本を読むことで、世界認識の足がかりができるでしょう。
しかし、この本は出発点にしかすぎません。大事なのは、根本をしっかりさせることで、その根本とは、すべての情報を疑うことです。この本ももちろん、私の主観と偏見がかなり入っています。まずは、私のこの本も疑って、自分でいろいろなデータを集めてください。そして、自分の頭で考える人間が一人でも増えてくれることが、私の望みです。そうすれば、日本はきっと、希望が持てる社会に変わっていくでしょう。 

               2005年 4月5日   作者敬白

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高校生のための「現代世界」政治経済編8

第七章 世界経済の現代史

 世界経済の現代史を見てみましょう。
 第二次世界大戦が終わる直前の1944年7月に、アメリカのブレトン・ウッズで開かれた連合国国際通貨会議で国際通貨基金協定と国際復興開発銀行協定が作成されました。(この、1944年という年号に注意してください。この時点でアメリカは、日本の敗戦を確信し、戦後体制の立案に取り掛かっていたのですから、翌年8月に落とされた原爆は何のためのものだったというのでしょう。)この協定をブレトン・ウッズ協定、この協定にもとづく機構をブレトン・ウッズ機構と言います。
 国際通貨基金(IMF)の目的は、為替の安定を図ることで世界貿易の拡大を目指すものです。その他、加盟国の経済成長や完全雇用の実現などのお題目もありますが、要するに自由貿易の促進が目的です。したがって、その背後には当然、世界的資本家たちがいたでしょう。その目的を達成するために加盟各国は基金(当初110億ドル)の割り当て額を出資し、金1オンス=35ドルの合衆国ドルを平価(金で表示された通貨価格)基準として、為替相場の変動を平価の1%以内に抑えることが義務づけられました。平価が変動しそうになると、各国は基金から外国通貨を買い入れて変動を避けるわけです。
 国際復興開発銀行とは、いわゆる世界銀行で、各国の出資金を資金として、戦災国や発展途上国への融資を行います。
 1945年12月には、アメリカによって、自由貿易促進のために関税(輸出入にかかる税金)やその他の貿易障害を取り除く「貿易と関税に関する一般協定(GATT、ガット)」が提唱され、1947年に調印、48年から発効します。もちろん、これも自由貿易で儲けようという世界経済支配層が作らせたものでしょう。
 1949年、顕在化してきた東西対立(資本主義国家と社会主義国家の対立)によって、ココム(対共産圏輸出統制委員会)が作られ、52年にはチンコム(対中国輸出統制委員会)が作られます。
 ヨーロッパでは、1950年頃から欧州全体を経済共同体とする動きが現れ、それが後のEEC(ヨーロッパ経済共同体),EC(ヨーロッパ共同体),EU(欧州連合)へと発展していきます。
 IMF体制によって、ドルは世界で唯一の金と交換可能な通貨として信任され、世界の機軸通貨となりました。しかし、1960年頃になると、アメリカはヨーロッパ各国や日本に追い上げられて貿易収支が悪化し、国内的にはインフレーションが進行した上に、共産圏との対決のために拡大を続けた軍事費による政府財政悪化などもあって、金とドルとの交換が不可能になることが明らかになってきました。
 そして、1971年8月15日(日本の敗戦記念日でもあるところが皮肉です。アメリカの経済的敗戦?)、ニクソン大統領は金とドルとの交換を一方的に停止する声明を発表し、世界を驚かします。これがいわゆるニクソン・ショックです。
 これ以降は、世界の為替市場は変動相場制になるわけです。つまり、IMF体制とは、為替の固定相場制のことです。
 本来なら、この時点で、世界の基軸通貨がドル以外のものに変わっていても良かったのですが、やはり軍事大国アメリカへの信頼のせいか、その後もドルは世界の基軸通貨であり続けました。
 1973年、産油国の産油制限と石油価格引き上げによって、世界は経済的にも社会的にも混乱します。これがいわゆるオイルショックです。石油はあらゆる産業に影響し、石油の騰貴はあらゆる物価の騰貴につながると日本人が初めて知ったのは、この時です。日本では物価が異常に上昇し、狂乱物価と言われました。
 その後、1985年のプラザ合意では、「アメリカの貿易赤字解消のために」各国が協調してドル安へ導くことが決定され、85年2月には1ドル=263円だったものが、88年には1ドル=120円にまで円高が進みます。これは日本の輸出企業の生命を絶ちかねない政策でした。(要するに、85年時点である商品を単価1ドルのドル建てで契約していた日本企業が、仮に88年に1ドルを支払われたならば、54パーセントの損失を蒙ったわけです。日本の企業を守るべき日本政府がプラザ合意に嬉々として従ったことは驚くべきことですが、日本がアメリカの属国であることを知っている人間には、驚くべきことではないでしょう。その働きによって、当時の竹下蔵相は、後に総理大臣の地位を貰います)                  驚いたことに、日本企業はこの試練に耐えて、アメリカに対する貿易黒字をなおも拡大し続けます。結局、アメリカの貿易赤字はアメリカ自身の産業空洞化に原因があり、為替相場をいじる程度では解消できなかったわけです。
 そして、レーガン時代に貿易赤字と財政赤字の双子の赤字が最大になったアメリカは、次のブッシュ(親の方です)政権時代にも赤字を解消できず、民主党のクリントンに政権が渡ります。
 クリントン時代に、アメリカは奇妙な繁栄をします。アメリカの産業自体は特に向上してもいないのに、国民の間に株式投機熱が広がり、また、世界各国からもアメリカに資金が流れ込んで、好景気になるのです。その原因の一つは、得体の知れない「IT革命」という言葉でした。IT、つまり、情報技術の革命によって、アメリカのこれからの産業は発展するという、根拠の無い期待感が、アメリカへの投資を生んだのです。日本のバブル崩壊によって投資先を失った世界の資本が、争うようにアメリカに流れ込みました。アメリカ自体は何一つ生産しなくても、世界から金が流れ込んでくるのですから、アメリカ人全体としては遊んで暮らせばいいわけです。(IT技術自体は何も生産するわけではありませんから、結局はコンピューターが社会全体に広がれば、それで需要は終わりです。しかし、その当時は、アメリカの繁栄がいつまでも続くような錯覚にみんな陥っていました。)

