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「酒、コーヒー、砂糖」という麻薬

「阿修羅」の「健康」欄から転載。
全体的に面白い内容だが、私が注目したのは

「今まで高いお金を出して健康ドリンクを買って満足していた人には申し訳ないのですが、どこにでもあるアルコール、カフェイン、液糖、この3つこそが元気の源です。
 メカニズムは簡単。まず、アルコールもカフェインも単体ではそれほど効果はありません。しかしアルコールの血管拡張+体温上昇、カフェインの精神賦活作用+心拍数増加、液糖による血糖値の上昇。この3つが同時に起こると、ストレスで疲れが廻っている体は末梢の血流が鈍っているので、アルコールで血の巡りがよくなり、脳の血流もよくなりカフェインの効き目も高まります、さらにペットボトル症候群(急性の糖尿病)でおなじみの液糖は血糖値をグンと上げるので疲れた体には染み渡るような効果があります。」
 

という部分だ。
要するに、急激に体を賦活させたいなら「酒、コーヒー、糖分」が効果的だ、ということである。これは経験的にも実感できることだろう。下記記事では、その三つ、特にアルコールとカフェインを同時に摂取すると効果的だ、とある。そしてこの三つが(長期的には)逆に健康に害を与えることも多い、と世間では言われている。まあ、この三つが生活から手放せない私のような人間は、アル中、肝機能障害、糖尿病予備軍である。
でまあ、適度な運動をすれば余分な糖分はうまく消費されるのだが、私はもともと運動が嫌いである上に、両膝が悪くて歩くのもやや困難だ。毎日酒を飲み、砂糖入りの甘いコーヒーを何杯も飲んでいれば体には悪いだろうな、と思ってはいる。と言って、砂糖抜きのコーヒーなど、ただの煎じ薬である。胃にも悪そうだ。
「酒、コーヒー、糖分」はいわば私の麻薬である。コカインの7%水溶液を注射する代わりに私は砂糖入りのコーヒーを飲み、世の中の「人の目にははっきりと見えない犯罪」についての推理を楽しんでいるわけだ。
酒は晩酌程度で、さすがに昼間からは飲まない。しかし、下記記事を信じるなら、酒とコーヒー(カフェイン)の同時摂取が頭を活性化するようだから、そのうち試してみよう。
なお、糖分こそが頭脳の栄養である、とも言われている。それも経口ではなく、血管へのブドウ糖注射が効果的であるようだ。常習的にやるのは体に悪いだろうが、出来の悪い受験生など、ダメもとのつもりで、試験本番で試してみたらどうか。これは養老何とか言う先生の体験談として書かれていたことだ。
ついでに言えば、「体温を上げることが体の免疫力を向上させる」ということはやはり事実であるようだ。したがって、個人的には、体を冷やさないことが疾病への予防になるし、仮に「地球温暖化」が事実なら、それは人類への恩恵だ、となる。


(以下引用)


カフェインもタウリンも効果なし? ユンケルは飲むだけ無駄!?
http://biz-journal.jp/2012/09/post_683.html
2012.09.13 ビジネスジャーナル

 オイーッス! みっなさーん 生きてますかーっ!? 不景気に負けて血反吐、吐いてませんかーっ?
 と、いうわけで今回は暑い時期に飲んでしまう人も多い、健康ドリンクについてちょいとばかり裏側をお話させていただこうかと。
 あ、念のために言っておくと、健康ドリンク大好きな人、アレが無いと死んでしまうという人は読まない方がいいですよ。知らなければ良かったのに……と苦情を言われても困りますので、あしからず。
●知っているようで知らない健康ドリンクの実態
 そもそも健康ドリンクってなんでしょう? 実は明確な定義はありません。栄養ドリンク、健康ドリンクなどと名前が付いていますが、ほとんどが法的な意味ではただのソフトドリンク(清涼飲料水)、または酒類に該当します。
 ユンケルとかゼナとか薬局の冷蔵コーナーでドヤ顔パッケージで並んでいるものから、レッドブルやオロナミンCのようなほとんどソフトドリンクのようなものまでさまざまです。
 そんな健康ドリンクを選ぶ前に、何が入っていて何が効くのか知っておきましょう。
 健康ドリンクの成分はざっとこんなところです
・タウリンやビタミンなどの健康補助成分
・高い健康ドリンクには様々な生薬の抽出エキス
・アルコール
・液糖(ガムシロップ)
・カフェイン
・添加物(香料、増粘多糖類や色素、安定剤諸々)
・水
 前提として、薬局で販売される一般的な生薬に即効性のあるものはまずありません。また、漢方薬に即効性など期待する方が根本的に間違っています。漢方薬はあくまでゆっくりとした効き目のあるものです。
 中にはある程度の即効性があるものもありますが、それらの生薬はほとんどが医薬品として認定されています。故にソフトドリンクやら酒などの「食品」には入れることができません。(※厳密にいうと漢方には食品に入るものも医薬品であるものも存在します。また最近は、第2類医薬品に該当する健康ドリンクも存在しますが、一部漢方成分に準拠しただけで効果は今ひとつ、となっております)
 ですので、健康ドリンクに含まれる生薬は即効性があるわけがないのです。というか真に疲労回復効果なんてすごい効き目のある生薬があったら各社が競うように使うわけですが……。売りの成分が各社バラバラということはどういうことか……お察しください(笑)。
 では、タウリンなどの栄養素が効くのでしょうか? こちらもありえません。そもそもタウリンで元気になるならスルメでも食べていればいいのです。スルメ食ってるオッサンが健康そのものならそれでいいのですが、残念ながら気のせいレベルです。ビタミン類も相当欠乏症を起こしていなければ即効性はありません。
 そうすると残るはアルコール、カフェイン、液糖……ですが、これらに霊験あらたかな効能があるとも思えない。
 今まで高いお金を出して健康ドリンクを買って満足していた人には申し訳ないのですが、どこにでもあるアルコール、カフェイン、液糖、この3つこそが元気の源です。
 メカニズムは簡単。まず、アルコールもカフェインも単体ではそれほど効果はありません。しかしアルコールの血管拡張+体温上昇、カフェインの精神賦活作用+心拍数増加、液糖による血糖値の上昇。この3つが同時に起こると、ストレスで疲れが廻っている体は末梢の血流が鈍っているので、アルコールで血の巡りがよくなり、脳の血流もよくなりカフェインの効き目も高まります、さらにペットボトル症候群(急性の糖尿病)でおなじみの液糖は血糖値をグンと上げるので疲れた体には染み渡るような効果があります。
 
