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近代日本の「乱世」と日蓮宗(松岡正剛「千夜千冊」より)

明治中期、日蓮主義を研鑽する在家の蓮華会・立正安国会を組織した田中智学は、大正3年にこれを国柱会に組み立てなおすと、多くの共鳴者が輩出していった。国柱会というネーミングには、日蓮が『開目抄』のおわり近くに謳った「我、日本の柱とならむ。我、日本の眼目とならむ。我、日本の大船とならむ」というメッセージを引き継ぐ気概がこめられていた。
 その智学の弟子に山川智応がいて、日蓮文書の詳細な解読に当たり、『三大秘法抄』は偽書ではなかったという見解を示した。最近のAIコンピュータによる文体解析でも、同様の結論が示されている。
 国柱会が主導した日蓮主義運動は、山川智応、里見岸雄(智学の三男)によって開展していった。それは日本中世には「王仏冥合の国体思想」がすでに動向していたという強い見解となり、そこから法華経思想と日蓮思想が新たな「日本国体学」の骨格として過剰に強調されていくことになった。
 かれらは仏教者というより、仏教思想者として日蓮主義謳歌のための著作を次々に発表していった。智学には『宗門之維新』『日蓮主義教学大観』『日本国の宗旨』などが、山川には『日蓮聖人研究』『法華思想史上の日蓮上人』『乙酉決答:日蓮主義の大東亜戦争観』などが、里見には『日蓮主義の新研究』『日蓮上人聖典の新解釈』『法華経の研究』『日本国体学総論』ほか、夥しい著書がある。
 著作の中身は、いずれも法華経主義、日蓮主義、ユートピア主義、日本主義で満腔になっている。
 これらに共鳴したのが、石原莞爾であり、いっときの宮沢賢治(900夜)であり、北一輝(912夜)や井上日召だった。そこには国体論、天皇主義、八紘一宇論、一人一殺のテロリズム、五族協和の構想、大東亜共栄圏がユートピックに出入りした。いずれも仏国土を謳うものではなく、法華ナショナリズムになっているわけでもなかったものの、その主唱者には法華経主義者が多かった。
 なぜ、こんなふうになっていったのか。もしこうした言説や行動が日本仏教が選択し、到達したひとつの頂点だったとしたら、どう説明すればいいのか。残念ながら日本のオーブツミョーゴー(夢人注「王仏冥合」)は激しく歪んでいったのだと言わざるをえない。


 実際には多くの伝統仏教の陣容は皇国主義やナショナリズムの趨勢には与していなかったし、王法の頂点に担(かつ)ぎ上げられた天皇制は、敗戦とGHQの介入によって「民主化」されたことによって、長らく魔法のように語られてきた王仏冥合の呪縛を解かれたのだったろう。けれども仏教界は、こうした趨勢を阻む勇気を持ち合わせていなかったとも言わざるをえない状況の中にいた。
 ところで、こうした近代日蓮主義運動については、21世紀の足音が近づいてきてから、大谷栄一の『近代日本の日蓮主義運動』(法蔵館)や『日蓮主義とはなんだったのか』(講談社)が詳細に、かつ鮮やかに描き出すことになった。ぼくは千夜千冊に寺内大吉の『化城の昭和史』(378夜)をとりあげて、そのあたりの多少のマッピングをしてみたことがあったけれど、大谷の研究はすこぶる本格的なもので、まさに近代日本のオーブツミョーゴー問題をまるごと攫っていた。また最近は石井公成監修の『近代の仏教思想と日本主義』(法蔵館)などが多面的な裾野を炙り出していた。
 とはいえしかし、智学の系譜の研究者や活動家による日蓮思想の解読が、そのまま日蓮の宗旨や著述や行動の解読になっているかどうかということは、いまだに同定しがたいままになっている。ましてその後の創価学会の活動これらの一端を底支えしているものかどうかというと、これまたなんとも説明しがたいものとして、不問のままなのである。

日蓮主義的思想に呼応する者たち。国柱会を創始した田中智学(左上図)は、日蓮の仏教思想を純信仰のみならず政治経済や文化、日常生活の意識にまで拡張する運動を提唱し日蓮主義と名付けた。国柱会員となった石原莞爾(右上図)は欧州戦史研究に加え日蓮宗信仰を軸に世界最終戦争論を構築する。日蓮主義運動に深く共鳴した宮沢賢治(左下図)は自身の作品を「法華文学」と呼ぶほどであった。北一輝(右下図)は政府要人宛に書いた『支那革命外史』の中で、幕府に『立正安国論』を献上し国家諫暁をしようとした日蓮聖人に自分をなぞらえている。
北一輝『霊告日記』(左図)。北は朝の習慣として誦経を欠かさなかったが、妻・すず子(右図)は誦経の最中に〈神がかり〉となり、謎めいたことを口走り、読解不可能な文字を書くことがしばしばあった。二・二六事件発生の二日後までの計七年間、北は妻の〈神がかり〉を記録し続け、解釈・解読して文字に直した。
図は宮沢賢治の手記のレプリカ。『雨ニモマケズ』の詩の最終ページに文字曼荼羅を思わせるような南無妙法蓮華経が連打されている。
賢治は無断で家出し岩手花巻から東京鶯谷の国柱会館(上図)に来るほど法華経に傾倒していた。昼は創刊されたばかりの機関紙『天業民報』(下図)を上野公園で配り、夜は会館で開かれる『毎夜講演』に通い詰めたという。

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