いや、最初は真面目に「我が父の教え」とだけ書くつもりだったが、あまりに重々しくて馬鹿げているので、(最初はそれがむしろ狙いだったが)最後に「www」をつけてしまった。
という言い訳で分かるように、この「教え」は実に軽いものなのだが、それが私の受けた学校教育での膨大かつ興味ゼロの授業内容よりはるかに私には役に立ったのである。
先に言っておくが、私の父は戦前の「封建時代的教育」を受けた人間(中学止まり)なので、子供と遊んだりはしなかったし、私が父と話した経験は、大袈裟に言えば全部で10回あるかないかという印象である。
その中では、私が小学校で習ったことが理解できず、あるいは覚えきれず困っていた時に教わったものがあり、これは現代の子供でも最高に役に立つ教えだと思う。
それはメートル法の単位の覚え方で、こういうものだ。「五七五七七」になっている。
「キロキロとヘクト(ヘクと)デカけたメートルがデシに追われてセンチミリミリ」
言うまでもないが、語調を整えるために「キロ」や「ミリ」が「キロキロ」「ミリミリ」になっているし、細かい意味は何だ、と言われたら答えようもない。だが、その口調の良さで、メートル法の単位を大きい方から小さい方へ、覚えられるのである。しかも、長さにも重さにも使えるのは、これがメートルを基本単位(つまり1倍)として、その「1000倍。100倍。10倍。1倍。10分の1。100分の1。1000分の1。」に並んでいるからである。それが分かれば、たとえば「ヘクタール」が「ヘクトアール」つまり「アール」の100倍であることなども分かる。
後は自分で勝手にこじつけて、「デシに追われて」は「弟子に追われて」だろう、というのはすぐに作れるし、「センチミリミリ」は何か怯えた状態だろうとでも思えばいい。こじつけるなら「センチメント(感情)がミリミリと裂ける」感じである。
ということで、この戯れ歌によって、単位の操作(計算)に困ることが一生無くなったのだが、これは案外非常に貴重なものなのだった。
小学校低学年の算数を子供に教える教師や親御さんなどに、この秘伝を伝授しておくwww
という言い訳で分かるように、この「教え」は実に軽いものなのだが、それが私の受けた学校教育での膨大かつ興味ゼロの授業内容よりはるかに私には役に立ったのである。
先に言っておくが、私の父は戦前の「封建時代的教育」を受けた人間(中学止まり)なので、子供と遊んだりはしなかったし、私が父と話した経験は、大袈裟に言えば全部で10回あるかないかという印象である。
その中では、私が小学校で習ったことが理解できず、あるいは覚えきれず困っていた時に教わったものがあり、これは現代の子供でも最高に役に立つ教えだと思う。
それはメートル法の単位の覚え方で、こういうものだ。「五七五七七」になっている。
「キロキロとヘクト(ヘクと)デカけたメートルがデシに追われてセンチミリミリ」
言うまでもないが、語調を整えるために「キロ」や「ミリ」が「キロキロ」「ミリミリ」になっているし、細かい意味は何だ、と言われたら答えようもない。だが、その口調の良さで、メートル法の単位を大きい方から小さい方へ、覚えられるのである。しかも、長さにも重さにも使えるのは、これがメートルを基本単位(つまり1倍)として、その「1000倍。100倍。10倍。1倍。10分の1。100分の1。1000分の1。」に並んでいるからである。それが分かれば、たとえば「ヘクタール」が「ヘクトアール」つまり「アール」の100倍であることなども分かる。
後は自分で勝手にこじつけて、「デシに追われて」は「弟子に追われて」だろう、というのはすぐに作れるし、「センチミリミリ」は何か怯えた状態だろうとでも思えばいい。こじつけるなら「センチメント(感情)がミリミリと裂ける」感じである。
ということで、この戯れ歌によって、単位の操作(計算)に困ることが一生無くなったのだが、これは案外非常に貴重なものなのだった。
小学校低学年の算数を子供に教える教師や親御さんなどに、この秘伝を伝授しておくwww
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