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除染作業の利権化と一般人排除

前の記事に関連して「東海アマ」ツィッターから転載。東海アマ本人のツィートではなく、他の人のリツィートらしい。どうもツィッターというのはよく分からん。
それはともかく、すでに放射能の除染作業が利権化しているのには驚いた。いや、驚くほうが馬鹿か。すべて金が動くところは利権が発生するのがこの世界の常だ。とくにお役所を通すとすべて利権化する。


(以下引用)


nishikura2010 NISIKURAKIYOSHI
tokaiamaがリツイート
南相馬ではとんでもない事が起きている。ある除染専門家集団がボランティアで除染をしているところに東電系の除染会社が除染作業の利権を囲い込もうとして、妨害工作に出ている。小学校のプールの除染作業現場テントに建設用重機機が突進してきたりする。しかしこれらが報道されることはない。
8月16日

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シジュフォスの労働も永久運動の動力にできる

「種蒔きジャーナル」の小出浩章助教授発言を書き起こした文章である。
原発事故問題は、「たねまき」ではなく、「玉ねぎ」の皮むきのように剥いても剥いても何も出てこない状態だが、土壌の「除染」にしても、剥がした表土を処理する方法がなく、結局はまたどこかに山積みしているだけである。要するに、放射性廃棄物の処理方法など無い、ということだ。まさかすべての汚染土壌を地下数百メートルのところに埋める作業をするわけにもいかない。それに、本文中にも書かれているように、汚染された森林の土壌など、剥がすこともできないだろう。森林にブルドーザーが入れるわけがないのだから。ならば手作業でやるか、という話だ。
したがって、本気で福島原発事故の処理をするならば、これは膨大な雇用機会が生まれることになる。今の大不況を克服する一大産業が生まれることになるわけで、その金を日銀の紙幣大増刷で補填すれば、一気にデフレも克服され、円高も是正されることになる。
すべてハッピー、ハッピーという話なのだが、まあ政府にはそれをやる意志も頭も無いだろうな。


(以下引用)

千葉「あと小出先生、あのー、国はですね、緊急時避難準備区域の解除にともなって、除染、放射性物質の除去をするという風に言ってるんですけれど も。これ学校などの場合は、校庭の土を取り除くというようなことで、まあ、ある程度分かるかなって気がするんですけど。福島県って山や森の多い県ですの で。例えば森林の除染とかってできるんでしょうか」

小出「できません。ですから、今千葉さんおっしゃったように学校の校庭とかですね、そういうところはもちろん、むしろやらなければいけない、のです けれども。そうでない場所。森林とか、えー田畑とかですね、そういうところの除染などもう出来る道理がないのであって。えー、あたかも除染ができるかに、のように言うことそのことがまずは間違えています」

千葉「はあー。いや、でも除染が出来ないということになったらですね、」

小出「はい」

千葉「えーそこはどうしていったらいいんでしょうか」

小出「えー、もう被曝を覚悟でそこに戻るか、あるいはやはり1年間に1ミリシーベルトという基準を守って、そこにはもう戻らずにそこを捨てるか、ど ちらかの選択をする以外にないと思います。で戻る場合には、最低限子どもの被曝は少なくしなければいけないので、えー、校庭とか、幼稚園の園庭とか、子ど もが遊ぶ場所だけはとにかく徹底的に除染をすると。土を剥いだりですね、側溝とか会所(※?)の泥を上げるとか、そういう作業は必須だと思います。」

千葉「ふうーん。でも、やっぱり森林のように除染が出来ないっていう場所は確実に残っていくわけですか」

小出「要するに、そうです。広範に残ると思います。」

千葉「はあ……。じゃあ例えば学校の除染、土をよけたりとかいって除染ができるような場所でも、その、よけた後の土の処分方法なんてのは決まってないわけですね」

小出「そうです」

千葉「で、広い地域でするってことになると、またかなり大量に汚染物質できるとおもうんですけれども」

小出「はい」

千葉「これはもう本当にどう処理していったらいいんでしょうか」

小出「そうです。除染という言葉を私たち使いますけれども。えー、決して放射性物質そのものがなくなるわけではありません。どこか別のところに移す ということしか私たちはできない、わけで。えー例えば、初めの頃に郡山市がですね、学校の校庭の土を剥ぎとって、市の処分場に捨てに行ったところ処分場周辺のかたがたが嫌だと言って断ったのですね。それでしょうがなくて、また、校庭に持ち帰って山積みしたということがありましたけれども。えーそんなことは 本当はしてはいけない、のです。剥ぎ取った土は本当はどこか、えー、人々が触れないようなところに持って行って集めてそこに埋める。あるいはお守りをする ということをしなければいけない、筈だと、思います。えーではそれをいったいどこにするのかと、いうことになってしまうと本当にどうしていいかわからな いという状態に私自身もあります」

