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本番は、コロナウィルスワクチンの登場からか

井口一基氏をどうとらえるべきか、私は未だに決めかねているが、深い知識と論理的頭脳の持ち主ではあるだろうな、とは思う。人格(ほとんどネトウヨに近い発言が多い)的にはどうなのか、まあ、そこが少々問題がありそうな気がするので、いつも彼の発言(記事)は「話半分」で読んでいる。
下の記事は井口氏(井口博士と言うべきか)のブログ記事の一部だが、書かれたことが本当なら、コロナウィルスについて、恐るべき指摘をしている、と思う。一度治った患者が病気を再発したという事実は中国で既に現れており、私も、「コロナウィルスなど恐れるに足りない」説を完全撤回すべきかどうか、思案中である。
そして、注意すべき点は、コロナウィルス自体よりもその「ワクチン」のほうが危険である、と下の記事は読み取れることだ。もちろん、そのワクチンはまだ完成していないが、ワクチンに大きな危険性があるなら、ワクチンが世に出た時こそ「日本人大量処分」の完成になるわけだ。




(以下引用)


結局、今回のウィルスをバイオ兵器だと知らずに、単なるインフルエンザウィルスの一種だと錯覚した無知のせいで、人が死に、死なないまでも人が苦しむのである。治ったとしても一生多臓器不全に苦しむのだ。
RNAウィルスというのは、そのRNAが体内細胞のDNAに組み込まれ、免疫が下がるとまた発症する
という性質があるのである。
この一番の例が、ヘルペスである。帯状疱疹や口唇ヘルペスは、光や刺激や体調により、免疫が下がると現れる。
だから、このRNAウィルスを真似したRNAワクチンは非常に危険なのである。
今作っているのは、このRNAワクチンである。
もし遺伝子ドライブが組み込まれたら、永久不妊にしたり、妊娠しても、ある特定の人種しか生まれなくしたり、そいう機能をRNAに組み込むことができるのである。
バイオ兵器研究所の遺伝子編集技術はすでにそこまで行っているのだ。


















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コロナウィルスと人類の戦いwww

一応、「コロナウィルスは無害だ」と私が言った(そこまで言ってもいないが)という責任を取りたくない(www)ので、「コロナウィルスは大きな危険である」という説も載せておく。
中国での死者は確か千人を超えていたかと思うので、もちろんある程度の危険性はあるだろうが、毎年のインフルエンザでもそれくらいの死者は出ているだろう。しかも、今回は「都市封鎖」によってかえって武漢内での罹患者数は激増したと思われる。ダイヤモンドプリンセス号に閉じ込められるのと同じことで、病人の傍に四六時中いれば、ほとんどの人間が罹患するのは当然である。武漢はその巨大な実験場みたいなものだ。
下の記事は、ほとんどすべてが推測で書かれているように私には読めるが、巨大災害の影響を過小評価していると、後で災害が巨大化した時に責任を問われるから、と見るのは邪推だろうか。
その意味では、「コロナウィルスはたいしたことはない」と言う方が勇気はいるだろう。


(以下引用)


新型コロナウイルスに我々はどう対峙したらいいのか(No.2)

新たな段階に入っている新型コロナウイルスと人類の戦い



image
2020年2月12日
医学系研究科 微生物学分野

押谷 仁 教授

日本ではこの1週間新型コロナウイルスの話題はクルーズ船の話でもちきりだった印象がある。ウイルスは「見えない」存在である。今回のコロナウイルスも直径100-200ナノメートルという小さな粒子であり、肉眼ではもちろん普通の光学顕微鏡でも見ることができず、ウイルス粒子を見るためには電子顕微鏡が必要である。今回の新型コロナウイルスはウイルス粒子が見えないということと同時に、このウイルスの拡がりが見えないという特徴があり、そのことがこのウイルスとの戦いを難しいものにしている。


 クルーズ船の乗客から重症者が発生したということが今日厚生労働省から発表された。クルーズ船の乗客では高齢者が多かったこと、SARSでも発症後1週間ぐらいで急激に症状の悪化する例が多かったことを考えても十分に起こることが想定されていた事態である。


