http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=321340
<転載開始>
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私たちは今の医療、つまり現代医学による医療に対して、大変な思い違いをしているようです。
たいていの人は依然として、「医療は確実に進歩している。その最先端の知識や技術を駆使できる医者なら、病気は必ず治せるし、健康も改善してくれる。病院に行けば、ハイテク機器で病巣や病気の予兆を突き止められ、病気を予防することができる。だから医者や病院に頼るのは当然であり、自分自身ではどうすることもできないだろう」と思い込んでいるのではないでしょうか。
しかしながら、これはほとんど根拠のない、事実に反する妄想にすぎないことが、上記のような新しい医療、医学を提唱する著名な医学者によって明らかにされつつあります。
注目すべきは、それらの医学者が、西洋医学の権威的存在であるにもかかわらず、「現行医療は危険そのものである」と、みずから率直に告白していることです。そのために、当然のことながら医学界から異端視され、中傷や誹謗の的にされ、その社会的、職業的地位さえ脅かされています。
ふつうの人間なら命にかけても死守したいものを犠牲にして、真実を訴えつづけるこれら医学者の真摯な声に、私たちは無関心であってはならないと思います。
非難や妨害に敢然と立ち向かい、アメリカ医学界の改革に多大な貢献をし、全米健康連盟(NHF)の会長も勤めたイリノイ州立大学医学部教授のロバート・メンデルソン博士は、その著書『医者が患者をだますとき』のなかで、次のように述べています。抜粋、要約してご紹介します。
一例をあげよう。世界でも有数とされる心臓病治療センターであるクリーブランド病院の"すばらしい"治療現場が報道された。臨床検査、心電図、CT、レントゲン検査、開胸手術の総数など、世界的な実績を誇ってはいるが、いずれの処置も健康の維持、または改善ができるかどうかという裏づけがないものばかりだ。また、この『医療興行記録』によって救われた患者がいるのかという点については、何も明らかにされていない。
なぜか、それは病院というものが『医療工場』に成り果ててしまっており、しかもそこでは健康など生み出されてはいないからだ。この工場では、患者は健康を改善しにきた人間とはみなされない。患者は医療工場の経営を改善するための材料とみなされるだけである。
妊婦は病院へ行ってはいけない。病人として扱われるだけだからだ。医者にとって妊娠・出産は、10ヶ月に及ぶ病気であって、妊婦とは患者でしかない。点滴装置と分娩監視装置の装着、各種薬物の投与ばかりか、必要もない会陰切開と称する治療を押しつけられ、あげくの果てに医療工場の極めつきの商品が待ちかまえている。帝王切開である。
風邪を引いても医者には行くべきではない。医者はたいてい抗生物質を投与するが、抗生物質は風邪やインフルエンザにはほとんど効かず、それどころか、薬が原因で風邪をこじらせてしまい、病状がさらに悪化する。
新生児が母乳を飲まず、育児書どおりに体重が増えないからといって、医者のいうままにする必要などない。医者は母乳の自然な分泌を抑える働きのある薬(乳汁分泌抑制作用)を母親に飲ませるかもしれない。母乳が出にくい体質に変えられてしまった母親は、空腹の赤ん坊をミルクで育てるように指示される。これは危険なことである。
現代医学は宗教か? ②
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=321341
現代医学は宗教か? ①のつづきより
健康診断は意味のない宗教行事である。受付で無作法に扱われ、医者に近寄って緊張すれば、患者の血圧も平常ではいられない。血圧を下げるために降圧剤を処方され、しかもそれを大量に買わされる羽目になる。こうして性生活にピリオドを打つ人が増えていく。インポテンツは心理的な原因よりも、むしろこうした降圧剤などの薬の副作用によるものが多いのだ。
