1933年、ドイツはその前に加盟していた国際連盟から脱退し、1935年、再軍備を宣言します。ドイツと同じくイタリアも、ムッソリーニ率いる右翼政党(つまり、反共産主義を唱え、資本家たちの支持を得ている政党です。)ファシストによる全体主義的国家に変わっていましたが、そのイタリアも恐慌による経済危機打開のために他国への侵略を図り、1935年、エチオピアへ侵入します。こうした右翼政権に共通しているのが、共産主義弾圧であり、世界の共産主義者とそのシンパ(賛同者)は、右翼の共産主義弾圧行為に対抗して人民戦線を各国に広げていきます。共産主義は、非現実的な政治経済思想ですが、ファッシズムに対して最初にはっきりと戦ったのは共産主義であったことは、注意しておくべきでしょう。当時の共産主義は、一種のユートピア的理想主義でもあったのです。理想に燃える純真な(というよりは、無邪気で騙されやすい)若者たちにとっての新しい宗教だったとも言えます。現在の共産主義のイメージの悪化は、第二次世界大戦後の「共産主義」国家の醜悪な実態や日本の学生運動の愚劣な現実のせいもありますが、資本主義社会での、人々の恐怖心を煽るマッカーシズム(いわゆる赤狩りです。)のような反共活動も大きく影響しているのです。つまり、政治の中心にあるのは、常に資産家階級の利害である、というのが、歴史の大原則だと考えていいのです。国家としての大義名分など口実にすぎません。しかし、どこの国でも国民の九割九分は様々な「教育」で洗脳されてますから、その事実に気がつかないわけです。まあ、私だって、自分が金持ちになったり、官僚になったりしてたら、同じことをするかもしれませんから、自分だけ清らかな顔をするつもりはありませんが。
1931年、関東軍の自作自演である柳条溝鉄道爆破事件をきっかけに満州へ進軍した日本は中国と戦端を開き、(これは満州事変と呼ばれ、まだ完全な戦争状態ではないミニ戦争です。)1932年には清朝の最後の国王溥儀を国王として満州国を建国しますが、国際連盟は満州国を承認せず、日本は33年に国際連盟を脱退します。
1937年、盧溝橋事件によって始まった日中戦争は、やがて日本対アメリカの太平洋戦争へとつながっていきます。この戦争を指導した参謀本部の軍部エリートがいかに馬鹿ばかりであったか、また、戦後に彼らがいかに責任逃れをしたか、興味のある人は、他の本などで読んでください。
1937年、日本・ドイツ・イタリアは、防共協定、つまり共産主義弾圧のための協定を結びますが、これが第二次世界大戦での枢軸国の土台です。つまり、この三カ国に共通しているのは、いずれも右翼政権が支配していた国であったということですが、それを単なるナチスやファシスト党や日本の軍部の問題にすりかえるべきではなく、それを支援していた資本家や経済的支配層の存在を無視するべきではありません。政治が国民全体に奉仕するのではなく、一部の人間の利益に奉仕することが、様々な不幸を生み出すのです。そして、敗戦によっても裁かれるのは政治家や官僚の一部であり、経済的支配層が戦争犯罪者として裁かれることは無いのですから、政治家や官僚は結局、経済人の手足でしかないと言えるでしょう。ついでに言っておくと、ナチスのユダヤ人殺害のための様々な施設の建設と維持を請け負ったのは、アメリカの企業だったようです。その企業が戦後に何かの咎めを受けたという話は聞いていません。
1939年、ドイツのポーランド攻撃に対し、イギリス、フランスはドイツに宣戦し、第二次世界大戦が始まります。
