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私という、有機交流電灯のひとつの青い照明

小谷野敦の或る本を読んでいたら、宮沢賢治の

「私という現象は仮定された有機交流電灯のひとつの青い照明です」

という言葉が出てきて、もちろんこれは賢治の処女作品集の序文に出てくる有名な言葉で、アニメ映画「銀河鉄道の夜」のラストにも使われて見事な効果を上げたものだが、その言葉を久しぶりに見て、やはり宮沢賢治は凄いなあ、と思ったのだが、それは、「私」という存在を「現象」と見ていることを凄いと思うからだ。科学者の目で自分自身を観ているイメージだ。

つまり、「私」とは、この世界に無数に存在する「現象」のひとつにすぎない、という、自分を特別視しない姿勢がここにはある、とするのは誤読だろうか。私がそう解釈した理由のひとつは、その「現象」も、ひとつの「仮定された世界の中の現象」だということが文脈から伝わるからだが、その「仮定」はもちろん「世界解釈」の一つであって、現象自体はちゃんと存在しているのである。自分という存在を無意味だというニヒリズムではなく、世界そのものが素晴らしい中で、自分もその中のひとつの現象として存在している、とでも言えばいいだろうか。
下に挙げるのは、宮沢賢治の詩「目にて云ふ」だが、ここで死を目前にしながら、五月ごろの青い空と気持ちのいい風にうっとりとしている人物は、賢治の「世界に対する姿勢」そのものだと思う。





だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。












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雨の音が聞こえる

現在、深夜2時半過ぎだが、ここ(南海の某県の海浜地帯、気温は20度くらい)では雨が静かに降っている。目が覚めてまもなく雨の音が聞こえたので雨が降っていることに気が付いたのだ。
と同時に、雨の音を聞くといつものことだが八木重吉のあの詩を思い出す。正確には思いだすのは最初の2行だけだが、後半の2行もうっすらと内容はわかっていて、その後半の2行で前半の2行が(後半部分は目には見えないまま)支えられているというイメージだ。


 


雨の音がきこえる


雨が降っていたのだ


あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう


雨があがるようにしずかに死んでいこう





前半2行だけでも素晴らしい詩で、こんな単純な言葉で「我々はいつも、大事な何かに気づかないままに生きている」という人生の実相を、優れたイメージで描き出せるのが八木重吉という詩人だ。彼の一生の作品が仮に前半2行の「雨の音が聞こえる 雨が降っていたのだ」だけでも、永遠に文学史に残っていい詩人だろう。
さらにこの詩の最初の1行だけでも素晴らしいフレーズであり、これを自分の漫画のタイトルにしたのが、「漫画界の桂冠詩人」である大島弓子だが、その漫画のタイトルが八木重吉の詩だったことを私が知ったのは彼女の初期のその漫画を読んでからかなり長い時間が経ってからだった。



















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立原道造の詩について

これも昔書いて、わりと気に入って紙にプリントして保存していたものだが、当時のワープロではアンダーラインや四角で単語を囲むなどの作業ができず、ワープロ印刷したものに鉛筆で書き込みをした不細工な原稿である。この機会に、それをパソコン記事にして公開するが、パソコンでも表現できない部分は適当に直すか省略する。こういう感じで詩の分析を続けるつもりだったが、これ以上の分析をすることもその後無かったので、「詩の分析Ⅰ」だけで終わっている。

(以下自己引用)色字化などは現在追加した部分であるが、文章は基本的に当時(30年以上前)のまま。

「立原道造の詩」(詩の分析Ⅰ-構造の面から)

 日本のすべての詩人の中で、立原道造ほど独特な詩情を持った詩人はないと思うが、その理由を明確に分析した人はいないようなので、私がそれを試みてみたいと思う。勿論、しごく粗雑な分析であるが、詩というものへの一つのアプローチにでもなれば幸いだ。
 彼の詩を読んで誰でも感ずるのは、その著しい音楽性だろう。彼の詩はまさに言葉による音楽なのである。そしてそれがまさに彼のめざしたところでもあるのだ。
 詩人として、言葉による音楽を造り上げようという望みを持たぬ者はいない。しかし、それに成功したのは彼だけである。(ここで言う音楽とは、単なる声調ではなく、本来の意味での音楽、つまりメロディとリズムを持った、一連の進行する音の流れのことである。)
 では、それはいかにして成功したのか。つまり、立原道造の詩のメソッドとは何かが、ここで私が考えようとしている問題である。

