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高校生のための「現代世界」政治経済編2

第一章 民主主義の難問
 
 日本は、豊かな国か貧しい国かと言えば、それは豊かな国でしょう。今のところは平和で安全な国でもあります。しかし、これからの日本は、豊かでも平和でもなくなる可能性が高いのです。その危険を避けるには、国民の一人一人が政治や経済について考え、語るようになることが大事です。そして、国民が自分の頭で政治的判断をし、それを政治に反映させるようになったとき、真の民主主義の国が生まれます。
 正しい情報さえ与えられれば、集団としての国民は、けっして間違わないと私は信じています。国民の大多数が間違った判断を下したのは、いつも、国民に正しい情報が隠されていた時だったと思います。日本を敗戦に導いた第二次世界大戦時の軍部エリートや、日本をバブルに追いやり、バブルを崩壊させ、大不況を招いた大蔵官僚や日銀指導者という政治や経済のエリートなどを見ていると、ああいう学校秀才は本当は頭が悪いのではないかと思わざるをえません。もしも、分かっていて国民にあれほどの害を与えたとするなら、とんでもない悪党どもです。
 一部エリートがではなく、国民全体が政治の方向を決めるのが民主主義です。単に、正体不明の「主権」が国民にあると聞かされるだけでは、民主主義の実質はありません。その意味では、本当の民主主義は、代議制ではなく、直接民主制しかありません。(代議制とは、国民が選挙で代議士を選んで、その代議士に政治権力を代行してもらうことです。しかし、近代初期にルソーがすでに述べているように、「選挙民は選挙の間だけ主権者であり、選挙が終わるとその主権は奪われている」というのが代議制の実情です。主権は代行できない、というのが、ルソーが見抜いたことなのです。「一般意思は委譲できない」とルソーは言っていますが、主権者の意思というのが、この「一般意思」の正しい解釈でしょう。)
 もちろん、直接民主制には大きな問題があります。それは、国防などのように機密を要する問題は、国民全体に知らせるわけにはいかず、従って、国民が政治的判断を下すわけにはいかないということです。だが、それも軍事専門家(軍人)の作った神話ではないでしょうか。国民は、何も軍事機密のすべてを知る必要はありません。軍人が、国民が政治判断をするのに必要な情報だけを政治の場で公開すれば、それに基づいて判断するだけのことです。(軍人も含め、官僚というものは、国民の利益よりも自分の所属集団の利益を優先させる習性がありますから、官僚が政治を独占するのは、……国民は官僚をやめさせる手段がありませんから……一応は選挙によって選ばれる政治家に政治を独占されるより弊害が大きいのです。)
 我々は、政治家の公約で判断して投票し、政治家を選びます。しかし、新しい政治的問題は、その公約の中に無いことのほうが多いのです。つまり、我々は常に過去の情報で選んだ人間たちに新しい問題を任せるしかないのです。これが、代議制の問題です。もしも、本当に国民の意思を代議制に反映させるのなら、新しい政治課題が浮上するごとに新しい代議士を選ぶべきでしょう。いや、代議制の本質が、国民の意思の代弁であるならば、最初から、国民投票で決定したほうが、もっと合理的なはずです。もしも、直接民主制の結果、国民全体が間違った判断を下すのなら、その国民の一人として結果を甘んじて受けるだけのことです。
仮に代議制のままで民主政治を行なうならば、問題は、
① 国民に正しい情報が与えられているか?
② 国民の意思を政治家はその通りに実行しているか?
という2点です。
 そういう意味では、世界に民主主義の国など一つもありません。特に、日本は絶対に民主主義の国ではありません。国民には正しい情報は与えられず、政治家は常に国民の意思を無視していますから。国民は、マスコミによる情報操作で騙されているわけです。
 民主主義より、君主にすべてを任せたほうがいいという考えの人がいてもいいでしょう。プラトンも、すぐれた哲学者が国王になって国を治めるのが一番いい、なんて、哲学者の我田引水みたいなことを言っています。だが、いったいどこに、その哲人王はいるのでしょう。あの暴君ネロにしても、初期の頃は賢明な君主だと言われていたのです。君主制とは、常に独裁制に転ずる可能性のある、危険な政治体制なのです。
 昔は、直接民主制を行なうことは、技術的問題があって、困難でした。その代替案が代議制なのです。ところが、代議制によって利益を得ている政治家や、それを利用して利権を得ている経済人たちは、まるで代議制が永遠不変の制度であるかのように主張しています。その結果、政治家は二世、三世と、まるで世襲の職業のようになってしまいました。庶民生活も知らない金持ちたちが、庶民の税金を決め、庶民を縛り、自分たちにとって都合のいい法律を決め、庶民を戦場に送り、自分たちはのうのうと甘い汁を吸って生きていくわけです。
 代議制の問題の一つに、選挙制度があります。どのような選挙制度が国民の意思を適切に結果に反映できるのでしょうか。一つの選挙区で一人の国会議員だけを選ぶ小選挙区制度には、選ばれなかった人間に投じられた票がすべて死票になるという欠点があります。一つの選挙区から複数の議員を選ぶ大選挙区制度は、常に、ある程度の野党議員の人数が保証されます。
 実は、民主政治を代議制度で行なうなら、野党の存在は絶対的に不可欠なのです。議会の過半数が与党で占められた場合、あらゆる法案は、与党の意思だけで決定でき、審議そのものが無意味になるのです。与党とは国民の意思の多数派を代表するのだから、それでいいという考えもありますが、はたしてそうでしょうか。ある党派に属していても、すべての政治課題について意見が同じであるはずはありません。しかし、いわゆる「党議拘束」によって、与党の中の、そのまた一部の人間の意志が与党全体を拘束し、結果的に国会の議決を支配しているわけです。これは、民主主義なのでしょうか? もしも国会が議論の場、討議の場でないなら国会に何の意味があるのでしょうか。一人一人の人間が、自分の信念に従って行動し、国政の諸問題について判断を下すからこそ国会なのです。もしも党議拘束を認めるなら、与党が国会の過半数を占めた段階で、官僚や与党議員の意図は、すべてはフリーパスになるのです。国会答弁は、国民の目を誤魔化すためのセレモニーにしか過ぎません。そして、それが実は現在の国会の姿なのです。
そもそも、選挙の過程からすでに大きな問題があります。
 選挙では、普通、何人かの人間が立候補して、そのうち上位の(小選挙区なら最上位の)人間が当選します。最近の国政選挙の、投票率の平均は50から60パーセントくらいですから、最上位の人間が投票数のうち50パーセントを得て当選したとしても、(実際には40パーセントくらいで当選します。)それは有権者全体の25パーセントを代表するものでしかありません。そのようにして集まった与党議員が議会の多数派を占めたとしても、それは国民の意思を代表したことにはならないでしょう。つまり、現在の代議制度は、「我々国民には、政治を考える頭も暇も無いから、お偉い代議士先生に、すべてを任せて考えて貰おう」ということなのです。しかし、もと芸能人やプロレスラーが、大多数の国民より政治的判断力があるとは信じがたいところです。また、元官僚は、もとの官僚社会との腐れ縁があって、彼らの有利なように行動します。もと大学教授にしても、だいたいはいかがわしいタレント教授であり、能力ではなく社会的知名度で選ばれているだけです。そうなると、確かに民主制というものは衆愚政治になり、君主制のほうがましだとなるでしょう。しかし、これは本当に民主制なのでしょうか。国民の意思は、いったいどれだけ反映されているのでしょうか。
 今後の日本ではさらに大きな問題があります。選挙制度の原則は、秘密投票の厳守ですが、電子投票制度が実現すると、この秘密投票は保証されません。電子的記号は、一瞬のうちに移動し、表面上の痕跡を残しません(残るのは、痕跡を残すシステムにしてある場合だけです。)から、誰が誰に投票したかを投票者に知られずに知るのは容易でしょうし、データを改竄して投票結果を勝手に変えることも容易でしょう。つまり、もはや国民は政治にノータッチになるわけです。いや、政府に反対する人間は、野党に投票した段階で、様々な迫害を受ける可能性もあります。多分、このままだと近いうちにそうなるでしょう。その布石が住民基本台帳です。思想傾向、犯罪歴、職歴、病歴、税金の支払い状況、家族関係など、国民のあらゆるデータを一元管理し、その弱みを握って、体制維持に不都合な人間をいつでも排除できるようにしておくわけです。いわば個人別データベースですが、それが他人に握られることの恐ろしさを想像してみてください。現在は住民基本台帳の記録項目は限られていますが、それはいつでも増やせるのです。あなたのやった些細な規則違反(階段を上る女生徒を下から見上げたら、パンツが見えてしまったのを、覗きをしたとされるとか。これは「規則」違反ですらないが、この程度でも大の大人を社会的に抹殺することもできるのです)によって、あなたが逮捕されるという、そういう時代が来る可能性は高いのです。
 最後に、民主主義の最大の問題は、議決方法にあります。ふつう、多数決によってしか決定はできませんが、最大多数である判断が最善の判断かどうか保証はないし、また、いわゆる「数の暴力」で多数者が少数者の意見を圧殺することもあります。この問題は、たとえば、映画「十二人の怒れる男」のように、重要な問題では全員一致を原則とし、一人でも反対があれば全員が一致するまで何度でも審議するというシステムを一部に入れるなどの方法で解決するしかないでしょう。
 以上、まとめておきます。
① 民主主義は、最善の政治・社会システムである。
② ただし、それは、真の民主主義が行なわれている場合のみである。現在の世界で、真の民主主義が行なわれている国は存在しない。
③ 真の民主主義は直接民主制のみである。
④ 真の民主主義が行なわれる条件は、国民が正しい政治的情報を得ていることである。
 
