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高校生のための「現代世界」2

第一部 近現代史

 前書きで書いたように、世界の近現代史は、西欧文明の侵略の歴史です。ただし、ここで言う西欧文明とは、経済的自由主義、つまり、自らの経済的利益のために何をしてもいいという強欲な考え方のことです。さらに、その根底には西欧人以外の有色人種への差別意識があります。ヨーロッパ人によるアメリカ原住民の虐殺と領土強奪や、メキシコのマヤ文明の破壊と虐殺、南米のインカ帝国の破壊と虐殺は、そうした西欧文明の精神から来るものです。あるいは、過酷な労働のためにわざわざアフリカから黒人を運び、牛や馬のように働かせるという非人間的な奴隷制度も、その精神の表れでしょう。これらの非人間的行為が、なぜキリスト教の言う「愛」の精神と両立するのか、疑問に思った人は多いと思いますが、キリスト教はもともとユダヤ教の一分派でしかありません。そして、ユダヤ教とは、選民思想を土台とした宗教ですから、他民族は人間として扱う必要は無いのです。西欧文明の根幹は、教会に指導されたユダヤ教的キリスト教なのです。
 以上のような「西欧文明の精神」についての理解が無いと、歴史は理解しにくいものとなるでしょう。欲望の無いところにドラマは生まれません。そして、貨幣制度が世界に広まって以来、人々は欲望の実現手段である貨幣や貴重物資の獲得のためにあらゆる闘争を重ねて来ました。その結果が歴史なのです。みなさんは、その「本音」と「口実」を区別して捉える必要があります。悪行を為す者は、常に美名を口実としますから。
 では、近現代史をどのように概観すればいいのでしょうか。
 まず、言っておきたいことは、客観的な歴史はありえない、ということです。すべての歴史は勝者の歴史であり、勝者にとって都合の悪い事実は捨てられ、修正され、捏造されています。我々の為すべきことは、そのようにして残ってきた「歴史」の中から、真実の姿を見抜くことです。言葉を換えれば、主観的であることを恐れるな、ということです。これから私が書く近現代史概観は、無味乾燥な学校教科書の中から、私にとって重要と思われる「事実」をつなぎあわせ、解説したものです。つまり、「西欧文明の精神がもたらした歴史」という一つの視点によって眺めれば、歴史は非常に分かりやすいものになるということです。
近代はいつから始まるか。一般的にはルネッサンス時代からでしょうが、私は、封建制度、つまり単なる暴力(武力)による支配が崩壊し、経済的な力を持つ市民(ブルジョワ階級と言いますが、これは一つの階級ですから、この言葉を単なる「市民」と区別する必要があります。)が政治的にも強大な力を持ち始めた頃が近代の始まりだと考えています。近代の始まりを告げるのはフランス革命だと言っていいでしょう。
 まずは、フランス革命に先立って、アメリカ独立戦争(これは、植民地アメリカが、宗主国イギリスに対して行なった独立革命です。)がありました。[1775~83]
 この「革命」の成功がフランス革命に与えた影響は大きいものでした。
 そして、1789年にフランス革命が起こります。これは、宮廷の奢侈や戦争から来る財政難を解消するために、それまでの特権身分(貴族や聖職者)にも課税をしようとしたことから、貴族が国王に反抗し、始まったものです。その貴族の反抗が、貧困にあえぐ都市民衆や農民を巻き込んで革命へと発展していったのですが、やがてブルジョワ階級を中核とするジロンド派と、庶民の利益を代表するジャコバン派が対立し、最終的にはジロンド派が革命の主導権を握り、革命を終結させます。
 フランス革命は、現在の民主主義の出発点と言ってもいいでしょう。しかし、同時にそれは資本主義の出発点でもあります。それ以降の世界は、武力で政権を握った政治的支配者と、経済的実権を持つ資本家が協同し、時には対立しながら世界の政治は動いていくことになります。