 言葉による音楽の創造という彼の意図は、それぞれの詩や詩集の題名からも明瞭である。
 たとえば、詩集の題名はこうだ。

「萱草に寄す」  *夢人注:「萱草」は「忘れ草」と読む。
「暁と夕の詩」
「優しき歌」

 それぞれの詩の題名もまたドイツ歌曲の題名のようである。
「はじめての夜に」
「またある夜に」
「晩き日の夕べに」
「わかれる昼に」
「のちのおもひに」
「夏花の歌」
etc,etc,……

 これらの題名を読んだだけで読者はまず音楽的な気分に誘われるだろう。つまり、タイトルによって心の準備がなされるのである。そして、詩の内容もその予想を裏切らない。
 
 次に、詩の内容を見てみよう。
 
 詩の主題として彼が選んだのは、何よりもまず、甘やかな「悲哀」である。たまに満ち足りた幸福感を歌うこともあるが、(「草に寝て……」など。)それは例外であり、彼の詩はおおむね喪失と悲哀とを歌っている。(喪失は悲哀の原因である。悲哀とは、何かを失ったことへの、または求めて得られぬことへの穏やかな悲しみの情である。)
 すべての感情の中で、美しい音楽を聞いたときの感情にもっとも似ているのは、あこがれと悲哀だろう。怒りも喜びも音楽的な感情ではない。だから、立原道造は喜びや怒りを詩の主題とすることはなかった。おそらく、彼の詩の九割以上は、あこがれか悲哀を主題としているはずである。


 彼の詩をもっとも特徴づけているのは、彼の用語である。音楽が、何よりもまず楽音と騒音とを区別するところから始まるように、彼は自分の詩の用語を選びぬいた。すなわち楽音しか用いなかった。そこが、彼の詩が少女趣味だと思われやすい原因にもなっている。
 彼が好んで使った言葉は、たとえばこんな言葉だ。
 
 月、光、夢、霧、道、花、空、夕闇、小鳥、物語、静かさ、風、追憶、星くず、せせらぎ、悔い、ほほえみ、愛、かなしみ、さびしさ、etc,etc,……

 これらが彼が楽音として選んだ言葉だ。しかし、それだけではもちろん音楽にはなりはしない。それらを用いてメロディを作らねばならないのだ。メロディは、ここでは文体ということになる。前にあげた、「きれいな」言葉のほかに、立原道造らしさを作り上げているのは、茫漠とした感じを与える言葉を多用していることである。具体的には、疑問と否定、婉曲な言いまわしの多用だ。(その結果は、ドビュッシー風のメロディになる、と言えるだろう。)

 「--であらう」「--かのやうに」「いかな」「何か」「--だらうか」「--もなく」「--もなしに」「--なくなった」「--ばかり」「どこに」「ひとよ」「どうして」等々。

 「--していた」という、静謐を感じさせる言葉も多く使われている。

 これらの用語が注意深く組み立てられたとき、そこに立原道造の世界が出現するのである。


   またある夜に

私らはたたずむであらう のなかに
は山の沖にながれ のおもを
投箭のやうにかすめ 私らをつつむであらう
灰の帳のやうに

私らは別れるあらう 知ることもなしに
知られることもなく あの出会った
やうに 私らは忘れるあらう
水脈やうに

そのは銀の 私らは行くであらう
ひとりはなれ……(ひとりひとり
夕ぐれになぜ待つことをおぼえた

私らは二たび逢はであらう 昔おもふ
かがみはあのよるをうつしてゐると
私らはただそれをくりかへすであらう

*色字は一般的な感傷性を帯びた語であり、下線部が立原道造独自の個性をかもし出している語である。
*この詩は各連の構成が「AABA」となっており、それ自体が音楽的である。


   晩き日の夕べに

大きな大きなめぐりが用意されてゐるが
だれにもそれとは気づかれない
にもにもうつろふ花らにも
もうひかれ誘はれなくなった

夕やみ淡い色に身を沈めても
それがこころよさとはもう言はない
鳴いてすぎる小鳥の一日も
とほい物語とを教へるばかり

しるべもなくて来た
道のほとりに なにをならって
私らは立ちつくすのであらう

私らのどこにめぐるのであらう
ひそかに しかしいたいたしく
その日も あの日も賢いしづかさに?