注)「IT技術自体は何も生産しない」について補足すると、IT技術は「生産性を高める」つまり、効率化を行うから、生産したのと同様だ、と見ることもできるが、それによって労働者の人件費カットが必ず生じるので「一企業としては裕福になるが、社会全体としては貧困化が進む」というのが適切だろう。投資家にとっては企業の収益率が高まればそれでいいので、IT革命が進行する米国企業に投資することは必ずしも間違いではない。

 まるで夢のような状態ですが、借りた金はいつかは返さなくてはなりませんから、アメリカのこのITバブルも2000年頃には終わりました。そして、現在、ブッシュ政権は、アメリカの軍隊を使って、世界を支配下に置き、ローマ帝国の再現をしようとしています。つまり、世界の奴隷化です。他の国は働いて、アメリカがそれを自分の物にすればいいという、実に立派な、「男らしい」考えです。俺は喧嘩が強いんだから、何も他人に頭を下げて商売をしなくてもいい。欲しいものは力で奪えばいい、ということです。西欧文明の歴史を考えるなら、世界を再び十九世紀の植民地時代に戻しただけのことですから、何も驚くには当たりませんが、さて、では日本はそういう国とどのように付き合っていくか、難しい判断を迫られています。これまではジャイアンに対するスネオの役割で無事に生きてきましたが、いつ自分がジャイアンに殴られることになるか分からないのですから。
 その答えは? それは分かりません。私には答えがありますが、それは私の答えであって、それを他人に強制する気はありません。めいめいが自分の頭で考えてみてください。

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高校生のための「現代世界」政治経済編7


第六章 国際経済と貿易

 江戸時代末期に幕府が窮乏した原因の一つは、ペリーの要求で開国したばかりの江戸幕府が国際経済を知らなかったことです。当時、日本では金と銀の価値には大きな差がなかったのですが、世界的にはそれよりも大きな差があったのです。たとえば、日本での金と銀の交換レートが1対2で、世界では1対4(つまり金は銀の4倍の価値があった)だとしましょう。日本との貿易の代金を銀で受け取らずに金で受け取れば、それだけで相場の2倍の値段で売ったことになるのです。もちろん、自分の銀を日本で金に換えるだけで大儲けできます。江戸幕府がこの事実に気づいた時には、すでに日本の中の金は、ほとんど西欧諸国に流出していました。
 これは江戸幕府だけの問題ではありません。日本全体の財産が海外に流出し、日本全体を貧しくさせたのです。為政者の経済に対する無知の罪は重いと言えます。
 このように、貿易すればするほど国全体としては貧しくなることがあるということを知っている人は多くありません。ほとんどの人は自由貿易(貿易に対する国家の干渉をやめ、自由に貿易させること。保護貿易に対比される。)のメリットだけを聞かされているはずです。これは、世界経済支配層による洗脳の一つです。
 自由貿易論者の代表がリカードです。彼の比較生産費説(比較優位説)は、各国が、他の国に比べて相対的に生産費が安くつく商品を生産し、それを交易するほうが互いの国にとって利益になる、という説です。しかし、この考えは、一方にとっての利益は、必ず他方にとっての不利益であり、両者にとって利益となる商売はありえないという取引の大原則(トレードオフ関係と言います)を無視しています。では、なぜ自分にとって不利な取引をするかというと、別の相手との取引でそれ以上の利益を得るためです。つまり、AとBという2者の間だけに限定すれば、互いにとって利益になる取引はありえないのです。(ただし、価値そのものは主観的なものですから、利潤面からは不利益でも、価値としては有益な取引ももちろんあります。)リカードの説があやしいことは、商品作物を作っている農業国が、いつまでも貧困から抜け出せない事実からも分かるはずです。
 自由貿易のメリットは、比較優位説などよりも、国際競争によって商品の質が向上し、価格が下がるという、消費者にとってのメリットが大きいでしょう。しかし、これは独占企業は必ず堕落し、国民に不利益をもたらすということを世界的に拡大しただけの話です。
 独占企業がなぜ国民にとって不利益かは、少し想像してみれば分かるでしょう。その商品を作っている会社が1社しかなく、それが国民にとって是非とも欲しい商品なら、いくら高い値段をつけても売れる道理です。
 では、その商品を生産する(あるいはサービスを提供する)会社が2社か3社なら? 答えは、その会社同士が手を結んで(談合して)、価格を高く設定することです。飛行機料金などがその代表です。こうした行為は、独占禁止法によって制限されていることになっていますが、事実上の独占行為はたくさんあります。電力やガス、水道などはすべて独占企業です。
 自由貿易の反対が保護貿易です。その目的は、国内産業の保護ですから、国民自体にとっては高価格、低品質の商品をいつまでも我慢させられる欠点があります。しかし、生活の基盤となる食糧に関しては、国際分業に頼ることはあまりにリスクが大きすぎると言えるでしょう。食糧輸出国は、いったん戦争状態になったら、敵国に食糧を売らなければいいわけですから、食糧輸入国は常に戦々恐々としていなければなりません。しかし、食糧自給率(自分の国で生産される食糧で、どの程度必要量をまかなえるかという割合)が非常に低い日本の状態に対し、政治家も役人も危機意識はまったく持っていないようです。
 