 クルーズ船の流行はいろいろな偶然が重なりたまたま、ウイルスの拡がりを見ることができたものと考えるべきである。そこから見えてきていることはやはりこのウイルスは相当程度ヒトからヒトへの感染力が高いという事実である。武漢では、流行が始まったとされているマーケットの周辺で「見えていた」流行を追いかけているうちに、その陰で「見えない」感染拡大が急速に進んで手の付けられない状態になっていたと考えられる。


 シンガポールでは現在、感染連鎖を可視化しようとして全力を挙げて取り組んでいて、地域内での流行の実態が少しずつわかってきている。これは2003年のSARSの流行の後、このような事態に対応できる体制を整備してきたからこそできていることである。シンガポールではほとんどすべての病院でこのウイルスの検査をする体制が整備されていて1日2000検体以上を検査することが可能である。日本においても検査体制は急速に整備されていくと考えられるが、現時点では日本には感染連鎖を可視化するすべは限られている。そのような中でどうしたら最も効率よく感染連鎖を可視化できるのを考えないといけない。


 たまたま「見えた」クルーズ船の流行にのみに目を奪われて、全体像を見失ってはいけない。むしろ、クルーズ船の流行は日本国内でもシンガポールと同様に地域内での感染連鎖が進行している可能性を強く示唆するものであり、地域内の流行が起きるという前提で、それぞれの地域で医療体制を考えるなどの準備をすることが必要である。武漢の失敗の教訓を我々は学ばないといけない。


 我々は今、非常に厄介なウイルスを相手に戦っている。「過度に恐れずにインフルエンザと同じような対応を」というメッセージを伝えるだけでこのウイルスにたち向かうことができるとは私は考えていない。そもそも、このウイルスは明らかに季節性インフルエンザと同じではない。日本でも、毎年高齢者を中心に多くの人が季節性インフルエンザで亡くなっている。しかしその死亡のほとんどはインフルエンザ感染の後に起こる細菌性肺炎やインフルエンザ感染をきっかけに寝たきりの高齢者などが心筋梗塞など別の原因で亡くなるインフルエンザ関連死と呼ばれる死亡を含んだものである。このため、インフルエンザは高齢者の最後の命の灯を消す病気と言われている。


 しかし、この新型コロナウイルスはまったく違う。重症化する人の割合は低いが、重症化した人ではウイルスそのものが肺の中で増えるウイルス性肺炎を起こす。重症のウイルス性肺炎は治療が困難で、日本でも救命できない例が出てくる可能性は十分に考えられる。寝たきりの高齢者などにとってもこのウイルスはもちろん危険なウイルスであるが、中国では50-60代の人も多く亡くなっており、30-40代の人の死亡も報告されている。多くの人にとっては、季節性インフルエンザと同じ程度の病気しか起こさないウイルスだからといって、決して侮ってはいけないウイルスである。


 このウイルスは、急速な勢いで世界に拡がっている。このウイルスとのここまでの戦いは人類の側の完敗に終わっている。そのウイルスの拡散するスピードに人類はまったく追いつけておらず、すべての対応が後手に回っている。それは中国だけではなく日本やWHOを含めたすべての国際社会がそのスピードについていけていない。しかし、このウイルスに我々の想像を超えるようなスピードを与えたのは人類なのだということも忘れてはいけない。


 同じようなウイルスが50年前に出現しても中国の一つの地域で謎の肺炎で多くの人が亡くなったという程度のもので終わったはずである。SARSの起きた2003年とも我々はまったく違う時代を生きている。SARSは広東省の広州で最初の感染拡大が起きて、ウイルスが香港を経由して世界に拡散することで世界的な流行となった。SARSは幸いにして日本で流行を起こすことはなかったが、今は広州と日本の間に毎日多く直行便が飛んでいる。今、広州で同じことが起きたら日本は真っ先に流行を起こす国になっている可能性は高い。このウイルスを世界中に運んでいるのは動物ではなく、人である。中国国内、さらに中国と日本を含む多くの国との人の行き来が急速に増大したことがこのウイルスに人類に制御できないようなスピードを与えてしまったことは明らかである。


