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年頭所感(日月神示を参考に)

ウィキペディアから「日月神示」の内容の一部を転載する。
「日月神示」を信じているわけではないが、ここに書かれたことは人生訓として聞くに値するものだと思うから、年の初めにふさわしいかと思って今日の記事にするわけだ。
その内容について、最初に少し論評しておく。

我々は自然を尊び、人事においても自然であることを評価するのに、なぜか「奇跡」を凄いこと、素晴らしいことのように思う傾向がある。自然が素晴らしいなら、「反自然」である奇跡は、悪のはずだ。しかも、新興宗教の教祖などが起こす奇跡とやらは、たいていが集団催眠の類である。

下記記事中で特に現在の日本の状況から懸念されるのが、「神国から生まれる食べ物頂きて」がTPPによって不可能になりそうなことだ。農薬や化学肥料で作られた作物が「正しき食物」であるかどうかも問題だろう。せめて節食するくらいしか我々凡人にはできそうもないが、これも実はむずかしい。まあ、なるべく肉食を減らし、食事の量を減らすように心がけるしかないだろう。実際、現代医学の教えから言っても、それは健康を保つ重要なポイントのようである。

我々の体(精神も体の一部だ)が、神からの頂き物だというのは、現代人にとっては、その「神」が何なのかの定義をまずして欲しいと思うところだが、そういうのが理屈に汚染された思考なのかもしれない。とりあえず、我々が偶然的にこの世界に生まれた、本来どうでもいいような生命であると考えるよりは、神からの頂き物だと考える方が、自分自身をも、他者をも尊重する気持ちになれそうである。これは、「我々自身の中に神はある」という私の考えと、そう大きく隔たってはいない。

「明日のことに心使ふなよ。心は配れよ。取越苦労するなよ。」というあたりは、「気を使うな。頭を使え」という私のモットー(これは私の兄から習った)とほぼ同じである。我々は考えているつもりで、実は頭が空回りし、感情エネルギーを消耗しているだけ、という状態がよくある。グルジェフ流に言えば、知性のセンターを発動させるべきところに感情のセンターが働いている、ということだが、知性(論理思考)と感情をはっきり区別する習慣をつけるのは、人生のさまざまな局面で役に立つはずである。

「日月神示」の記述は癖の強い文体だし、そもそもそういう神がかった事を嫌う人には無縁の話題だが、その言っていること自体には、我々の日常生活にも役立つ叡智の言葉もかなりあると言えそうだ。






(以下引用)




