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高校生のための「現代世界」政治経済編3

第二章 日本の政治の実情

 日本の政治について語る前に、まずは身近な経済のことから話しましょう。
 経済というと、自分と無関係のものと思っている人が多いでしょう。その反対に、我々は常に経済関係の中にいるのです。簡単な話、お金が無ければ一日も生活していくことはできないでしょう。経済とは、要するにお金の問題です。「俺は金の話は嫌いだ」という昔の武士みたいなことは言わないで、我々はお金によって生きているという現実を見てください。
 我々は、あるいは君たちの両親は、働いてお金を得て、それで生活します。働いて得たお金を所得と言いますが、所得のすべてが自分のものになるわけではありません。その中から、税金や社会保険料を支払わなければならないのです。その後に残った、自由に使えるお金を可処分所得と言います。では、税金や社会保険料が所得のどのくらいの割合を占めるか、君たちは知っているでしょうか。それは人によって違いますが、およそ2割から3割くらいの平均になると思われます。しかし、近い将来、国民負担率(国民所得に対する税金や保険料の割合)は5割まで上げると政府関係者は言っています。これは、江戸時代の四公六民をも超える収奪です。(社会保険料は、強制的に徴収される以上、形を変えた税金です。)第一、年金制度がすでに破綻していることは明らかであり、国民が現在まで払った金が払った分だけでも戻る可能性はかなり低いはずです。それでもなお保険料を払わせるのは、明らかに詐欺であり、強奪だと言えるでしょう。ただでさえ現在の保険制度は、収入の無い専業主婦や学生にまで保険料を払わせるというひどいものです。もちろん、これは世帯主がすべて代わって支払うわけです。しかし、それが戻らないとなると、政府への献金でしかありません。
 所得に占める税金の割合も大きなものですが、それが正しく使われている限りは、我慢するしかありません。税金の役割は、警察、消防、軍事、外交など、民間には任せておけない仕事を国が行なう、その費用を国民全員で負担することです。(これらの仕事がなぜ民間に任せられないかは、想像すればわかるでしょう。)しかし、問題は、国民はその税金の使い道についてほとんどノータッチだということです。税金の使途は、大蔵官僚(現・財務省官僚)によって決定され、国会でほとんど無審議で了承されます。大蔵官僚が、官僚の中の官僚として強大な権力を持っている理由はここにあります。そして、大蔵官僚になれるのは、事実上、東大出身者で、さらにその上位20人程度ですから、彼らが自分たちをエリート中のエリートだと考え、自惚れるのも当然でしょう。
 税金の使途の中でもっとも不明瞭なものが、国防費、つまり軍事支出です。1機あたり7億円程度のジェット戦闘機を、その10倍もの70億円で購入するなどということがまかり通っており、しかもその戦闘機はだいたいが時代遅れのものとしてアメリカが新型に切り替えた、その古い形式のものであって、性能や弱点がアメリカに筒抜けであるものです。つまり、日本はアメリカに反抗できないシステムになっているのです。戦闘機に限らず、戦車でも何でも根拠の無い巨額な金額で購入されているわけですが、いったい、防衛のための戦争しかしないはずの自衛隊が、戦車で何をしようというのでしょうか。まあ、怪獣映画なら、戦車の出番もあるでしょうが。
 しかもその一方で、この不況の時代になってからは毎年のように福祉予算は削減され、老人、片親家庭、病人、障害者などの弱者いじめが平然と行なわれています。
 では、これらの政治的決定は、国民が決めたのでしょうか。それとも、政府が決めたのでしょうか。いったい、政府は国民の了承を得て、これを決めたのでしょうか。いや、これらはまったく国民とは無関係のところですべて決まっていったのです。国民と政府と国家を同じだと思っているかぎり、この状況は変わりません。
 我々は、気にいらない議員や政府を変える権利があります。政府が私たちの主人なのではなく、私たちが政府の主人なのです。
 現在、政府予算のおよそ3割が国債費です。つまり、政府がこれまでやってきた借金である国債(その引受人、購買者は市中銀行でしたが、今では日銀までが買っています。)の元本や利払いだけで政府予算の3割が使われているのです。普通の家庭で言うなら、収入の3割が借金返済に充てられているわけです。その割合は年々膨れ上がっています。国債費に回す分、他の予算が圧迫されますが、そのしわよせは常に弱者です。これまでの日本政府は、自分の収入で生活できず、金を無駄遣いしては借金してきた道楽者みたいなものです。そうした政府を信頼しろというほうが無理でしょう。政府は常に変動しているから、現政府だけの責任ではないというのなら、常に政権を担当してきた保守政党に責任があることは自明です。しかし、本当のところ、政府が変わるのは上辺だけで、大臣が毎日のように変わろうと、行政の実務を担当している官僚組織は変わりません。
 国会における政治家の質問は、すべて官僚が作文し、その答弁も官僚が作文したものです。つまり、日本は、選挙で選ばれたわけでもない官僚が、立法権まで侵し、国の政治を専有しているわけですが、その事を知っている高校生は少ないでしょう。おそらく、学校教科書で習った「三権分立」や、「立法の優位」などを信じているかと思います。現実の政治はまったく違うのです。司法にしても、行政側の人間によって人事が決められるため、行政に逆らった司法判断はできない仕組みになっています。つまり、日本は官僚支配の国なのです。しかし、その官僚もアメリカの言いなりですし、アメリカ政府はアメリカ(もしくはイギリス)経済界の言いなりですから、まるで「鼠の嫁入り」みたいな話です。
 つまり、日本の政治はこういう権力関係です。

[ 日本国民<政治家<官僚<アメリカ政府<アメリカ経済界 ]

 ただし、一応、形式的には国会議員は内閣官僚の上位にありますから、官僚は国会議員に頭は下げますが、腹の中では、「この低脳ども!」と思っているわけです。
 なぜ日本がこのような状態になってしまったかというのは、日本政治の戦後史と関わってきますが、それは項目を変えて扱うことにしましょう。