 ちなみに添加物は増粘多糖類(キサンタンガム、グアーガムやペクチンなど)は品質の安定剤だけではなく、片栗粉よろしく液体にトロみを持たせ、色は生薬の抽出液の薄さがバレてしまうのでカラメル色素や天然色素で見た目をよりクスリっぽくすることでプラセボ効果を高めています。……◯◯のタネあかしをしてしまうと意味ないわけですが。
 これって要するに気の抜けた少量のビールにガムシロップをダバーっと、インスタントコーヒーを大さじ2杯入れたものと健康ドリンクは同じ効果を持ちます。
●ヘルドクターが選ぶ、本当に効く健康ドリンク
 さてと、困りました。栄養ドリンクの正しい選び方を紹介する記事で、全商品が不要という画期的なことになっているのですが、それでも「栄養ドリンク」や「元気を出す」という意味では、いくつか面白い商品が出てきているので紹介しましょう。
●『スパークリング BLACK BLACK』(ロッテ/実売200円程度)
 健康ドリンクの効果がカフェインと糖類であるならば……と開き直った感じのドリンク。発売はお菓子のロッテ。パッケージも眠気対策にドライバーに愛用されるブラックブラックガムそのまま。別にガムを噛んでいればいいだけの話ですが、メントール系の味にガムをそのまま液体にしたような味と香りでいろんな意味で目の覚める飲み物となってます。小さいながらも100ミリグラムのカフェイン(コーヒー1杯程度)を含み、眠気覚ましドリンクはどれもマズいコーヒー味なのでたまにはいいかもしれません。
●『超濃縮Super 野菜1日これ1本』(カゴメ/実売300円程度)
 こちらも製薬会社のものではなく食品会社のものですが、手軽に栄養補給をするという原点回帰の意味では最も栄養密度が高そう……ということで紹介。野菜の濃縮エキスなので栄養素が非常に多く、特にカリウムが際立って多くとれるので、高血圧の人や野菜不足の人には即効性すらありそうです。味も食品メーカーらしくできの悪いトマトジュースといったもので飲みやすく効きそうな味に仕上がっていて良い感じ。
●『ソルマックプラス』(大鵬薬品工業/実売350円程度)
 ようやくドリンク剤っぽいものです(笑)。第2類医薬品でカンゾウエキスを調べた限り一番多く含むドリンクということで紹介。カンゾウ(甘草)は漢方薬では珍しく効果が西洋医学的に分かっているもの。主成分であるグリチルリチン酸は肝機能を高め、アセトアルデヒドなどの有害な代謝物を排出することが分かっています。・・・・・まーかつてはグリチルチリン酸単品の薬も売っていたわけですが、今は薬事法改正で買えなくなったのもあり、これくらいしか無いという悲しい現実が。
●『ルル麻黄湯』(第一三共ヘルスケア/実売3本入り1000円程度)
 第2類医薬品であり、薬局売りの薬の中でも最も強力な賦活作用を持つドリンク剤となります。風邪の弾き始めに飲め……というだけあって強烈な味と臭いが駄目で、まったく飲めない人もいる強烈な薬臭のこのドリンクは、漢方の中でもキツめの麻黄湯の配合となっており、1本でもかなり強力な賦活作用と体温上昇、心拍上昇、を引き起こし免疫力に渇を入れます。ただしくれぐれも連用は禁物で、2~3本消費したら、1~2週間はインターバルを開けないと効果が無くなっていくどころか、臓器に対するダメージや頭痛などの副作用が上回って害となります。眠気覚ましや元気付けの使用は、規格外の使い方となるのでくれぐれもご注意の上で。
(文=へるどくたークラレ)

●へるどくたークラレ
毒、化学兵器や、医療犯罪、ドーピングなどブラッディなジャンルを得意とするサイエンスライター。代表『アリエナイ理科ノ教科書』(三才ブック ス)は、シリーズ累計15万部を超える。講演、イベントなど多方面に活動している。コミック誌『ネムキ』(朝日新聞出版)で「カラスの鳴かぬ日はあれど」 (漫画:夢路キリコ)の原作を担当。そのほか「ラジオライフ」(三才ブックス)などでも連載中。Twitterアカウント/@reraku(https://twitter.com/reraku)

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日本の猿がストラディバリウスだと? 生意気な (後日追加記載あり)

このブログは気楽な話題を中心にしたいと思っているので、自然と「ネットゲリラ」あたりからのネタが多くなる。下の記事は、まあ、当人にとっては大変な問題だが、ゲイジュツ家の話だから、浮世離れした話だ。そりゃあ、「関税として1億2000万円を請求されている」ことには同情もするが、時価6億円ものヴァイオリンを持っていたことが悪い。玉を抱いて罪あり、ということだ。
もちろん、これは冗談である。フランクフルトの税関が横暴であるに決まっている。借り物を「転売する可能性がある」と主張されるのでは、ドイツ国内に持ち込めるものなど無い。書類にもまったく不備は無かったらしいから、コメント中にもあるように人種差別だと見ていいのではないか。名前からするとハーフ(差別語ですか? でも「混血児」は死語だしねえ)のようだが、顔と「有希」という名前が引っ掛かったのだろう。
野次馬氏によれば、この税関は札付きで、べつに日本人だけを狙っているわけではない、という話だが、さすがに、書類完備でありながらこういう言いがかりをつけるというのは、白人にはやらないだろう。訴訟大好きの白人なら、ドイツを相手に高額賠償金を要求するのではないか。まあ、ドイツの裁判事情は知らないけど。
記事コメントが多すぎるのでだいぶカットしたが、最後のコメントは面白いのでわざと残した。「胡弓」が日本の楽器だって。でもまあ、楽器がどこ起源かなんて本当はどうでもいい話ではある。琉球の「サンシン」が本土に渡って「三味線」になったり、いろいろある。

[追記]

ブログ内容は無責任な放言でいい、というのが私のポリシーだが、先ほど、この事件について正反対の角度から見る主張を見つけたので、公正を期するためにそちらを「補足引用」として一番下に付け加えておく。(10月7日に追加)



(以下引用)


フランクフルト空港は地雷
野次馬 (2012年10月 4日 14:37) | コメント(12)

演奏家というのは、自分が弾く楽器に関しては、税金もワシントン条約も関係なく持ち込めるわけです。おいらの知人の胡弓弾きは、中国に里帰りするたびに何本か胡弓を持ち帰って弟子に売っている。胡弓はニシキヘビの皮を使っているので、正規のルートではワシントン条約にひっかかって輸入できないのだ。ところが、フランクフルトの税関が、またしても高価なバイオリンを押収するという騒ぎで、この空港は以前からこういうトラブルが多くて有名らしい。日本人だけでなく、白人もみんなヤラれているので、札付きだそうです。


ドイツ税関、またバイオリン名器押収 ストラディバリウスに1億2千万円の関税請求
1 サバトラ(茸) 2012/10/04(木) 11:14:36.89 ID:fnKs0QsL0