同様に既成宗教では神の「しるし」や「証し」として重要視、神聖視されている奇跡であるが、これについても完全に否定、いくつかの帖で言及され、奇跡やこれらを求め信じる人に大きな警鐘を鳴らしている。「二日んの巻」第十三帖では「地獄的下級霊の現われには、多くの奇跡的なものをふくむ。奇跡とは大いなる動きに逆行する動きの現われであること知らねばならない。かかる奇跡によりては、霊人も地上人も向上し得ない。」や「黄金の巻」第二十二帖でも「奇跡では改心出来んのであるぞ」また、「龍音の巻」第十八帖では「正神には奇跡はない、奇跡ないことが大きな奇跡であるぞ、奇跡するものは亡びる。高級霊は態度が立派であるぞ。わかりたか。」と語られている。
また、他の多くの宗教が修行の一環や、神への自己犠牲のしるしとして断食の必要性やその意義を説いているが日月神示では断食すること自体を厳しく戒めているのも注目される。「日月の巻」第三帖では「滝に打たれ断食する様な行は幽界の行ぞ。神の国のお土踏み、神国の光いきして、神国から生まれる食べ物頂きて、神国のおん仕事してゐる臣民には行は要らぬのざぞ。此の事よく心得よ。」と述べられ、滝に打たれたり、断食するような行は低い世界の行に過ぎず全く必要がないのだとされる。更に、「正しい食生活について」では「食物を食べるのも喜びであるぞ。正しき食物正しく食べよ。更に喜びふへて弥栄へるのぢゃ。悪い食物悪く食べるから悪くなるのぢゃ。何も彼も同様ぞ。人民は喜びの子と申してあろう。罪の子でないぞ。うれしうれしの道あるに、何故歩まんのぢゃ。」(春の巻第五帖)と語られている。
しかし、一方で多食や肉食についてはこれを戒めており、次のような帖もある。「食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。食物、今の半分で足りると申してあらうが。遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。そんなこと位で、病治ったり、運開ける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理窟と申すもの。理窟悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。」(冬の巻捕帖)[14]「四ツ足を食ってはならん、共喰となるぞ、草木から動物生まれると申してあろう、臣民の食物は五穀野菜の類であるぞ。」(碧玉の巻第八帖)。なお肉食についてはそれを戒めつつも、次のようにも書記させている「獣の喰ひ物くふ時には一度神に献げてからにせよ、神から頂けよ、さうすれば神の喰べ物となって、何たべても大じょうぶになるのぞ」(天つ巻第五帖)。
「人間の生き方」に関しては次の記述が代表的なものであろう。
「臣民にわかる様にいうなれば、身も心も神のものざから、毎日毎日神から頂いたものと思えばよいのであるぞ、それでその身体をどんなにしたらよいかと云ふこと分かるであろうが、夜になれば眠ったときはお返ししてゐるのざと思へ、それでよく分かるであろうが。身魂みがくと申すことは、神の入れものとして神からお預りしてゐる、神の最も尊いとことしてお扱いすることぞ」(富士の巻第十四帖)。「目覚めたら其の日の生命お預りした事を神に感謝し、其の生命を神の御心のままに弥栄に仕へまつる事に祈れよ。神は其の日其の時に何すべきかに就いて教へるぞ。明日の事に心使ふなよ。心は配れよ。取越苦労するなよ。」(日月の巻第十五帖)と語られている。
更に夫婦のありかたについては次のように述べられている。
「愛は養はねばならん。夫婦はいのちがけで、お互にきづき合はねばならんぞ。夫婦愛はあるのではない。築き上げねばならんぞ。つくり出すのぢゃ。そこに尊さあるぞ。喜びあるぞ。」(春の巻第二十六帖)。「家の治まらんのは女が出るからぞ。夫立てると果報は女に来るぞ。」(黄金の巻第七十二帖)、また「妻にまかせきった夫、夫にまかせきった妻の姿となれよ。信仰の真の道ひらけるぞ。一皮むけるぞ。岩戸ひらけるぞ。不二(富士)晴れるぞ。」(黄金の巻第九十九帖)、更には「夫婦けんかするでない。夫のみいかんのでない。妻のみ悪いのでないぞ。お互に己の姿を出し合ってゐるのぞ。よく会得せよ。」(月光の巻第九帖)とあり、お互いに信頼しきった夫婦関係が大切で真の信仰の礎であると語られている。



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精神の独立宣言

「In deep」から転載。
何でも、近いうちに彗星が太陽系近く、あるいはそのど真ん中を通過するとかいう話があって、(このあたりはあまり興味が無いのでいい加減に読んだ)それが地球の生物の大量死をもたらすとか、コンピューター的なものがほとんど使用不可能になり、現代文明は危機的状況になるとかいう。
「2012年12月21日」のマヤ歴の終わりは(これも、実は本当はそこで終わってはいない証拠が見つかっているとも言う)地球の滅亡ではなく、新たな歴史の始まりであり、それは人類の意識の次元上昇が起こるということだ、という考えは私は気に入っており、このブログでも何度か書いてきた。
では、その「アセンション」後の世界はどうなるのか、ということは少し前に掲載した動画でも見てもらえばいいが、あれも個人それぞれの意見にすぎない。どうやら愛に満ちた世界へと進んでいきそうだが、本当に少しずつしか進まないのかもしれない。