中国との戦線を拡大し、東南アジアの資源獲得を狙った日本に対し、アメリカは在米日本資産を凍結し、日本への石油輸出を禁止しました。この措置に対し、日本は1941年12月8日未明にハワイ真珠湾への奇襲攻撃をかけ、日米は開戦します。この攻撃が宣戦布告数時間前に行なわれたことで、日本は卑怯なだまし討ちをする民族だというイメージがアメリカ人の間で定着しますが、実はアメリカ側は日本の暗号電文を解読して真珠湾攻撃はすでに知っていたと言われています。つまり、すでに始まっていた世界戦争への参加を狙っていた(もちろん、戦争で儲けるためです。)米国上層部は、戦争参加に不賛成の意見が多かった国民の間で参戦への合意を形成するためのきっかけを探しており、わざと日本に先制攻撃をさせたということです。それを信じる信じないはみなさんの自由ですが、アメリカという国の伝統的政治行動パターンの中には、自作自演で何かの口実を作り、それをきっかけに自国にとって有利な政治行動を強引に始めるというものがあることは確かです。(ベトナム戦争でのトンキン湾事件や、ごく最近の9.11事件などはそれでしょう。)
1943年、イタリアは降伏し、45年5月にドイツも降伏し、日本の降伏も目前になってきた同年8月、アメリカは日本に原爆を投下します。この行為は、今にもノックアウト負け寸前のボクサーの頭をピストルで打ち抜くような残虐な、そして表面的には無意味な行為であり、その真意は、新しく発明された原爆の威力を実験することにありました。原爆の威力はすでに予測されていましたが、それを世界に知らしめるためには、実際の戦争でそれを使ってみせる必要があったのです。それが戦後のアメリカの世界経営にとって必要だという判断によるものでしょう。さすがに、白人の国を相手には原爆を使うことはできなかったので、東洋の猿どもを相手にためしてみようということです。では、なぜ東京ではなく地方都市がその対象として選ばれたか。それは、たとえ敵国でも、そのエスタブリッシュメント(支配層)まで絶滅させた場合、それが歴史的な先例となり、自分たちが別の機会に同じことをされる可能性があるからでしょう。あるいは、政治経済的支配層やその配下を残しておいたほうが、占領後に彼らを自分の手足として使うことができるという計算かもしれません。あるいは、東京のお偉方とアメリカのお偉方の間に秘密の約束があったのかもしれません。どうせなら、東京に原爆を落としてくれていたほうが、日本を悲惨な戦争に追いやった張本人たちが掃除されて、日本はもっと良くなっていたかもしれませんが。ついでに言っておくと、近現代のほとんどの戦争では、政治や経済の上層にいる人間やその家族縁者が戦場に出て死ぬことはほとんどありません。ベトナム戦争の頃に、現ブッシュ大統領が徴兵逃れのために安全な州兵(ミリシア)となってお茶を濁していたというのは、一部の人間には良く知られた話です。いまの米国政治のタカ派と呼ばれる好戦的な連中のほとんどは、実は皆、徴兵逃れをした「チキン・ホーク(弱虫の鷹)」なのです。
世の中とはそういうものです。ですから、戦争をやめる一番の方法は、誰かが言っていたように、戦争を決定し、それに賛同する人間やその家族にまず最前線に出て戦ってもらうことでしょう。(現代の戦争は、大量破壊兵器を用いるから、一部の人間だけがその被害を免れることは不可能だ、だから一部の人間の利益のために戦争が起こるという考えは妄想だ、という意見がありますが、大嘘です。「彼ら」は、大量破壊兵器をどこで使うか、ちゃんと計算して使うだけのことです。)
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦は終結します。
1945年10月、国際連合が発足しますが、これは米・英・仏・ソ・中の常任理事国が総会の議決に対する拒否権を持つという大国優先の機関であり、小国の利害に対しては人道的判断よりもそれに関わる大国の利害が優先されるのであって、世界政治の上では、無いよりはまし、という程度のものでしかありません。
第二次世界大戦ではファシズム国家に対し協力して戦ったアメリカとソ連は、戦後は国家経営の基盤である資本主義と共産主義という思想のために対立します。これがいわゆる「冷たい戦争」です。
