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「キリストは何を言ったか」の雑な要約

4福音書の中で最古だと言われる「マルコによる福音書」の中にはキリストの言葉として特に興味深いものは無い。というより、これは「イエスの人生の出来事の記録」であって、その教えそのものをあまり記録していない感じだ。
一方、「マタイによる福音書」は反対に、イエスの言葉が非常に多い。ということは、私がイエスの言葉を抜き出すまでもなく、「マタイ福音書」(特に山上の垂訓)を読めばイエスの思想は分かるわけで、この企画はやめることにするwww
まあ、要するに「神を信じろ」「外面ではなく内面が大事だ」「神を信じる者、神の教えを守る者だけが天国に行ける」ということで、後は世間知や人生訓として、あるいは道徳として素晴らしい言葉がいくつも述べられている。キリストのオリジナルな思想として「神への信仰と地上の富とは両立しない」という、資本主義全否定の思想があるwww 「金持ちが神の国に入るより、ラクダが針の穴を潜り抜けるほうがずっとたやすい」
ちなみに、「神の教え」をキリスト自身はこう要約している。1~5はたぶん「十戒」にもあるが、6はキリストのオリジナルだと思う。ここには書かれていないが、「他者に寛容であれ」ということも言っていたはずだ。キリスト教が「愛の宗教」と言われるゆえんだろう。

1:殺すな
2:姦通の罪を犯すな
3:盗むな
4:偽証をするな
5:父母を敬え
6:自分を愛するように、自分の隣人を愛しなさい




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「キリストは何を言ったか」前置き

私はキリスト教に関心はあるが、聖書すらきちんと読んだことは無い人間であり、自分のキリスト教理解が底の浅いものだとは重々承知している。しかし、基本的に「創造主」という存在はまったく信じられないので、そうなるとキリスト教の細目がいかに道徳的に良くても、それについて考察する価値も無さそうに思ってしまうわけだ。
だが、前にキリスト教の成立についての論文、つまり「キリスト教」と呼ばれる宗教は、キリストと呼ばれる人物の言行の記録を基にしてパウロという「原始キリスト教」迫害者が創設したローマ・キリスト教で、それは本来のキリストの教えとは別物だ、という説を書いたのだが、それはキリスト教研究者にとっては常識だったようだ。
では、キリスト自身の教えはどんなものか、それには新約聖書の中のキリストの言葉を抜粋するしかないと思うのだがその作業をするのもなかなか億劫ではある。とにかく、イエス・キリストという人物が実在し、当時のユダヤ教とはかなり異なる「新ユダヤ教」「異端ユダヤ教」を教えていた、というのが歴史的事実だろう。面倒な作業ではあるが、新約聖書や、できればキリスト教の正典から除外された外典から「イエス・キリストの教え」を抜粋したら、それが本当のキリスト教だろう、と思う。そこで、とりあえず、手元の「平明訳・新約聖書」(角川文庫)から、キリストの言葉の中で、その教えの中の基本的な思想を少しずつ抜き出す作業をしてみることにする。ただし、私流に言葉を要約する場合が多くなるかと思うので、例によって「我、刷毛の影もて馬車の影を刷く御者の影を見たり」となるかもしれない。

「キリストの言葉」の抜粋は、もっとも古く、キリスト生前の時代に近い「マルコによる福音書」を中心にする。
キリストと悪魔との会話など、単なる説話か創作らしいものは除外する。また、キリストは「聖書」つまりユダヤ教の聖書を常に引用するが、それ自体が「シン・キリスト教」(つまり、これまでのキリスト教ではなく、私流の「キリスト教」。「新・キリスト教」かもしれないし、「真・キリスト教」かもしれない。)の本質の一部を示すと思われる場合は、抜粋して載せる。

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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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