 言葉ばかりではなく、詩全体の構成もまた音楽的な組み立てを持っている。たいていはいくつかの(二つか、多くても三つの)メロディ、およびその変奏からなっているのだ。

(夢人注:この部分はかなり複雑な書き込みで、それを再現するのは相当の手間がかかるので、残念ながら省略する。詩は「またある夜に」と「わかれる昼に」を分析素材にしている。)

 ここには確かに、細心に考えぬかれた、効果の計算がある。つまり、彼は極度に意識的な、または方法を重視するタイプの作家(詩人)であった。彼の模倣者たちが成功しなかったのは、要するに方法への自覚が足りなかったためである。単なる感受性の相違だけではない。

 立原道造をナイーブな作家と見ることは誤りである。彼の作品の中に彼自身を探すこともまた誤りである。彼ほど私小説的な作家からほど遠い作家はいない。彼の詩はすべて注意深い効果の計算の上に成り立っている人工的なConstruction(建築物、構造物)なのである。(夢人注:彼の本職は建築家であった。)
 彼の恋愛が彼の詩のための材料集めにすぎなかったとすら考えることも不可能ではない。











 



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「死についての詩」

年末にふさわしく、昔書いた「死についての詩」という文章を載せておく。
まあ、「正月は冥途の旅の一里塚」ということで、正月を安らかに迎えてもらおうというわけだww 訳は私自身によるもので、誤訳は当然あるだろう。

(以下自己引用)



「死についての詩」

ポオがその詩論の中で言っているように、詩の主題として悲哀に勝るものはない。悲哀の中では死の悲哀が最大のものだろう。もっとも肉体の死だけが死ではない。


  愛について語るなお前の愛を  


愛について語るなお前の愛を
語られなかった愛もある
優しい風が
静かに 目にも見えず
動くかのように……

私は語った
私の愛を 私は語った
彼の人に
私のすべての思いのたけを
ふるえつつ 凍えつつ
恐れつつ……
おお、彼の人は去った

彼の人と別れた後
旅人一人私のもとを訪れ
音もなく 目にも見えず
溜息とともに
彼の人を連れ去った


(ウィリアム・ブレイク)



この詩は魂の死、すなわち忘却をうたったものだろうと思う。(本人に聞いたわけではないが)
一人の旅人とは「時」であり、時が彼の人の思い出を連れ去った、というのが第三連の意味だろう。溜息をもらすのは誰か。思い出自身か、私の気づかれざる心だろうか。

肉体の死をうたった優しい詩もある。


 歌


もしも私が死んだらあなた
悲しい歌を歌わないで
お願い、楽しい歌を……
私の枕元にバラや
陰深い糸杉を植えないで
雑草の生い茂るままにして
通り雨や露の濡らすにまかせ
そして
あなたが望むなら思い出して
そして、あなたが望むなら忘れて

私は影を見ることはないでしょう
雨を感じることもないでしょう
苦しむように鳴く夜鶯の声を聞くこともないでしょう
永遠の夕暮れの薄明かりの中で夢見て
幸せに私は思い出すでしょう
そして、幸せに忘れることでしょう

(クリスチナ・ロセッティ)*夢人注:実は、最後の連の中の「幸せに」は「haply」をhappilyと同義の古語だろうと勘違いした誤訳だが、この誤訳が気に入っているので、そのままにしておく。「haply」は「ことによると」の意味の古語である。

こううたえば死も優しいが、死は本来グロテスクで、こっけいなものである。イギリスの作者不詳の古い詩に、こういうものがある。

  二羽の烏

一人で歩いているとき
二羽の烏がささやき合うのを聞いた
一方が他方に言う
(どこへ行って今日は飯にありつこう)
(お前の後ろの古壁の向こうに
騎士の新仏があるのを俺は知っている
俺以外には誰も知らない
彼の鷹も彼の犬も彼の愛した女も)

(彼の犬は狩りをしている
彼の鷹は野のフクロウを追っている
彼の女は新しい愛人を作っている
俺たちはたっぷり御馳走をいただこう)

(お前は首の骨にとまるがいい
俺は青い美しい眼をつつきだそう
石で頭蓋を割った後
中身を巣に持っていってやろう)
(多くの人が彼の不在をささやくだろう
だが彼の行方は誰も知らない
すっかり白骨になったその上には
風がいつまでも吹くだろう)


我々が死を儀式化するのは、もしかしたらこういう真実に目をおおっていたいからかもしれない。我々の生とは、そして死とはしょせんこんなものであるという真実に。この詩は死を描きながら、生の姿をも描いているのである。












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名作が理解できない年齢と理解できる年齢

別ブログに載せた記事の一部だが、わりと大事なことを言っていると思うので、こちらにも載せておく。もっとも、同じようなことは何度か書いてはいるが、老人になって漫画(小説でも映画でも何でもいい)を読んでも新しい発見や感動はあるし、昔は理解できなかったことが理解できることもある、ということだ。