 新型コロナウイルスの流行は収束に向かっているのではないかという楽観論が広がっている。このような大規模な流行が同じ地域で1年以上にわたって続くことはあり得ないので、当然どこかの時点で流行は収束に向かっていく。武漢での流行がすでにピークを迎えているかの判断は慎重にすべきだが、おそらく武漢の流行は遠くない時期に収束に向かっていくことになると考えられる。しかし武漢での流行が収束に向かうことがこのウイルスとの戦いの終わりを意味しない。中国各都市は武漢から少なくても2-3週間遅れて流行が始まっているので、他の都市での流行がどう推移するのかは慎重に見極める必要がある。しかし、少なくても現時点で初期の武漢のような状態になっている場所はおそらくないというのはいい徴候だと考えられる。


 しかし、もはや中国の疫学状況と日本の国内の状況は必ずしもリンクしない。今、我々が最も懸念しないといけないのは渡航者からの感染連鎖がすでに国内で成立している可能性である。国内で成立しているかもしれない感染連鎖は、当然中国の疫学状況にまったく影響をうけない。我々はまだ国内の流行の始まりさえ検知できていないのである。楽観的な情報に流されて安心できる状況には到底ない。


 もし中国政府の取っている対策のいくつかが有効で武漢のような状況になることを防げているのだとすると、その情報は日本にも、世界にとっても非常に重要である。何が有効で何が有効でなかったのかという中国での教訓を生かすことが次の段階のこのウイルスとの戦いには絶対に必要である。2003年のSARSの流行の際、中国は少なくても2003年2月上旬までにSARSコロナウイルスに対処する方法がわかっていたはずである。実際に2月中旬以降、広州の流行は収束方向に向かっていた。その情報を国際社会と共有しなかったことで国際的な流行につながったのではないかということで、中国は国際社会から強く非難された。中国はその轍を踏んではならない。


 SARSはヒトからヒトへの感染連鎖をすべて断ち切ることができ、グローバルな封じ込めに成功することができた。しかし、このウイルスについては中国で流行が収束傾向に向かうとしても、これだけ広範に広がってしまい、かつ感染連鎖の非常に見えにくいこのウイルスの感染連鎖があと半年ですべて断ち切れるとは考えられない。当初の最悪のシナリオは世界のすべての場所が武漢のような状況になってインフルエンザパンデミックのような状況になることだったが、その可能性はかなり低くなっている。日本で武漢のような非常に大規模な流行が起こることも考えにくくなっている。しかし、医療や公衆衛生体制が脆弱な国の都市が「第2の武漢」になってしまう危険性は残っている。そういった新たな感染源ができてしまうと、そこを起点としてまた世界中にウイルスが拡散していくことになる。東南アジアやアフリカなどの国の都市が「第2の武漢」になる可能性は残っている。国際社会が協力して「第2の武漢」が出現することを阻止していく必要がある。


 このウイルスとの戦いの第1ラウンドは人類の完敗だったが、流行は新たな局面に入り、人類は急速にこのウイルスに対抗するすべを見つけつつある。その意味でも、「過度に恐れずインフルエンザと同じ対応」をしていれば十分というような感染症ではないと私は考えている。インフルエンザに対してはワクチンや抗インフルエンザ薬、さらには迅速診断キットというツールがあるが、このウイルスには現時点ではそういったツールはない。我々がこのウイルスに対抗するために持っているツールは限られている。現時点では、残念ながらすべての感染連鎖を可視化することはできず、日本で「見えない」感染連鎖が進行している蓋然性も相当程度高くなっている。しかし、我々が持っている限られたツールを駆使して「見えない」感染連鎖の一部を可視化できる可能性は出てきている。抗ウイルス薬やワクチンについても希望の光が見えてきている。このウイルスに対抗できるツールを最大限生かして、このウイルスとの第2ラウンドを戦っていく必要があると私は考えている。
 


 