 イギリスでは、フランス革命に先立って、ピューリタン革命[1640~60]と名誉革命[1688]の二つの革命があり、それをイギリス革命と言いますが、ここでも、最終的には貴族や富裕な商人たちが実権を握り、庶民とはほとんど無縁な革命で終わります。
 イギリス革命によって、イギリスでは議会が政治の決定権を持つようになりますが、議会に代表を送れたのは貴族と富裕層のみであり、議会活動の中心的な目的はブルジョワ層の私有財産権の保護にありました。国と国の経済闘争が戦争であり、一つの国の中の、ある身分と他の身分の経済闘争が革命であると言っていいでしょう。革命の起爆剤は社会上位層の権力闘争ですが、それが革命となる原因は、やはり腐りきった政治や社会への民衆の不満にあります。フランス革命は、現在の人権の出発点として大きな意義があります。
 さて、イギリス革命やフランス革命によって国王からの過度な干渉を受けなくなった富裕層は、大きく発展していきました。その「自由な」経済活動の一つの例がロスチャイルド家で、彼の一族は、ナポレオンがワーテルローで負けた時、その情報をいち早く手に入れ、逆にイギリスが負けたという偽情報を流してイギリス国債を買占め、一夜でそれまでの財産を数千倍(数十倍ではありません)に膨れ上がらせたといいます。もちろん、それで大金を失って没落した貴族や商人が無数にいたわけです。
情報を握った者が富を支配するということがすでに分かっていた人間は、この頃から国を越えて商売をするようになっていきます。現在の「多国籍企業」は、18世紀にはすでに存在していました。ロンドン、パリ、ウィーン、ナポリ、フランクフルトにそれぞれ銀行を持っていたロスチャイルド家はそれです。中世では、自らは労働せずに金で金を生むという金融業は軽蔑の対象であり、ユダヤ人だけがそれを行なっていましたが、世界の産業の規模が大きくなるにつれて、生産的な活動よりも金融や投機のほうがはるかに巨額の富を生むことが知られてきたのです。
 イギリスで産業革命が起こるのは18世紀ですが、産業の発展には「資本・労働力・市場」が必要です。イギリスでは、穀物の値段騰貴のため、資本家が地主から広い土地を借りて大規模な農業を行なうことが起こり、そのために小作地や共有の土地から追い出されて働き場を失った小作農民は都市へ移動しましたが、そうした人々は、その頃から発展し始めた工業のための労働力となったのです。こうして、イギリスでは世界に先駆けて産業革命が進行しました。これがエンクロージャー(囲い込み)と産業革命の関係です。
 16世紀から19世紀は、またヨーロッパ諸国が世界の各地を侵略した時代でもあります。実は20世紀も21世紀もその延長線上にあるのですが、16世紀から19世紀が何一つ隠すことのない侵略の時代であったのに対して、20世紀から後は美名に隠された侵略行為になるので、その正体は見づらいものになっていきます。
 ここで、少し歴史を遡ります。地理上の発見時代とか大航海時代と言われたのが15世紀末から16世紀前半ですが、その動機はもちろん富の獲得にありました。コロンブスのアメリカ発見[1492]、マゼラン一行による世界周航の実現[1519~22]などによって世界像が明確になるにつれて、ヨーロッパ諸国は富の獲得のために未知の世界へと進出していきます。初めはポルトガルとスペインが主導権を握り、ローマ教皇が勝手に、新大陸はスペインのもの、アジアはポルトガルのもの、などと決めたりしています。この一事によっても、そこに住んでいる住人は最初から権利を認められず、人間らしい存在とはみなされていなかったことが分かります。