○独税関 またバイオリン名器押収 ストラディバリウスに1.2億円請求
ドイツ在住の若手バイオリニスト、有希・マヌエラ・ヤンケさん(26)が、日本音楽財団(東京)から貸与され演奏活動に使っているバイオリンの名器ストラディバリウスを、ドイツ・フランクフルト国際空港の税関に押収されていたことが分かった。
関税として約一億二千万円を請求されているという。
押収されたのは、イタリアの名工ストラディバリが最晩年に制作した一七三六年製の「ムンツ」。財団が所有し、五年前からヤンケさんが借りている。
ヤンケさんが日本で演奏会を終え、ドイツに帰国した九月二十八日に押収された。貸与の契約書や日本での納税証明書など必要書類はそろっていたが、ドイツ税関は「転売しない保証がない」との理由で持ち込みを認めなかった。
税関が発行した書類は、バイオリンの時価を保険額から六億円余りとし、19%の一億二千万円弱を関税として払うよう求めている。
同空港の税関では八月中旬にも、ベルギー在住のバイオリニスト堀米ゆず子さん(54)が同様に高価なバイオリンを押収され、九月下旬に無償で返却されたばかり。

◆押収とても残念だ

塩見和子・日本音楽財団理事長の話 楽器の貸与に際して演奏者の国籍を問わないのが当財団の特徴。複数のドイツ人にも貸し出している。そうした貢献は世界的に高く評価されており、今回の事態はとても残念だ。
2 キジ白(福岡県) 2012/10/04(木) 11:16:17.93 ID:8XabHCHa0
書類あってもダメじゃねぇかw
3 アメリカンカール(鳥取県). 2012/10/04(木) 11:16:50.05 ID:EPuYjtHC0
ひでえ話
13 カラカル(チベット自治区). 2012/10/04(木) 11:21:32.02 ID:MvSrITgY0
ドイツは何回同じことすりゃ気が済むんだ?
15 ターキッシュバン(関東・甲信越). 2012/10/04(木) 11:21:56.15 ID:OzDrLPI70
またかよw
ドイツはバイオリンが好きなのね
17 クロアシネコ(愛知県) 2012/10/04(木) 11:23:54.62 ID:CTdOk1h80
>ドイツ税関は「転売しない保証がない」との理由で持ち込みを認めなかった。

難癖の付け放題w
18 アフリカゴールデンキャット(大阪府) 2012/10/04(木) 11:25:03.33 ID:m7Adoh3n0
ドイツではもう高級な良い音色の出る楽器で演奏できないってことだな。
21 クロアシネコ(神奈川県). 2012/10/04(木) 11:27:29.52 ID:Jszntssf0
これはひどい。
書類揃ってるのにいいがかりすぎるだろ。
22 ヨーロッパオオヤマネコ(愛知県) 2012/10/04(木) 11:27:58.97 ID:Gxp6F4Bm0
なぜか大義名分あるとおもいこんで自信満々でオレルール適用させようとして
逆に世界中からフルボッコにされるってのはドイツのお家芸なのか
27 茶トラ(新疆ウイグル自治区) 2012/10/04(木) 11:28:52.22 ID:th2IjS1P0
財団の所有物を押収とかキチガイすぎる・・・

30 スミロドン(埼玉県) 2012/10/04(木) 11:31:32.29 ID:J3CfUmaE0
フランクフルト国際空港における税関トラブルに関する注意事項
何故か在ルクセンブルクの日本大使館から注意文が出てる
頭おかしな税関らしいな
33 ペルシャ(関西・北陸) 2012/10/04(木) 11:32:52.03 ID:CwDcSISMO
もうドイツでコンサート全廃しろよ
35 猫又(大阪府) 2012/10/04(木) 11:34:04.55 ID:yWNyZOyZ0
ドイツって何故か日本では親日国扱いだけど、実際はアジア人差別が結構酷い。
また、何事にもきっちりとしてる印象だけど、実際は他の国より多少マシという程度で日本に比べると色々と仕事が雑。
37 しぃ(奈良県) 2012/10/04(木) 11:34:19.81 ID:7+dPo4XR0
また日本がらみの音楽家かよ
ドイツ税関はレイシスト
38 サバトラ(神奈川県) 2012/10/04(木) 11:34:33.81 ID:Wh52g3Zf0
どう考えてもこれ日本人・日系人バッシングだろ
39 アメリカンカール(やわらか銀行). 2012/10/04(木) 11:35:02.41 ID:m552ywoN0
ドイツへの渡航を制限しないとな
42 しぃ(奈良県) 2012/10/04(木) 11:38:37.66 ID:7+dPo4XR0
もう日本人バイオリン奏者がドイツで演奏するときはプラスチックの偽物でやれ
54 ラガマフィン(鹿児島県). 2012/10/04(木) 11:44:44.79 ID:FIy5zdX50
転売しない保証がないwwwwなんだこの言葉はwww
58 カラカル(滋賀県). 2012/10/04(木) 11:48:38.97 ID:Ihct6y3x0
>>54
どこかで聞いたことあるなって思ったらジャスラックが似たようなこと言ってるよね
62 マレーヤマネコ(dion軍). 2012/10/04(木) 11:50:51.14 ID:CLaN3eqt0
書類揃えたら今度は「転売しない保証がない」ときたか
この理屈なら何でもありになるだろ
63 ウンピョウ(三重県). 2012/10/04(木) 11:51:14.47 ID:SdG6RPvx0
さすがにバカじゃないから必要書類提出したのに難癖つけられてるってこと?
70 スノーシュー(千葉県) 2012/10/04(木) 11:56:46.84 ID:c8SesQoI0
はっきりしたね。
ドイツはレイシストの国。
日本の税関もドイツ人には報復関税つけろよ。
向こうが何か言ってきたら、そちらもやめるようにさせて、おあいこだろ。
74 ベンガル(東日本) 2012/10/04(木) 11:58:45.26 ID:uOKvTUOU0
書類あってもまだ信用出来ないからって人種差別以外になにかあるのか?
75 イエネコ(神奈川県). 2012/10/04(木) 11:59:09.69 ID:/xQ+Z5RG0
ドイツって文化後進国だったんだなw
76 スナドリネコ(北陸地方) 2012/10/04(木) 12:00:09.62 ID:uACTZYH1O
フランクフルト国際空港の税関の人間って馬鹿なのかキチガイなのか、
本当に無能じゃね?
マジでクビにしろよ、その糞税関。
ドイツ人の人格が疑われるぞ。
109 ボブキャット(新疆ウイグル自治区) 2012/10/04(木) 12:27:15.82 ID:+AraUzRw0
俺はドイツ人へのお土産の煎餅を開封されたな・・・
しかも税金払えと言われたから捨てたわ・・・
あとレッツノートに20ユーロ払わされた
ちなみに純粋な白人はスルーだよ
コイツも日系だからダメだったんだろ
黒人、アジア、イスラム系がカモにされる
ドイツへは別の国から列車で入ったほうが安全
111 アジアゴールデンキャット(新疆ウイグル自治区) 2012/10/04(木) 12:27:56.30 ID:5/QelBpA0
欧州の宝を黄猿が所持しているのが許されないんだろ
112 マンクス(dion軍) 2012/10/04(木) 12:28:19.63 ID:6JDvSlQK0
まだこれでも真面目にドイツ擁護できる奴っているのか?
120 ペルシャ(北海道) 2012/10/04(木) 12:34:59.98 ID:vxdOHbtP0
もう芸術家はドイツ行くなよw
133 ベンガルヤマネコ(関西・北陸). 2012/10/04(木) 12:46:23.44 ID:yjzGpWJXO
>>120
というよりフランクフルト空港を利用すべきでない
海外ではフランクフルト空港で金銭関係のトラブルが多いので、警告を出されてる
121 ソマリ(関東・甲信越). 2012/10/04(木) 12:36:00.90 ID:zPLDCpVhP
ドイツ人のナチスヘイト魂を発揮出来る相手が
同じ敗戦国の日本人だけって悲しさ
123 アメリカンショートヘア(福岡県). 2012/10/04(木) 12:36:41.85 ID:/GPOcOcZ0
前回は書類不備で仕方ないと思ったが今回はさすがにないだろw
128 マーブルキャット(京都府). 2012/10/04(木) 12:40:22.37 ID:ZyFdEvpv0
>ドイツ税関は「転売しない保証がない」との理由で持ち込みを認めなかった。