医学系研究科微生物学分野 教授


押谷 仁






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「我々が恐れるべきは、恐怖そのものである」

安倍政権の無能無策や政権による政治犯罪はいくらでも批判されていいが、今回のコロナウィルス問題では、あまり危機感を煽り立てるのはどうだろうか。たとえば、マスクの買い占めで、病院で使用するマスクさえ不足している、というのは一種のパニックと言っていい。ネット言説が巡り巡って、そうしたパニックの原因になっていないか。
講談社のネットサイトに、山根一眞が専門家にインタビューした記事が載っているが、コロナウィルスというのは通常のインフルエンザウィルスとは異なり、空気中に長時間浮遊することは無く、体外に出たら短時間で死滅するらしい。つまり、「飛沫感染」はするが、「空気感染」はほとんど無いらしいのである。
まあ、人混みに出れば、眼前でクシャミや咳をした人間から飛沫感染することはあるだろうが、要するに、「現に罹患している人が、他人に感染させないためにマスクをする」だけでいいのであって、健康な人間が「コロナウィルス予防のために」マスクをするのはほぼ無意味である、と言えるのではないか。まして、マスクの買い占めなど言語道断横断歩道というものだろう。
下の記事の中には、「驚いたことに30%は感染しなかった。また感染した人の50%は上気道感染のみで肺炎には至らず、症状も軽い」のように、素人が読むと首を傾げたくなる部分もある(30パーセントが感染しなかったということは、70パーセントが感染したということで、これは大きな数字ではないのか。また、50パーセントが上気道感染ということは、残り50パーセントは重篤な肺炎になったということだろう。)が、全体としては耳を傾ける価値のある内容だと思う。


(以下引用)




コロナ「感染拡大のおそれはとても小さい」大御所がパニックを叱る!

過剰反応を広めた「2つの誤算」とは
山根 一眞 プロフィール

根路銘 コロナウイルスは咳や痰で飛び出しても1メートルを超えれば死滅します。感染者の近くで咳や痰を受ければ、小さな粒子となった飛沫(飛沫核と呼ぶ)を受けて感染するおそれはありますが、インフルエンザのように1回の咳で1万個以上のウイルスが死ぬことなく長時間浮遊し続け10メートル以内のほとんどの人を感染させる「空気感染」は起こらないんですよ。


新型インフルエンザでは、1人の発病者が搭乗した航空機内で40人が感染し、重度の肺炎になったケースがありました。CDC(米疾病対策センター)が報告している有名な「航空機事件」ですが、これも「空気感染」ゆえです。


一方のコロナウイルスは「飛沫核感染」しかしないので、感染者がしっかりとマスクをしていれば感染拡大のおそれはとても小さい。これがコロナウイルスというものなんですよ。

コロナウイルス羽田空港では中国便の搭乗客の体温チェックも実施されている Photo by Getty Images

米国では、SARSのコロナウイルスの感染力を調べるため、ボランティアによる人体実験を行ったことがあるんですが、驚いたことに30%は感染しなかった。また感染した人の50%は上気道感染のみで肺炎には至らず、症状も軽いことが確かめられています。


つまり、呼吸器感染症では、インフルエンザウイルスは横綱級、コロナウイルスは関脇以下程度だと私は言っているんです。


強い危機宣言をしないWHOに対して、トップの辞任要求の動きが広がっていて、それに乗じた著名人すら出ていますが、WHOの認識は正しいんです。


観光バス内で運転手さんとガイドさんが感染したと報じられましたね。もし、インフルエンザウイルスのような強い「空気感染力」があれば、バスの乗客の大半も感染したはずです。2人だけだったのは「弱い」コロナウイルスゆえなんですよ。






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廃人的な長生きと「元気で長生き」

私は認知症や寝たきりなどになってまでの単なる長生きには否定的な人間だが、「元気で長生き」なら、もちろん望ましい。
下の記事のお医者さんは、101歳になっても現役で医師の仕事をしているのだから、当然頭もしっかりしているのだろう。そういう長生きなら結構なことだ。
まあ、個人的な体質や遺伝のためかもしれないが、その生活には何か「元気で長生き」のヒントもあるかもしれない。89歳で肝臓がんを患いながら101歳まで生きているのも驚異的である。

