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徳川幕府はなぜ開国を拒んだか

今日二度目の投稿だが、先ほど興味深い記事を読んだので、転載しておく。
「逝きし世の面影」という、わりと知られたブログの記事なので、読んだ方も多いだろうが、一つだけ解説を加えれば、西洋諸国の姿勢は今でも当時の「帝国主義」時代と何も変わってはいないのである。TPPが明治維新、太平洋戦争の敗戦に次ぐ「第三の開国」であり、それによって日本は今度こそかつての印度のように完全な奴隷国家になるという認識を日本国民全体が共有しなければならない。その前提として、「真の世界近代史」が知られねばならないだろう。
私が昔書いた、「高校生のための世界史」という「世界近代史ダイジェスト」を、今日のうちに掲載しようと考えている。これは山川出版などの世界史教科書を私流の観点からアレンジしたもので、書かれた事実は教科書通りだが、そこに「西洋の本性」という要素を加味すれば世界近代史が違って見えてくる、というものだ。
とりあえず、次回から数回に渡って(多分今日のうちに全部)掲載する。もちろん、ネット上には優れた知識の持ち主や優れた書き手はたくさんいるが、そういう人たちは十把一絡げで「陰謀論者」扱いされ、彼らの書いたものが多くの人には知られていない可能性があるので、私自身の拙文も「いざ鎌倉となればやせ馬に乗り、錆刀を取って参戦する」くらいの戦力にはなるかもしれないと思ってのことだ。それほど今の日本は、(TPP参加による)亡国の危機にあるのである。


(以下引用)


『何を恐れて開国(通商条約)に抵抗したのか』

当時のロシアやイギリス、フランス、アメリカが日本側に求めた『通商』(開国)とはいったい『何』を意味したのだろうか。
何故、これほどまで徹底的に徳川幕府は外国との自由な通商(開国)を恐れ、拒み続けたのだろうか。
現在における『通商』の意味は、何か喜ばしいもの、有利なものと考えられている。
通商関係を持つことで双方が利益を得ることが出来るし、新しい可能性や視野が生まれて来ると現代人なら思っているので、通商関係(開国)に頑強に抵抗した江戸時代の日本人とは島国根性で視野狭窄、未知の新しいものを恐れてパニック状態に陥ったとも解釈出来る。
現代人は、世界との通商関係とは日本の命綱に近い大事なものと考えていて、世界に広がる貿易(通商)なくして現在の豊かな日本社会は考えられない。
ところが民主主義の今とは大違いで、19世紀中葉の世界は全く別の『危険な構造』になっていた。
自由な通商とは恐ろしい罠であり、特に当時の日本人にとっての『世界』とは、恐ろしい脅威に満ち溢れている弱肉強食の『力』の論理で無法が横行する危険な世界であると考えられていた。

『インドの植民地化とアヘン戦争後の中国』

5千年近い古い偉大な文明を誇る大国インドのマハラジャ達の野望を利用してイギリスやフランスは傭兵部隊を組織して国内で血みどろの権力闘争を行い、インド人の権力者達は次第に弱体化していく。
当時の欧州諸国にとってのインド製品は魅力に満ち溢れていたが、対してイギリスフランスなど欧州製の品物は皮革や羊毛蜜蝋など大航海時代以前とさして代わり映えしない魅力の無い品物ばかりで、イギリスやフランスなど欧州側が大幅な輸入超過による慢性的な貿易赤字に苦しめられていた。
イギリスにはインドの様な何でもある国が欲しがる品物が無かったのである。
ワーテルローでフランスのナポレオンがイギリスに負ける1815年に、全インドもイギリス軍の軍事力で完全植民地化が成功してしまう。
イギリスの東インド会社による支配により、インドの優れた繊維産業は壊滅しインドは単なる原料輸出国(イギリス製品の輸入国)に成り下がってしまい、原綿の輸入価格も綿製品の輸出価格もイギリスが独断で決定出来るようになって、やっと英国の今までの構造的な貿易赤字が解消されるのです。
徳川幕府は地理的に5000kmも遠く離れていたにも関わらずオランダや中国経由で、正確な情報を取集してインドで起こった悲惨な事態をすべて把握していた。
インドは日本にとっては中国に次ぐ心情的にも親近感の有る文化の一大中心地であり、日本人の精神的バックボーンの仏教発揚の地である。
スペインから独立したオランダは海洋国家として19世紀の初頭まではイギリスフランスなどに対抗する一大勢力(敵)であったので、遠慮することなく敵国イギリスが日本と比べられないくらいに大きな国であるインドの首を徐々に絞めて殺していく様を正確に日本に伝達していたのである。
ペリー来航の9年前(アヘン戦争終了2年後)の1844年オランダ王ウィレム2世はイギリスによってインドが無残に植民地化される様や中国に無理無体を吹っかけたアヘン戦争の経過など弱肉強食の帝国主義時代の世界情勢に鑑み『開国も止む無し』(武力抵抗の危険性)との国王の親書を徳川幕府の将軍に送っている。

『最初は通商から始まった』

当時の日本人が欧米の求める『通商』を恐れた理由は、独自の優れた文明を誇った大国インドが滅んだ最初の出来事が、何でもない普通の『通商』から始まっていたからである。
悲惨で残酷極まるイギリスによるインドの植民地化は、300年前に白人が来て南部の海岸部の幾つかの都市と普通の通商を求めるところから全ては始まった。
最初は慇懃で親切で友好的であったが、少しづつ着実に影響力や権力を持っていきインド内部の争いに介入して対立を煽り、最初の白人商人のインド上陸から300年後の最後には大文明圏である全インドを手に入れ、その時は慇懃でも親切でも友好的でも無くなっていた。
インド人は自分自身に対して自信を持っていて、欧州人を少しも恐れていなかった。
何故なら当時のインドは欧州諸国に対してほとんどあらゆる点で優れていたからです。
最初の時点では、インドは文化的にも軍事的にも経済的にもヨーロッパよりも数段勝っていた。インドは植民地化される19世紀時点でもGDPで英国を上回っていた。
しかしインドにとって、そんなことは最後には何の役にも立たなかったのである。

『本当は怖い貿易・通商。trade(貿易)の意味』

150年前にアメリカなど当時の列強が押し付けた『全ての障壁を失くした自由な通商・貿易』(trade)ですが、今の日本語的なイメージでは『自由な貿易』は薔薇色で、少しも『悪い』ところが無い。
ところが、この名詞としての通商(trade)の本来の意味は動詞としての『騙す』であると言われています。
広い大陸での、価値観の違う異民族相手の利害が対立する通商・取引(trade)とは騙し騙されるのが基本で、少しでも油断したら騙されて酷い目に合う危険が潜んでいた。
英語の通商・貿易(trade)には、日本語に無い『怖い意味』が含まれているのです。
tradeは、島国で同じ相手と永久に付き合う必要がある日本人が身上とする商売上の『正直さ』や『公正さ』だけでは成り立たない、彼我の『力関係』がものを言う弱肉強食の厳しい世界なのです。 (trade on には『取引します。』との訳以外に、もう一つの『付け込む。』との恐ろしい意味が含まれている)
大ヒットしたジョージ ルーカス監督の『スター・ウォーズ』の悪役は何故か通商連合だった。
英語圏では『通商連合』(Trade Federation)と言われると『油断するな』と身構えるのでしょう。
『天高く馬肥ゆる秋』の言葉の由来となった万里の長城を越えて中国を脅かした匈奴の昔から、洋の東西を問わず、通商を担う遊牧民は、農耕民にとっては貴重な品々を商う『貿易』だけではなくて、同時に恐ろしい略奪者なのです。









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