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高校生のための「現代世界」政治経済編2

第一章 民主主義の難問
 
 日本は、豊かな国か貧しい国かと言えば、それは豊かな国でしょう。今のところは平和で安全な国でもあります。しかし、これからの日本は、豊かでも平和でもなくなる可能性が高いのです。その危険を避けるには、国民の一人一人が政治や経済について考え、語るようになることが大事です。そして、国民が自分の頭で政治的判断をし、それを政治に反映させるようになったとき、真の民主主義の国が生まれます。
 正しい情報さえ与えられれば、集団としての国民は、けっして間違わないと私は信じています。国民の大多数が間違った判断を下したのは、いつも、国民に正しい情報が隠されていた時だったと思います。日本を敗戦に導いた第二次世界大戦時の軍部エリートや、日本をバブルに追いやり、バブルを崩壊させ、大不況を招いた大蔵官僚や日銀指導者という政治や経済のエリートなどを見ていると、ああいう学校秀才は本当は頭が悪いのではないかと思わざるをえません。もしも、分かっていて国民にあれほどの害を与えたとするなら、とんでもない悪党どもです。
 一部エリートがではなく、国民全体が政治の方向を決めるのが民主主義です。単に、正体不明の「主権」が国民にあると聞かされるだけでは、民主主義の実質はありません。その意味では、本当の民主主義は、代議制ではなく、直接民主制しかありません。(代議制とは、国民が選挙で代議士を選んで、その代議士に政治権力を代行してもらうことです。しかし、近代初期にルソーがすでに述べているように、「選挙民は選挙の間だけ主権者であり、選挙が終わるとその主権は奪われている」というのが代議制の実情です。主権は代行できない、というのが、ルソーが見抜いたことなのです。「一般意思は委譲できない」とルソーは言っていますが、主権者の意思というのが、この「一般意思」の正しい解釈でしょう。)
 もちろん、直接民主制には大きな問題があります。それは、国防などのように機密を要する問題は、国民全体に知らせるわけにはいかず、従って、国民が政治的判断を下すわけにはいかないということです。だが、それも軍事専門家(軍人)の作った神話ではないでしょうか。国民は、何も軍事機密のすべてを知る必要はありません。軍人が、国民が政治判断をするのに必要な情報だけを政治の場で公開すれば、それに基づいて判断するだけのことです。(軍人も含め、官僚というものは、国民の利益よりも自分の所属集団の利益を優先させる習性がありますから、官僚が政治を独占するのは、……国民は官僚をやめさせる手段がありませんから……一応は選挙によって選ばれる政治家に政治を独占されるより弊害が大きいのです。)
 我々は、政治家の公約で判断して投票し、政治家を選びます。しかし、新しい政治的問題は、その公約の中に無いことのほうが多いのです。つまり、我々は常に過去の情報で選んだ人間たちに新しい問題を任せるしかないのです。これが、代議制の問題です。もしも、本当に国民の意思を代議制に反映させるのなら、新しい政治課題が浮上するごとに新しい代議士を選ぶべきでしょう。いや、代議制の本質が、国民の意思の代弁であるならば、最初から、国民投票で決定したほうが、もっと合理的なはずです。もしも、直接民主制の結果、国民全体が間違った判断を下すのなら、その国民の一人として結果を甘んじて受けるだけのことです。
仮に代議制のままで民主政治を行なうならば、問題は、
① 国民に正しい情報が与えられているか?
② 国民の意思を政治家はその通りに実行しているか?
という2点です。
 そういう意味では、世界に民主主義の国など一つもありません。特に、日本は絶対に民主主義の国ではありません。国民には正しい情報は与えられず、政治家は常に国民の意思を無視していますから。国民は、マスコミによる情報操作で騙されているわけです。
 民主主義より、君主にすべてを任せたほうがいいという考えの人がいてもいいでしょう。プラトンも、すぐれた哲学者が国王になって国を治めるのが一番いい、なんて、哲学者の我田引水みたいなことを言っています。だが、いったいどこに、その哲人王はいるのでしょう。あの暴君ネロにしても、初期の頃は賢明な君主だと言われていたのです。君主制とは、常に独裁制に転ずる可能性のある、危険な政治体制なのです。
 昔は、直接民主制を行なうことは、技術的問題があって、困難でした。その代替案が代議制なのです。ところが、代議制によって利益を得ている政治家や、それを利用して利権を得ている経済人たちは、まるで代議制が永遠不変の制度であるかのように主張しています。その結果、政治家は二世、三世と、まるで世襲の職業のようになってしまいました。庶民生活も知らない金持ちたちが、庶民の税金を決め、庶民を縛り、自分たちにとって都合のいい法律を決め、庶民を戦場に送り、自分たちはのうのうと甘い汁を吸って生きていくわけです。
 代議制の問題の一つに、選挙制度があります。どのような選挙制度が国民の意思を適切に結果に反映できるのでしょうか。一つの選挙区で一人の国会議員だけを選ぶ小選挙区制度には、選ばれなかった人間に投じられた票がすべて死票になるという欠点があります。一つの選挙区から複数の議員を選ぶ大選挙区制度は、常に、ある程度の野党議員の人数が保証されます。
 実は、民主政治を代議制度で行なうなら、野党の存在は絶対的に不可欠なのです。議会の過半数が与党で占められた場合、あらゆる法案は、与党の意思だけで決定でき、審議そのものが無意味になるのです。与党とは国民の意思の多数派を代表するのだから、それでいいという考えもありますが、はたしてそうでしょうか。ある党派に属していても、すべての政治課題について意見が同じであるはずはありません。しかし、いわゆる「党議拘束」によって、与党の中の、そのまた一部の人間の意志が与党全体を拘束し、結果的に国会の議決を支配しているわけです。これは、民主主義なのでしょうか? もしも国会が議論の場、討議の場でないなら国会に何の意味があるのでしょうか。一人一人の人間が、自分の信念に従って行動し、国政の諸問題について判断を下すからこそ国会なのです。もしも党議拘束を認めるなら、与党が国会の過半数を占めた段階で、官僚や与党議員の意図は、すべてはフリーパスになるのです。国会答弁は、国民の目を誤魔化すためのセレモニーにしか過ぎません。そして、それが実は現在の国会の姿なのです。
そもそも、選挙の過程からすでに大きな問題があります。
 選挙では、普通、何人かの人間が立候補して、そのうち上位の(小選挙区なら最上位の)人間が当選します。最近の国政選挙の、投票率の平均は50から60パーセントくらいですから、最上位の人間が投票数のうち50パーセントを得て当選したとしても、(実際には40パーセントくらいで当選します。)それは有権者全体の25パーセントを代表するものでしかありません。そのようにして集まった与党議員が議会の多数派を占めたとしても、それは国民の意思を代表したことにはならないでしょう。つまり、現在の代議制度は、「我々国民には、政治を考える頭も暇も無いから、お偉い代議士先生に、すべてを任せて考えて貰おう」ということなのです。しかし、もと芸能人やプロレスラーが、大多数の国民より政治的判断力があるとは信じがたいところです。また、元官僚は、もとの官僚社会との腐れ縁があって、彼らの有利なように行動します。もと大学教授にしても、だいたいはいかがわしいタレント教授であり、能力ではなく社会的知名度で選ばれているだけです。そうなると、確かに民主制というものは衆愚政治になり、君主制のほうがましだとなるでしょう。しかし、これは本当に民主制なのでしょうか。国民の意思は、いったいどれだけ反映されているのでしょうか。
 今後の日本ではさらに大きな問題があります。選挙制度の原則は、秘密投票の厳守ですが、電子投票制度が実現すると、この秘密投票は保証されません。電子的記号は、一瞬のうちに移動し、表面上の痕跡を残しません(残るのは、痕跡を残すシステムにしてある場合だけです。)から、誰が誰に投票したかを投票者に知られずに知るのは容易でしょうし、データを改竄して投票結果を勝手に変えることも容易でしょう。つまり、もはや国民は政治にノータッチになるわけです。いや、政府に反対する人間は、野党に投票した段階で、様々な迫害を受ける可能性もあります。多分、このままだと近いうちにそうなるでしょう。その布石が住民基本台帳です。思想傾向、犯罪歴、職歴、病歴、税金の支払い状況、家族関係など、国民のあらゆるデータを一元管理し、その弱みを握って、体制維持に不都合な人間をいつでも排除できるようにしておくわけです。いわば個人別データベースですが、それが他人に握られることの恐ろしさを想像してみてください。現在は住民基本台帳の記録項目は限られていますが、それはいつでも増やせるのです。あなたのやった些細な規則違反(階段を上る女生徒を下から見上げたら、パンツが見えてしまったのを、覗きをしたとされるとか。これは「規則」違反ですらないが、この程度でも大の大人を社会的に抹殺することもできるのです)によって、あなたが逮捕されるという、そういう時代が来る可能性は高いのです。
 最後に、民主主義の最大の問題は、議決方法にあります。ふつう、多数決によってしか決定はできませんが、最大多数である判断が最善の判断かどうか保証はないし、また、いわゆる「数の暴力」で多数者が少数者の意見を圧殺することもあります。この問題は、たとえば、映画「十二人の怒れる男」のように、重要な問題では全員一致を原則とし、一人でも反対があれば全員が一致するまで何度でも審議するというシステムを一部に入れるなどの方法で解決するしかないでしょう。
 以上、まとめておきます。
① 民主主義は、最善の政治・社会システムである。
② ただし、それは、真の民主主義が行なわれている場合のみである。現在の世界で、真の民主主義が行なわれている国は存在しない。
③ 真の民主主義は直接民主制のみである。
④ 真の民主主義が行なわれる条件は、国民が正しい政治的情報を得ていることである。
 