千葉「ふうーーん。そんな状態のまま色々物事が進められていて、除染も語られているということなんですね。」

小出「そうです。でも私自身は学校の、校庭の土とかそれは必ず剥ぎとれと私は言っていますので。やらなければいけないと思います。やった後のでは汚染した土をどうするのかというところで、ほんとうに難しい問題だ、が、まだ残るということですね。」

千葉「ふうーーん。はい、わかりました。どうもありがとうございました」

小出「いいえ。ありがとうございました」



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教養の今昔

miyasan bot という、おそらく宮崎駿の発言を集めたツィッターから転載。どうもこのbotというのはよくわからないが、断片的発言には著作権はない、という発想で作られた、「他人の褌で相撲をとる」ツィッターだろうか。まあ、私のブログも半分は他の記事の引用だが、半分はそれに関する私自身の考察だ。どうも、他人の発言の引用をするだけのbotというシステムには私はなじめそうもないが、まあ、立派な人のいい発言を拾って拡散するのは悪いことではない。

下記発言は、べつに珍しいことを言っているわけではないが、現代の反教養主義への批判として聞く価値がある。
しかし、我々の若いころの教養は、権威や体制によって認可された教養しか選択肢がなかったのであり、したがって世の中の真実を知ることはほとんど不可能だった。だから、その専門分野では完璧な教養人が、社会的な事実に関しては完璧に無知で無能であることも多かったのである。現在はインターネットの存在により、かつては秘匿されていた情報が一般に流出することが多くなり、ある意味では今の中学生や高校生の方が、今の大人たちより精神年齢は高い面もあると私は思っている。これもまた「知は力なり」なのだが、宮崎駿氏の考える教養とは、おそらく大きく異なるだろう。


(以下引用)


miyasan_bot 宮さん(宮崎駿)bot
学生時代に本を読まないのは勝手だけど、そのつけは全部自分が払うんだから。知識や教養は力じゃないと思っているやつはずいぶん増えたけど、結局、無知なものはやっぱり無知ですからね。どんなに気が良くて、どんなに一生懸命でも、ものを知らないというのは自分がどこにいるか知らないことですから。
8月16日

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日本の役人と研究者

勝川俊雄という大学の先生のブログから転載。
日本の役人のやり方がはっきりと出ていて面白いので引用する。「外部委員なんて不名誉職」という勝川氏のフレーズは痛烈だ。

この人はなかなかの硬骨漢で、日本の漁業の未来を憂えて「持続可能な漁業」を推進しようとしているのだが、日本の「根こそぎ」漁業の現場や、それにおもねるお役所にかなり苛立っているようだ。お役所というところは一般国民には冷たいが、業者とは半分癒着し合ったような仲だから、業者への規制は抜け穴だらけであったりする。そもそも漁業権というもの自体が不思議なもので、なぜあのような既得権益が一部の人間にだけ許されているのか疑問に思う人も多いだろう。
漁師や漁協が言うように「俺たちが海や川を守ってきた」という面もあるにはあるだろうが、乱獲によって海産資源を滅亡させるのもまた彼らである。いわゆる「混獲」によって無駄に捕獲されて海に投棄される魚や海洋生物は、漁獲高の三分の一に相当する量だという話もある。そして、おそらくそのほとんどは死ぬわけだろう。
福島原発の汚染水が海に流れ込んだために、魚類や貝類などの放射能汚染が懸念されているが、勝川先生によれば、福島近辺の海流は親潮と黒潮がぶつかり、太平洋方面に流れていくので、近海の汚染は少ないようだ。また、遠洋に海流が出た後は、希釈によって放射能濃度はかなり低くなるとのこと。まあ、どの程度から安全なのかはおそらく専門家でも断言はできないとは思うが、近海の海産物を買う人間はかなり少なくなるはずだ。東日本の漁業は津波と原発事故から当分は復旧できないだろう。この機会に、これまで当然視されてきた「既得権」関係も含め、日本の第一次産業を見直すべきではないだろうか。もっとも、それが「外資による日本支配」にならないように注意する必要はあるが。