アメリカは、共産主義の「封じ込め政策」を採用し、欧米諸国間で北大西洋条約機構(NATO)という軍事同盟を作って共産主義の伸張に備えます。それに対し、ソ連は東欧8カ国援助条約(ワルシャワ条約)によって結束を固めます。
1949年、中国共産党によって中華人民共和国が成立。
1950年、朝鮮戦争勃発。これは、日本の敗戦によってその支配から離れた朝鮮が、ソ連とアメリカの手によって分割され、ソ連に支援された北部の朝鮮民主主義人民共和国と、アメリカに支援された南部の大韓民国となっていたのが、その国是である共産主義と資本主義のために対立し、とうとう武力衝突となったものです。(例によって、本当は経済的利害がその原因だったのでしょうが。)北は中国に支援され、南はアメリカを中心とした国連軍が韓国軍とともに戦いましたが、戦争は膠着状態となり、1951年、ソ連の休戦提案によって53年に休戦します。つまり、本当は朝鮮戦争はまだ終っておらず、アメリカに加担していた日本は、北朝鮮にとっては交戦国であるわけですから、拉致問題などある意味では戦争の継続として捉えるべきかもしれません。ただし、現在では、北朝鮮そのものが、アメリカの世界経営の道具となっている可能性も高いので、問題は簡単ではありません。
この朝鮮戦争は、第二次世界大戦で疲弊していた日本に軍需景気をもたらし、その後の日本の経済発展(いわゆる高度成長)の原動力となります。
1951年、日本は48カ国との間でサンフランシスコ講和条約を結び、アメリカによる占領状態から名目的には独立国家として世界に承認されますが、同時にアメリカとの間で日米安全保障条約を結ばされ、引き続いて日本におけるアメリカ軍の駐留と軍事施設の存続を強制されました。そして、この状態は現在でも続いています。つまり、日本は、自国内にアメリカの軍隊を置いている以上、アメリカに対しては永遠に反抗できないということです。これは独立国家などではありません。それから現在に至る日本の対米屈従外交は、すべてここに理由があるのです。この日米安保条約は、当時の吉田首相をほとんど脅迫するような形で締結したものだと言われています。
その後の世界の現代史は、政治経済のところで扱いますので、要点だけを書くことにしましょう。もっとも、現代史は煩雑ですから、何を要点とするかは私の主観です。
1947年、インド、パキスタン分離独立。(パキスタンはイギリス連邦自治領となる。)
1948年、イスラエル建国。パレスチナ戦争起こる。
1952年、エジプト、ナセルによる国王追放。(反英独立闘争)
1956年、スエズ戦争。(イギリス・フランス・イスラエルVSエジプト)
1958年、イラク革命。王制廃止。
1959年、キューバ革命。
1962年、キューバ、ミサイル危機。
1963年、ケネディ大統領暗殺。
1966~70年、中国文化大革命。
1965年、アメリカのベトナム北爆開始。
1967年、EC発足。
1968年、フランス5月革命。チェコ事件。
1971年、中華人民共和国国連加盟。インド・パキスタン戦争。アメリカ、ドル防衛策発表(ニクソン・ショック)。世界は変動為替相場へ移行。
1972年、ニクソン訪中。
1973年、ベトナム和平協定調印。石油危機。
1975年、サイゴン陥落、ベトナム戦争終結。
1979年、米中国交樹立。ソ連アフガニスタン侵入。イラン革命(ホメイニ政権)。
1980~1988年、イラン・イラク戦争。
1982年、フォークランド紛争(イギリスVSアルゼンチン)
1989年、ベルリンの壁崩壊。中国天安門事件。
1990年、東西ドイツ統一。イラク、クウェート侵攻。
1991年、ソ連崩壊。アメリカ、イラク攻撃(湾岸戦争)
2001年、9・11事件。(アメリカの新世界秩序の布石となる。)
大雑把に言えば、冷戦(米ソ対立)と、ソ連崩壊による冷戦の終わり、アメリカによる世界新秩序への移行というのが、現代史の大筋です。