で、昨日書いたように、少なくとも政治的には今年は大きな変化は無いのではないか(注:大事件はあるだろうが、それは「変化」とは限らない)と、易の卦などを根拠にして語ったわけだが、実は「地球環境の大変動」や「大自然災害」は今年もあるのではないかと思う。
と言うのは、地軸の傾きが大きく変化しているように思うからである。去年見た3月頃の日の出の位置と、今年の初日の出で見た日の出の位置が、山一つ分移動している。今年の3月までにこの位置が元に戻るとは考えにくいから、これは地軸の傾き(太陽に対する角度)が大きく変わったと考えられる。まあ、地学の知識は無いし、小中学校の理科はほとんど落第点だった男の考えだが、地球の太陽に対する角度が変われば、気候に大きな影響が出ても当然ではないだろうか。偏西風の進路の変化などは、その端的な現れだと思う。
まあ、そのあたりの考察は理系知識の豊富な人々にぜひやってほしいと思うが、ここ数年の異常気象の原因は地球温暖化などではなく、地軸の傾きの変化のためだ、という説を私はここに提出しておく。エヘン。(笑)

自然災害とは、実は「現在の人間の生活状態が新たな自然のフェイズ(相)に対し不適応であった」ということだと考えられる。
今の状態に対し、精神が眠っていた人々への自然の警告と考えてもいい。
これは社会のあらゆる面に演繹できるだろう。この「不適切な現状」に気づくことが精神の次元上昇だとも言える。

我々も、この虚偽に満ちた社会に対し、「精神の独立宣言」を出すべきかもしれない。





(以下引用)



いずれにしても、地球は新しい時代を迎える時期だと個人的には感じます。

そう感じる理由は「何もかも飽和している」と感じるからです。


限界。


もう発展するものも衰退するものもない。


今回は年の最初ということで、いろいろと抽象的なことも書きましたが、メディアの作り出した「2012年12月21日」という時がやっと終わり、私たちは本当の変革の時に足を踏み出した可能性があります。

再度書きますが、今までのの2、3年の自然災害などを見てもおわかりかと思いますが、今後の数年も確かに「過酷」が多いと思います。


しかし、私が先日の「あなたの中の宇宙が具現化すると思う2013年以降」という記事に、


ここから数年間くらいの環境の変動はそれくらい激しいと思います。私のようなヤワな人間が生き残れるような世界だとは思っていません。


と私自身のこととして書いたんですけど、知り合いの人からメールがあって、


むしろ生き残るのは一番弱いものでは? 今の文明が壊れるのに、今強い人が生き残れるはずない。


と書かれてありました。

「あー。そうかもなあ」などと思いました。

そういえば、年末飲んだ昔からの友人と、今年から「サバイバル・リサーチ・コミュニケーション・センター」を作ろうということにもなりまして、まあ、何をするかというと別に何もしないと思うんですけど、それでも、「生き残るため」ではなく「見るために」、サバイバル・リサーチをしていこうとは思っています。

25年くらい前に書いた演劇の脚本でしたか、私が言うセリフでしたが、


「オレは始まりを探しているんだ。終わりは・・・わかってる」


というのがありました。

その「始まり」というものがこの世には存在しない可能性があることを In Deep を書いている中で知ったりもしてきたわけですけれど、それなら「始まり」というのは「サイクルの生まれかわり」なのだと思います。

それを見るまで頑張ります。





精神の独立を宣言する


そういえば、最近の大晦日は事情でひとりで過ごすことが多くて、昨日もそうだったんですが、アイスランドの国民的な歌手ビョークの4、5年前の歌で「ディクレア・インディペンデンス」(独立宣言せよ)」という歌があり、それの「アルマゲドンバージョン」なんかを作っていました。

ちゃんとした、ディクレア・インディペンデンスのオリジナルのプロモーション・ビデオはDeclare Independenceにあります。



▲ 「ディクレア・インディペンデンス」のプロモーション・ビデオの中のビョーク。


「ディクレア・インディペンデンス」は下に訳詞も載せますが、比較的、政治的な意味を感じますが、私は「2013年からの精神の独立宣言」として、今年のテーマとしたいと思います。




Declare Independence / 訳詞

独立を宣言しなさい
奴らにやらさせるのではなく自分で

自分たちの価値観を作りなさい
自分たちの言語を守りなさい

植民地主義者たちはクソだ
彼らの保護など無視しろ

あの目隠しを切り裂き
奴らの目を見開かせなさい

旗を掲げトランペットを持ち
一番高い山の頂上へ行きなさい
そこに旗を揚げなさい

独立を宣言しなさい








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日本と世界の今年を占う

賀正。
って、なにが「正」なのか、世の中不正だらけなのに「正を賀す」のも何だかなあ、とは思うが、とにかく賀正。今年が、善良な人々にとってめでたい年になりますように。悪党どもにとってめでたくない年になりますように。
さて、あまり威勢のよくない書き出しになったのは、先ほど日本と世界の今年を易で占った結果が、あまり嬉しくないものだったからだ。まあ、霊力の無い私の占いだからどうということはない。毎度言うように、易などの占いは、思考を引き出す母胎の一つとして利用すればいいのである。信じるというよりは、そういう可能性がある、という「心の注意信号」として心の片隅にとどめて利用すればいい。