(以下引用)

北海道ブロックの資源評価外部委員をクビになった
o 2010-05-26 (水)
o 日記

水研センターの委託事業である、北海道ブロックの資源評価の外部委員というのを2004年からやっている。北海道の資源評価(スケトウダラ、ホッケなど)について、専門的な視点からアドバイスするのが役目だ。水研センターの上の方の意向で、「今年からは来ないでくれ」ということになった。その背景について説明しよう。
水研センターは、今回の事業仕分けの対象にもなった、水産庁の天下り先である。ただ、一般的な天下り法人とは違い、水研センターには、研究組織としての実態がある。水研センターは、北海道から沖縄まで、日本全国に拠点を持ち、日本の水産研究をリードしてきた由緒正しい組織なのだ。農水省由来の理事たちは、月給80万円で役所に都合が悪い研究をしているものがいないか監視しているわけだ。理事の経歴を一切書いていないのは、やましいからだろうね。(事情により一部削除、詳しくはコメント欄を参照)
研究機関である水研センターでは、水産庁の意向は絶対だ。上司の許可がないと論文も発表できない。中間管理職が水産庁の意向にそぐわない研究はないかと常に目をひかされて(引用者注:光らせて?)いる。「論文を書いたのだけど、上司に止められて、投稿できなかった」とかいう話を、しばしば耳にするのだけど、同じ研究者として胸が痛む。苦労して論文書いても、発表できないリスクがあるので、もめそうなテーマは誰も選ばなくなる。結果として、養殖だとか、産卵場探しだとか、海洋環境で魚が減っただとかいう研究ばかりに人が集まり、資源のことをやる人間はほとんどいない。社会からは、もめそうなテーマほど、科学が求められているのだけど、社会的要請に背を向けているわけだ(まあ、これは大学も同じだけどね)。
その水研センターが、水産資源の評価業務を一手に引き受けている。日本の大学で、資源をやっているところは、ほとんど無いので、水研センターがやるのは仕方がないのだけど、当然、水産庁の意向が色濃く反映される。マイワシだのサバだのは、TAC(引用者注:漁獲枠)を設定していること自体が非常識なほど資源が減っているのだけど、あり得ない量の漁獲枠が設定されている。最初に業界の意向ありきの資源評価になっているのだ。資源評価の担当者が、まず、業界と打ち合わせをするって、常識的に考えておかしいだろ。
国が設定する漁獲枠(TAC)は、科学者が推定した生物学的許容漁獲量(ABC)を大幅に超過していた。この問題をメディアでしつこく指摘したので、水産庁は去年からTACとABCを等しくする方針を示した。これ自体は良いことなんだけど、業界の言い値であったTACを本来のABCまで下げるのではなく、資源評価に介入し、業界意向に沿ってABCを上げているのが実情だ。
毎年、決定したABCを報告する全国評価会議というのがある。ちょうど東京にいたから、冷やかしで出席をしたんだけど、酷かったね。マイワシは、普通の国ならとっくに禁漁にしているような低水準なんだけど、資源を回復させようとしていない。「増えた分は根こそぎ獲っちまえ」というスタンスで ABCを決めていた。俺は次のように質問をした。
俺「昔(TACとABCが乖離していた時代)は、資源回復を目標にしてABCを設定し ていたが、なぜ回復させない方針に変わったのか?」
水研担当者「水産庁の中期的管理方針で、資源量を現状維持にせよとあるので、それに従ってABCを決定した」
俺「中期的管理方針でマイワシは回復させなくても良いということだが、それはどのような生物学的根拠に基づいているのか?」
水研担当者「わかりません」
水産庁担当者「この場では即答できないが、水産政策審議会の議事録をみれば解る」
というようなやりとりがあった。ABCを決める方針について、最終的な会議でだれも説明できない。こんなの、資源評価じゃないだろう。でもって、水産政策 審議会の議事録を隅から隅まで探したけど、そんな記述はどこにもない。マイワシのABCはなんの説明責任も果たしていないのである。
「TACとABCの乖離を無くしました」と水産庁は威張っているけど、そんなのそもそも当たり前。さらに、近年は、ABCへの行政の介入が増えているので、実態は何一つ変わっていないどころか、悪くなっているかもしれない。そんななかで、現在もTACがABCを大幅に上回っている魚種が一つだけある。スケトウダラだ。その理由は、北海道にはうるさい外部委員がいて、水産庁資源管理課の思い通りにABCを操作できなかったからである。
http://katukawa.com/2006/08/post_29.html
http://katukawa.com/2006/08/post_30.html
役所にとって、外部委員というのは、自分たちの方針にお墨付きをあたえて、素人を黙らせるための道具にすぎない。その道具に、自分たちの方針をひっくり返されたら、おもしろくないわけだ。理由を付けて排除をしようとするのは当然だろう。以前も「勝川を辞めさせろ」と上から圧力がかかったことがあった。そのときは、俺も必死だったし、いろいろあって続投をすることになった。当時の北海道ブロック会議では、俺一人が突っ張っている状況だったから、俺が抜けたら資源評価が骨抜きにされるという危機感があった。
今は、かなり状況が違う。漁業とは独立した音響資源調査も軌道に乗り、魚がいないということは漁業者も納得済みだ。研究者にも、資源評価の場として、ちゃんとした数字を出そうという意識が育っている。他の外部委員も、俺以上にびしっと言ってくれるようになった。俺がいなくなっても、北海道ブロックの資源評価はグダグダにならないと信じているので、今回は、安心して、辞めさせられることができる。
今後は、北海道ブロック以外のABCを批判していくつもりなので、外部委員を辞めるタイミングとしては悪くない。そもそも、外部委員なんて不名誉職であり、解任された方がかえってハクがつくというものだ。