(以下引用)






常に笑顔を絶やさない © NEWSポストセブン 提供 常に笑顔を絶やさない

 白衣姿で診察室の机に向かう背筋は伸び、快活な笑顔で患者に聴診器を当てる──101歳にして台湾で現役医師を続けている田中旨夫氏の日常だ。戦前に台湾で生まれた田中氏は、戦後沖縄で内科医として勤めた後、2年前に生まれ故郷の台湾に戻った。現在も流暢な台湾語で患者と向き合う。


『101歳現役医師の死なない生活』を上梓した田中氏の話を聞くべく台湾に飛ぶと、数々の「長寿の秘訣」が見えてきた。


 月~金曜日の午前中は台北市内の産婦人科医院「正生婦幼聯合診所」に勤務している田中氏。アンチエイジングに特化した科で、ホルモン注射など健康寿命を延ばす医療を担っている。記者が病院を訪れた日も、診察室でパソコンに向かいカルテを見ていた。


「働く場所、通う場所があると身体にスイッチが入るんですよ」(田中氏、以下同)


 治療効果を自ら証明し続ける田中氏の、健康長寿の秘訣は何なのか。


「ホルモン注射の効果もありますが、何より、『日々の生活』ですよ」


 田中氏の日常に“死なない習慣”のヒントがあるという。


◆「悠々自適じゃ物足りない」


 病院近くのマンションに住む田中氏は、現在は94歳の妻とマレーシア人のお手伝いさんとの3人暮らし。妻が5年前に認知症を発症してからは、お手伝いさんに家事全般を任せているという。


 毎朝6時半に起床し、ベッドの上で10分間ほど、「両手で両足を抱え込んで10秒ほど膝を伸ばす」などの簡単な体操をする。膝や腰の関節や筋肉をほぐし、全身を目覚めさせるストレッチだ。


 取材日の朝食は、白粥と野菜スープ。スープにはオリーブ油を垂らす。


「オリーブ油には美肌効果や整腸作用もあります。おかげで私は便秘をしたことがありません」


 朝食後には近所の公園まで往復30分間ほど、空の車椅子を押して散歩する。車椅子を歩行補助器のように使い、歩き疲れたら座って休むのだ。


「これを使えば歩行が難しくなってきた高齢者でも、まだまだ歩けますよ」


 田中氏が散歩を欠かさないのは「日光浴」の意味もあるという。


「毎日15分日に当たることで体温が上がって血液の循環がよくなり、免疫機能が活発になる。大腸がんなど消化器系のがんの予防になります」


 病院に出勤すると、白衣に着替える。孫ほどに年の離れたスタッフたちにも、自分から進んで挨拶している。院長を務める陳先正氏が語る。


「病院内では、『みんなのおじいちゃん』として慕われています。田中先生がいると、なぜかみんな笑顔になるんです」


 確かに田中氏を見ていると表情が豊かで、笑顔が明るい。


「若い頃は無表情なほうでしたが、医学部の先生から『笑うと気持ちが前向きになれて健康にもいい』とアドバイスされたのです。それから人と接するときは笑顔でいようと心がけるようになりました。笑いは免疫細胞を活性化し、体の抵抗力を高める効果があると医学的にも実証されています」