 新聞、テレビ、雑誌などのマスコミは、広告収入で生活しています。ですから、大手スポンサーの意向に逆らうことはできません。(マスコミとスポンサーをつなぐのが電通などの大手広告代理店ですが、そこの社員のほとんどは大企業の経営者や幹部の二世三世だというのは有名です。)また、自分から政治権力にすりよって、体制擁護の働きをしている新聞や雑誌などもたくさんあります。むしろ、そうでない新聞のほうが珍しいくらいです。テレビは、政府に不都合な報道をすると監督官庁に意地悪い報復をされますから、民放でも政府に対する批判的な報道は、ほとんどやりません。NHKなどは、世間では「国営放送」と思われているくらい、政府べったりです。つまり、日本国民が政治的に信頼できる情報、役に立つ情報を得ることは、相当に困難なのです。これが、日本人の大半に政治的判断力が無い原因なのです。
 しかし、その情報が誰から流され、それによって誰が利益を得るのかを常に考えるなら、無数の偽情報の中から真実を見抜くことも不可能ではありません。たとえば、学校教科書の中からだけでも、世界の近現代史は、西洋文明の世界侵略の歴史であるという事実ははっきりと分かるのです。我々は、推理小説を読むように現実の世界を「読む」べきです。ぼんやりと眺めているだけでは分からないことが分かってくると、現実の世界は、フィクション以上に面白いと思うようになるでしょう。

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高校生のための「現代世界」政治経済編1

第三部 政治経済

 地理は政治と経済のための舞台であり、歴史は政治と経済の記録です。現代の世界を知る総仕上げは政治と経済ですが、高校生にとって(いや、大人にとっても)これほど分かりにくいものはありません。特に、近代の経済学は、数学が付き物ですから、文系の人間は最初から敬遠してしまいがちです。しかし、恐れる必要はありません。数学は、学者が自分の学説を権威づけるための装飾にしかすぎないと思っていいのです。我々が知りたいのは、本物の経済であり、経済「学」には用はありません。
 経済学者なんて楽なものです。なにしろ、マルサス(マルクスではありませんよ。)なんてのは、「食糧生産は算術級数的にしか増えないが、人口は幾何級数的に増える」という言葉だけで歴史に名を残したようなものです。要するに、人口の増加に食糧生産は追いつかないから、そのうち人類は深刻な食糧危機を迎えるぞ、ということです。この考えは、ローマクラブの「成長の限界」に換骨奪胎されています。人類の文明の発展によるエネルギー消費は、やがてエネルギー資源の枯渇を招き、人類はエネルギー危機を迎えるというのが、その考えです。ごく当たり前の話のようですが、それまでは誰も言わなかったのです。
 マルクス(マルサスと名前が似てますが、こちらは例の髭親父です。)は、労働による生産は、資本家によって搾取されているという、当たり前の事実を述べただけで、二十世紀の世界を動かしました。彼の説を簡単に言うと、「ある大きさのパイ(でもケーキでもかまいません)をある人数で分けるのに、誰かがズルをして多く取ったら、他の人の取り分が少なくなる」という、幼児でも分かるような説なのです。しかし、彼の説の欠点は、パイの大きさは不変ではなく、文明が進むにつれてパイが大きくなり、一人一人の取り分も大きくなることを無視していたことです。そのため、労働者が、与えられるパイ以上には働く意欲のなかった社会主義国家は、労働者が資本家に飴(給料や昇進)と鞭(解雇される恐怖)で追い立てられ働かされ、パイが自動的に大きくなっていく資本主義国家に経済的に敗北しました。
 そして、経済的敗北とは、そのまま政治的敗北でもあります。
 それによって、資本主義と社会主義の優劣の比較は終わったと思われていますが、果たしてそうなのか、これは後で考えましょう。その前に、資本主義と自由主義、社会主義と共産主義の違いも説明したいと思います。
 政治経済の問題、知るべきことはいろいろありますが、なるべく大事な問題、興味深い問題を中心に、軽く読めるように書いていきましょう。ただし、この本は、みなさんが自分の頭で考え、議論ができるようにするための土台であり、ここに述べられた考えは、私の主観的考えでしかありませんので、その点は注意してください。

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高校生のための「現代世界」4(世界近代史編終了)