占ったのは三つ。「日本国民にとっての今年の運勢」「日本政界の今年の運勢」「世界の人々にとっての今年の運勢」の三つだ。後は、私個人の運勢も占ったが、それは秘密。

第一点「日本国民の運勢」は「艮為山」の3爻。卦の本文その他は読むのもうんざりだろうから省略して、私の解釈を書けば、「どつぼにはまって動けない」「上下相背いて苦難がある」ということである。これは具体的には、国民の意思にまったく反する政治が行われ、国民が苦しむことと考えられる。変爻(変卦)は「山地剥」で、これも不吉な卦である。すべてが剥がれ落ちる、つまり国民の困窮は極度に達するかもしれない。
第二点「日本政界の運勢」は「雷風恒」の初爻。私の解釈は、「現在の状態は基本的に変わらない」。具体的には自民党政権が参議院選でも勝つ、ということだろう。初爻の「浚うを恒とす。貞凶。よろしきところなし。」が暗示するのは、自民党政権が民主党政権の政策から(どぶ浚いのごとく)拙速にすべてを変えようとし、しかも頑迷頑固に妥協をつっぱねるために、多くの不幸が起こる、ということかと思う。変爻(変卦)は「雷天大壮」で、天に雷が轟くような大騒動が起きるか。(これはもちろん、私の解釈であり、「大壮」は「大いに壮んである」が基本の意味。雷はエネルギー、生命、騒ぎなどの象徴でもある。)
第三点「世界の人民の運勢」は、何と、これも「雷風恒」の初爻である。つまり、「変わらない」「凶」ということだ。このように連続してまったく同じ卦が出るのは珍しい。

いやはや、正月早々縁起でもないことを書いたが、まあ、私の易はお遊びだ。通常の思考では生じない要素を易の占示から取り入れ、思考を活性化させる、というのが、私が易をやる理由である。それに、「易経」の言葉の中には深い人生知が含まれているから、それを読むのも役に立つ。霊力のある人がやれば易で未来を予見できるかもしれないが、未来など分からないから夢も希望もあるし、自由意思の価値もあるのである。

ここからは私信だが、忠武飛龍さん、コメント有難うございます。私は自分のCM欄にどう書き込めばいいのかやり方も分からない馬鹿なので、ここでお礼しておきます。今後ともよろしく。







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年末年始に見る映画なら、これ!

今年最後の記事として、何を書くか迷ったが、年末に見るお勧めDVDでも書こう。
幾つも書いてもしょうがないから、一つだけ。それは、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ! オトナ帝国の逆襲」である。「アッパレ! 戦国大合戦」も正月向きでいいのだが、過去を振り返り、未来を考えるには、こちらが向いているか。
内容については、下の二つの記事を読めば、これがいかに傑作か分かるだろう。
感動したければ、気持ちよく泣きたければ、これである。しかも、見た後の爽快感が素晴らしい。まず、「クレヨンしんちゃん」やアニメ映画への偏見を忘れて、これを見ることだ。
ただし、家族と一緒に見たら、子供等の前で大の大人がぼろぼろ泣いて恥ずかしいのは覚悟することである。


引用記事の一つ目(マスター@ビジョン氏による)は映画公開当時に劇場で見た感想、二つ目(「気まぐれなブログ」管理人氏による)はDVD鑑賞の感想だ。





(以下引用)