別の面から言うならば、これらの政治的事件は要するに、欧米諸国の、過去の植民地支配の事後処理(と言っても、「精算」ではありません。)と、新たな干渉の歴史です。たとえば、ベトナム戦争は、ベトナムのフランスからの独立運動に対し、それを援助したのがソ連であったために、世界の共産主義化を恐れたアメリカ経済支配層が、アメリカ政府を動かして介入したものです。ベトナムに送り込まれた米軍兵士たちのほとんどは、自分が何のために戦っているかも分からなかったでしょう。この戦争でアメリカ国内でも反戦運動が活発に起こったのは、そのためです。まあ、大多数の兵士は、とにかく共産主義者は悪党だから、それを倒せばいいんだ、と思っていたでしょうが。他国の戦争に出て行って死ぬなんてのは、はっきり言って、犬死にです。だから、アメリカ国内でも厭戦気分が蔓延し、アメリカは結局ベトナムから手を引くことになります。マスコミの正直な報道がこういう結果を招いたというその反省から、以後の戦争では、政府公認の御用マスコミ以外には戦争報道を許可しないということになります。
こうした政治的事件は、新聞やテレビで報道される表の顔と裏の顔が全然違います。表面的には敵同士に見えている人間たちが裏では手を結んでいる場合もあります。たとえば、「アメリカの敵」であるイラクのフセインやイランのホメイニは、どちらもアメリカの援助で政権を手に入れた人間です。ウサマ・ビンラディンはもともとCIAの援助を受けてアフガニスタンで対ソ連の抵抗運動をしていた人間ですし、また、中南米での政変のほとんどは、アメリカの意思が背後にあるのは確実です。アメリカとソ連だって、単純に喧嘩ばかりしていたわけではなく、冷戦の間も貿易はしていたのです。冷戦そのもの、あるいは、資本主義と共産主義の対立そのものが、軍需産業や軍隊によって演出されたものだと考えることもできます。つまり、戦争が政治の延長であるのと同様に、政治はビジネスの一環なのです。
新聞に出てくるような公式の説明だけでは政治の現実はわかりませんが、「政治における言葉と行動の食い違い」を見て、「それで誰が利益を得たのか」を考えれば、物事の真実が見えてくるということです。そのことをいつも心に置いて、政治の世界を眺めるようにしてください。そうした視点を、マスコミお抱え評論家の言うように「陰謀論」だとか、「トンデモ論」の一言で片付けていたのでは、無知のままで終わり、現実は変わりません。
これで、世界の近現代史概観は終わりますが、歴史は政治の記録であり、政治は経済を本質とするというのが、私の考えで、そう考えた時、歴史は見やすいものになると思っています。そして、世界の近現代史は、一言で言えば、西欧文明の侵略の歴史なのです。
1931年、関東軍の自作自演である柳条溝鉄道爆破事件をきっかけに満州へ進軍した日本は中国と戦端を開き、(これは満州事変と呼ばれ、まだ完全な戦争状態ではないミニ戦争です。)1932年には清朝の最後の国王溥儀を国王として満州国を建国しますが、国際連盟は満州国を承認せず、日本は33年に国際連盟を脱退します。
1937年、盧溝橋事件によって始まった日中戦争は、やがて日本対アメリカの太平洋戦争へとつながっていきます。この戦争を指導した参謀本部の軍部エリートがいかに馬鹿ばかりであったか、また、戦後に彼らがいかに責任逃れをしたか、興味のある人は、他の本などで読んでください。