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10秒で正しい判断をしないと2億円の請求

「ゲンダイネット」から転載。
私は、こういう自然災害時の責任者の判断は裁判になじまないと思う。つまり、裁判にかけるべきではない、ということだ。誰がこういう場合に、とっさに正しい判断ができるだろうか。できたとしても、それはただ偶然的な幸運で、結果的に正しい判断になっただけではないか。そして、結果的に間違った判断をしたことになれば、裁判にかけられ、2億円という法外な賠償金を請求される。どこの世界に、2億円を払える幼稚園経営者がいるか。
子供を亡くした親は可哀そうではある。だが、家族を亡くした人は無数にいるが、それが国や地方自治体を相手に裁判を起こすだろうか。明らかな国の過失である福島原発避難被害についても、住民はまだ裁判に訴えていない。その理由は、相手が個人なら裁判で勝つ可能性が高いが、国家(政府)相手では勝つ可能性がほとんど無いからだ。
こういう状況で、幼稚園に対して裁判に訴えるのは、弱い者いじめに近いと私は思う。金の取れる相手から取ろう、というだけだ。子供を亡くした親への同情があるから、誰も表だってはそれを批判はしないが、おそらく彼らに対して、悪口を連ねた手紙やメールがこれから殺到すると思うし、逆に私のこのブログにも「子供を亡くした親を批判する血も涙も無い人間だ」という批判が来るだろう。
被害者ならすべて善だということもないし、被害者の行動がすべて正しく、どういう行動を取っても許されるということもない。
私がそういう渡部昇一や曽野綾子みたいなクズ保守派的発言をするなど、普通なら考えられないが、この件に関しては、それが正直な感想である。


(以下引用)

