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いつか聴いた歌

私はハリー・ジェームズオーケストラとヘレン・フォレストの歌が至高だと思っているので、他のヴァージョンは聞くこともしていない。この歌の持つノスタルジーは私を自分が経験してすらいない時の彼方に連れていく。

I've Heard That Song Before (Remastered Version)

I've Heard That Song Before

Sung by Frank Sinatra in the movie "Youth on Parade"
Charted at # 1 for 13 weeks in 1943

It seems to me I've heard that song before
It's from an old familiar score
I know it well, that melody
It's funny how a theme recalls a favorite dream
A dream that brought you so close to me

I know each word because I've heard that song before
Forever more's a memory
Please have them play it again
And I'll remember just when
I heard that lovely song before



Credits
Writer(s): Jule Styne, Sammy Cahn

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Deep purple

ロック・グループの話ではなく、古いジャズソングである。
ニノ・テンポとエイプリル・スチーブンス兄妹のデユエットで歌われたヴァージョンが私は好きである。邦題では「夢のディープ・パープル」となっているようだが、これは「紫色の夢」と訳すべきだろう。原題はただ「Deep purple」である。
through the mist of a memory you wander back to me」のフレーズが一番好きだ。「mist of a memory」が特にいい。


When the deep purple falls over sleepy garden walls
And the stars begin to flicker in the sky
Through the mist of a memory you wander back to me
Breathing my name with a sigh
In the still of the night once again I hold you tight
Though you're gone, your love lives on when moonlight beams
And as long as my heart will beat, lover we'll always meet
Here in my deep purple dreams
Here in my deep purple dreams

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存在と非存在

「ハムレット」の中の有名な「to be or not to be, that is the question」という独白のことを考えているのだが、これを「生きるべきか死すべきか、それが問題だ」と訳したのは名訳だとは思うが、案外誤訳なのではないか、という気もする。つまり、この「to」に「~べき」という意味が含まれているのかどうか、ということだ。そして「be」も「生きる」という訳で本当にいいのかどうか。
もしも「生きるべきか死すべきか」とシェークスピアが書きたかったなら、なぜ「to live or to die」としなかったのか、ということである。まあ、それでも「to」に「~べき」の意味が入るかどうかは問題であるわけだが。「shall I live,or shall I die?that is the question」なら問題は無いという気がするが、シェークスピアはそう書かなかった。
とすれば、これは「生きる」とか「死ぬ」と訳すべきセリフではなかった、という判断も可能なのではないだろうか。beは言うまでもなく「存在する」である。ならば、「to be or not to be,that is the question」は直訳的には「存在すること、存在しないこと、それが問題だ」となり、昔の訳にあったという「在るか、在らぬか、それが問題じゃ」が一番正しい訳ではないか、と思われる。
ただ、その場合に問題になるのは「在る」「在らぬ」の主体は何か、ということだ。
私が「ハムレット」を読んだのは中学生くらいのことなので、この有名な独白の前に何の話をしていたのか覚えていない。
仮に、この「在る」「在らぬ」がハムレット自身の存在についての言及ならば、それを「生きる」「死ぬ」と表現しなかったというのは、「自分はこの世に存在すべきか、すべきでないか」という、自分自身を神の視点で眺めた言い方になりそうだ。「悪霊」のキリーロフの思考にも似た、非常に近代的な思考だと思える。「俺という存在は、この人生という芝居の登場人物として必要か、不要か」という感じだ。藤村操の「巌頭の感」にも似ている。その中に出て来る「ホレーショ」は確か「ハムレット」の中の登場人物だったと思う。藤村操は学者たちより「ハムレット」を深く理解していたようだ。

(以下引用)

資料2 藤村操の「巌頭之感」


       明治36年(1903年)5月、一人の18歳(満16歳10か月)の
       旧制一高生の死が、若者たちをはじめ社会の人々に大き
       な衝撃を与えた。彼の名は、藤村操(ふじむらみさお)。
       巌頭の大きなミズナラの樹肌を削って書き残した文言が、
       次の「巌頭之感」である。



             
巌 頭 之 感



 


悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。

               
(明治36年5月22日)    


       

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The folks who live on the hill

括弧内は前振りというか、前説のようなもので、括弧の後から歌い始めることが多いようだ。


The Folks Who Live On The Hill Lyrics

(Many men with lofty aims
Strive for lofty goals
Others play at smaller games
Being simpler souls