 午後は地元名士が集まるロータリークラブの会合に顔を出し、地域のイベント企画などについて話をする。


「週の半分ぐらいは、予定が入っています。結構忙しいんですよ(笑い)」


 田中氏によれば悠々自適な引退生活より、多少のストレスがあっても現役で仕事やボランティア活動などを続けるほうが、生きる充足感を得られ、心身の健康にいいという。


 昼食後には、昼寝を日課にしている。


「30~40分ほど昼寝すると、頭がすっきりする。実は夜の睡眠の3倍リフレッシュ効果があるんです。高血圧や糖尿病などの予防にもなります」


◆「あと10年頑張りたい」


 夕食は毎日18時頃から。牛肉炒め、海老の煮付け、白身魚の煮物、野菜のかき揚げなど、お手伝いさんが作った家庭料理が並ぶが、肉や魚が目立つ。


「肉を極端に減らすような粗食は良くありません。しっかりたんぱく質を摂ることで血管が強くなり、免疫力も高まります」


 さらに茶碗1杯分の白米もしっかり食べる。


「糖質制限はエネルギー不足を招き、疲れやすくなるし、おかずばかりでは塩分過多になります」


 デザートにはパパイヤを口にした。


「果物は糖分が多いから肥満や糖尿病の原因になるというのは誤解です。果物は食物繊維が多く、炭水化物の吸収を穏やかにするので血糖値の上昇が抑えられるのです」


 食後はお風呂に入り、22時半ごろ就寝。寝るときは「枕なし」が、田中流だ。


「枕を使わないで寝ると、背筋が伸びた状態になる。今でも背筋がピンとしているのはそのおかげだと思っています」


 こうした暮らしぶりを見ていると、田中氏は決して特別な健康法を実践しているわけではなく、些細な習慣であっても日々の積み重ねを大事にしていることがわかる。最後に「長寿の秘訣は?」と問うと、こんな答えが返ってきた。


「心配事をしないことでしょうね。どうにもならないことは、考えないことです」


 生活習慣に加えて、心の持ち方も身体に大きな影響を与えるようだ。


「医師として、人のために役に立つ人生を全うしたい。だから長生きしたいのです。私は89歳で肝臓がんを患ってから、毎日『あと10年頑張ろう』と思って生きています」


●取材・文 西谷格/ジャーナリスト。1981年、神奈川県生まれ。地方新聞の記者を経てフリーランスとして活動。09~15年まで上海に住み中国の現状などをレポート。『ルポ デジタルチャイナ体験記』(PHP新書)が2月末に発刊予定。


※週刊ポスト2020年2月21日号













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人生そのものの「停年」は七十歳か

「逝きし世の面影」から転載。
健康寿命の平均が70歳くらいだ、というのは納得できる。多くの人は、その少し前に大病をしたりするが、医療のおかげでその後は「半病人」として死ぬまで生きるのが現実ではないか。「人生七十、古来希(稀)なり」というのは見事に「近代医学」以前(平均寿命=健康寿命時代)の、鋭い洞察だったわけである。
年金を七十歳で貰うというのは、寿命が尽きてから貰おうという計画に等しいのではないかwww
まあ、健康寿命が終わってからこそ、「半病人」にはカネが要るのだから、賢い選択だ、という見方もできる。

まあ、春秋に富む人々は、平均寿命よりは健康寿命を重視して人生設計をする(たとえば、ライフワークの完成をそれまでに行うことを目指すなど。)のがいいかと思う。

(以下引用)




『DNA解析による人間の本来の寿命は38歳』 2019年12月25日ニューズウィーク  

12月12日付科学誌サイエンティフィック・リポーツ論文で、研究者たちは動物が年を取るにつれてDNAがどのように変化するかを調べて、DNAの変化は寿命と関連していることを突き止めた。
動物は年と取るにつれ、生体機能が衰えていき、やがて寿命を迎える。
生物の青写真であるDNAは寿命の差を決定づけるが、今まではDNA配列から見分けることは不可能だった。しかしここ数年、DNAメチル化と呼ばれるDNAの特殊な変化を使って動物の年齢を特定する「DNA時計」の開発が進んできた。
データベース化されている252のゲノム(DNAの全塩基配列)を、別のデータベースにまとめられている既知の動物の寿命と比較、脊椎動物の寿命を推測することが可能だとわかった。
研究の結果、世界で最も長寿な哺乳類と考えられているホッキョククジラの寿命は268年。絶滅種のケナガマンモスの寿命は約60年だった。現生種のアフリカゾウもほぼ同じ約65年。
現生人類の絶滅した近縁種であるネアンデルタール人の寿命はたった37.8年で現生人類の38歳と同じだった。
(抜粋)