1933年、ドイツはその前に加盟していた国際連盟から脱退し、1935年、再軍備を宣言します。ドイツと同じくイタリアも、ムッソリーニ率いる右翼政党(つまり、反共産主義を唱え、資本家たちの支持を得ている政党です。)ファシストによる全体主義的国家に変わっていましたが、そのイタリアも恐慌による経済危機打開のために他国への侵略を図り、1935年、エチオピアへ侵入します。こうした右翼政権に共通しているのが、共産主義弾圧であり、世界の共産主義者とそのシンパ(賛同者)は、右翼の共産主義弾圧行為に対抗して人民戦線を各国に広げていきます。共産主義は、非現実的な政治経済思想ですが、ファッシズムに対して最初にはっきりと戦ったのは共産主義であったことは、注意しておくべきでしょう。当時の共産主義は、一種のユートピア的理想主義でもあったのです。理想に燃える純真な(というよりは、無邪気で騙されやすい)若者たちにとっての新しい宗教だったとも言えます。現在の共産主義のイメージの悪化は、第二次世界大戦後の「共産主義」国家の醜悪な実態や日本の学生運動の愚劣な現実のせいもありますが、資本主義社会での、人々の恐怖心を煽るマッカーシズム(いわゆる赤狩りです。)のような反共活動も大きく影響しているのです。つまり、政治の中心にあるのは、常に資産家階級の利害である、というのが、歴史の大原則だと考えていいのです。国家としての大義名分など口実にすぎません。しかし、どこの国でも国民の九割九分は様々な「教育」で洗脳されてますから、その事実に気がつかないわけです。まあ、私だって、自分が金持ちになったり、官僚になったりしてたら、同じことをするかもしれませんから、自分だけ清らかな顔をするつもりはありませんが。
1931年、関東軍の自作自演である柳条溝鉄道爆破事件をきっかけに満州へ進軍した日本は中国と戦端を開き、(これは満州事変と呼ばれ、まだ完全な戦争状態ではないミニ戦争です。)1932年には清朝の最後の国王溥儀を国王として満州国を建国しますが、国際連盟は満州国を承認せず、日本は33年に国際連盟を脱退します。
1937年、盧溝橋事件によって始まった日中戦争は、やがて日本対アメリカの太平洋戦争へとつながっていきます。この戦争を指導した参謀本部の軍部エリートがいかに馬鹿ばかりであったか、また、戦後に彼らがいかに責任逃れをしたか、興味のある人は、他の本などで読んでください。
1937年、日本・ドイツ・イタリアは、防共協定、つまり共産主義弾圧のための協定を結びますが、これが第二次世界大戦での枢軸国の土台です。つまり、この三カ国に共通しているのは、いずれも右翼政権が支配していた国であったということですが、それを単なるナチスやファシスト党や日本の軍部の問題にすりかえるべきではなく、それを支援していた資本家や経済的支配層の存在を無視するべきではありません。政治が国民全体に奉仕するのではなく、一部の人間の利益に奉仕することが、様々な不幸を生み出すのです。そして、敗戦によっても裁かれるのは政治家や官僚の一部であり、経済的支配層が戦争犯罪者として裁かれることは無いのですから、政治家や官僚は結局、経済人の手足でしかないと言えるでしょう。ついでに言っておくと、ナチスのユダヤ人殺害のための様々な施設の建設と維持を請け負ったのは、アメリカの企業だったようです。その企業が戦後に何かの咎めを受けたという話は聞いていません。
1939年、ドイツのポーランド攻撃に対し、イギリス、フランスはドイツに宣戦し、第二次世界大戦が始まります。
中国との戦線を拡大し、東南アジアの資源獲得を狙った日本に対し、アメリカは在米日本資産を凍結し、日本への石油輸出を禁止しました。この措置に対し、日本は1941年12月8日未明にハワイ真珠湾への奇襲攻撃をかけ、日米は開戦します。この攻撃が宣戦布告数時間前に行なわれたことで、日本は卑怯なだまし討ちをする民族だというイメージがアメリカ人の間で定着しますが、実はアメリカ側は日本の暗号電文を解読して真珠湾攻撃はすでに知っていたと言われています。つまり、すでに始まっていた世界戦争への参加を狙っていた(もちろん、戦争で儲けるためです。)米国上層部は、戦争参加に不賛成の意見が多かった国民の間で参戦への合意を形成するためのきっかけを探しており、わざと日本に先制攻撃をさせたということです。それを信じる信じないはみなさんの自由ですが、アメリカという国の伝統的政治行動パターンの中には、自作自演で何かの口実を作り、それをきっかけに自国にとって有利な政治行動を強引に始めるというものがあることは確かです。(ベトナム戦争でのトンキン湾事件や、ごく最近の9.11事件などはそれでしょう。)
1943年、イタリアは降伏し、45年5月にドイツも降伏し、日本の降伏も目前になってきた同年8月、アメリカは日本に原爆を投下します。この行為は、今にもノックアウト負け寸前のボクサーの頭をピストルで打ち抜くような残虐な、そして表面的には無意味な行為であり、その真意は、新しく発明された原爆の威力を実験することにありました。原爆の威力はすでに予測されていましたが、それを世界に知らしめるためには、実際の戦争でそれを使ってみせる必要があったのです。それが戦後のアメリカの世界経営にとって必要だという判断によるものでしょう。さすがに、白人の国を相手には原爆を使うことはできなかったので、東洋の猿どもを相手にためしてみようということです。では、なぜ東京ではなく地方都市がその対象として選ばれたか。それは、たとえ敵国でも、そのエスタブリッシュメント(支配層)まで絶滅させた場合、それが歴史的な先例となり、自分たちが別の機会に同じことをされる可能性があるからでしょう。あるいは、政治経済的支配層やその配下を残しておいたほうが、占領後に彼らを自分の手足として使うことができるという計算かもしれません。あるいは、東京のお偉方とアメリカのお偉方の間に秘密の約束があったのかもしれません。どうせなら、東京に原爆を落としてくれていたほうが、日本を悲惨な戦争に追いやった張本人たちが掃除されて、日本はもっと良くなっていたかもしれませんが。ついでに言っておくと、近現代のほとんどの戦争では、政治や経済の上層にいる人間やその家族縁者が戦場に出て死ぬことはほとんどありません。ベトナム戦争の頃に、現ブッシュ大統領が徴兵逃れのために安全な州兵(ミリシア)となってお茶を濁していたというのは、一部の人間には良く知られた話です。いまの米国政治のタカ派と呼ばれる好戦的な連中のほとんどは、実は皆、徴兵逃れをした「チキン・ホーク(弱虫の鷹)」なのです。
世の中とはそういうものです。ですから、戦争をやめる一番の方法は、誰かが言っていたように、戦争を決定し、それに賛同する人間やその家族にまず最前線に出て戦ってもらうことでしょう。(現代の戦争は、大量破壊兵器を用いるから、一部の人間だけがその被害を免れることは不可能だ、だから一部の人間の利益のために戦争が起こるという考えは妄想だ、という意見がありますが、大嘘です。「彼ら」は、大量破壊兵器をどこで使うか、ちゃんと計算して使うだけのことです。)
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦は終結します。
1945年10月、国際連合が発足しますが、これは米・英・仏・ソ・中の常任理事国が総会の議決に対する拒否権を持つという大国優先の機関であり、小国の利害に対しては人道的判断よりもそれに関わる大国の利害が優先されるのであって、世界政治の上では、無いよりはまし、という程度のものでしかありません。
第二次世界大戦ではファシズム国家に対し協力して戦ったアメリカとソ連は、戦後は国家経営の基盤である資本主義と共産主義という思想のために対立します。これがいわゆる「冷たい戦争」です。
アメリカは、共産主義の「封じ込め政策」を採用し、欧米諸国間で北大西洋条約機構(NATO)という軍事同盟を作って共産主義の伸張に備えます。それに対し、ソ連は東欧8カ国援助条約(ワルシャワ条約)によって結束を固めます。
1949年、中国共産党によって中華人民共和国が成立。
1950年、朝鮮戦争勃発。これは、日本の敗戦によってその支配から離れた朝鮮が、ソ連とアメリカの手によって分割され、ソ連に支援された北部の朝鮮民主主義人民共和国と、アメリカに支援された南部の大韓民国となっていたのが、その国是である共産主義と資本主義のために対立し、とうとう武力衝突となったものです。(例によって、本当は経済的利害がその原因だったのでしょうが。)北は中国に支援され、南はアメリカを中心とした国連軍が韓国軍とともに戦いましたが、戦争は膠着状態となり、1951年、ソ連の休戦提案によって53年に休戦します。つまり、本当は朝鮮戦争はまだ終っておらず、アメリカに加担していた日本は、北朝鮮にとっては交戦国であるわけですから、拉致問題などある意味では戦争の継続として捉えるべきかもしれません。ただし、現在では、北朝鮮そのものが、アメリカの世界経営の道具となっている可能性も高いので、問題は簡単ではありません。
この朝鮮戦争は、第二次世界大戦で疲弊していた日本に軍需景気をもたらし、その後の日本の経済発展(いわゆる高度成長)の原動力となります。
1951年、日本は48カ国との間でサンフランシスコ講和条約を結び、アメリカによる占領状態から名目的には独立国家として世界に承認されますが、同時にアメリカとの間で日米安全保障条約を結ばされ、引き続いて日本におけるアメリカ軍の駐留と軍事施設の存続を強制されました。そして、この状態は現在でも続いています。つまり、日本は、自国内にアメリカの軍隊を置いている以上、アメリカに対しては永遠に反抗できないということです。これは独立国家などではありません。それから現在に至る日本の対米屈従外交は、すべてここに理由があるのです。この日米安保条約は、当時の吉田首相をほとんど脅迫するような形で締結したものだと言われています。
その後の世界の現代史は、政治経済のところで扱いますので、要点だけを書くことにしましょう。もっとも、現代史は煩雑ですから、何を要点とするかは私の主観です。
1947年、インド、パキスタン分離独立。(パキスタンはイギリス連邦自治領となる。)
1948年、イスラエル建国。パレスチナ戦争起こる。
1952年、エジプト、ナセルによる国王追放。(反英独立闘争)
1956年、スエズ戦争。(イギリス・フランス・イスラエルVSエジプト)
1958年、イラク革命。王制廃止。
1959年、キューバ革命。
1962年、キューバ、ミサイル危機。
1963年、ケネディ大統領暗殺。
1966~70年、中国文化大革命。
1965年、アメリカのベトナム北爆開始。
1967年、EC発足。
1968年、フランス5月革命。チェコ事件。
1971年、中華人民共和国国連加盟。インド・パキスタン戦争。アメリカ、ドル防衛策発表(ニクソン・ショック)。世界は変動為替相場へ移行。
1972年、ニクソン訪中。
1973年、ベトナム和平協定調印。石油危機。
1975年、サイゴン陥落、ベトナム戦争終結。
1979年、米中国交樹立。ソ連アフガニスタン侵入。イラン革命(ホメイニ政権)。
1980~1988年、イラン・イラク戦争。
1982年、フォークランド紛争(イギリスVSアルゼンチン)
1989年、ベルリンの壁崩壊。中国天安門事件。
1990年、東西ドイツ統一。イラク、クウェート侵攻。
1991年、ソ連崩壊。アメリカ、イラク攻撃(湾岸戦争)
2001年、9・11事件。(アメリカの新世界秩序の布石となる。)