1937年、日本・ドイツ・イタリアは、防共協定、つまり共産主義弾圧のための協定を結びますが、これが第二次世界大戦での枢軸国の土台です。つまり、この三カ国に共通しているのは、いずれも右翼政権が支配していた国であったということですが、それを単なるナチスやファシスト党や日本の軍部の問題にすりかえるべきではなく、それを支援していた資本家や経済的支配層の存在を無視するべきではありません。政治が国民全体に奉仕するのではなく、一部の人間の利益に奉仕することが、様々な不幸を生み出すのです。そして、敗戦によっても裁かれるのは政治家や官僚の一部であり、経済的支配層が戦争犯罪者として裁かれることは無いのですから、政治家や官僚は結局、経済人の手足でしかないと言えるでしょう。ついでに言っておくと、ナチスのユダヤ人殺害のための様々な施設の建設と維持を請け負ったのは、アメリカの企業だったようです。その企業が戦後に何かの咎めを受けたという話は聞いていません。
1939年、ドイツのポーランド攻撃に対し、イギリス、フランスはドイツに宣戦し、第二次世界大戦が始まります。
中国との戦線を拡大し、東南アジアの資源獲得を狙った日本に対し、アメリカは在米日本資産を凍結し、日本への石油輸出を禁止しました。この措置に対し、日本は1941年12月8日未明にハワイ真珠湾への奇襲攻撃をかけ、日米は開戦します。この攻撃が宣戦布告数時間前に行なわれたことで、日本は卑怯なだまし討ちをする民族だというイメージがアメリカ人の間で定着しますが、実はアメリカ側は日本の暗号電文を解読して真珠湾攻撃はすでに知っていたと言われています。つまり、すでに始まっていた世界戦争への参加を狙っていた(もちろん、戦争で儲けるためです。)米国上層部は、戦争参加に不賛成の意見が多かった国民の間で参戦への合意を形成するためのきっかけを探しており、わざと日本に先制攻撃をさせたということです。それを信じる信じないはみなさんの自由ですが、アメリカという国の伝統的政治行動パターンの中には、自作自演で何かの口実を作り、それをきっかけに自国にとって有利な政治行動を強引に始めるというものがあることは確かです。(ベトナム戦争でのトンキン湾事件や、ごく最近の9.11事件などはそれでしょう。)
1943年、イタリアは降伏し、45年5月にドイツも降伏し、日本の降伏も目前になってきた同年8月、アメリカは日本に原爆を投下します。この行為は、今にもノックアウト負け寸前のボクサーの頭をピストルで打ち抜くような残虐な、そして表面的には無意味な行為であり、その真意は、新しく発明された原爆の威力を実験することにありました。原爆の威力はすでに予測されていましたが、それを世界に知らしめるためには、実際の戦争でそれを使ってみせる必要があったのです。それが戦後のアメリカの世界経営にとって必要だという判断によるものでしょう。さすがに、白人の国を相手には原爆を使うことはできなかったので、東洋の猿どもを相手にためしてみようということです。では、なぜ東京ではなく地方都市がその対象として選ばれたか。それは、たとえ敵国でも、そのエスタブリッシュメント(支配層)まで絶滅させた場合、それが歴史的な先例となり、自分たちが別の機会に同じことをされる可能性があるからでしょう。あるいは、政治経済的支配層やその配下を残しておいたほうが、占領後に彼らを自分の手足として使うことができるという計算かもしれません。あるいは、東京のお偉方とアメリカのお偉方の間に秘密の約束があったのかもしれません。どうせなら、東京に原爆を落としてくれていたほうが、日本を悲惨な戦争に追いやった張本人たちが掃除されて、日本はもっと良くなっていたかもしれませんが。ついでに言っておくと、近現代のほとんどの戦争では、政治や経済の上層にいる人間やその家族縁者が戦場に出て死ぬことはほとんどありません。ベトナム戦争の頃に、現ブッシュ大統領が徴兵逃れのために安全な州兵(ミリシア)となってお茶を濁していたというのは、一部の人間には良く知られた話です。いまの米国政治のタカ派と呼ばれる好戦的な連中のほとんどは、実は皆、徴兵逃れをした「チキン・ホーク(弱虫の鷹)」なのです。