★ ★ ★ ★ ★
クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲(原恵一)
脚本&絵コンテ:原恵一 演出&絵コンテ:水島努 音楽:荒川敏行&浜口史郎 主題歌:こばやしさちこ
作画監督:原勝徳&堤のりゆき&間々田益男 美術監督:古賀徹&清水としゆき 制作:シンエイ動画
声の出演:矢島晶子(しんちゃん) 藤原啓治(父 ひろし) ならはしみき(母 みさえ)
こおろぎさとみ(妹 ひまわり)| 津嘉山正種(ケン) 小林愛(チャコ)



傑作である。それも生半可な傑作ではない。一人の作家が一生に一本 作れるかどうかという類の作品だ。おそらく原恵一はこの映画のゼロ号試写において、キャリアの最高作を作ってしまった者のみが味わう恍惚と不安におののいたことだろう――そう、本作のなかでもリスペクトを捧げている「カリオストロの城」を作り上げた直後の宮崎駿のように。 ● 今回、原恵一は本気(マジ)である。ここまで「付き添いのお父さん」にターゲットを絞っちゃっていいのか!?…と心配になるほど、三十男の心に直球をズバンッと投げこんで来る。なにしろ本篇には映画版のレギュラーである「カラオケ好きの原作者・臼井儀人」も「グラビア・アイドルのゲストキャラ」も(なな、なんと!)オカマ・キャラすら出てこないのである。いや、もちろんこれは「クレヨンしんちゃん」なので、クッダラナイ脱力ギャグはテンコ盛りだし(キャラを真面目に振りすぎた前作の反省も踏まえて)しんちゃんは最後の最後の最後まで徹底して無責任でお馬鹿で快楽主義者な5才児であり続ける。ドラマに足をすくわれて「動画」としての魅力を損なうこともなく、中でもクライマックス・シーンの作画は(普段あんまり「上手い」と思わせない作風の)原恵一と水島努がアニメーターとしての底力を見せつける。変幻自在の“ザ・劇伴”を繰り出す荒川敏行&浜口史郎のスコアも素晴らしい。 ● これは「わたしたちが過ごしてきた20世紀」への心のこもった鎮魂歌であり「今、わたしたちが生きているこの21世紀」に向けての決意表明でもある。1960年代に生を受けた者は必見。このサイトを読んできて少しでもおれの目利きを信じてくれるなら観に行ってくれ頼むから。いや大丈夫、平日の夜ならガキもそんなに居ないって。
[以下、内容に触れています]本篇はいきなり太陽の塔のアップから始まる(=太陽の塔を知らない観客はこの時点で脱落) しんちゃん一家の住む埼玉県春日部市にテーマパーク「20世紀博」がオープン。父ちゃん母ちゃんは、な~つかしいなあ:)を連発して、人気アトラクション「バーチャル万博」に通いづめ(おおお、おれなんか万博のパビリオンの名前ぜ~んぶ言えるもんね←威張ってどーする) もう、親はニコニコ、子どもはイヤイヤ。そのうち大人たちは子どもに還って「21世紀博」から戻って来なくなる…。 ● これ、じつはマッシュルーム・カットのケンと、長い黒髪のアンニュイなチャコをリーダーとする秘密結社「イエスタデイ・ワンスモア」の陰謀。そもそも「21世紀」とは「おれたちの輝ける未来」だったはずだ。手塚治虫が夢見た「未来」はこんな耐えがたい悪臭をはなつクソみたいな時代では断じてない。いま一度、自分たちの手に「輝かしい未来」を取り戻すため、おれたちは時計の針を20世紀へと戻すことを選択する。そう、おれたちの「黄金の20世紀」、…街に匂いがあった時代へ、だ・・・てなことを津嘉山正種の声で言われた日にゃあ、もうおれなんか涙を流して「そーだそーだぁ!」と同意しちゃうわけよ(どーせならチャコの声は池田“メーテル”昌子でお願いしたかったね) なにしろあーた、この人たちはテーマパークの地下に「昭和の町並み」の完全なレプリカを作っていて、その町はつねに夕焼けで、地面はまだアスファルトに覆われてなくて、何処からともなく豆腐屋のパ~プ~が聞こえてくるのだ。もちろんケンとチャコもその町の安アパート「昭和荘」の2階で同棲時代を送ってる。おおおお、おれも、おれも。おれも入れて。夕陽の町の住人にしてくれい!<完全に洗脳されてる。 ● というわけで春日部から、…いや、日本中から大人の姿が消えるという「ビューティフル・ドリーマー」な状況が現出し、がらんとした町に残された子どもたちはご飯を食べることすらままならない。幼稚園児がぽつりと呟く一言「“懐かしい”ってそんなにイイモノなのかなあ?」 やがて始まる子ども狩り。しんちゃんと幼稚園の級友たちで構成される かすかべ防衛隊の面々は、大人たちの目を覚ますべく「イエスタデイ・ワンスモア」に戦いを挑む。――最後の最後の最後の最後、しんのすけ はアクション仮面や ぶりぶりざえもん の手を借りず、自分ひとりの力で大人の前に立つ。わずかに残された力を振り絞るように吐き出す台詞。つまり「未来」っていったい「どういうこと」なのか。ぐはっ(←涙が堰を切った音)だめだ。もう両目は栓を抜いた風呂桶のよう。おれは今、この文章を泣きながら書いている<バカ。 ● ドラマを締めくくるのはよしだたくろうの名曲「今日までそして明日から」――♪わたしは今日まで生きてみました ときには誰かの力を借りて ときには誰かにしがみついて わたしは今日まで生きてみました そして今 わたしは思っています 明日からもこうして生きていくだろうと♪ 1度でも「昔は良かった」と嘆息したことのある人はこれを観てよおく反省するよーに(特に>アントニオ猪木と新日本プロレス関係者)