(以下引用)


ちなみに、私は手塚治虫の「W3」をこの前、市の図書館から借りて読んで、素晴らしく面白く感じたのだが、それを中学生のころに読んだ時には幼稚だと思ったのである。つまり、幼稚だったのは私であり、私はそれを理解するレベルでなかっただけだったのだ。実は「戦争と平和と人類の存続」という重いテーマを、子供むけの冗談やギャグを連発しながら、人類の未来への希望を描いた作品であり、中学生には分からないのもある意味当然だったのであり、ラストは見事なタイムトラベル落ちになっている。
今の若い人が昔の作品を古いとか面白くないと思うのは、実はそれを理解できる水準に自分が達していないだけ、という可能性が大であると心するのがいい。


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我が「代表歌」と「代表句」

こちらのブログに数日書いていないのは、意図的なもので、この前数回に書いた記事で、私の「宿題」はほぼ完了したからである。後は、風流な着想や思索が起これば書くし、起こらなければ書かない。
まあ、とりあえず、前にも書いた内容だとは思うが、私が自分の作品としてこの世に残したい短歌ひとつと俳句ひとつを載せておく。実に平凡極まる作品で、特に俳句のほうは、もしかしたら既にまったく同じ作品があるのではないかという気もするが、まあ、それもよくあることだ。

(短歌)

 神宮の大広道の樹を繁み 幾許(ここだ)散り敷く春の落葉かも

これは二十代後半に代々木に住んでいたころ、近くの明治神宮に散歩に行き、大きく広い参道に散り敷いた春の落葉を見て、わずかの思案で出来上がった歌である。「大広道(おおひろみち)」は造語で、「~を~み」は「~が~なので」という意味の古語、「ここだ」は「たくさんの」の意味の古語で、「かも」は感動(詠嘆)を表す終助詞である。最後の「春の落葉かも」は字余りで、無意識だが、源実朝的なおおらかさを出そうとしたのだろう。

(俳句)

 突堤を 波打ち越ゆる野分かな

これなど、同じ風景を絶対にどこかの誰かがまったく同じ文句で俳句にしていると思うのだが、私自身は見た記憶がないので、たぶん盗作ではないと思う。それほど、実にありふれた光景なのである。だが、「打ち越ゆる」という当たり前の表現が、ここでは「波が」(突堤を)「打って越えていく」とうまくつながって、それと最後の「野分(台風)」の古風な語とかなり微妙なバランスで調和している、と私自身は思っている。ちなみに、「打ち」は単なる強調の接頭辞でもある。「打ち笑う」「打ちひしがれる」のような用法だが、ここでは波が実際に突堤に打ち当たって越えていく様子である。

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煙草と詩情

煙草と詩情という、無理なタイトルの小文を書こうとしているのだが、要するに、詩情とは食い物の味ではなく、煙草の味のようなものだ、という説である。つまり、生存や生活に何が何でも必要な要素ではない。しかし、それが無い生活というのは、実に索漠たるものだと愛煙者なら感じる、そういうものではないだろうか、ということだ。
そして、現代の社会から煙草が駆逐されつつあるのと同様に、あらゆる芸術から詩情という要素が消えつつある、というのがこの説のもうひとつのポイントだ。その代用が恋愛なのだろうが、恋愛からも詩情が駆逐されたなら、それは恋愛なのかどうかである。つまり、相手と寝れば、それで目的達成、という恋愛ははたして恋愛なのかどうか。
では、詩の中に詩情はあるのか、というのが大問題で、私は現代詩をまったく読まないのだが、それは現代詩の中に詩情は無い、と思っているからだ。poemと poetryはまったく別物で、poetryを欠いたpoemはゴマンとあるし、日常生活の中の日の陰りや草の上の露にもpoetryはある。
吉本隆明の晩年の本の中に、ヘンリー・ミラーの「北回帰線」は大文学だが、ヘミングウェイの作品はそうではない、といった感じの言葉があって、一応は詩人でもあった吉本隆明の「文学」の定義は何なのか、と思ったのは、ヘミングウェイの作品とは散文で書かれた詩であり、そのpoetryこそが彼の作品の価値だろう、と私は思っているからである。彼の時代の作家は、作品の中にpoetryを持った作家が多かったと思う。まあ、現代作家はほとんど読まないし知らないので、私は単に、映画やテレビドラマなどから、現代の創作物からは詩情がほとんど無くなった、と判断しているだけである。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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