世の中とはそういうものです。ですから、戦争をやめる一番の方法は、誰かが言っていたように、戦争を決定し、それに賛同する人間やその家族にまず最前線に出て戦ってもらうことでしょう。(現代の戦争は、大量破壊兵器を用いるから、一部の人間だけがその被害を免れることは不可能だ、だから一部の人間の利益のために戦争が起こるという考えは妄想だ、という意見がありますが、大嘘です。「彼ら」は、大量破壊兵器をどこで使うか、ちゃんと計算して使うだけのことです。)
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦は終結します。
1945年10月、国際連合が発足しますが、これは米・英・仏・ソ・中の常任理事国が総会の議決に対する拒否権を持つという大国優先の機関であり、小国の利害に対しては人道的判断よりもそれに関わる大国の利害が優先されるのであって、世界政治の上では、無いよりはまし、という程度のものでしかありません。
第二次世界大戦ではファシズム国家に対し協力して戦ったアメリカとソ連は、戦後は国家経営の基盤である資本主義と共産主義という思想のために対立します。これがいわゆる「冷たい戦争」です。
アメリカは、共産主義の「封じ込め政策」を採用し、欧米諸国間で北大西洋条約機構(NATO)という軍事同盟を作って共産主義の伸張に備えます。それに対し、ソ連は東欧8カ国援助条約(ワルシャワ条約)によって結束を固めます。
1949年、中国共産党によって中華人民共和国が成立。
1950年、朝鮮戦争勃発。これは、日本の敗戦によってその支配から離れた朝鮮が、ソ連とアメリカの手によって分割され、ソ連に支援された北部の朝鮮民主主義人民共和国と、アメリカに支援された南部の大韓民国となっていたのが、その国是である共産主義と資本主義のために対立し、とうとう武力衝突となったものです。(例によって、本当は経済的利害がその原因だったのでしょうが。)北は中国に支援され、南はアメリカを中心とした国連軍が韓国軍とともに戦いましたが、戦争は膠着状態となり、1951年、ソ連の休戦提案によって53年に休戦します。つまり、本当は朝鮮戦争はまだ終っておらず、アメリカに加担していた日本は、北朝鮮にとっては交戦国であるわけですから、拉致問題などある意味では戦争の継続として捉えるべきかもしれません。ただし、現在では、北朝鮮そのものが、アメリカの世界経営の道具となっている可能性も高いので、問題は簡単ではありません。
この朝鮮戦争は、第二次世界大戦で疲弊していた日本に軍需景気をもたらし、その後の日本の経済発展(いわゆる高度成長)の原動力となります。
1951年、日本は48カ国との間でサンフランシスコ講和条約を結び、アメリカによる占領状態から名目的には独立国家として世界に承認されますが、同時にアメリカとの間で日米安全保障条約を結ばされ、引き続いて日本におけるアメリカ軍の駐留と軍事施設の存続を強制されました。そして、この状態は現在でも続いています。つまり、日本は、自国内にアメリカの軍隊を置いている以上、アメリカに対しては永遠に反抗できないということです。これは独立国家などではありません。それから現在に至る日本の対米屈従外交は、すべてここに理由があるのです。この日米安保条約は、当時の吉田首相をほとんど脅迫するような形で締結したものだと言われています。
その後の世界の現代史は、政治経済のところで扱いますので、要点だけを書くことにしましょう。もっとも、現代史は煩雑ですから、何を要点とするかは私の主観です。
1947年、インド、パキスタン分離独立。(パキスタンはイギリス連邦自治領となる。)
1948年、イスラエル建国。パレスチナ戦争起こる。
1952年、エジプト、ナセルによる国王追放。(反英独立闘争)
1956年、スエズ戦争。(イギリス・フランス・イスラエルVSエジプト)
1958年、イラク革命。王制廃止。
1959年、キューバ革命。
1962年、キューバ、ミサイル危機。
1963年、ケネディ大統領暗殺。
1966~70年、中国文化大革命。