東日本大震災 気になる裁判の火種
【政治・経済】 2011年8月11日 掲載


宮城県で園児の遺族が提訴

 東日本大震災の犠牲者をめぐってついに裁判が持ち上がった。宮城県石巻市の日和幼稚園の園児の遺族が、同園を相手に民事訴訟を起こしたのだ。
 遺族側の主張では地震発生から約15分後の3月11日午後3時ごろ、幼稚園は送迎バスに園児5人を乗せて帰宅させ、その途中、津波に巻き込まれて全員が死亡。犠牲者のうち4人(5~6歳)の遺族が、幼稚園の対応に問題があったとして計2億6680万円の賠償金を求めている。
「この幼稚園では“一刻も早く園児を保護者に返そう”と、2台のバスに子供たちを分乗させて出発。犠牲になった子供たちのバスは沿岸部に向かい、横転したうえに火災に巻き込まれた。一方、もう1台のバスは津波が来ると聞いて幼稚園に引き返したため全員無事でした」(地元関係者)
 今回の大震災ではほかにも裁判の火種になりそうな悲劇が起きている。
 そのひとつが福島第1原発で作業員2人が死亡した事故。地震直後、現場の当直長から4号機タービン建屋を点検するよう指示され、建屋の地下で津波の犠牲になった。津波警報が発令されていたのに2人を避難させなかった理由を、東電広報部は「屋内作業を制限するルールがなかった」と説明する。
 もうひとつ気になるのが岩手県大槌町の役場で起きた事故だ。地震直後に加藤宏暉町長が災害対策会議を招集。役場の駐車場に25~30人の職員が机やイスを持ち出して用意しているところを津波が襲い、加藤町長ほか職員・臨時職員40人が犠牲になった。地震警報が発令されているのに避難より会議を優先したとみられ、ある報道では遺族の一部が「いまだに公式な説明がないのはおかしい」と怒りをぶちまけている。
 何が原因だったのか。岩手県に問い合わせてみたが、「大槌町役場の津波事故についてはまだ事実を把握していません。避難を優先させるのは今後の課題ととらえてますが……」(総務部総合防災室)とはっきりしない回答だった。
「日和幼稚園の訴訟に触発されて、全国で裁判が起きる可能性は高い。再発防止のためにも法廷で真相を究明し、現場の判断が正しかったかを追及するべきです」(防災コンサルタント)
 まずは日和幼稚園の裁判に注目だ。
.

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津波で倒れた木に放射能があるという不思議

毎日新聞の記事である。五山送り火がどうこうとかはどうでもいいが、問題は、なぜ「津波で倒れた木の薪」の表皮からセシウムが検出されたかである。福島原発事故の発生は津波の直後であるから、津波で倒れた木にセシウムが付着するのは時間的におかしいのではないか。
考えられる理由は
1)実は福島原発事故以前から、各地の原発施設からは放射能が海や大気に垂れ流されていた。
2)津波で倒れた木が海水や汚泥に漬かっている間に、福島原発事故での放射能が海流や気流に乗って北上した。
3)五山送り火会のメンツのために、「やっぱりセシウムが付着していた。当初の送り火会の判断は正しかったのだ」と広める意図で、セシウムはあったということにした。
などが考えられる。
まあ、多分、1)が正しいと思うが、そうなると、我々日本国民は福島原発事故以前からとっくに放射能汚染された生活を営んでいたのである。
原発との共存など、もともと無理な話だろう。


(以下引用)



<五山送り火>陸前高田のまきからセシウム検出 使用中止
毎日新聞 8月12日(金)16時14分配信


拡大写真
岩手県陸前高田市から京都市に届けられた後、放射性セシウムなどが検出されたまき=京都市で2011年8月11日午後3時5分、古屋敷尚子撮影

 東日本大震災の津波で倒れた岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松から作ったまきを京都市の「五山送り火」(16日)で燃やす計画で、京都市は12日、まきの表皮から放射性セシウムが検出されたため計画を中止すると発表した。送り火の実施主体の五つの保存会は同日、市の決定に従うことを決めた。【古屋敷尚子、田辺佑介】

 当初、大文字保存会が単独で送り火で燃やす計画だったが、放射能汚染を懸念する声が京都市などに寄せられ、断念。すると、「風評被害を助長する」などの批判が市に殺到し、門川大作市長が別のまき約500本を取り寄せて燃やすことを五山すべての保存会に要請し、いずれも了承していた。

 京都市によると、松から切り出したまき(長さ約30センチ)の表皮から放射性セシウムが1キロ当たり1130ベクレル検出された。表皮を除いた幹の部分からは検出されなかった。野焼きの際の放射性物質に関する基準値はなく、市が専門家に問い合わせたところ、「国の基準がない以上、安全という見解は出せない」との回答だったという。

 今回のまき500本は11日に陸前高田市からトラックで運ばれ、京都市の検査会社「島津テクノリサーチ」に移送。12日午後、市に結果が報告された。500本すべてから表皮のかけら計1キロ分を集め、検査したという。

 門川市長は会見で、「陸前高田市をはじめ東日本大震災で被災した皆さんに心からおわび申し上げます」と陳謝。「放射性物質が検出されないとの前提が崩れたから中止する。被災地のまきが安全か否かを判断したのではない」と説明した。幹の部分だけを燃やすことは「議論していない」とした。

