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自由と責任と教養

自由は地獄の門をくぐる。不安、懊悩、悲痛、慟哭に立たされているものである。すべて自らの責任においてなされるものだからである。」(坂口安吾)

「幕末に、オランダ語の自由という語が初めて翻訳の必要にせまられた時、当時の漢学者は訳語に窮したばかりでなく、自由とは何か、その意味が判らなかった。そして『わがまま』と訳したという。」「しかしこれを昔の笑い話と思うのは軽率で、今日日本人の自由というとき、なお多くの人は五十歩百歩、わがままと履きちがえている場合が多い。自由とは責任がそれに伴わねばならぬ、ということ、これは今日しばしば言われることであるが、こういうふうに一言にして言うことは易いが、真に自由の中に責任を自覚するには、深い教養を必要とするものである。」(同)


「しかし教養というものは、決して書物を読むだけが能ではない。同じ考える生活でも、考える根底の在り方によっては、むしろ考えることによって考えない人よりも愚劣な知識があるものだ。知識は偽ることの多いものである。」「ただ生き方の問題だ。教養というものは、生き方の誠実さが根底である。」(同)*反例として「御用知識人」を想起すればよい。


             (以上は坂口安吾「私の小説」より引用)

ちなみに「自由」という熟語はまさに「自らに由(よ)る」であり、すべて自己責任であることを含意している。自由は責任と表裏を成しているわけだ。
果たして「新自由主義」の自由はそういうものか? 従業員を大量解雇した企業の首脳や、国民や市民に害を与えた政府や自治体の首長が責任を取ったことがあるか?

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酔生夢人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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