借り物の名器をどうやって転売するんだよ。JAP人は泥棒とでもいいたいのか。
138 イリオモテヤマネコ(大阪府). 2012/10/04(木) 12:49:35.22 ID:WQRuRlCs0
国家レベルで厳重抗議して上からフランクフルト関税を締めあげさせて
ドイツが国として対応しないようなら国際問題に持って行ったらいいんじゃね?
180 ターキッシュバン(関東・甲信越) 2012/10/04(木) 13:52:26.19 ID:iMBt/YEH0
貸与の契約書や日本での納税証明書など必要書類はそろっていたが、ドイツ税関は「転売しない保証がない」との理由で持ち込みを認めなかった。

ただの嫌がらせじゃん死ねよドイツ人
182 パンパスネコ(家) 2012/10/04(木) 13:54:37.11 ID:ioWSzBJO0
それにしても、日本人ならヴヰオリンなんぞ弾かないで
日本の胡弓を弾けばいいのに。
もう鹿鳴館外交とか文明開化の時代じゃないんだからさ。



(補足引用「海を往く者」より)



音楽家は社会常識を身につけるべき

<< 作成日時 : 2012/10/06 00:15 >>

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 少しは実情を勉強せい。


 頭の固い税関を批判する気持ちはわかるが、ドイツの税関職員は、職務に極めて忠実だっただけであり、さすがだと言わざるを得ない。通関の見解からすると輸出入時に手続きをしていないと再輸入免税とか認められないことはよくある。こういういわくつきの貨物ならばカルネ通関するなり大使館に事前相談するなりきちんと手順を踏むべきだった。時価6億円もの商品を、国を超えて移動させるのに、証明書を携帯しないほうがどうかしている。古い名器は楽器だけではなく骨董品としての価値もあるので転売の危険性を防ぐために慎重に扱うのがセオリーである(貨物の同一性の確認とか厳しくチェックしている)。ましてや前回、押収された例があるのだから、今までは書類が無くても持ち込めたかもしれないが、今後も押収される恐れがある以上、持ち込む方も必要書類を携帯しておくべきだ。、白い粉、黒い武器の発見だけが税関検査の目的ではないし、演奏家や楽器だけを狙い撃ちしているわけでもない。法の前の平等のためには法の適用は現場裁量ではなく形式主義が大事なのだ。もし特別待遇が必要だというなら、外交官特権を定めたウィーン条約のような特別な国際条約を作らなければならない。

 今回、このバイオリンニストは日本財団との賃借契約書は明示したが、税関からすればそのような書類には何の意味も無い(証明書ごときで免税になればいくらでも偽造して脱税し放題だ。先方が重要視しているのは所有権移転ではないことを証明すること=EU圏内で不正転売しないこと)。要点は2箇所の税関窓口で、それぞれで申告が必要な【場合がある】(←ポイント)。よって1箇所だけの場合、書類があっても不申告とみなされる場合がある。これを避けるためにはATAカルネ(外国への輸入税の支払いや保証金の提供が不要となる支払保証書)をきちんと準備して【正しく】審査を受ける事だ。後からの書類提示は認められないことになっている(悪意のあるなしは関係ない)。これを面倒くさいと感じるならばフランクフルト国際空港の利用は避けるべきだ。日本でも海外から帰ってくる時には、「携帯品・別送品申告書」を一枚書かされる。あれには、20万円以上の物品の持込にはその申告が必要ということになっている(=要は、販売可能な高額物品には課税される)。課税を回避するためには、その物品が私物など用途が特定されていて、販売資産ではないことの証明が必要である。

 ・・・同じことを繰り返す奴が馬鹿なのだ。

拍手

常識と良識

数日前に私も「クリントンの中国大罵倒演説」で書いたヒラリー・クリントン演説の記事が「阿修羅」に掲載されていたので、その演説への反応はどうかな、と見てみたが、ほとんどがヒラリーの夜郎自大ぶりを嘲笑する冷静なコメントだったので、少し安心した。(「夜郎」は国名であり、「野郎」ではないので、ご注意。もっとも、アメリカ自体は「夜郎」のような小国ではないが、自分自身が見えていない、という意味で「夜郎自大」と書いた)
私は、ブログやツィッターなどのネット上の文章はただの「放言」でいいと思っているので、自分の書いた文章は、誤字の訂正程度の推敲ですぐに掲載する。しかし、自分の発言が根本的に間違っているならば、それはあまりいい気分ではない。だから、こうしたコメントなどで、自分と似た考えを見ると、ほっとする。自分もそれほど非常識な馬鹿ではないのだな、という気分だ。
もっとも、私は「常識」にはあまり重きは置かないので、ここでの「常識」はむしろ「良識(ボンサンス)」と言うべきだろう。「良識」とは、世間的合意ではなく、「合理的判断力」というようなものだと私は理解している。そして、その良識は、ほとんど生得的に誰にも備わっているのだが、むしろ世間に洗脳されることで曇るものだ、と私は思っている。これはデカルトの「方法序説」から私が学んだことだ。




(以下「阿修羅」より引用)



01. ルックウエスト 2012年9月23日 21:44:01 : yp6w3VNv0FOGw : q9bsheFzEw
歴史とはおもしろい。 これはアメリカ帝国の20年後を婉曲的に中国として表現している。
1。アメリカの金は中国にそそがれ
2。国民はほったらかしで、他国を侵略、戦争をバラますしか能がない。
3。有るのは競争社会と金持ちに成る事だけが生き甲斐。宗教は機能してない。でないと2項が?
4。国民にテロの恐怖を宣伝し、戦時体制を持ち込んでいるのは?
5。かつてはアメリカには誇りと開拓者スピリットが存在したが、いまは面子もなにもなく、略奪のみ
6。戦争による環境破壊は中国の比ではない、自国の足下を固め、アメリカ国民の幸せを先に考えないと
  革命はアメリカで起こるのではないか心配だ。
世の中すべて明暗、50/50で成り立っているのが真相。 他国の事より、今は自国の事を憂え、
世界の民を平和に幸せにする事を考え、実行したらどうか、クリントンさん?