 まきは現在、京都市内の民間の倉庫に保管されているが、処分方法は決まっていない。門川市長は「送り返さず、京都で対処したい」と話した。

 ◇陸前高田市長「慎重にやってほしかった」

 岩手県陸前高田市の戸羽太市長は12日、「関係者の善意が結果的にこういうことになり、市民にも心配をかけている」と遺憾の意を示した。京都市に対しては、「風評被害を広げ、他の被災地にも京都市民にも迷惑がかかっている。もっと慎重にやっていただきたかった」と苦言を呈した。門川大作・京都市長から陸前高田市を訪ねる意向が示されたが、同市は「お気持ちだけで結構です」と答えたという。

 ◇専門家 測定数値は「問題ないレベル」

 測定結果の数値について、専門家は「問題となるようなレベルではない」と話す。国際放射線防護委員会の主委員会委員、丹羽太貫・京都大名誉教授(放射線生物学)は「仮に表皮を1キロ食べ、全て体に吸収されたとしても取るに足らない線量」と指摘した上で、「意味のないクリーンさを求めた今回の判断は被災地の方々の気持ちを踏みにじるものだ」と指摘する。

 また、安斎育郎・立命館大名誉教授(放射線防護学)は「五山の送り火は伝統的神事という性格を持つ。放射能がけがれのようにとらえられたのではないか。今回の件は科学の問題ではなく、文化の問題となっている。解決も文化的に行うべきで、犠牲者への追悼のセレモニーをやった方がいい」と提案する。【根本毅、須田桃子】

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スロウ忍氏による次期総理候補者の寸評

「スロウ忍」ブログから、次期総理候補者の寸評を転載する。この中では小沢鋭仁を高く評価しているようだが、小沢鋭仁という人物についての評価は他の場所ではほとんど聞いたことが無いので、いきなり総理になるというレベルの人物とは思えない。とは言っても、「地位が人を作る」のだから、たとえ政治家1年生の新人でも、(もちろん、小沢鋭仁はベテランだから、これはただのたとえだ)総理になれば、それなりに働けるとは思う。まあ、しかし、小沢鋭仁を除けば、この中にはロクな人物はいないな。
私は馬淵澄夫は「耐震偽装評価問題」での活躍で高く評価していたのだが、産経がプッシュしているとなると、危ない人物か。


(以下引用)



引用に拠ると、次期首相候補として、野田佳彦財務相、馬淵澄夫国交相、小沢鋭仁元環境相の三人が立候補の意欲を見せていおり、他にも鹿野道彦農水相、海江田万里経産相、それに前原誠司前外相らの出馬も取り沙汰されているとのことである。


●野田佳彦
松下政経塾出身のアメポチ、財務官僚ポチ。
言わずと知れた増税派。
http://surouninja.seesaa.net/article/219238610.html

●馬淵澄夫
元花斉会(野田グループ)のメンバー。
増税派。
隠れ原発推進派。
ネトウヨ産経がプッシュ。
http://surouninja.seesaa.net/article/217172976.html

●小沢鋭仁
鳩山グループ。
欧州をモデルにした「高福祉中負担社会」。
増税反対派。
民主党マニフェスト重視派。
環境関連の公共事業で雇用回復。
インフレターゲット論者。
TPP参加慎重派。
原発からの段階的撤退。

●鹿野道彦
石原慎太郎都知事がプッシュ。
増税反対派。

●海江田万里
鳩山グループ。
TPP参加推進派。
消費税増税慎重派。
経産相として経産官僚に原発事故の責任を取らせ人心一新。
http://surouninja.seesaa.net/article/218286597.html

●前原誠司
言わずと知れたネオコンロボット。
政策は説明不要。


上記を見る限り、民主党マニフェスト遵守派であり、増税やTPP参加には否定的な「小沢鋭仁」が、国民にとって最もメリットがありそうである。

惜しいのが「鹿野道彦」と「海江田万里」である。前者は石原都知事がべた褒めしているのがどうも引っ掛かるし、後者はTPP参加推進派というのが痛い。

其れ以外の奴らは全員、官僚や多国籍企業の代理人=“売国奴”と見て間違い無いだろう。震災復興の此のタイミングで官僚に日和見し、増税を主張するなど以(もっ)ての外である。

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