 そうした意識の現れが、前にも書いたコルテスによるアステカ文明(アズテック、マヤ)の破壊、ピサロによるインカ帝国の破壊です。彼らはそれらの土地の大半の住人を殺した後、残った人々は奴隷にして鉱山の採掘作業などの強制労働に酷使し、過酷な扱いのために原住民の数が減ると、今度はアフリカ大陸から黒人奴隷を輸入して働かせました。そのためにアフリカでは奴隷狩りが行なわれたのです。家畜以上にひどい扱いのために、輸送途中で死んだ黒人奴隷も無数にいました。(およそ3分の1の割合で死んだと言われています。)
北アメリカでは、1620年にピルグリム=ファーザーズと呼ばれる清教徒の一団がメイフラワー号でアメリカに渡ったあと、アメリカ北東岸にニューイングランド植民地を形成し、オランダ、フランスとの主導権争いに勝って北米大陸の大半をイギリス支配の植民地としていきます。その過程で、先住民族であるアメリカ・インディアンはその居住地域を圧迫され、土地を奪われていきました。ヨーロッパ人の侵略に怒ったインディアンたちは彼らと戦いますが、鉄砲などの威力に敗れ、大量に殺されました。
現在のアメリカ合衆国は、そうしたヨーロッパ人の土地強奪(あるいは、詐欺に近い買収。当時のアメリカ・インディアンは、土地私有の概念が無かったため、驚くほどの安い値段で、土地を白人に売ったのです。)によって生まれた国であり、その本来の所有者(土地を私有して良い、というのは、実は一つの考え方でしかありません。土地は、本来は誰のものでもないのですから)は今ではインディアン居住区に押し込められて生活しているのです。また、アメリカ南部を中心に、綿花や煙草の栽培のために黒人奴隷が大量に輸入され、現在も続く人種差別問題の源となりました。
 スペイン、ポルトガルに続いて、イギリス、フランス、オランダも植民地獲得の競争に乗り出し、船や港を襲う海賊行為も頻繁に起こりました。特に、イギリスの海賊船である私拿捕船は、国からイギリス海軍に準ずる扱いを受け、その親玉のドレークやホーキンスは一種の国民的英雄ですらありました。当時の(あるいは、政治経済的上層部は現在でも)西欧民族のモラルはこの程度のものです。
 ヨーロッパの植民地は、南北アメリカ大陸だけでなく東南アジアにも広がりました。昔からその土地にいた豪族たちは、自分たちの勢力争いにヨーロッパ人の手を借りようとして、やがてそれらの土地のすべてはヨーロッパ人たちのものになっていったのです。それを考えると、徳川幕府の鎖国政策は、必ずしも全否定されるべきものではなかったと言えるでしょう。特に、キリスト教が侵略の手引きになっていたことについて、当時の為政者は正しい認識をしていたのです。秀吉や家康など、当時の政治家(武将)は、現代の政治家や官僚などより、はるかに冷徹で合理的な判断をしていたと言って良いでしょう。
 18世紀なかばから19世紀前半にかけて、イギリスはインドを手に入れ、さらにアフガニスタンを保護国とし、ビルマを植民地としました。同様にフランスもインドシナ(現在のベトナム)を手に入れ、シンガポールなどを拠点にマレー半島に手を伸ばしたイギリスと対立しますが、すでにオランダ領となっていた東インド諸島(現在のジャワ、スマトラ、ボルネオの一部)もふくめ、ヨーロッパ各国による東南アジアの分割と棲み分けは19世紀末にはほぼ完了します。
これらの植民地でいかにひどい搾取が行なわれたか、学校教科書ではほとんど教えられませんが、たとえばイギリスが、そのころ発達しはじめた自国の機械織りの綿布を売るために、それまで世界でもっとも発達していたインドの綿布産業を弾圧し、織物職人が布が織れないように手首を切り落とした話などに、目的のためには手段を選ばない西欧文明の残虐な一面が良く現れています。(こうした負の側面を記述することに対し、たとえばインドで鉄道や港が整備されたということなどを正の側面として記述するべきだという意見もあるでしょう。そうした優等生的見解は、学校教科書に任せておきます。私のこの本は、従来の家畜養成教科書では無い、劇薬としてのテキストですから。)
 西欧文明の非道義性をもっとも良く表した事件は、アヘン戦争[1840~42]でしょう。