貿易と為替レートについてお話しましょう。
 海外との取引代金は、たとえば日本とアメリカなら円もしくはドルで支払われます。お金には交換比率があり、それを為替レートといいますが、それは絶えず変動しています。(お金そのものが投機の対象で、ドルが買われるとドルの価値が上がります。ドルを買うとは、たとえば、円をドルに変えるということで、円の価値は相対的に下がります。)
 ある商品Aを日本の会社がドル建て(ドルで支払うこと。)でアメリカの会社に売ったとしましょう。製造原価や諸費用が80円のものを100円で売れば、20円の利益です。契約段階での為替レートは1ドルがちょうど100円だったことにします。ところが、代金支払いの段階になって、為替レートが1ドル80円の円高(つまり、円の価値が上がったから円高と言うのです。)になったとしますと、支払われた1ドルは、80円にしかなりません。つまり、この取引でこの日本企業はまったく利益が出なかったことになります。
 円高が輸出企業にとって望ましくないことが、この例で分かるでしょう。このリスクを避けるためには、円建てで取引をするほうがいいのですが、逆に、円安になれば思いがけない利益になるのですから、どちらでも同じだと考えることもできます。要するに、輸出企業は、円安になることを神に祈り、あるいは政府の力で円安傾向に持っていって貰うことを願っているわけです。
 しかし、現在のアメリカは、産業が空洞化し、毎年のように膨大な貿易赤字を積み重ねています。ということは、その輸入に対して支払われるドルに何かの裏づけが無いかぎり、ドルへの信頼が失われ、ドルが売られてドル安(円高、ユーロ高)傾向が続くことになります。現在のところ、ドルへの信頼とは、アメリカが軍事大国であるという一点だけです。しかし、その事は、裏を返せば、アメリカはいつでも借金を踏み倒す力があるということですから、アメリカとの取引は常に危険であると言えます。商売に危険は付き物と言えば、それだけの話ですが。

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高校生のための「現代世界」政治経済編6

第五章 国の中のお金の流れ

 ここで、少しクールダウンして、国の経済の大きな構造を勉強してみましょう。と言っても、やはり一般の高校生にも理解できる範囲での話です。
 国民は働いて収入を得ますが、その大多数は企業に勤めています。企業は事業によって収入を得ると同時に、被雇用者に給与を払い、また、事業活動に必要な資金(運転資金など)を銀行から借ります。銀行は、預金者から集めた金を企業に貸し出して、その利息によって銀行経営をします。また、企業も銀行も、そうした中心的業務以外に、株式や債券を購入することで利益を上げる活動もします。こうした本業以外の業務が、いわゆる「財テク」です。(露骨に言えば、こうした投機的行為は、バクチにしかすぎませんから、成功するよりは失敗する可能性が高いのですが、1980年から1990年頃までのバブル経済の頃には、日本中が財テクに狂っていました。そして、現在でもその後遺症としての不況が続いているのです。しかし、バクチなら、必ず勝った人間がいるはずですが、それは誰なのでしょう。)
 国民も企業も収入の一部を税金として国(正しくは、政府)に納めます。社会保険も税金の一種だというのが、私の考えですから、これは膨大な金額になります。税金は、もちろん国の予算に使われますが、年金も、国民が郵便貯金に預けた金とともに、本来の予算とは別に、国の予算の一部として使われています。これが財政投融資です。この金は生産的事業に使われるものではありませんから、どんどん目減りしていきます。その負担は、やがては税金となって国民に跳ね返ってくるしかないものです。
 さて、政府は国民から金を吸い上げるだけではなく、公務員給与や公共事業の形で民間に金を還元します。ただし、民間とは言っても、公共事業はたいていが何かの建設工事ですから、直接にうるおうのは建設関係の企業だけです。公共企業を受注することは大変な儲けになりますから、どの企業も争って受注しようとします。そこで、企業はお役人や政治家に賄賂を贈ったりするわけです。日本の政治家のかなりの割合が土建屋上がりであるのは、こうした政治と企業の癒着関係に理由があります。
 どの地方に行っても、一番立派な建物は県庁や市役所で、また、どんな貧乏な県でも、不釣合いに立派なコンサートホールや道路や橋があるのは、こうした土木工事、建築物優先の予算に原因があり、これを「箱物行政」と言います。このような公共事業が、自然破壊や景観破壊の原因になっている例も多いのです。
 さて、そもそも、そうして国の中を流れていくお金は、いったいどのようにして作られるのでしょうか。
 現在の不況を克服するためには、お金そのものをどんどん印刷して、流せばいいという考えがあります。はたして、それは可能なのか。また、それで起こる問題は無いのか。
 