02. 2012年9月24日 01:22:45 : sUpHQ8Q75g
> 1.移民申請の状況から見て、中国9割の官僚家族と8割の富豪がすでに(注:米国へ)移民申請を出した。またはその意向がある。
中国からの移民先にはカナダやオーストラリアも好まれてるようだが
ヒラリーが根拠としてる移民申請状況には米国以外も含まれてるんだろうか?
そうだとしたら各国は互いに中国人の移民申請状況を交換してることになるが?

ところで
この数字を除く全ての項目に米国自身が当てはまる
つうことにヒラリーは気付いてないんだろうか?
そうだとしたらヒラリーは極度に鈍感な人つうことになり
バカ丸出しだ



03. 2012年9月24日 02:09:31 : w18f1GkoJs
>>01
たしかにねえ。他者を鏡として己の姿を見るというのは心理学的によくあることだそうだ。

福澤諭吉の「脱亜論」だけど、その線に沿って行っての敗戦があり、そして今があると。まあ、そういうことだが、それで嬉しいの?




拍手

日本の悪習

「2ちゃんねる」の「日本の悪習を挙げる」というスレッドの中の、下のコメントに感心したので、備忘的に転載する。これを書いた人は、相当に頭がいい。他のコメントはほとんどが感情的かつ無知蒙昧なものであるが、中にこのようなものが混じっていたりするから、「2ちゃんねる」も馬鹿にできない。「ネットゲリラ」の存在価値もそこにある。


(以下引用)




95 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/09/18(火) 21:27:26.97 ID:uyzyXvOw0


・法律やぶっても残業当たり前
・死ぬまで働いてようやく人並みの生活
・上に立つ人間ほど理不尽な振る舞いが許される
・エスカレーターで片方に寄るという非効率的ルール
・ホテルの宿泊代が部屋単位で決まってなくて宿泊人数で増えるというガラパゴス料金システム
・世界標準から常識がかけはなれているため色々な人種差別を普段全く意識せず行なっている
・手書きの履歴書
・芸能スポーツ界の人間が平気で選挙に出てきて当選しちゃう
・全体主義的な風潮で個人主義を弾圧するため健全な議論や主張展開ができない
・海外ではゲイ扱いされるようなナヨナヨしたガリ男がなぜかモテる
・海外では売春婦にしか見えない格好を小中高生の女の子がしている
・完全にガラパゴス化している自動車関係の税金・法体系
・責任をとることを極端におそれ、決定を先延ばしする
・中身の無い様式美をビジネスなどにも持ち込みたがる
・指導者に合理的な思考がないため運動部で毎年熱中症で死ぬ子供たちがあとを絶たない
・日本の夏は高温多湿なのに礼儀のためにスーツを着ないといけないという風潮
・冠婚葬祭での異常な価格設定
・ブランド信仰・舶来品信仰
・過剰包装

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競争って本当に必要か?

「阿修羅」記事から転載。筆者は河合薫という人らしい。テレビなどにも出ている人のようだが、なかなか考え方がまともだ。つまり、人間らしさがある。

私は競争というものが大嫌いなのだが、それは必ずしも「負けるのがいや」というだけではない。「勝つのもいや」なのである。
私が勝てば、誰かが負ける。その負けた人間の不快な心中を考えると、勝っても嬉しくないのである。いや、勝った経験はほとんど無いけど。
こういう人間が競争社会でまともに生きられるわけはない。受験生を指導している間も、「自分が教えている生徒が合格すれば、その分誰かが落ちるんだよなあ」と考えているから、教えていてもあまり充実感は無かった。つまり、ダメ教師だったのだろう。
もちろん、この世界が本来は弱肉強食の生存競争の社会であることはよく分かっている。しかし、人類の進歩と発展は、人間同士が殺しあったり蹴落としあったりしなくても互助的に生きられるくらいには精神的文化的に向上したのではないだろうか。
仮にそうなっていなくても、そうなれるだけの潜在力はあるのではないか?
ならば、人間同士を競争させ、お互いを蹴落としあわせて、そのエネルギーや成果で発展していく、という在り方は、必ずしも絶対的な成長の条件ではないだろうし、そもそも、「成長信仰」は地球の資源量から言って、過去のものになりつつあるのではないだろうか。
ということで、私は競争が嫌いなのだが、スポーツ観戦は嫌いではない。試験は嫌いだが勉強は嫌いではない。今でも趣味で英語の原書にチャレンジなどしている。テレビなど見るより、昔翻訳で読んだ本を英語で読んだりするほうがよほど面白いのである。
私は今、2×2×3×?歳だが、これまでの人生で知り得た有益なもの、面白いものを、これからはじっくりと味わえるのが老年だと思っている。なにしろ、競争社会の中では、趣味的なものをじっくり味わう心の余裕も無かったのだから。



(以下引用)


 問題は、「集団の名声=自分の価値」「集団の名声=人の価値」となってしまうこと。自分の属する集団の評価が高いだけでしかないのに、あたかもそれが自分の価値だと勘違いした途端に、ややこしいことになる。

 競争に勝った人は、価値ある人。
 競争に負けた人は、価値なき人。
 競争に参加しなかった人も、価値なき人。

 こうした具合に、競争社会ではただ単におカネを稼ぐ能力の違いだけで、人間の価値まで選別されるようになってくる。競争に勝てなかったというだけで、人間的にもダメなように扱われてしまうのだ。

 おまけに人間には、自己の利益を最大限守りたいという欲求もあるため、ひとたび負け組の集団に属することになった人が、二度と自分たちの集団に這い上がってこられないような行動を無意識に取ることがある。

 「今あるものを失うかもしれない」と恐怖を感じた時には、自分が生き残るために人を蹴落とすこともいとわない。それはまさしく、人間の心の奥に潜む、闇の感情が理性を超えて噴出した瞬間である。

 ところが、勝ち組の枠内にいる人たちは、自分たちが自分たちの名声を守るために、下を蹴落としていることに気がつかない。それがまた、競争を激化させる。

 競争を煽れば煽るほど、“競争に勝った人”は自分たちに有利になるように物事を進め、一度でも“競争に負けた人”は「どんなに頑張ったところで勝ち目はないんでしょ? だったら頑張ったって無駄じゃん」と、稼ぐ努力も学ぶ努力も次第に失い、格差がますます広がっていってしまうのである。

 おカネというものがこの世に生まれるまでは、人の生活は公平な分配が基本だった。狩りで捕らえた鹿は、みんなできちんと均一に分配する。人よりも多く取ったり、隠し持ったりした人は、誹謗中傷の的となった。

 ところが、おカネが生まれ、自分の好きなものをゲットする自由を得たことで、公平な分配社会は終焉を迎える。だが、その時の人間には、自分だけが手に入れることへのうしろめたさがあったそうだ。「自分だけがいい思いをしてしまって、申し訳ない」と。