大雑把に言えば、冷戦(米ソ対立)と、ソ連崩壊による冷戦の終わり、アメリカによる世界新秩序への移行というのが、現代史の大筋です。
別の面から言うならば、これらの政治的事件は要するに、欧米諸国の、過去の植民地支配の事後処理(と言っても、「精算」ではありません。)と、新たな干渉の歴史です。たとえば、ベトナム戦争は、ベトナムのフランスからの独立運動に対し、それを援助したのがソ連であったために、世界の共産主義化を恐れたアメリカ経済支配層が、アメリカ政府を動かして介入したものです。ベトナムに送り込まれた米軍兵士たちのほとんどは、自分が何のために戦っているかも分からなかったでしょう。この戦争でアメリカ国内でも反戦運動が活発に起こったのは、そのためです。まあ、大多数の兵士は、とにかく共産主義者は悪党だから、それを倒せばいいんだ、と思っていたでしょうが。他国の戦争に出て行って死ぬなんてのは、はっきり言って、犬死にです。だから、アメリカ国内でも厭戦気分が蔓延し、アメリカは結局ベトナムから手を引くことになります。マスコミの正直な報道がこういう結果を招いたというその反省から、以後の戦争では、政府公認の御用マスコミ以外には戦争報道を許可しないということになります。
こうした政治的事件は、新聞やテレビで報道される表の顔と裏の顔が全然違います。表面的には敵同士に見えている人間たちが裏では手を結んでいる場合もあります。たとえば、「アメリカの敵」であるイラクのフセインやイランのホメイニは、どちらもアメリカの援助で政権を手に入れた人間です。ウサマ・ビンラディンはもともとCIAの援助を受けてアフガニスタンで対ソ連の抵抗運動をしていた人間ですし、また、中南米での政変のほとんどは、アメリカの意思が背後にあるのは確実です。アメリカとソ連だって、単純に喧嘩ばかりしていたわけではなく、冷戦の間も貿易はしていたのです。冷戦そのもの、あるいは、資本主義と共産主義の対立そのものが、軍需産業や軍隊によって演出されたものだと考えることもできます。つまり、戦争が政治の延長であるのと同様に、政治はビジネスの一環なのです。
新聞に出てくるような公式の説明だけでは政治の現実はわかりませんが、「政治における言葉と行動の食い違い」を見て、「それで誰が利益を得たのか」を考えれば、物事の真実が見えてくるということです。そのことをいつも心に置いて、政治の世界を眺めるようにしてください。そうした視点を、マスコミお抱え評論家の言うように「陰謀論」だとか、「トンデモ論」の一言で片付けていたのでは、無知のままで終わり、現実は変わりません。
これで、世界の近現代史概観は終わりますが、歴史は政治の記録であり、政治は経済を本質とするというのが、私の考えで、そう考えた時、歴史は見やすいものになると思っています。そして、世界の近現代史は、一言で言えば、西欧文明の侵略の歴史なのです。 

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高校生のための「現代世界」3

植民地獲得競争の意識がまだ残っていた20世紀初頭、ヨーロッパ各国は、植民地領有についての対立などから国と国との間で同盟関係が結ばれました。その中心は、ドイツ、オーストリア、イタリアの「三国同盟」と、イギリス、フランス、ロシアの「三国協商」です。こうした同盟関係そのものが、敵陣営への憎悪を呼んで、第一次世界大戦の原因になったという見方ができます。もちろん、戦争の本当の原因は、常に、庶民とはほとんど関係のない一部の人間の経済的利害によるものですが。
 1914年6月、オーストリア皇太子のボスニアの首都サラエボでの暗殺がきっかけとなり、第一次世界大戦は始まります。その後、
① オーストリアの、セルビアへの宣戦布告。
② ロシア(バルカン同盟の実質的指導国)の軍隊動員。
③ ドイツのロシア宣戦。
④ ドイツのベルギー進軍とフランスとの戦闘。
⑤ イギリスのドイツ宣戦。
 という過程で戦争は拡大し、日本もまた日英同盟(これは、日露戦争当時に、イギリスがロシアを牽制するために日本と結んでいた同盟です。)を理由としてドイツに宣戦し、ドイツ租借地の青島や南洋諸島に派兵します。
 戦争が長期化するにしたがって、各陣営は、自らに有利に戦況をすすめるために中立国や従属国、植民地の国々に援助を求めて働きかけ、その代償として様々な約束をします。このことが20世紀後半の、国際政治の混乱の原因となるのです。たとえば、インドやエジプトはイギリスから戦後の独立を約束されてその国民を戦場に送ります。しかし、実際にインドが独立するときには、イギリスは様々な策謀をし、インドの民族主義を利用してインドとパキスタンを分裂させます。また、イギリスはアラブ人に独立国建設の約束をして自国陣営に引き入れる一方で、ユダヤ人資本家(例のロスチャイルドです。)の資金援助を当てにして、戦後のパレスチナでのユダヤ人国家の建設を約束したりしています。これは一般には「バルフォア宣言」と言われていますが、公式の声明ではなく、単なる書簡のようなものですから、法的な実質は無いのですが、それがイスラエル建国の根拠とされ、中東紛争の火種となります。
こうしたイギリスの外交を「三枚舌外交」と言いますが、外交とはもともと騙しあいであり、ナイーブな日本人のもっとも苦手とするところです。政治における原則はただ二つ。「力は正義なり」、「勝てば官軍」です。そして、政治はけっして国民全体の利益を優先するものではなく、一部の人間の都合で動いていくものです。政治は国民が監視し、コントロールすべき怪物であって、優しい母親ではないのです。
 交戦国との貿易で巨大な利益を得ていたアメリカは、戦争終結が見えてきた1917年に、(戦勝国の仲間に入るために)ドイツの潜水艦による中立国攻撃を理由として、ドイツに対し、宣戦します。まるで後だしジャンケンみたいなやりかたですが、国際政治では普通のことです。日本の第一次世界大戦参加も、第二次世界大戦終結間際でのソ連の日本への宣戦も同じことです。
 ロシアでは、長引く戦争で疲弊した国民の不満を背景に、まず三月革命で帝政が倒れ、そこで誕生した臨時政府も十一月革命で倒されてレーニンによるボリシェビキ政権(後の共産党)が生まれます。新政権はドイツと単独講和を結んで戦線を離脱します。
 同盟国側の敗色が濃厚になった1918年秋、同盟国の中心であるドイツでも革命によって帝政が崩壊し、全世界を巻き込んだ第一次世界大戦は終結しました。
 第一次世界大戦の特徴は、それまでの戦争が軍隊同士の戦いであったのに対し、経済をはじめ、あらゆる国民生活が戦争遂行のために総動員されるという総力戦だったところにあります。君主が自分の軍隊を動かして勝手に戦争をしていた時代に比べ、庶民生活が戦争によって被る害が比べ物にならないほど大きくなったのです。そうなると、国民の厭戦気分を抑えるために、さまざまなプロパガンダ(宣伝活動)も必要になり、情報操作も生まれてきます。敵国への憎悪の形成、「非愛国的行動」への非難などがそれです。
 また、この戦争は科学が戦争に積極的に協力した戦争でもあります。戦車や飛行機、毒ガスが初めて使われたのが第一次世界大戦でした。その行き着く先が第二次世界大戦の原爆だということになります。
 この戦争の被害は、死傷者だけでも3000万人だとされています。
普通の神経を持っていたら、こうした悲惨を経験したら、もはや二度と戦争は起こすまいとしそうなものですが、そうならないところが政治と歴史の現実です。それからすぐに世界は第二次世界大戦を迎えるのですから。
さて、1919年6月、連合国とドイツの間でベルサイユ条約が結ばれ、敗戦国ドイツの海外権益や植民地はすべて奪われ、巨額の賠償金が課せられました。その他の敗戦国も同様の扱いを受け、敗戦の苦難の中に悲惨な国民生活を送ることになります。こうした「ベルサイユ体制」への不満がナチスの台頭を生み、続く第二次世界大戦の原因となったと言えるでしょう。
1920年1月、アメリカ大統領ウィルソンの提案で、世界の平和的な新秩序を作るために国際連盟が発足しますが、米議会の反対でアメリカ自身がこれに参加せず、共産主義国(正しくは社会主義ですが)ロシアと敗戦国ドイツその他は除外されました。
この頃の世界は、新たな局面を迎えていました。それは、共産主義の台頭です。1922年末ソビエト社会主義共和国連邦が誕生し、中国では1911年の辛亥革命の後、1912年に清帝が退位し、清朝は滅びます。その辛亥革命の中心者孫文が唱えた三民主義は、「民族主義・民権主義・民生主義」ですが、そのうち民権主義は現在の民主主義、民生主義は社会主義的福祉政策と言えるでしょう。1921年には中国共産党が結成され、孫文らの国民党との間に協力関係が成立します。しかし、孫文の死後、この協力関係は崩れ、中国は資本家と手を結んだ蒋介石らの国民党と、農村に基盤を置く毛沢東らの共産党が対立していきます。
1929年、ウォール街の株式相場大暴落に端を発した米国の経済恐慌は、アメリカの対外投資引き上げによって世界恐慌へと広がります。
アメリカの経済恐慌の原因は、機械化された工場による大量生産などの合理化によって工業生産が過剰になるとともに、増大した失業者への対策が不十分であったため、生産量と国民の購買力の間に不均衡が生じたこと、空前の株式投機ブームの過熱が、株価下落によって不安を呼び、下落に歯止めがかからなかったことなどがあります。ただし、こうした株の暴落や企業倒産は、大資本による統合や独占の一過程でもあります。ここでも、誰が生き残り、誰が利益を得たのかを良く観察する必要があります。全員が損をするゲームなど、ありえないのですから。
世界恐慌によってもっとも苦しんだのは、先の大戦での高額な賠償金によってすでに国民生活が圧迫されていた敗戦諸国でした。その中でドイツは、ヒトラーの率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が、ベルサイユ条約の破棄、ドイツ国民の領土回復、ユダヤ人排斥、共産主義者排斥などをスローガンに急激に勢力を伸張してきました。この中で、ユダヤ人や共産主義者を排斥する行為は、分かりやすい敵を作ることで国民全体や資本家たちの支持を得ようというものです。その狙いは見事に当たり、1932年の総選挙でナチスは第一党になり、翌33年、ヒトラーは政権を握った後、同年3月政府に独裁権を与える全権委任法を作って一党独裁を確立します。これは、民主主義の否定であり、「全体主義」(ファッシズム)と言われるものです。(政党名の中の「社会主義」と、彼らの現実行動の共産主義攻撃との「矛盾」に良く注意してください。これは、政治的な名目と中味の相違でもありますが、また、社会主義と共産主義は別だということでもあります。詳しくは政治経済の章で述べましょう。)
この、ヒトラーが政権を握っていく過程は、なかなか面白い研究課題ですが、その本質を言えば、突撃隊という私設軍隊(要するに、暴力団です。)のテロ行為に対する人々の恐怖を利用して政権を握ったものです。そして、その背後には、彼らを支援した資本家たちがいるわけです。
人間は身近な暴力に弱いものです。そして、警察が庶民ではなく暴力団のほうに味方しているという状況では、それに対抗できる人間はいません。選挙でそうした危険人物を落選させるのが唯一の手段ですが、実は、選挙を有名無実化する方法もあるのです。(現在なら、電子投票の導入もその一つですが、ナチスはもっと原始的なやり方をやったようです。それがどんな方法か、詳しくは言いませんが、秘密投票を秘密でなくするというのが、その方法です。)
さて、これは過去の出来事であり、現在には関係の無い話なのでしょうか? 我々の生きているこの社会は、はたして国民の意思が政治に反映されているのでしょうか。情報操作や目に見えない弾圧によって人々の政治的意見は封殺され、一部の人間の思いのままに政治が動かされているのなら、それはナチスの独裁政権と何が変わるのでしょうか。そういう視点をもう一度確認した上で、先に進むことにしましょう。