お金は「銀行券」とも言われますが、銀行券を独占的に発行できる銀行を中央銀行といいます。日本では日本銀行がそれに当たります。
 日本銀行は政府の一部のようにも思われますが、名目的には政府から独立した立場で、日本経済の舵取りをしていることになっています。しかし、たとえば、銀行券の最高発行限度は、大蔵大臣が日銀政策委員会の意向を聞いた上で、閣議を経て決定されることになっています。それなら、日銀は政府の一部と見なしてもいいかもしれません。
 銀行券が発行される際には、
① 政府への貸し出し
② 民間金融機関への貸し出し
③ 金(きん)または外貨との交換
によるという条件がありますから、無闇やたらに発行されるわけではなさそうです。ただし、①や②の場合、その際に担保を取るというわけではないでしょうから、日銀の存在は、政府の財政失策の最後の切り札となる可能性があります。つまり、いざとなればいくらでも銀行券を印刷してばらまけばいい、という考えです。
 その場合、どういうことが起こるかというと、ご想像通り、インフレーションです。
 インフレ(インフレーション)とは、お金の供給量が多すぎるためにお金の価値が下がり、物価が上がることです。その反対に、物価が下がり、お金の値打ちが上がることをデフレ(デフレーション)と言います。現在の日本はデフレ不況と言われています。
 インフレの場合は、物価が上がるのだから、国民が生活に困るのは当然ですが、デフレはなぜ悪いのか、ピンと来ない人が多いでしょう。
 実は、これまでの日本は、インフレに苦しみはしても、デフレに苦しんだことはありません。現在でも、不況で苦しんでいるのであって、デフレ(物価安)で苦しんでいるわけではありません。不況とは、物を作っても物が売れず、社会全体の経済活動が不活発な状態を言います。生産は縮小し、失業者が増大しますから、そのために苦しむ人は確かに出てくるわけですが、それはデフレの結果ではありません。現在の不況は、国民の間にお金が無い、というのが一番の原因なのです。もっとも、そういう貨幣流通量不足がデフレだと言えば、デフレではあります。
 お金が無いから物を買わない。人々が物を買わないから企業は商品の値段を下げ、生産を縮小する。そのために余った人間を首にする。失業者はますますお金が無いから、物を買えない。政府は、失業給付を捻出するために、他の福祉予算を削減する。削減された部分ではお金が無くなるから物が買えない。
 こういった悪循環で、不況が続いているわけですが、それの原因をデフレに求めるのはおかしな話です。デフレは、不況の一側面でしかありません。むしろ、今の不況でも国民生活がなんとか成り立っているのは、デフレのおかげとも言えます。一番の問題は、国民の間にお金が無いことです。
 では、なぜ国民の間にお金が無いのでしょう。その最大の原因は、政府が税金や社会保険として国民から収入の三分の一ほども吸い上げ、しかもそれを国民に還元しないこと、つまり公共事業をどんどん削減し、福祉費用をどんどん削減してきたせいですが、それ以外にはどんな理由があるのでしょうか。
 前に書いたように、企業は銀行からお金を借りて事業を行います。しかし、銀行がお金を貸さなかったら、その企業はつぶれます。(銀行から借りないでやっていける企業はわずかなものです。)国内の銀行の大半が、企業に対し、貸し出しを渋るようになったらどうなるでしょうか。もちろん、多くの企業が倒産し、日本は不況に陥ります。これが、不況の大きな原因でしょう。つまり、国民の大半を占める中小企業関係者(経営者だけでなく、被雇用者も関係者です)は、銀行から金を借りないと企業活動ができない。しかし、銀行が金を貸さない、という状態なのです。