2011年05月08日00:02
アニメレビュー
クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲 5拍手
映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 [DVD]



今回のアニメレビューは「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」です。
キャッチコピーは『未来はオラが守るゾ』。
「昔は良かった」「思い出補正」「懐古」
というのがテーマになっていて、
大人が子供に戻りたいという願望を叶えてしまう、
「20世紀博」というテーマパークが作られた。
大人達に大好評。しかし子供達には不評。
この「20世紀博」にはある秘密が隠されていたのであった・・・(ネタバレ満載!)
あえて最初に言っておきますが、個人的にケン側寄りの人間です。
懐古ネタが大好きで、こういった世界があるのは良いものだと思います。
古きよき時代ですからね・・・
このブログの過去の記事を見ていただければわかりますが、
僕はかなりの懐古厨です。レトロ物好きです。まぁそれは置いといて・・・

実の所、僕はこの映画はリアルタイムでは見ませんでした。
今思うと映画館で観ておきたかったと後悔している作品の一つ。
後に友達がオススメだよ!というイチオシで観てみた作品です。
いやーマジで良い作品でした。

PTAの目の敵となっていたクレしんですが、
この作品からそういった方々から
映画だけは良いという意見もチラホラ出てきたらしいです。
初期は完全にみさえを呼び捨てで読んでたりするしんのすけは
たしかに親からして良いイメージはないかもしれませんがね。
でも映画だけはそうは言わせない、それがクレしんの凄い所。
批判をしていた当時しんのすけぐらいの子供の年齢がいる
大人が嫌々この映画を映画館に観に行った、そういった層にストライクなネタが多いんです。
とにかく大人向けとも言えるように内容が『深い』作品になってます。

僕自身、
『ホテル』 『ソープ』 『おとなのおも…』 や
『コンドームを風船ガムと勘違いして食べようとする』や
給食のおばちゃんに半殺しにされ『前が見えねぇ』などといった
初期時代をリアルタイムで観ていた層なのですが、
まさかこういった感動路線に進んでいく作品になるとは思いもしませんでした。
いやはや、当時のしんちゃんは口が悪く、母親を馬鹿にするシーンも多かった為、
ウチの親もあんまりこのアニメは見せたくないという感じでしたね。

まぁこの映画を観るまで僕だってしんちゃんはギャグアニメといったジャンルだと思ってたのですがね・・・
ギャグアニメがこういった感動路線をやるとは思いもしないでしょうから、
よりいっそう、感動したのでしょうね。

しかしながら前半の大人が勝手に街から消えていく、
そして電気も消えて真っ暗になるなんて
子供向けにしては怖い雰囲気が漂っていますよね。
(元々しんちゃんって大人向けの作品ですがね、特に初期の原作は)
でも、その後にバス乗っ取って、逃げ出すシーンは楽しいですけどね。
しんちゃんが車におしっこかけたりねw
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ではではこの辺で、このオトナ帝国をレビューしている
どこのブログ、サイトでも話題になってる
ひろしの回想シーン
について書いてきます。