ゾウの時間・ネズミの時間『ネズミもゾウも、心臓は15億回打って 止る』本川 達雄



心臓が1回打つ時間を心周期と呼び、ヒトの場合はおよそ1秒。ところがハツカネズミは、ものすごく速くて1分間に600回から700回。1回に0.1秒しかかかりません。ちなみに普通のネズミは0.2秒、ネコで0.3秒、ゾウだと3秒かかる。
こういった時間を計り、体重との関係を考えてみると、どれも体重が重くなるにつれ、だいたいその4分の1乗に比例して時間が長くなるということが分かっています。
動物の時間は体長に比例する。つまり体のサイズの大きい動物ほど、心周期も呼吸も筋肉の動きもゆっくりになって「時間」が体重の4分の1乗に比例するということは、体重が2倍になると時間が1.2倍長くゆっくりになる。体重が10倍になると時間は1.8倍。例えば、30gのハツカネズミと3tのゾウでは体重が10万倍違いますから、時間は18倍違い、ゾウはネズミに比べ時間が18倍ゆっくりだということになりるます。
哺乳類の場合、いろんな動物の寿命を心周期で割ってみると15億という数字が出る。つまり、哺乳類の心臓は一生の間に15億回打つ。ハツカネズミの寿命は2−3年で、インドゾウは70年近くは生きますから、ゾウはネズミよりずっと長生きなのですが、心拍数を時間の単位として考えるなら、ゾウもネズミもまったく同じ長さだけ生きて死ぬことになるわけですね。15億回という心拍数から見た人間の動物的寿命は26.3年で、これは縄文人の平均寿命31年とほぼ一致する。
(抜粋)

「男子3日会わざれば刮目せよ」
なにも三国志演義でなくとも、男女とも人の細胞は半年で全て新しくなり分子的に見れば別人(新品)だが、40歳を超えるとDNAのコピーミスにより癌や老化が起きる。高齢化で1年で百万人ががんになる日本の小児がんは数千人、40歳以下のAYA世代のがんは3万人と圧倒的に少数。やはり癌は高齢者の病気だった。




 
 
 
 
『年々大きくなる平均寿命と健康寿命の差』
 
 
 
 
 
 
 
 
 


日本人の平均寿命は男女とも過去最高値だが、自立した生活を送れる期間「健康寿命」は平均寿命より男性は9年弱、女性は12年強も短い。平均寿命の男女差は6歳強だが健康寿命の男女差は半分の3歳である。これは医療技術や社会進歩による平均寿命の延びに比べて「健康寿命」の延びが小さいことが原因していた。(弱肉強食の野生動物ではこの差はゼロ)

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寒さは老人の大敵

私が不思議に思うのは、冬の寒さが厳しい地方でも、大陸の床下暖房(朝鮮ではオンドルと言ったかな? 中国ではカンとか何とか言うと思うが、漢字すらワードではなかなか出て来ない。)が日本では普及しなかったことだ。木造住宅だと床下暖房は火事の危険が大きいというためかもしれないが、大陸も木造住宅だったのであり、工夫の問題だろう。
まあ、いずれにしても冬の寒さが老人には大敵である、というのは同感で、そういう意味でも私は「地球温暖化は(それが事実なら)人類への恵み」だと言うのである。まあ、地球温暖化のために様々な自然災害が起こる、などというわけのわからない理屈は、もっと明確にその機序を説明してから言え、と言いたい。


さんがリツイート

前にも書いたけど、日本人の平均寿命が格段に延びたのは医療のおかげでもあるけど、暖冷房器具の普及も大きい訳で。特に冬場は暖房で室温を20度程度にして置かないと年寄りほど肺炎で死ぬから。銀の父方の祖母も肺炎が元で死んでる。医療費抑制と健康寿命維持にはまず快適な室温調整からw





(注)オンドルとはこんなもので、イラストを見れば仕組みは簡単だが、言葉の記述だけでも理解できるだろう。床下の「板石」が日本ではなかなか手に入らなかったのだろうと思う。