 そして今。そのうしろめたさを、果たしてどれほどの人たちが抱いているだろうか。持つべきものと持たざるべきものの差が、あたかも人間の格差のように扱われてしまう世の中に、どれだけの人たちが心底から疑問を感じているだろうか。


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いろはにほへと、散りぢりに

「村野瀬玲奈の秘書課広報室」から転載。
まあ、半分は冗談に近い提案だが、「瓢箪から駒」ということもある。
しかし、「日本A」と「日本B」という名称には異議がある。「A」と「B」には上下関係があるように聞こえる点だ。だから「B層」という表現があるのだ。まあ、新自由主義者たちの国を「日本B」にすればいいのだが、それも受け入れられないだろう。
ここは、生徒の作文を採点する時に上下の差別をしないために「雪・月・花」と付けたと言う誰かの(名前が出てこない。漱石門下の有名な随筆家で、黒澤の「まあだだよ」のモデルのあれだ。)故事に倣って「日本雪組」「日本月組」とするのはどうか。それじゃあ宝塚だって? まあ、いいじゃないか。風流な名前だし。
ついでに経団連や右翼の老人だけ集めて「日本紅葉組」とし、時々落ち葉焚きをするとかね。

*記事タイトルは久保田万太郎の俳句の一節。


(以下引用)


日本大改革のための、日本国「二分割」案 (世界愛人主義同盟公約 (11))
• ジャンル : 政治・経済
• スレッドテーマ : 税金
   

日本国民の多くは政治や政治家に不満を持っています。日本国民の政治への期待が裏切られ続けていること、いろいろな面で民意がなかなか政治に反映されないことについて日本国民は怒っています。

日本をどのように「改革」をすれば政治と社会と国民生活が良い方向に行くかという問題には安易な回答はありません。

たとえば、税制や社会保障制度や教育費に関する政策。国民の多くが反対する消費税値上げを、公約に背いて民主党は自民党・公明党と一緒になって強行しています。民自公は担税力の低い層への優先的な増税が日本のために必要だと説きますが、論理的に現実的に言っても、低所得者層への負担を増やす消費税値上げは、雇用の不安定化も加わって日本社会を不安定にし、崩壊させる要因としてはたらくことは確実です。

その他の政策についても同じようなことが言えます。

民意と政治の間のねじれが明らかです。

そこで、私が日本の政治リーダーだったら、こうしてみたいというアイデアを一つ提案します。

それは、日本を二分割して(仮称)「日本A」と(仮称)「日本B」に分けるのです。世界には人口規模が数千万クラスの「先進国」、「大国」はいくつもありますから、日本を二分割してそれぞれ数千万人規模の国としても国の規模自体は問題にはならないはずです。

そのうえで、「日本A]と「日本B」で、いわゆる議員選挙を減らして、それぞれに別々の政策を最初から実施させるのです。

たとえば、「日本A」は徹底した新自由主義政策の国として編成します。富裕層に所得税減税をし、法人税減税をし、消費税率を上げ、社会保障は削って自己責任とします。そのような方向性の政策を支持する人たちは意外に多いですから、「日本A」の運営に問題はないでしょう。

そして、たとえば、「日本B」は徹底した再分配機能の強化をした社会民主主義政策の国として編成します。富裕層や利益をあげている大企業に応分の税負担を求め、中間層や低所得層にも必要な負担を求める代わりに、社会保障を充実させ、医療や教育を無料とします。そのような方向性の政策を支持する人たちも意外に多いですから、「日本B」の運営にも問題はないでしょう。

つまり、日本に政府を「A」と「B」の二つつくるわけです。

では、この「日本A」と「日本B」の区切りはどうするかというと、納税者単位で選んでもらうのです。個人が「自分は日本Aに所属したい」、「自分は日本Bに所属したい」と申告し、法人(営利企業など)も「当社は日本Aに所属したい」、「当社は日本Bに所属したい」と申告して、それぞれの所属国に納税します。

すると、たとえば、「日本A」の人が医療を必要とするときは、「日本A」では医療保険は自己責任となっていますから、保険の負担は低いですが、万一病気になったら医療費は高額となります。「日本B」の人は医療保険や税金の負担は「日本A」よりは高いですが、万一病気になっても医療費はかかりません。

教育費、年金なども同様に、「日本A」と「日本B」で別々の運営をします。

ですから、同じ地域内で「日本A」の国民と法人、「日本B」の国民と法人が混在することになりますが、それぞれの自国政府とやりとりしますので、政府の運営にもそれぞれの国民生活にも問題はないはずです。

そのうえで、「日本A」と「日本B」の間の移動を個人にも法人にも自由にしてしまうのです。そうですね、たとえば、税年度が替わるタイミングで一年に一回、「日本A」と「日本B」の間を移動するかどうか個人にも法人にも選んでもらいます。そうすれば、個人も法人も自分が合理的なシステムだと感じる「国」に移って、その「国」を自分で支える意思が芽生えるでしょう。「両国間」の移動が自由ですから、何年もこの制度を続ければ、どちらの「国」の制度が合理的であるかもわかってくるはずです。

一国二政府にするための技術的な問題は多々あることは予見できます。だけど、それらは工夫次第で、すべてとは言いませんがある程度解決できると思います。解決できない問題は両国共通の政策をとりあえずは適用すればいいでしょう。

何より重要なのは、(たとえば)新自由主義者も社会民主主義者も、どちらにも一定の満足がもたらされる制度であるということです。そして、双方の方法を同時並行して検証し改善することができると期待されるということ、これは無視できないメリットではないでしょうか。

私は、こういうアイデアこそが日本の大改革だと思います。自民党の復古的改憲やら維新の会の維新八策なんて、失敗があらかじめ見えていますし、国民の中の不満は解消されません。選挙をしても、自分が投票したい候補はほとんどいない、というのが多くの人の感覚であるはずですから、政治と民意の間のねじれも解消されないはずです。それでは日本はいつまでたっても今のような混乱した政局が続くばかりで、国民に満足ももたらさないし、社会も経済も国民生活も不安定なままでしょう。

それを解決しようというのが、この「日本国二分割」のアイデアです。二分割ではなくて、もう少し政策の範囲を広げて三分割にしてもいいでしょう。

日本では、選挙で議員を選んでも政治が良くならないとしたら、国民が自分で所属したい国を選ぶというアイデアが、私の、いえ、私の所属する社員一人のサイバー政治団体(笑)「世界愛人主義同盟」の選挙公約です。ということで、この記事を「世界愛人主義同盟公約」の不定期連載シリーズの一つとしましょう。(これでこの不定期シリーズ11個目の記事です。)

説明が粗くて十分に具体的でないと感じる方もいると思いますが、趣旨はおわかりいただけたと思います。読者のみなさんのご意見やご提言がありましたら、お待ちしています。

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経営不振は経営者の責任でしょう?