 バブル(バブルとは、社会の投機的活動が過熱し、株や債権、土地の値段などが実質価値以上に高騰した状態です。)の時期に、銀行は貸し出しを大幅に増やしました。むしろ、銀行が率先してバブルを作り出したと言えます。しかし、バブルの崩壊で、その融資の大半は、返済不能の不良債権となりました。そこで、銀行はそれまで貸していた資金を強引に取り立て、新規の融資はほとんどしなくなりました。もちろん、それで多くの企業は倒産し、大量の失業者が生まれたのです。(その一方では、もちろん、株や債権を高値で売って大もうけし、さらに破綻した企業の土地や建物を底値で買って自分の資産とした存在があるわけです。それが日本人か、それとも世界金融資本かどうかはわかりませんが。)
 しかし、企業に融資して、その利息で生活している銀行が、融資をしないでどうして生活できるのでしょうか。不思議な話です。その種明かしは、公的資金の導入です。つまり、国が銀行にお金を上げます、ということです。銀行が倒産したら、預金者が困るし、社会全体の経済活動に与える影響が大きい、そこで国がお金を出して銀行を救おうということで、何度にも渡って、膨大な金額の公的資金の導入が行なわれました。
 その結果、銀行は、企業に融資しなくてもやっていけるわけですから、ますます企業への融資をせず、遊んで生活するようになりました。遊んでばかりだと外聞が悪いので、国への胡麻すりに国債(日本国債と米国債です。その米国債は、アメリカからのお達しで、売ることが不可能な紙くずになっています。)だけを買っています。つまり、政府が銀行に与えた金のうちから、銀行の人間への高い給料を差し引いた残りが、日本政府とアメリカ政府に行き、その日本国債の返済には国民の税金が使われるという構図です。
 こうして、国民の間からはお金がどんどん減り、不況がいっそうひどくなっていくわけです。
 要するに、国内を循環するはずのお金が、銀行という破れ目から逃げていっているわけです。もちろん、それ以外にもお金の抜け穴はありますが、日本経済に与える影響という点では、やはり銀行が大きいでしょう。
 国民にお金を渡すことが、不況を克服する最善の手段です。好景気に向かい始めたら、国民総生産も増え、税収も上がります。つまり、呼び水としての資金投入が必要なのですが、それが銀行などに向けられたら、かえって不況を悪化させるというのは、前に述べたとおりです。
 では、どういう形で国民にお金を渡すか。当然、明日の食事にも困っている貧乏人、失業者、社会的弱者を救済するようにお金を使うのです。そうすれば、そのお金はすぐに消費に回り、企業の売上を好転させます。その結果、企業の事業拡大、雇用増進、失業者の減少、好景気というサイクルが生まれてくるのです。そのためなら、日本銀行がお金の発行限度額を増やして、お金を印刷してばらまいてもいいでしょう。そうすれば、今お金を大量に抱え込んでいるお金持ちの人々は、お金の価値が下がりますから、お金を使うようになるでしょう。つまり、不況脱出のための意図的インフレ操作(インフレ・ターゲット)はこの場合正しい選択です。しかし、金のある人々にお金を上げても、決して消費には回りません。どこに金を回すかでインフレターゲットの正否は決まるわけです。
 こうした、お金の大きな循環を考えることは、大事なことですが、経済の専門家は、国民のためになる処方を出してくれません。我々国民が、自分で判断し、間違った政策に対してはノーと言えるようになる必要があるのです。