イギリスから中国(当時は清)に輸出される麻薬であるアヘンの害悪に困った中国は、1839年にアヘン輸入を禁止しますが、これに対し、イギリス側は武力に訴えて中国を屈服させ、上海その他の5港の開港と香港の割譲などを認めさせました。
 1868年の明治維新によって新国家としてスタートした日本は、西欧流の侵略による国力の拡大を狙って朝鮮への進出を図り、その宗主国である清と対立し、1894年に日清戦争が始まりました。この戦争に日本が勝ったことは、中国の意外な弱さを世界に知らしめ、ロシア、フランス、ドイツ、イギリスはそれぞれ中国各地を租借(一定期間借りて統治すること)することを中国に認めさせました。アジア植民地争奪戦に遅れたアメリカは、「門戸開放宣言」(中国の門戸開放、機会均等、領土保全を主張したものですが、要するに、自分たちにも分け前を寄越せ、ということです。)で西欧列強を牽制します。
 日清戦争で意外な勝利を収めた日本は、その後、南下政策で満州から朝鮮を狙うロシアと対立し、1904年、日露戦争が起こります。日本海海戦での日本の大勝利の後、大陸での戦いは苦闘が続きますが、戦争の途中、革命運動などで戦争遂行能力を失ったロシアは、日本との間にポーツマスで講和条約を結びます。しかし、この戦争で日本の払った犠牲は大きく、また、この勝利で肥大した軍部の自惚れは、昭和初期の軍人支配の土台となります。つまり、日清、日露両戦争は、近代日本の成長の過程であると同時に太平洋戦争の遠因でもあるのです。まあ、ここで日本が負けていたら、近代日本はそこで終わりだったわけですが、その幸運な勝利への度を越した賛美はやめたほうがいいでしょう。その後の日本は、「三四郎」での夏目漱石の予言的言葉どおりに「滅びる」ことになるのですから。
 こうした19世紀末から20世紀初頭にかけての列強の対外膨張政策は、金融資本の産業支配の結果、限界に達した国内市場から商品と資本のはけ口が海外に求められたもので、難しい言い方をすれば、「独占段階に進んだ資本主義体制」の表れで、それを「帝国主義」と言います。そして、現在の歴史認識の問題点は、実は世界は今もなお帝国主義の段階にあることが隠されていることなのです。要するに、弱い者を食い物にして、強い者が繁栄するということです。西欧文明のもう一つの側面である科学技術の向上によって世界のほとんどの国で生活水準は上がっています。だが、政治的経済的な略奪と搾取の行為は前と変わらず続いているのです。たとえば、これほどに文明の進んだ時代に、なぜアフリカ諸国はあれほどの貧困の中にあるのでしょうか。南米諸国はなぜ経済的な発展ができないのでしょうか。詳しい中身を知ることは不可能ですが、大きく事象全体を見れば、そこに恒常的な搾取の事実があるはずだと判断できます。たとえば、先進国が後進国に金を貸すことや、援助をすることなどは表面的事実です。しかし、現実にはその資金を用いた事業は先進国の企業が請け負って、金儲けをしたりしているのです。そして、借金には当然ながら利息がつきます。貧しい国は目の前の餌につられて、自分の首を締めているわけです。
 ここで気をつけたいのは、こうした帝国主義的侵略行為をしてきたのは、明治以降の日本も同じだということです。日本はお隣の朝鮮を侵略し、併合して日本の領土としました。台湾も同様です。こうした過去に対して、それは当時の時代背景からして許されることだ、とか、日本が朝鮮や台湾を併合したことで、その地の文化や生活水準が向上した、という言葉が、日本の保守派の論者からよく発言されますが、相手を殴ってから頭をなでても、殴った罪が許されるわけではありません。相手側が、過去は過去として水に流そうと言うのならともかく、加害者側が言う言葉ではないでしょう。

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