私は俳句や短歌は好きだが、趣味にしているわけでもなく、他人の詠んだ俳句や短歌をさほど真面目に読んだこともない。
まして、句や歌の中に人生を詠嘆するような、あるいは哲学を入れたような作は嫌いなほうだ。
だが、それも物によりけりで、先ほど読んでいた川上弘美の或る随筆の中に出てきた俳句は、実に鬼気迫るもので、よくこういう俳句を詠めたものだ、と思う。
同じ文章の中に先に出ていた飯田蛇笏の句は名句として有名だが、私にはピンと来ない。と言うより、「プロ俳人がいかにも詠みそうな職人的技巧味や抹香臭さがある」としか思わないのだが、先にその句を挙げておいて、後の句と比べてみる。
たましひのたとへば秋のほたる哉 (蛇笏)
何を言っている、名句中の名句だろう、と文句を言う声が聞こえそうだが、とにかく、次の句と比べてみてもらいたい。
じゃんけんで負けて蛍に生まれたの (池田澄子)
どうだろうか。これを読んでぞっとするような怖さを感じないだろうか。
これを言う少女の声が耳に聞こえないだろうか。
亡くなった少女が、じゃんけんで負けて蛍に生まれ変わる怖さ。
単なる生まれ変わりでなく、それが「じゃんけんで負けた」結果である怖さ。
私は輪廻を信じない人間だが、仮に輪廻があって、その輪廻がたとえばじゃんけんで決まるとしたらどうだろうか。
ついでに言っておけば、蛇笏の句は「たとへば」の語句だけで、理に堕ちている。
「魂というのはたとえて言えば、秋の蛍のようなものです」という散文と何も変わらないのである。その散文を手慣れた575にしただけだ。「秋の蛍」もさほどの比喩でもない。
まあ、理屈だから悪いと断定もできないし、好き嫌いは個々人の勝手である。
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