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高校生のための「現代世界」政治経済編5

第四章 自由主義・資本主義・社会主義・共産主義

 表題の言葉も、区別のはっきりしない言葉です。政治経済用語集を見ても、今一つ腑に落ちないという人が多いでしょう。その区別をするためには、次のような対比構造で捉えるのがいいかと思います。ただし、これは私の捉え方です。

① 自由主義VS社会主義 {広義の用語で、政治と経済の両面に渡る}
 
② 資本主義VS共産主義 {やや狭義の用語で、経済面を主とする} 

③ 社会主義<共産主義 [これは価値の上下ではなく、過激さの上下です]

 まず、経済学上の自由主義とは、あらゆる経済活動に対する政府の干渉を極力排除し、自由な経済活動を行なおうというものです。アダム・スミスなどの「(神の)見えざる手」によって経済活動は自然に適切化されるという考えは、自由主義的経済学の思想です。これは、君主政治による政府の国民生活への干渉を念頭に置いて考えられており、その当時は正しかったが、時代的限界を持った考え方で、古典派経済学と言われます。
 これに対して、社会主義とは、一般的には、「資本主義を批判し、生産手段の社会的所有に基づいて平等な社会の実現を目指す思想」とされていますが、むしろ、政府が市場経済に介入し、コントロールすることを社会主義と見なすべきだと私は考えています。つまり、全体(社会)の利益を(一部の、あるいは特定の)個人の利益に優先させる思想です。これは、だいたいにおいて金持ちから貧乏人へ所得を移転する政策となりますから、経済界や金持ちからは嫌われますし、一般国民にとっても「自由の拘束」のように思われて不人気です。しかし、あらゆる福祉主義的国家活動は、社会主義的なのです。ケインズの公共事業による不況脱出なども、一種の社会主義です。アメリカで民主党が金持ち階級に嫌われるのは、民主党の福祉中心の政策が社会主義的だからです。大きな意味では、「世界がぜんたい幸せにならないうちは、個人の幸せは無い」という宮沢賢治の思想に代表されるのが、この思想なのです。
 社会主義の本質は、全体の福祉の向上にある、というのが大事なところです。しかし、これは理想にしかすぎず、ソ連の崩壊に見られるように、経済思想としての社会主義は、その非効率性のために自由主義経済に敗北しました。なぜなら、国家による計画経済を中心とする社会主義には、人間を労働に駆り立てるインセンティブ(動機)が欠けているからです。自分が働いた分だけ自分の生活水準が向上するという動機が無いと、人間は働くものではありません。そして、労働の結果の平等な分配は、これに反するものです。かつての社会主義国家の中国などは、今では所得の不平等を公認し、国民の労働意欲を高めようとしています。そのため、貧富の差の激しい「資本主義社会」に変わっていますが、国民にとってどちらが幸福か、今後を見守るべきでしょう。
 資本主義とは、政治的思想でもある自由主義を、より経済的側面で表現した言葉だと言えるでしょう。「資本家(要するに、金持ち)が、労働者を雇って商品を生産させ、その利益を得ることを経済の基本とすること」が資本主義です。その意味では確かに先の「生産手段の国有化」を基本とする社会主義と対立するのは資本主義だと言えるでしょう。しかし、資本(家)の存在とは、要するに、私有財産の肯定であり、私有財産の否定を本質とする共産主義こそが資本主義には対比されるべきでしょう。
 共産主義と社会主義の違いは簡単です。社会主義は「生産手段の国有」までで平等を実現しようとするのに対し、共産主義は、さらに過激に「私有財産の否定」までを主張するものです。これが、あらゆる資本家、金持ち、権力者にとってどんなに恐ろしい思想かは想像がつきます。だから、常に共産主義は弾圧され、社会秩序の破壊者として迫害されてきました。しばしば、共産主義者は、犯罪者として扱われてきたのです。それを表すのが、「アカ」というレッテル貼りによる差別と迫害です。
 実際には、共産主義は空想的であり、実現不可能な思想であるというだけのことであり、それを危険思想視するのは、現在の世の中から利益(甘い汁)を得ている人々だけで十分なはずですが、反共プロパガンダ(宣伝)の偉大な力は、あらゆる資本主義国家で、庶民や貧民に至るまで根強いアンチ共産主義体質を作り上げています。
 共産主義がなぜ空想的思想であるかというと、要するに、人間は完全な平等など実現できるはずがないということです。働こうが働くまいが平等に報酬が与えられるなら、あなたはそれでも真面目に働きますか? 芸術やスポーツに優れた才能を持っていても、その報酬が努力もしない他の人間と同じ僅かなものなら、その才能を伸ばすためにあなたは苦労をしますか? いったい、種類や性質の異なる労働に対して、平等な報酬はありえるでしょうか? 誰がそれを判断するのでしょうか?
 共産主義は、そうした人間の本質的欲望、人間性の真実を無視した思想であるために、実現不可能な思想だと私は言っているわけです。しかし、資本主義社会における非人間的な搾取や過度な競争、不当な利得、極端な経済的不平等がいいはずはありません。
 おそらく、この問題の解決は、昔からの智恵である「中庸」にあるのでしょう。つまり、財産や利得に上限を設けた、制限つきの資本主義、自由主義と社会主義の混合が、その答えです。そのいい例が、前の章に書いた、経済発展と福祉政策が程よく結びついた高度成長期の日本なのです。