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高校生のための「現代世界」2

第一部 近現代史

 前書きで書いたように、世界の近現代史は、西欧文明の侵略の歴史です。ただし、ここで言う西欧文明とは、経済的自由主義、つまり、自らの経済的利益のために何をしてもいいという強欲な考え方のことです。さらに、その根底には西欧人以外の有色人種への差別意識があります。ヨーロッパ人によるアメリカ原住民の虐殺と領土強奪や、メキシコのマヤ文明の破壊と虐殺、南米のインカ帝国の破壊と虐殺は、そうした西欧文明の精神から来るものです。あるいは、過酷な労働のためにわざわざアフリカから黒人を運び、牛や馬のように働かせるという非人間的な奴隷制度も、その精神の表れでしょう。これらの非人間的行為が、なぜキリスト教の言う「愛」の精神と両立するのか、疑問に思った人は多いと思いますが、キリスト教はもともとユダヤ教の一分派でしかありません。そして、ユダヤ教とは、選民思想を土台とした宗教ですから、他民族は人間として扱う必要は無いのです。西欧文明の根幹は、教会に指導されたユダヤ教的キリスト教なのです。
 以上のような「西欧文明の精神」についての理解が無いと、歴史は理解しにくいものとなるでしょう。欲望の無いところにドラマは生まれません。そして、貨幣制度が世界に広まって以来、人々は欲望の実現手段である貨幣や貴重物資の獲得のためにあらゆる闘争を重ねて来ました。その結果が歴史なのです。みなさんは、その「本音」と「口実」を区別して捉える必要があります。悪行を為す者は、常に美名を口実としますから。
 では、近現代史をどのように概観すればいいのでしょうか。
 まず、言っておきたいことは、客観的な歴史はありえない、ということです。すべての歴史は勝者の歴史であり、勝者にとって都合の悪い事実は捨てられ、修正され、捏造されています。我々の為すべきことは、そのようにして残ってきた「歴史」の中から、真実の姿を見抜くことです。言葉を換えれば、主観的であることを恐れるな、ということです。これから私が書く近現代史概観は、無味乾燥な学校教科書の中から、私にとって重要と思われる「事実」をつなぎあわせ、解説したものです。つまり、「西欧文明の精神がもたらした歴史」という一つの視点によって眺めれば、歴史は非常に分かりやすいものになるということです。
近代はいつから始まるか。一般的にはルネッサンス時代からでしょうが、私は、封建制度、つまり単なる暴力(武力)による支配が崩壊し、経済的な力を持つ市民(ブルジョワ階級と言いますが、これは一つの階級ですから、この言葉を単なる「市民」と区別する必要があります。)が政治的にも強大な力を持ち始めた頃が近代の始まりだと考えています。近代の始まりを告げるのはフランス革命だと言っていいでしょう。
 まずは、フランス革命に先立って、アメリカ独立戦争(これは、植民地アメリカが、宗主国イギリスに対して行なった独立革命です。)がありました。[1775~83]
 この「革命」の成功がフランス革命に与えた影響は大きいものでした。
 そして、1789年にフランス革命が起こります。これは、宮廷の奢侈や戦争から来る財政難を解消するために、それまでの特権身分(貴族や聖職者)にも課税をしようとしたことから、貴族が国王に反抗し、始まったものです。その貴族の反抗が、貧困にあえぐ都市民衆や農民を巻き込んで革命へと発展していったのですが、やがてブルジョワ階級を中核とするジロンド派と、庶民の利益を代表するジャコバン派が対立し、最終的にはジロンド派が革命の主導権を握り、革命を終結させます。
 フランス革命は、現在の民主主義の出発点と言ってもいいでしょう。しかし、同時にそれは資本主義の出発点でもあります。それ以降の世界は、武力で政権を握った政治的支配者と、経済的実権を持つ資本家が協同し、時には対立しながら世界の政治は動いていくことになります。
 イギリスでは、フランス革命に先立って、ピューリタン革命[1640~60]と名誉革命[1688]の二つの革命があり、それをイギリス革命と言いますが、ここでも、最終的には貴族や富裕な商人たちが実権を握り、庶民とはほとんど無縁な革命で終わります。
 イギリス革命によって、イギリスでは議会が政治の決定権を持つようになりますが、議会に代表を送れたのは貴族と富裕層のみであり、議会活動の中心的な目的はブルジョワ層の私有財産権の保護にありました。国と国の経済闘争が戦争であり、一つの国の中の、ある身分と他の身分の経済闘争が革命であると言っていいでしょう。革命の起爆剤は社会上位層の権力闘争ですが、それが革命となる原因は、やはり腐りきった政治や社会への民衆の不満にあります。フランス革命は、現在の人権の出発点として大きな意義があります。
 さて、イギリス革命やフランス革命によって国王からの過度な干渉を受けなくなった富裕層は、大きく発展していきました。その「自由な」経済活動の一つの例がロスチャイルド家で、彼の一族は、ナポレオンがワーテルローで負けた時、その情報をいち早く手に入れ、逆にイギリスが負けたという偽情報を流してイギリス国債を買占め、一夜でそれまでの財産を数千倍(数十倍ではありません)に膨れ上がらせたといいます。もちろん、それで大金を失って没落した貴族や商人が無数にいたわけです。
情報を握った者が富を支配するということがすでに分かっていた人間は、この頃から国を越えて商売をするようになっていきます。現在の「多国籍企業」は、18世紀にはすでに存在していました。ロンドン、パリ、ウィーン、ナポリ、フランクフルトにそれぞれ銀行を持っていたロスチャイルド家はそれです。中世では、自らは労働せずに金で金を生むという金融業は軽蔑の対象であり、ユダヤ人だけがそれを行なっていましたが、世界の産業の規模が大きくなるにつれて、生産的な活動よりも金融や投機のほうがはるかに巨額の富を生むことが知られてきたのです。
 イギリスで産業革命が起こるのは18世紀ですが、産業の発展には「資本・労働力・市場」が必要です。イギリスでは、穀物の値段騰貴のため、資本家が地主から広い土地を借りて大規模な農業を行なうことが起こり、そのために小作地や共有の土地から追い出されて働き場を失った小作農民は都市へ移動しましたが、そうした人々は、その頃から発展し始めた工業のための労働力となったのです。こうして、イギリスでは世界に先駆けて産業革命が進行しました。これがエンクロージャー(囲い込み)と産業革命の関係です。
 16世紀から19世紀は、またヨーロッパ諸国が世界の各地を侵略した時代でもあります。実は20世紀も21世紀もその延長線上にあるのですが、16世紀から19世紀が何一つ隠すことのない侵略の時代であったのに対して、20世紀から後は美名に隠された侵略行為になるので、その正体は見づらいものになっていきます。
 ここで、少し歴史を遡ります。地理上の発見時代とか大航海時代と言われたのが15世紀末から16世紀前半ですが、その動機はもちろん富の獲得にありました。コロンブスのアメリカ発見[1492]、マゼラン一行による世界周航の実現[1519~22]などによって世界像が明確になるにつれて、ヨーロッパ諸国は富の獲得のために未知の世界へと進出していきます。初めはポルトガルとスペインが主導権を握り、ローマ教皇が勝手に、新大陸はスペインのもの、アジアはポルトガルのもの、などと決めたりしています。この一事によっても、そこに住んでいる住人は最初から権利を認められず、人間らしい存在とはみなされていなかったことが分かります。
