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地方は中央の残飯でもお食べ

京都に引越した時、あまり多くの荷物はすぐには運べないので、本などは適当に数冊選んで持ってきた。その中に、ずっと前に買ってまだ読んでいなかったヘンリー・フィールディングの『ジョウゼフ・アンドルーズ』などもあった。まだ読んでいなかったというのは、この本は、作者があの大傑作『トム・ジョウンズ』を書く前の、作家として未熟な時代の作品で、読むのに気分が乗りにくい作品だったからだ。しかし私は凡才の秀作よりも天才の失敗作の方が興味深いという考えの持ち主なので、そのうち読もうと思っていた。引っ越し後、暇な時間がだいぶあったので、それを読み進めているわけだが、その中に、原発や在日米軍基地の問題の本質につながるような一節があったので、紹介する。

「夫人(夢人注:女地主で、かなり嫌な性格の女である)が村に入ると、教会の鐘が鳴り、貧乏人たちが歓呼して迎えた。彼らは、女主人が長い不在の後に帰ったのをみて喜んだのである。なにしろ夫人の不在中は年貢はことごとくロンドンに吸い上げられ、村内ではただの一シリングも使われず、そのため彼らの困窮に少なからず拍車を加えていた。もし、ロンドンのような都会に宮廷がなかったらわびしいかぎりであろうが、むしろそれ以上に地方の小さい村では大財産家の不在はこたえるのである。第一そのような家族が住んでおれば、村人には始終なにかしらの仕事や給与があるし、彼ら(夢人注:村の大金持ち)の食卓の残飯は、病人や老若の貧民を十二分に養い、しかもそれをふんだんにほどこしたところで、奇特な彼らの懐中は少しも痛まないわけなのだ。」(朱牟田夏雄訳 岩波文庫)

この「大財産家」を東電や関電、すなわち原発としてもいいし、米軍基地としてもいいだろう。ちなみに、この『ジョウゼフ・アンドルーズ』は18世紀のイギリスが舞台の「喜劇的叙事詩」(フィールディングが自分の小説をそう呼んだ。)であり、べつにプロレタリア文学ではない。
日本全国には、このように支配階級の「残飯」で生きている地方都市が無数にあり、残飯の中からいいところを真っ先に自分が取ろうと大騒ぎする地方自治体首長や議員たちもたくさんいる。べつに原発再稼働を推し進めているO町だけの話ではない。今、金が手に入れば子子孫孫奇形児が生まれてもかまうものかと豪語した地方自治体首長もどこかにいた。自分たちさえ肥え太れば、町民全体が被爆しようが、他の市町村まで被爆しようが、後は野となれ山となれ、というわけだ。基地の誘致も同様だ。基地外の盆踊りである。(「死霊の盆踊り」は映画の傑作タイトルの一つだと私は思っているが、中身は最悪らしい。)

ついでながら、朱牟田夏雄による『トム・ジョウンズ』の翻訳は古今の名訳である。まあ、夏目漱石レベルの日本語力があってはじめてできる名訳だろう。その『トム・ジョウンズ』は世界でもっとも面白い文学作品の一つであるが、もしかしたら岩波文庫でも絶版になっているかもしれない。古い物はどれほど価値があってもどんどん見捨てられるのが現代である。その結果は、現在のテレビ番組や雑誌や新聞を見ればよく分かるだろう。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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