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高校生のための「現代世界」政治経済編4

第三章 保守と革新、右翼と左翼

 政治用語でよく聞く言葉ですが、あいまいに使われている言葉が、表題の言葉です。
 保守とは、現状を維持し続けること、革新は、現状を変えることです。さらに、政治体制や国家体制そのものを変えることを革命と言います。明治維新などは革命です。ただし、一見、革命に見えるものが、権力者同士の権力闘争にすぎないこともあります。中南米での「革命」は、大半がそれで、その背後には世界経済支配層の姿があります。
 保守と革新について考える場合、大事なことがあります。それは、「保守とは所有に伴う傾向である」という言葉です。つまり、現状から利益を得ている人間は保守の立場を選び、現状から不利益を得ている人間は革新の立場を選ぶのが当然だということです。
 ところが、日本の場合、社会で被差別的な取り扱いを受け、不利益を被っている貧しい人々さえも選挙では保守政党に投票することが多いのです。これらの人間は、「たとえ自分は貧しくても、それは自分が無能なせいであり、この平和な社会に生かしてもらっているだけで有り難い。今のみじめな状態がいつまでも続けばいい」という、神様のような心情の持ち主たちなのでしょう。いじめられることに快感を覚えるマゾヒストかもしれません。それだけ、日本の政治が「うまくいっている」ということなのでしょう。誰にとって?
 確かに、日本は豊かな国です。しかし、それは政治家や官僚や企業家たちのおかげではありません。社会の上位にいる人間の能力とは関係なく、日本人全体としての教育水準の高さ、勤勉性、モラルの高さのために日本は経済的発展をしてきたのです。しかも1980年頃までは官僚にもモラルがあって、経済発展の恩恵が勤労者階級にもちゃんと分配されたために国民の生活水準は向上して、「世界で唯一成功した社会主義国家」とさえ皮肉られていたのです。だが、その言葉は実は皮肉でも何でもなく、そのままの意味で正しかったのです。では、社会主義とはいったい何なのでしょうか。それは次の章で扱うことにして、先に保守・革新と同様に定義のあいまいな右翼と左翼という言葉について説明しておきましょう。
 左翼とは、急進的な政治的変革を求める立場を言います。共産主義がその代表ですが、社会主義も左翼としている者もいます。
 右翼とは、単純に、反左翼の立場です。つまり、現状の社会体制を護持するために暴力を用いてでも左翼を倒そうとする「過激な保守」のことです。左翼の中にも暴力革命を支持する「極左」もいますから、この両者は、ある意味では似たような存在です。
 さて、ここで、日本社会の戦後史を少し見てみます。
 第二次世界大戦の敗戦で、日本はアメリカ進駐軍に占領され、その指導のもとに戦後社会を作っていきました。日本の政治体制は戦前の天皇制君主国家から、民主主義に変わったわけです。そして、戦前の社会で指導的立場にいた人たちは公職から追放され、その一方で、戦時中は弾圧され、刑務所などに入れられていた共産主義者、社会主義者が解放されたりしました。
 しかし、ソ連という社会主義国家が力をつけてくるにつれて、アメリカ本国の資本家たちは共産主義に対し恐怖を覚えるようになり、共産主義との対決を決意して、陰に陽に反共キャンペーンを繰り広げました。アメリカの日本に対する政策も、それを受けて反共的政策が中心になっていきます。その結果、もともと反共思想では米国支配層と一致していた旧日本の政財界の指導者たちは次々と政財界への復帰を果たし、日本の民主化(あるいは社会主義的傾向)にブレーキがかかることになりました。このことを当時、「逆コース」と言いました。旧日本の戦犯であった岸信介が首相になるなど、保守主義が復活し、日本資本主義の擁護グループである右翼と、日本を社会主義、もしくは共産主義国家に変えようとする左翼が激突し、学生運動もさかんになりました。これが60年安保闘争と70年安保闘争です。安保とは日本と米国の軍事同盟である日米安全保障条約のことで、左翼陣営は、それが日本の米国への隷属だとして安保廃棄を訴えたものです。この条約のために日本の中に米軍基地が置かれているのですから、この主張自体はまったく正当だったと言えるでしょう。しかし、安保条約を破棄した後の政治プログラムが不明瞭であったこと、彼らのナルシスティックで現実離れした難解な言葉が大衆に理解できなかったこと、また暴力革命への恐怖などから、こうした左翼運動や学生運動はまったく国民の支持は得られませんでした。(学生運動の代名詞である「全学連」が、資本家から資金援助を受けて活動していたという話を聞くと、当時の騒ぎの中で純粋に自分を犠牲にしていった人々が哀れになります。)
 そして、70年代に起こった連合赤軍事件は、日本の政治革新運動に止めをさしました。暴力革命を目指す左翼学生の、仲間同士の残忍な殺し合いを見た国民は、左翼思想そのものに拭い難い嫌悪感を抱き、それは現在でも続いています。
 そして、現在、日本の国民は政治変革そのものにまったく希望すら持たないようになっています。いや、考える能力すら失ったかに見えます。そして、日本の政治の歴史も実情も知らずに、大衆扇動的な発言をする連中に動かされてしまう若者が増えています。
今の社会人たちは、年寄りも中年も、日本をこのような社会にしてきた責任があります。その責任とは、国政選挙で真剣な投票行動をしてこなかった責任、棄権してきた責任です。しかし、その原因は、あくまでも日本国民の政治的無知にあり、これは文部官僚やジャーナリストを手足として国民をそのように教育してきた連中の犯罪だと言えるでしょう。