本来の形式は台所で煮炊きしたときに発生する煙を居住空間の床下に通し、床を暖めることによって部屋全体をも暖める設備。火災の危険を避けるためオンドルを備えた家の土台はすべてクドゥルジャン구들장)という板石を用いて築き、部屋の床は石板の上を漆喰で塗り固め、その上に油をしみこませた厚紙を貼る。朝鮮半島においてはすでに三国時代から使用の痕跡が見られ、飛鳥時代の日本に渡来した高句麗百済出身者もオンドルを備えた家に住んでいたらしい。しかしこの暖房方法は、日本では多く受け入れられなかった。


台所で調理する際の排気を利用した暖房システムだが、炊事を行わない時も暖房用として竈に火を常時入れておく。台所が無い別棟には、暖房目的での焚口を作る。また、暖房の必要が無い夏季はオンドルに繋がらない夏専用の竈を炊事に使用する。しかし床下の殺菌、殺虫目的で半月に一度ほどオンドルに火を入れることもあった。



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老人には老人のための医療が必要

おそらく、医薬業界の統計資料などは、老人をあまり対象としないで作られており、青年や壮年には適していても、老人には適していない医療や薬物投与が行われている可能性が高いのではないか。
たとえば、高血圧の基準にしても、基本的に老人は血圧が高くなるのだから、それは自然の摂理であり、それによって老人の身体の機能が維持されている可能性もある、と見るべきではないかと私は思っている。まあ、つまり昔流の「年齢+90」が正しい正常血圧範囲だと思うのだが、今はどの年齢でもどの体格でもすべて同じ基準にされている。
脳梗塞や脳溢血の可能性にしても、血圧が高かろうが低かろうが、高齢になれば血管は中古品であるわけで、むろん、血圧や何やに注意して生きるのも結構だが、どんなに注意していても、いつでも誰でも脳梗塞や脳溢血になることはある、と覚悟して生きるべきではないかと思う。
要するに、ポンコツの中古自動車は、いつエンストして完全にお釈迦になってもおかしくはない、と思うべきだろう。
平均寿命がいくら高くても、それは一部の「異常なほど頑丈な連中」が、認知症などになってベッドに括りつけられたりしながら延々と生きて平均寿命を延ばしているにすぎない。通常の人間の望み得る平均的な寿命というのは「古来稀なり」という、古希あたりではないかと私は思っている。まあ、それを超えても頭も感覚も運動機能も正常というのは、羨ましくはあるが、痴呆症になって後も長生きするのは私はあまり嬉しくはない。


(以下引用)



【高齢者 低血糖で重大事故恐れ】


高齢者はわずかな低血糖状態でも認知機能が低下し、重大な交通事故を起こす恐れのあることを指摘した論文が、学会の英字誌に掲載された。「運転前にどら焼きなどを食べると防止できる」と呼び掛けている。






(追記)砂糖は体に悪いとか塩は体に悪いとか言うのも、人や年齢によりけりだろう。炭水化物など、一日の活動の多い人間には必須であり、誰もがダイエットすればいいというものではない。特に糖分は脳のエネルギー源であり、棋士の中には対局前に甘い物を摂取する人が多いという。名前は失念したが、「馬鹿の壁」の筆者(今思い出した。養老孟司である。)は、大学受験の時に血管にブドウ糖液か何かの糖分を注射し、その日は頭脳が異常に明晰に働いたと言う。東大に合格したのはそのおかげだとか何とか。受験シーズンにこんなことを書くと、お医者に駆け込む受験生やその親がたくさん出てきそうだwww 念のために言うが、受験日以前の知識の蓄積が無いと、受験当日に注射しても無駄である。 まあ、甘い物を馬鹿食いすることを勧めているわけではない。何事も、過ぎたるは及ばざるがごとしである。



さんがリツイート

記憶喪失だった爺さんを保護して、持っていた携帯で家族に電話をかけさせたら「あんた饅頭食べ!」と聞こえてカバンを見たらちゃんと饅頭が。
モソモソと饅頭を食べ終えた途端に、爺さんがシャキッと復活という経験がある。









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