年をとり、人生の最期を病院で迎えなければならないのは不幸なことである。医者は、「一日に500ドルも入院費を払えば、最新の医療機器が完備した病室で、医療スタッフがあなたの最期の言葉を聞いてくれるから安心しなさい」、という。だが医療スタッフというのは、つまるところ家族に代わって高齢者の最期を看取る賃金労働者に他ならない。誰でも自分の死に際に、赤の他人に言い残したいことなどあるはずがない。最期の言葉とは、心電図モニターが発する信号音くらいなものだろう。
医者は、健康や医療に関しては、人々は無知だと決めつける。そしてそれを逆用して、医学理論で恐怖を煽りたてる。人は怖いことがあると、避ける、無視する、逃げる、たいしたことではないと無理に思い込もうとする。その結果、誰か適当な人を見つけて心配してもらおうとする。こうして、結局は医者が主導権を握ることになる。患者が医者にそうさせてしまうのだ。しかしじっさいには、医者は患者が怖いのだ。なぜかというと、医者と患者の関係は、知識ではなく、信頼に基づいているからである。
薬の副作用について説明を求められると、医者は、もし正直に説明すれば、医者と患者の関係が損なわれてしまうと思っているから、口が裂けても本当のことはいわない。薬だけではなく、医療のうち少なくとも9割は不必要なものであり、そのなかには人を死に至らしめる危険性すらある、という事実は常に存在する。
人々が本当にこれを知ったなら、医療は即崩壊する。現代医学は患者の信頼がなければ存在できないのである。それは、病気を癒す医術や科学ではなく、一種の宗教だからである。こうして現代人は、人間の生き方を方向づけて管理する力にすがろうとして、現代医学教に年間数千億ドルにも及ぶ巨額の『お布施』を献上していることになる。医療費と呼ばれるこの莫大なお布施は、本当は何か別の目的に使われる性質のものではないだろうか。
現代医学教の呪縛から抜け出すには、医者に、「それはなぜか」と質問することだ。もしこれに対して、「医者を信頼していればいい」という返事が返ってきたら、そのときこそ、医者が危険な治療を行おうとする瞬間であるから、一刻も早く医者から逃げ出すことである。ただ、医者から逃げおおせる人はほとんどいない。たいていの人が医者に屈服する。人は、医者がまとう呪術師の仮面と、その奥に潜む未知なる雰囲気に恐れおののき、自分の体に今起こっていること、これから起こりうることに底知れぬ不安を抱かされる。そしてついには、医者の巧みな説明に畏敬の念をこめて、あえなく同意してしまうのである。
だが、医者と称する呪術師の思うがままに操られてはいけない。現代医学の呪縛から自らを解放することは可能であり、そのほうがずっと身のためである。少なくとも、医者に殺されることだけはないからだ。診察室や診療所、病院などに、準備のないまま近づくことほど危険なことはない。準備とは生命保険に入ることではない。医者に出会って生還を果たすために、必要な知識や要領、駆け引きを身につけなさい、ということだ。
まず、医者を知ることである。現代医学が宗教であることがわかれば、より効果的に自分を守ることができる。もちろん、現代医学はみずからを宗教とはぜったいに呼ばない。病院という宮殿にしても、宗教に捧げるためのものではなく、人を癒す医術、または科学のためのものであるかのように常に偽装している。それは国が加担しての、巧妙で壮大な偽装である。宗教というのはすべてそうだが、現代医学教の場合は信仰に依存している度合いがきわめて高く、人々がたった一日でも信仰を忘れてしまうと、医療制度全体が崩壊してしまうほどである。それは、次の三つの疑問について考えてみれば、すぐに理解できるだろう。
1.ほかの状況であれば、当然疑うべきはずの行為でも、それが医療行為であるというだけで公然とまかり通っている。それは一体なぜか。
2.手術についてほとんど理解していないのに、患者は麻酔で眠らされ、自分の体を刃物で切り裂かれることに同意している。それは一体なぜか。
3.人々は、薬の成分である化学物質にどういう作用があるかほとんど知らないのに、毎年総量何千トンにもおよぶ薬が消費されている。それは一体なぜか。
なぜなのか? それは、人々が現代医学教を信仰してやまないからである。