「阿修羅」からの転載だが、元記事は「日経ビジネスオンライン」の河合薫という人の文章のようである。
私はしばしば「合成の誤謬」という言葉を使う。経済学の用語だが、私のお気に入りの「思考素」の一つである。要するに、「個々の事例においては正しくても、それらを総合した場合には誤りとなる」ような社会的行動のことだ。
多くの会社のトップをコストカッター型社長が占めるようになると、社会全体がデフレ化し、不況に陥る、というのがその典型的な例だ。コストカットによってその会社自体の収益は確かに(一時的には)改善される。しかし、その企業に勤める社員の給与水準は当然下がるのだから、それが社会全体に広がるととんでもないデフレ不況になるわけだ。
正社員から非正規社員へという雇用形態の変化も同じである。多くの会社がその手法で会社としてのコストカットをした結果、日本人全体の給与水準が低下し、内需は縮小してかえって多くの会社は売上を減らしていったわけだ。残ったものは富める1%対貧しい99%という格差社会である。今や、大学卒の5分の1は就職さえできない状況だ。就職できた中にも非正規雇用の割合は多いだろう。況や高卒に於いてをや、である。
真面目に勉強し、真面目に働けば安心して生きていける、というのはそんなに過大な望みなのだろうか? 我々が文句も言わずに税金や年金を支払ってきたのは、政府にそういうささやかな望みをかなえて欲しかったからではないか。
しかし、このジレンマから抜けだすのは難しい。会社経営者は利益を上げるのが至上目的だから、社員の給与を上げるのに二の足を踏むのは当然だ。社員の給料を上げた結果、他社との競争に敗れ、倒産したのでは話にならない。経営者視点で見れば、彼らにはコストカット以外の選択肢は無さそうに見える。しかし、本当はそうではない。会社自体が発展し、拡大すれば、社員に払う給与をはるかに上回る利益が上がるのである。
今の世の中には、そういう経営者が少なすぎる、ということだが、もちろん今の時代において会社が成長発展するようなアイデアを出すのが難しい、ということは確かだ。しかし、そういうアイデアが無い人間が会社を経営しよう、ということ自体が本当は間違いなのである。
私は、農業の屋内工場化と海水淡水化、太陽光(または太陽熱)発電によって第一次産業こそがこれからの成長産業になる、と思っているのだが、今の日本に欠けているもの、必要なもの、不満なものを洗い出していけば、やるべき事業のアイデアなど、いくらでも出てくるはずである。金のある連中にはアイデアが無く、アイデアのある人間には金が無い、ということだ。



(以下引用)