1965年、アメリカのベトナム北爆開始。
1967年、EC発足。
1968年、フランス5月革命。チェコ事件。
1971年、中華人民共和国国連加盟。インド・パキスタン戦争。アメリカ、ドル防衛策発表(ニクソン・ショック)。世界は変動為替相場へ移行。
1972年、ニクソン訪中。
1973年、ベトナム和平協定調印。石油危機。
1975年、サイゴン陥落、ベトナム戦争終結。
1979年、米中国交樹立。ソ連アフガニスタン侵入。イラン革命(ホメイニ政権)。
1980~1988年、イラン・イラク戦争。
1982年、フォークランド紛争(イギリスVSアルゼンチン)
1989年、ベルリンの壁崩壊。中国天安門事件。
1990年、東西ドイツ統一。イラク、クウェート侵攻。
1991年、ソ連崩壊。アメリカ、イラク攻撃(湾岸戦争)
2001年、9・11事件。(アメリカの新世界秩序の布石となる。)
大雑把に言えば、冷戦(米ソ対立)と、ソ連崩壊による冷戦の終わり、アメリカによる世界新秩序への移行というのが、現代史の大筋です。
別の面から言うならば、これらの政治的事件は要するに、欧米諸国の、過去の植民地支配の事後処理(と言っても、「精算」ではありません。)と、新たな干渉の歴史です。たとえば、ベトナム戦争は、ベトナムのフランスからの独立運動に対し、それを援助したのがソ連であったために、世界の共産主義化を恐れたアメリカ経済支配層が、アメリカ政府を動かして介入したものです。ベトナムに送り込まれた米軍兵士たちのほとんどは、自分が何のために戦っているかも分からなかったでしょう。この戦争でアメリカ国内でも反戦運動が活発に起こったのは、そのためです。まあ、大多数の兵士は、とにかく共産主義者は悪党だから、それを倒せばいいんだ、と思っていたでしょうが。他国の戦争に出て行って死ぬなんてのは、はっきり言って、犬死にです。だから、アメリカ国内でも厭戦気分が蔓延し、アメリカは結局ベトナムから手を引くことになります。マスコミの正直な報道がこういう結果を招いたというその反省から、以後の戦争では、政府公認の御用マスコミ以外には戦争報道を許可しないということになります。
こうした政治的事件は、新聞やテレビで報道される表の顔と裏の顔が全然違います。表面的には敵同士に見えている人間たちが裏では手を結んでいる場合もあります。たとえば、「アメリカの敵」であるイラクのフセインやイランのホメイニは、どちらもアメリカの援助で政権を手に入れた人間です。ウサマ・ビンラディンはもともとCIAの援助を受けてアフガニスタンで対ソ連の抵抗運動をしていた人間ですし、また、中南米での政変のほとんどは、アメリカの意思が背後にあるのは確実です。アメリカとソ連だって、単純に喧嘩ばかりしていたわけではなく、冷戦の間も貿易はしていたのです。冷戦そのもの、あるいは、資本主義と共産主義の対立そのものが、軍需産業や軍隊によって演出されたものだと考えることもできます。つまり、戦争が政治の延長であるのと同様に、政治はビジネスの一環なのです。
新聞に出てくるような公式の説明だけでは政治の現実はわかりませんが、「政治における言葉と行動の食い違い」を見て、「それで誰が利益を得たのか」を考えれば、物事の真実が見えてくるということです。そのことをいつも心に置いて、政治の世界を眺めるようにしてください。そうした視点を、マスコミお抱え評論家の言うように「陰謀論」だとか、「トンデモ論」の一言で片付けていたのでは、無知のままで終わり、現実は変わりません。
これで、世界の近現代史概観は終わりますが、歴史は政治の記録であり、政治は経済を本質とするというのが、私の考えで、そう考えた時、歴史は見やすいものになると思っています。そして、世界の近現代史は、一言で言えば、西欧文明の侵略の歴史なのです。
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