 そうした意識の現れが、前にも書いたコルテスによるアステカ文明(アズテック、マヤ)の破壊、ピサロによるインカ帝国の破壊です。彼らはそれらの土地の大半の住人を殺した後、残った人々は奴隷にして鉱山の採掘作業などの強制労働に酷使し、過酷な扱いのために原住民の数が減ると、今度はアフリカ大陸から黒人奴隷を輸入して働かせました。そのためにアフリカでは奴隷狩りが行なわれたのです。家畜以上にひどい扱いのために、輸送途中で死んだ黒人奴隷も無数にいました。(およそ3分の1の割合で死んだと言われています。)
北アメリカでは、1620年にピルグリム=ファーザーズと呼ばれる清教徒の一団がメイフラワー号でアメリカに渡ったあと、アメリカ北東岸にニューイングランド植民地を形成し、オランダ、フランスとの主導権争いに勝って北米大陸の大半をイギリス支配の植民地としていきます。その過程で、先住民族であるアメリカ・インディアンはその居住地域を圧迫され、土地を奪われていきました。ヨーロッパ人の侵略に怒ったインディアンたちは彼らと戦いますが、鉄砲などの威力に敗れ、大量に殺されました。
現在のアメリカ合衆国は、そうしたヨーロッパ人の土地強奪(あるいは、詐欺に近い買収。当時のアメリカ・インディアンは、土地私有の概念が無かったため、驚くほどの安い値段で、土地を白人に売ったのです。)によって生まれた国であり、その本来の所有者(土地を私有して良い、というのは、実は一つの考え方でしかありません。土地は、本来は誰のものでもないのですから)は今ではインディアン居住区に押し込められて生活しているのです。また、アメリカ南部を中心に、綿花や煙草の栽培のために黒人奴隷が大量に輸入され、現在も続く人種差別問題の源となりました。
 スペイン、ポルトガルに続いて、イギリス、フランス、オランダも植民地獲得の競争に乗り出し、船や港を襲う海賊行為も頻繁に起こりました。特に、イギリスの海賊船である私拿捕船は、国からイギリス海軍に準ずる扱いを受け、その親玉のドレークやホーキンスは一種の国民的英雄ですらありました。当時の(あるいは、政治経済的上層部は現在でも)西欧民族のモラルはこの程度のものです。
 ヨーロッパの植民地は、南北アメリカ大陸だけでなく東南アジアにも広がりました。昔からその土地にいた豪族たちは、自分たちの勢力争いにヨーロッパ人の手を借りようとして、やがてそれらの土地のすべてはヨーロッパ人たちのものになっていったのです。それを考えると、徳川幕府の鎖国政策は、必ずしも全否定されるべきものではなかったと言えるでしょう。特に、キリスト教が侵略の手引きになっていたことについて、当時の為政者は正しい認識をしていたのです。秀吉や家康など、当時の政治家(武将)は、現代の政治家や官僚などより、はるかに冷徹で合理的な判断をしていたと言って良いでしょう。
 18世紀なかばから19世紀前半にかけて、イギリスはインドを手に入れ、さらにアフガニスタンを保護国とし、ビルマを植民地としました。同様にフランスもインドシナ(現在のベトナム)を手に入れ、シンガポールなどを拠点にマレー半島に手を伸ばしたイギリスと対立しますが、すでにオランダ領となっていた東インド諸島(現在のジャワ、スマトラ、ボルネオの一部)もふくめ、ヨーロッパ各国による東南アジアの分割と棲み分けは19世紀末にはほぼ完了します。
これらの植民地でいかにひどい搾取が行なわれたか、学校教科書ではほとんど教えられませんが、たとえばイギリスが、そのころ発達しはじめた自国の機械織りの綿布を売るために、それまで世界でもっとも発達していたインドの綿布産業を弾圧し、織物職人が布が織れないように手首を切り落とした話などに、目的のためには手段を選ばない西欧文明の残虐な一面が良く現れています。(こうした負の側面を記述することに対し、たとえばインドで鉄道や港が整備されたということなどを正の側面として記述するべきだという意見もあるでしょう。そうした優等生的見解は、学校教科書に任せておきます。私のこの本は、従来の家畜養成教科書では無い、劇薬としてのテキストですから。)
 西欧文明の非道義性をもっとも良く表した事件は、アヘン戦争[1840~42]でしょう。
イギリスから中国(当時は清)に輸出される麻薬であるアヘンの害悪に困った中国は、1839年にアヘン輸入を禁止しますが、これに対し、イギリス側は武力に訴えて中国を屈服させ、上海その他の5港の開港と香港の割譲などを認めさせました。
 1868年の明治維新によって新国家としてスタートした日本は、西欧流の侵略による国力の拡大を狙って朝鮮への進出を図り、その宗主国である清と対立し、1894年に日清戦争が始まりました。この戦争に日本が勝ったことは、中国の意外な弱さを世界に知らしめ、ロシア、フランス、ドイツ、イギリスはそれぞれ中国各地を租借(一定期間借りて統治すること)することを中国に認めさせました。アジア植民地争奪戦に遅れたアメリカは、「門戸開放宣言」(中国の門戸開放、機会均等、領土保全を主張したものですが、要するに、自分たちにも分け前を寄越せ、ということです。)で西欧列強を牽制します。
 日清戦争で意外な勝利を収めた日本は、その後、南下政策で満州から朝鮮を狙うロシアと対立し、1904年、日露戦争が起こります。日本海海戦での日本の大勝利の後、大陸での戦いは苦闘が続きますが、戦争の途中、革命運動などで戦争遂行能力を失ったロシアは、日本との間にポーツマスで講和条約を結びます。しかし、この戦争で日本の払った犠牲は大きく、また、この勝利で肥大した軍部の自惚れは、昭和初期の軍人支配の土台となります。つまり、日清、日露両戦争は、近代日本の成長の過程であると同時に太平洋戦争の遠因でもあるのです。まあ、ここで日本が負けていたら、近代日本はそこで終わりだったわけですが、その幸運な勝利への度を越した賛美はやめたほうがいいでしょう。その後の日本は、「三四郎」での夏目漱石の予言的言葉どおりに「滅びる」ことになるのですから。
 こうした19世紀末から20世紀初頭にかけての列強の対外膨張政策は、金融資本の産業支配の結果、限界に達した国内市場から商品と資本のはけ口が海外に求められたもので、難しい言い方をすれば、「独占段階に進んだ資本主義体制」の表れで、それを「帝国主義」と言います。そして、現在の歴史認識の問題点は、実は世界は今もなお帝国主義の段階にあることが隠されていることなのです。要するに、弱い者を食い物にして、強い者が繁栄するということです。西欧文明のもう一つの側面である科学技術の向上によって世界のほとんどの国で生活水準は上がっています。だが、政治的経済的な略奪と搾取の行為は前と変わらず続いているのです。たとえば、これほどに文明の進んだ時代に、なぜアフリカ諸国はあれほどの貧困の中にあるのでしょうか。南米諸国はなぜ経済的な発展ができないのでしょうか。詳しい中身を知ることは不可能ですが、大きく事象全体を見れば、そこに恒常的な搾取の事実があるはずだと判断できます。たとえば、先進国が後進国に金を貸すことや、援助をすることなどは表面的事実です。しかし、現実にはその資金を用いた事業は先進国の企業が請け負って、金儲けをしたりしているのです。そして、借金には当然ながら利息がつきます。貧しい国は目の前の餌につられて、自分の首を締めているわけです。
 ここで気をつけたいのは、こうした帝国主義的侵略行為をしてきたのは、明治以降の日本も同じだということです。日本はお隣の朝鮮を侵略し、併合して日本の領土としました。台湾も同様です。こうした過去に対して、それは当時の時代背景からして許されることだ、とか、日本が朝鮮や台湾を併合したことで、その地の文化や生活水準が向上した、という言葉が、日本の保守派の論者からよく発言されますが、相手を殴ってから頭をなでても、殴った罪が許されるわけではありません。相手側が、過去は過去として水に流そうと言うのならともかく、加害者側が言う言葉ではないでしょう。