そもそも企業が正社員ではなく、非正規雇用を選択するのは、コスト削減が目的である。「非正規社員の賃金は正社員よりも低くて当たり前」などという“常識”が日本人の経営者に広がっているために、「経費削減のためには、正社員採用ではなく、賃金が安く、いつでも解雇しやすい非正規にしよう」と考える。
 だがこの、働く人たちが“人”であることを無視した考え方が、企業を潰すことになる。
 「企業経営で一番の問題であり、経営者が気をつけなくてはならないのは、経費削減が実際には錯覚でしかないことだ。この錯覚こそが企業の力を弱め、将来を台無しにする」
 こう説いたのは、米スタンフォード大学経営大学院教授で、組織行動学者のジェフリー・フェファーである。
 彼は、「人件費を削るなどの経費削減が長期的には企業の競争力を低下させ、経営者の決断の中でもっともまずいものの元凶であることは歴史を振り返ればわかる。経営者が新しいと思っている大抵の決断は、ちっとも新しいものではなく古いものである場合が多い。歴史の教訓を全く生かさないと、過ちが何度でも繰り返される」とし、経営学を労働史から分析した。
人件費を抑えるほど「費用対効果」は下がる
 例えば多くの企業がパートを雇い、その数をできる限り減らし、給与をできるだけ抑え、労働コストを切り詰めようとする。だが、歴史を振り返るとそのやり方が、いかに間違っているかが分かる。デパートチェーンのエンポリウム・キャンプウエル・カンパニーは、人件費削減を徹底した結果、倒産したと、フェファー教授は説明する。
 このデパートチェーンで売られている商品に問題はなかったが、安い給与で雇われる従業員は、知識や技術を習得しようとする意欲に乏しく、結果的に生産性は低下した。商品よりも質の低い従業員にお客も嫌気が差して離れていき、倒産に追い込まれたというのである。
 一方で、今や一流デパートとして名をはせているノードストロームは、業界平均よりも高い給与を払い、正社員雇用を徹底したことで、業績を伸ばした。
 低賃金で、不安定な雇用形態では、労働者のモチベーションが低下し、無責任で意識の低い行動に陥る。だが、高賃金で、安定した雇用形態では、労働者の責任感は高まり、自分の技術を磨くために勉強したり、自己投資をしたりするようになる。従業員1人当たりの人件費を抑えれば抑えるだけ、費用対効果は悪くなるとしたのである。
 そういえばフォードの創業者で同社を世界的な企業に育てたヘンリー・フォードは、「1日5ドル」という、当時としては破格の賃金を払ったとされているが、彼は取材を受けるたびに好んで、次のコメントを繰り返したという。
 「我々が考案した中で、最高の費用削減の手段の1つが、1日5ドルの賃金を決めたことだ」と。
 賃金抑制の経費削減が、錯覚であることを教えてくれる歴史は、日本にもある。ホンダの創業者である本田宗一郎氏が、「こんな冷えたまずい飯を食わせて、いい仕事ができるか」と従業員の働く環境におカネをかけることを厭わなかったのは有名な話だ。
 松下電器産業(現パナソニック)を創業した松下幸之助氏も「松下電器は人をつくるところでございます、あわせて商品もつくっており ます」と常々語り、「給与が適切であるか否かは、会社にも従業員にも、その安定と繁栄にかかわる重大な問題であり、同時に社会の繁栄の基礎ともなるものです。お互いに十分な配慮のもとに、絶えざる創意と工夫を加えて、その適正化をはかっていかなければならないと考えます」との言葉を残している。
やはりおカネは最も重要な報酬の1つ
 「ん? ってことは、結局はカネさえ出せばいいっていうのか?」
 そう苦言を呈する人もいるだろう。
 もちろん人間の行動は、おカネだけで変わるわけじゃない。
 実力を発揮できたり、能力を高めることができる機会や自分の仕事が正当に認められる機会、発言の機会があること、自分でコントロールできる裁量権や責任が与えられていることなどを通して、「報われている」という感覚を持てるかどうかに左右される。
 だが、おカネも大切な要素。おカネだけが報酬ではないからといって、企業の都合でいくらでも下げていいというわけじゃない。
 世の中には、「いやぁ、従業員に働きがいを聞いたら、お客さんに感謝されることがトップで、給料は3位だったので給料は下げます」などと、「おいおい、マジですか?」というようなことを平気でするトップもいる。
 しかし働く人にとって、おカネは欠かすことのできない大切な報酬の1つ。ましてや賃金以外の報酬が期待できない、非正規雇用では、なおさらである。
 とはいえ、矛盾するように思うかもしれないけれども、賃金を高くさえすれば従業員はいい働きをするというわけでもない。
 奇しくも松下幸之助氏は「適正な給与」という言葉を使っているが、もらっている所得が高額であればあるほど、“金のため”だけに働く人が増え、会社のためではなく、自分の利益のためだけに働く人が増えることもある。
 人間の自己利益を最大限守るという欲求と、慣れるという感覚が、会社の利益にはつながらない行動を生み出すのだ。
 そこで大切となるのが「賃金の絶対的レベル」ではなく、「賃金の公平感」だ。
 賃金公平感とは、「自分が要求できると考えている金額が支払われているかどうか」に相当する感覚のこと。この感覚は、職務内容や本人が負っている責任、自己意識、過去の賃金といったかなり主観的な考えに基づいていて、たいていの場合、世間の相場との比較で決まる。
 平たく言えば、「まあ、私の仕事ならだいたいこれくらいだろう」といった賃金に対する期待度だ。同時に、組織の場合では周りの社員との比較が強く影響を及ぼす。
 正社員と非正規社員、男性と女性、高卒と大卒、といった具合に、自分に近い“他人”との属性の違いで、賃金を比較し、そこに格差が存在すると「賃金公平感」がグッと低下し、「どうせ自分はこれだけしかもらえないんだから、適当にやっておけばいい」とか、「あいつは自分よりもたくさんもらっているんだから、アイツがやればいい」となるのである。
 この賃金公平感は、おカネ以上の感情をも左右する。非正規社員という雇用形態に潜む、「人をただのコストとしてしか扱わない不条理」を、非正規の立場に置かれた人は敏感に察知する。それは本人にとっては、ストレスの雨であるとともに、質の低い行動を引き起こす引き金でもある。
 人間というのは、相手との関係性の中で行動を決める厄介な動物だ。「自分を信頼してくれている」と感じる相手には信頼に値する行動を示そうとするし、「自分を大切にしてくれている」と感じる相手には精一杯の誠意を示そうとする。「自分は非正規だから、ただの調整弁だ」と感じる相手には、それなりの働き方しかしないのだ。
 また、世の中には、「新卒の質の低下が非正規という簡単に解雇できる仕組みを助長しているんじゃないか」という意見を述べる人もいる。言い換えれば、問題は雇用される側にあるという見方だ。全体的に新卒の質が低下しているからこそ、厳しい状況に置かれている企業が、「使ってみたけどダメだった」と判断できる雇用形態(=非正規雇用)を取っているのでないかというわけである。
 似たような指摘は、1990年以降、高卒の市場が急速に縮小していった時にもあった。高卒の求人倍率が1992年3月卒業予定者の3.08倍をピークに急激に低下し、2003年には0.50倍まで落ち込んだ。
 当時、求人倍率の低下を招いた原因に関する研究が、労働経済学や教育社会学の専門家が中心となって行われた。その結果、いくつかの原因が明らかになり、その中の1つに、「厳しい経済状況に加え、人的投資の対象として、高卒の若者の相対的な魅力が低下した」との結果が示されたのだ。
人材の側も「大切にしてくれる職場」を選別している
 ところがそれらの研究の対象が、高卒を採用しなくなった企業に限定されていたため、2000年代に入っても1990年代初頭と変わることなく高卒を採用し続ける企業も対象に加えた分析が行われた(出所:「新規高卒者の継続採用と人材育成方針」)。
 その結果、高卒採用を継続している企業には、人材を長期的な視点でとらえ、育成する方針を徹底しているという共通点があり、さらには高卒者の育成に積極的な企業ほど、新規高卒者の質が低下したと判断しても採用を減らすことなく持続させ、質の高い人材を採用できているという結果が認められたのである。
 つまり、質が悪いから雇用を減らすとか、質が低下しているから非正規にするとか。それは自分たちの保身のための、単なる責任転嫁でしかない。私自身、いろいろな企業を取材したり、講演会などでお邪魔した時に話を聞いたりする中で、「元気な会社は、社員におカネをかけている」と感じることが多い。
 新入社員からマネジャーに至るまで、社員教育を徹底していたり、非正規雇用を採用している場合でも、それは会社側の事情というよりも、結婚や出産などの理由で転勤のない働き方のためのものであり、福利厚生や年金については正社員と同様に扱うなどしているケースがほとんどだ。
 「非正規になって賃金は下がりました。でも、それは私の都合でそうしてもらっているので、会社には感謝しています」
 非正規雇用20年というパートの女性は、そう話してくれた。雇用形態の主役は、あくまでも従業員。企業ではない。
 「いやぁ、でも会社も大変なわけで……」。そうやって言い訳をしながら経費削減の錯覚にとらわれ続け、使い捨て社会を容認するトップたちが居座る会社に未来はあるのか?
 人は「自分を大切にしてくれている」と感じられたことのお返しとして質の高い行動を取るだけでなく、「あの会社は自分を大切にしてくれそうだ」と感じられる会社を常に探し、優秀な人材ほどそういう魅力的な職場に吸い寄せられるように集まってくる。企業が「質の高い人材」を求めているように、人も「質の高い会社」を探している。質の高い会社を選択するか、質の高いわずか1%を血眼になって探すか? どちらを選択するかは、トップ次第だ。


(引用2「笠木恵司のブログ」から)


ただ、日本では長期に渡る不況とデフレのおかげで、いつの間か業績不振=リストラクチャリング(構造改革)=早期希望退職勧奨、要するにクビ切りが常道のようになってきました。ボク自身は終身雇用より人材の流動化をもっと進めていくべきだと考えていますが、自分から退職するのと、クビになるのは天と地ほどの違いがあります。
 そして、退職勧奨を受ける一般社員に、業績悪化の責任がどれだけあるというのでしょうか。ある先輩から「会社員には義務と権限と責任がある」と言われたことがありますが、その三角形ならびに報酬は組織の上に行けば行くほど大きくなっていくのが普通です。つまり、会社が傾けば、その責任はまずトップマネジメントが負うべきものではありませんか。
 なのに、なぜ中高年の一般社員から早期希望退職勧奨となるのでしょうか。
 スイスの時計ブランドでは、業績不振が続くと、何よりも最初に社長が交替します。「資本と経営の分離」なんていう難しい経営用語を使わなくても、その理由は簡単に説明できます。時計師や技術者を解雇してしまえば、その後でいくらカネを持ってきたところで、時計を作れなくなるからです。そんなブランドを買収するような奇特な資本家がいるはずもありません。
 こう考えていくと、日本の会社は社員を経営資源と見做していないのかとなってしまいます。もしも仮にですけど、会社の上層部が生き残って、社員の多くが整理解雇されるというなら、何度も繰り返すようで恐縮ですけど、まさにタコが自分の足を食っているのと同じではありませんか。


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酔生夢人
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男性
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仙人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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