I am of the latter brand
All I want to do
Is to find a spot of land
And live there with you)

Someday we'll build a home on a hilltop high
You and I
Shiny and new a cottage that two can fill
And we'll be pleased to be called
The folks who live on the hill

Someday we may be adding a thing or two
A wing or two
We will make changes as any family will
But we will always be called
The folks who live on the hill

Our veranda will command a view of meadows green
The sort of view that seems to want to be seen
And when the kids grow up and leave us
We'll sit and look at the same old view
Just we two


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盲人の独り笑い

何だか、世の中が殺伐として、先行きの見通しも暗いので、気晴らしに馬鹿な記事を書く。
今読んでいる太宰治の短編集「お伽草子」(新潮文庫)所載の「盲人独笑」の一節である。
江戸末期から明治初期に生きた盲人の日記(自作の活字で書いたらしい)を太宰がアレンジしたもののようだ。その一節。(一行省略)

〇六月十六日。休そく。やれ、たいくつや。あつや。へいこう、へいこう。
〇同十七日。あるうたに、
あさねして、またひるねして、よひ(宵)ねして、たまたま起きて、ゐねむりをする。
とやら。きのをから、ねるほどに、ねるほどに、ゆめばかり見るわい。
〇同十八日。なにをしたやら、わけがわからぬ。
〇同十九日。なんにも、することがない。あつや、あつや。
〇同二十日。また、休そく。このごろわ、きうそくだらけで、ござる。

十二月の或る日の日記の文体が素晴らしい。「たたたたたたた」は筒井康隆ばりである。

〇同二十六日。いちにち、こたつの、もりをした。たいくつした。ひさしぶりに、また、同かの、それ、みぎの、れいの、あいかわらず、歯をいたむなりけり。たたたたたたた。
まい日、ばかのごとくなりて、日を、おくるにも、たいくつしてござり申(もうす)、よそへもゆけず、しかたがないぞ。

*「こたつのもり」は「炬燵の御守」「炬燵の番」。現代でも使えそうである。
*「ひさしぶりに」の後の「また、同(おなじく)、かの、それ、右の、例の、相変わらず」は同じ意味の言葉を並べた冗談。「右の」は「右のとおり」。

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Till there was you

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lyrics here....

There were bells on the hill, But I never heard them ringing, No, I never heard them at all Till there was you.
There were birds in the sky But I never saw them winging,No, I never saw them at all Till there was you.

And there was music, And there were wonderful roses, They tell me, In sweet fragrant meadows of dawn, and dew.

There was love all around But I never heard it singing No,I never heard it at all Till there was you!
There was love all around But I never heard it singing No I never heard it at all Till there was you


_________________________________ Meredith Willson's "The Music Man" Shirley Jones & Robert Preston

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エリカ行進曲(歌詞)

ユーチューブで知ったのだが、ドイツ(たぶん陸軍の)軍歌らしい。軍歌とも思えぬ歌詞である。

(以下引用)


歌詞 Auf der Heide blüht ein kleines Blümelein 荒野に可憐な花が咲いている Und das heißt: Erika. その名はエリカ Heiß von hunderttausend kleinen Bienelein 百千の小さな蜜蜂たちによって熱く Wird umschwärmt Erika 取り巻かれている、エリカは Denn ihr Herz ist voller Süßigkeit, その心は慈愛に満ちているので Zarter Duft entströmt dem Blütenkleid. 優しい香りが花の衣から流れ出る Auf der Heide blüht ein kleines Blümelein 荒野に可憐な花が咲いている Und das heißt: Erika. その名はエリカ In der Heimat wohnt ein kleines Mägdelein 故郷には可憐な少女が住んでいる Und das heißt: Erika. その名はエリカ Dieses Mädel ist mein treues Schätzelein この娘は僕の貞節な恋人 Und mein Glück, Erika. そして僕の幸せ、エリカは Wenn das Heidekraut rot-lila blüht, 荒野の草が赤紫に花咲くとき Singe ich zum Gruß ihr dieses Lied. 僕は彼女への挨拶にこの歌をうたう Auf der Heide blüht ein kleines Blümelein 荒野に可憐な花が咲いている Und das heißt: Erika. その名はエリカ

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酔生夢人
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職業:
仙人
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考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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