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高校生のための「現代世界」1

   高校生のための「現代世界」

 始めに

 高校や中学で習う社会科が退屈な学科だということは、多くの学生が感じていることです。その原因は、それが我々の日常生活と無縁な、地名や年号暗記などの些末的知識の習得だけを強制しているからでしょう。我々の生活と無縁な? はたして本当にそうなのでしょうか。
 地理や政治経済は、まさしく現在の我々が生きている世界そのものです。では、それがこんなにも退屈なのはなぜでしょうか。それは、そこには生きている人間の姿が感じられないから、何のドラマも無いと思われるからです。しかし、そこが間違いなのです。
 歴史と地理と政治経済は、実はすべて同一です。いや、同一のものとして扱わなければならないのです。どのような意味で? それは、生きている人間が自らの欲望を実現するための舞台がこの世界であり、そのための手段が政治経済であり、その結果を書いたのが歴史だからです。別の言い方をすれば、この世界は欲望と闘争の世界であり、その記録が歴史です。みなさんは、自分がこれから生きていく世界がどのようなものであるかを知り、その闘争の中に入っていかなければならないのです。政治経済、地理の知識が無い人間は、そして歴史から学ばない人間は、他人に精神的に、そしておそらくは実際的にも支配される人間になるでしょう。つまり、奴隷的国民になるわけです。
 ある意味では、これまでの社会科教育は、その科目を退屈なものにすることによって、日本人の社会意識そのものを希薄にし、政治参加の意欲を失わせたという点で、為政者(官僚や政治家)や社会の実質的支配者(経済的支配層)たちにとっては有益なものだったでしょう。国民の無知や無気力ほど上の人間にとってコントロールしやすいものは無いのですから。だが、それによって精神的な奴隷となっているのが今の日本人なのです。
 みなさんは、いや、我々はもっと真剣に社会科を学ぶ必要があります。学校や予備校の社会科だけではなく、また、スポンサーの意向によって偏向を受けている新聞テレビなどのマスメディアだけでなく、様々な書物やインターネットなどをとおして真の情報を手に入れ、この社会について自らの頭で正しく判断できる人間にならねばなりません。そして、選挙の投票行動を通して、この社会をより良くしていく必要があります。今の社会が悪いのは、確かに、今の大人やその前の世代の無知と無責任のためですが、その原因は実は彼らを無知に追いやった社会科教育のためであり、彼らも被害者なのです。この悪循環をどこかで断ち切らないと、日本に未来は無いでしょう。
 この本は、一応は高校生のための社会科参考書ですが、そこに述べてある事柄のほとんどは、他の参考書にも出ていることです。いや、ほとんどの教科書や参考書は記載された事実や資料に違いはありません。大事なのは、その書物が生きるための武器となるかどうかであり、興味深く、効率的に学べるテキストかどうかなのです。
 では、現代世界(「現代社会」では、限定された科目の話になりますから、私のこの本の題名は「現代世界」とすることにします。)を学ぶポイントは何でしょうか。私の考えでは、それは、次のようなものです。①、②、③、④は世界の見方、⑤は勉強の仕方です。

① 政治は経済を目的として動いている。(簡単に言えば、誰か…個人や団体…が、自分が得をするために政治的手段でそれを実現するということです。)
② 経済は、物的人的資源を金に換える手段である。したがって、地理と経済は密接に関連し、政治とも関連する。(たとえば、ある国が戦争を起こすのは、正義や大義名分のためではなく、その裏に常に金や利益という目的があるということです。)
③ 近現代史は西欧(注:「西欧」は「西洋」の誤記。以下同様)中心の歴史として捉えねばならない。(もっと露骨に言えば、現在の世界は、十九世紀から二十世紀前半に西欧国家が世界を支配したその延長にあり、弱小の国々は、外見上は独立国家でも、実質的には元の宗主国等の支配を受けているということです。日本は十九世紀の侵略からは免れましたが、第二次世界大戦での敗戦によりアメリカに占領され、サンフランシスコ平和条約で名目的には独立は果たしたということになっていますが、今なお日本の中に米軍基地が居座っているという「被占領国家」です。)
④ 国家と国民と政府は区別して捉えねばならない。(これは、我々が日常的にやりがちな誤りです。たとえば、日本の国債残高が何百兆円あって、それは国民一人当たり何百万円の借金に当たるという「説明」がよく新聞に載りますが、借金したのは政府であって、国民ではありません。そうした言い方で責任の所在を誤魔化すのはよくあることです。一般に、新聞記事は「誰が何のためにそういう情報を流しているのか」という視点で見る必要があります。)
⑤ 一般的に、物事の幹となる部分と枝葉の部分を分け、まずは幹となる部分を身につけた上で枝葉の部分を勉強していくこと。(地理で言うならば、まずは西欧の大国と、その関連国家を学ぶべきだということです。たとえ大国でも現代世界の主役ではない南米やアフリカの諸国は最初からは学ぶ必要はありません。また、小国でもベトナムやカンボジアのように大国の植民地政策の犠牲になってきた国々や、現在の世界の焦点である中東諸国は、政治の実際を知るためにも学んだほうがいいでしょう。歴史なら、まずは近現代史のトピック的事件を中心に学ぶべきです。)

 では、これから一緒に「現代世界」について学んでいきましょう。ただし、勉強の主役はあなたであり、自ら主体的に学び、調べていくという姿勢が無いと、ここで学んだものは役に立たないと思ってください。それでは、いざ、未知の世界へ!



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