 新聞、テレビ、雑誌などのマスコミは、広告収入で生活しています。ですから、大手スポンサーの意向に逆らうことはできません。(マスコミとスポンサーをつなぐのが電通などの大手広告代理店ですが、そこの社員のほとんどは大企業の経営者や幹部の二世三世だというのは有名です。)また、自分から政治権力にすりよって、体制擁護の働きをしている新聞や雑誌などもたくさんあります。むしろ、そうでない新聞のほうが珍しいくらいです。テレビは、政府に不都合な報道をすると監督官庁に意地悪い報復をされますから、民放でも政府に対する批判的な報道は、ほとんどやりません。NHKなどは、世間では「国営放送」と思われているくらい、政府べったりです。つまり、日本国民が政治的に信頼できる情報、役に立つ情報を得ることは、相当に困難なのです。これが、日本人の大半に政治的判断力が無い原因なのです。
 しかし、その情報が誰から流され、それによって誰が利益を得るのかを常に考えるなら、無数の偽情報の中から真実を見抜くことも不可能ではありません。たとえば、学校教科書の中からだけでも、世界の近現代史は、西洋文明の世界侵略の歴史であるという事実ははっきりと分かるのです。我々は、推理小説を読むように現実の世界を「読む」べきです。ぼんやりと眺めているだけでは分からないことが分かってくると、現実の世界は、フィクション以上に面白いと思うようになるでしょう。

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