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高校生のための「現代世界」政治経済編3

第二章 日本の政治の実情

 日本の政治について語る前に、まずは身近な経済のことから話しましょう。
 経済というと、自分と無関係のものと思っている人が多いでしょう。その反対に、我々は常に経済関係の中にいるのです。簡単な話、お金が無ければ一日も生活していくことはできないでしょう。経済とは、要するにお金の問題です。「俺は金の話は嫌いだ」という昔の武士みたいなことは言わないで、我々はお金によって生きているという現実を見てください。
 我々は、あるいは君たちの両親は、働いてお金を得て、それで生活します。働いて得たお金を所得と言いますが、所得のすべてが自分のものになるわけではありません。その中から、税金や社会保険料を支払わなければならないのです。その後に残った、自由に使えるお金を可処分所得と言います。では、税金や社会保険料が所得のどのくらいの割合を占めるか、君たちは知っているでしょうか。それは人によって違いますが、およそ2割から3割くらいの平均になると思われます。しかし、近い将来、国民負担率(国民所得に対する税金や保険料の割合)は5割まで上げると政府関係者は言っています。これは、江戸時代の四公六民をも超える収奪です。(社会保険料は、強制的に徴収される以上、形を変えた税金です。)第一、年金制度がすでに破綻していることは明らかであり、国民が現在まで払った金が払った分だけでも戻る可能性はかなり低いはずです。それでもなお保険料を払わせるのは、明らかに詐欺であり、強奪だと言えるでしょう。ただでさえ現在の保険制度は、収入の無い専業主婦や学生にまで保険料を払わせるというひどいものです。もちろん、これは世帯主がすべて代わって支払うわけです。しかし、それが戻らないとなると、政府への献金でしかありません。
 所得に占める税金の割合も大きなものですが、それが正しく使われている限りは、我慢するしかありません。税金の役割は、警察、消防、軍事、外交など、民間には任せておけない仕事を国が行なう、その費用を国民全員で負担することです。(これらの仕事がなぜ民間に任せられないかは、想像すればわかるでしょう。)しかし、問題は、国民はその税金の使い道についてほとんどノータッチだということです。税金の使途は、大蔵官僚(現・財務省官僚)によって決定され、国会でほとんど無審議で了承されます。大蔵官僚が、官僚の中の官僚として強大な権力を持っている理由はここにあります。そして、大蔵官僚になれるのは、事実上、東大出身者で、さらにその上位20人程度ですから、彼らが自分たちをエリート中のエリートだと考え、自惚れるのも当然でしょう。
 税金の使途の中でもっとも不明瞭なものが、国防費、つまり軍事支出です。1機あたり7億円程度のジェット戦闘機を、その10倍もの70億円で購入するなどということがまかり通っており、しかもその戦闘機はだいたいが時代遅れのものとしてアメリカが新型に切り替えた、その古い形式のものであって、性能や弱点がアメリカに筒抜けであるものです。つまり、日本はアメリカに反抗できないシステムになっているのです。戦闘機に限らず、戦車でも何でも根拠の無い巨額な金額で購入されているわけですが、いったい、防衛のための戦争しかしないはずの自衛隊が、戦車で何をしようというのでしょうか。まあ、怪獣映画なら、戦車の出番もあるでしょうが。
 しかもその一方で、この不況の時代になってからは毎年のように福祉予算は削減され、老人、片親家庭、病人、障害者などの弱者いじめが平然と行なわれています。
 では、これらの政治的決定は、国民が決めたのでしょうか。それとも、政府が決めたのでしょうか。いったい、政府は国民の了承を得て、これを決めたのでしょうか。いや、これらはまったく国民とは無関係のところですべて決まっていったのです。国民と政府と国家を同じだと思っているかぎり、この状況は変わりません。
 我々は、気にいらない議員や政府を変える権利があります。政府が私たちの主人なのではなく、私たちが政府の主人なのです。
 現在、政府予算のおよそ3割が国債費です。つまり、政府がこれまでやってきた借金である国債(その引受人、購買者は市中銀行でしたが、今では日銀までが買っています。)の元本や利払いだけで政府予算の3割が使われているのです。普通の家庭で言うなら、収入の3割が借金返済に充てられているわけです。その割合は年々膨れ上がっています。国債費に回す分、他の予算が圧迫されますが、そのしわよせは常に弱者です。これまでの日本政府は、自分の収入で生活できず、金を無駄遣いしては借金してきた道楽者みたいなものです。そうした政府を信頼しろというほうが無理でしょう。政府は常に変動しているから、現政府だけの責任ではないというのなら、常に政権を担当してきた保守政党に責任があることは自明です。しかし、本当のところ、政府が変わるのは上辺だけで、大臣が毎日のように変わろうと、行政の実務を担当している官僚組織は変わりません。
 国会における政治家の質問は、すべて官僚が作文し、その答弁も官僚が作文したものです。つまり、日本は、選挙で選ばれたわけでもない官僚が、立法権まで侵し、国の政治を専有しているわけですが、その事を知っている高校生は少ないでしょう。おそらく、学校教科書で習った「三権分立」や、「立法の優位」などを信じているかと思います。現実の政治はまったく違うのです。司法にしても、行政側の人間によって人事が決められるため、行政に逆らった司法判断はできない仕組みになっています。つまり、日本は官僚支配の国なのです。しかし、その官僚もアメリカの言いなりですし、アメリカ政府はアメリカ(もしくはイギリス)経済界の言いなりですから、まるで「鼠の嫁入り」みたいな話です。
 つまり、日本の政治はこういう権力関係です。

[ 日本国民<政治家<官僚<アメリカ政府<アメリカ経済界 ]

 ただし、一応、形式的には国会議員は内閣官僚の上位にありますから、官僚は国会議員に頭は下げますが、腹の中では、「この低脳ども!」と思っているわけです。
 なぜ日本がこのような状態になってしまったかというのは、日本政治の戦後史と関わってきますが、それは項目を変えて扱うことにしましょう。

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HN:
酔生夢人
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自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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