学生の人にはあまり意味がわからないと思いますが、
社会人になって壁にぶつかった時、またこの映画を見返すと
当時と100%見方が変わります。
というよりもひろしの回想シーンは自分と照らし合わす部分が多すぎるんですよ・・・
学生時代の「父親の偉大さ」「恋愛・失恋」
社会人になって「上京」「就職」「挫折」などなど・・・
あんなシーン、振り返ったら自分だって泣いちまうわ・・・
もちろん全部一緒なわけではないですが、部分部分本当同じように感じでしまうところがあるんですよ・・・

何故ひろしが汗水流して、仕事をするのか?
何故電車で居眠りするほど疲れているのに仕事をするのか?
それは待っている家族がいるからなんです。
そしてよくアニメ上でネタにされてる足の臭さは汗水流して働いてるという象徴なんですよね・・・
僕は最後のひろしが子供の頃、父親に(秋田のじいちゃん)されていたことを
大人になって自分の子供(しんちゃん)にしているので、やられてしまいました・・・
当たり前な日常なんですけど、これがどれだけ大変か・・・大人になればわかる部分ですが。

しんちゃん「父ちゃん、オラがわかる?」
ひろし「あぁ…あぁ…」
というシーンでのひろしのセリフで終わるこの場面・・・
感情がこもっていて何回見ても・・・この場面では泣いてしまいそうになってしまいます・・・
ひろしの回想シーンは観ている人それぞれ感想は変わると思いますが、
『深い』、そして『メッセージ性が強い』と思えるシーンだと思います。


そしてもう一つの目玉シーンは
しんちゃんが階段を必死に駆け上がるシーン
について書いてきます。

においを止める為、未来を守る為野原一家は階段を駆け上がるのですが、
次々に邪魔が入って全てをしんちゃんに託すことに。
血だらけでも頑張って走っていくシーン。そしてBGM…
少しずつ盛り上がっていくBGMと映像とのシンクロが最高に合っていて
今でもBGMを聴けばすぐあのシーンが頭に浮かびます。
これは画面の向こうで観ている人も思わず「がんばれ!!」って言いたくなります。
実際にこの映画では戦闘シーン的な場面は無いです。



ちなみに僕はあのテーマパークが90年代を軸にしていたら
間違いなく洗脳されます。もう住んじゃうだろうなぁ。
え?その時代だとネットやパソコンが普及じゃないかって?
いや、あの時代の雰囲気が完全に再現されていれば
もうパソコン、ネット環境はいりません。
うん、ぶっちゃけそういった環境を再現できるならブログもいらないわ!
あの頃はネットとかが無くてもいろんなことが充実していた。
今じゃもう・・・仕事仕事ばかりでなんだかなぁ・・・


しんちゃんは「オラ大人になりたいから!!!」と言いますが、
たしかに子供の頃はそういった気持ちはありました。
でも

大 人 に な る と

子 供 に 戻 り た く な り ま す。

え、自分ですか?しんちゃんぐらいの年齢から人生やり直したいです・・・orz
とっくの昔に「埼玉紅さそり隊」や「ななこおねいさん」などといった年齢を超えてしまった・・・
よしなが先生やまつざか先生ぐらいの年齢に気が付けばなってしまったぜ・・・
時代の流れって恐ろしい・・・

最後の締めもすっきりして良かったです。
「ただいま~」
ヒロシとみさえがそう言って家に入ります。
「お帰り、父ちゃん、母ちゃん」
と最後にしんちゃんが言って終わる。いつもの野原家に戻って終わる。
やっぱりこうじゃないと!

ここまで感動できる作品もあまりないと思います。
しかもこの作品は誰も人が死ぬということでもありません。
そういった別のメッセージ性で感動してしまいます・・・
この作品で感動できたらもう貴方もオトナ(大人)でしょうね・・


クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲(Wikipedia)


例のBGMをピアノで弾いた動画がありました。ぜひとも見て頂きたいです。



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この作品で印象に残ったセリフベスト3
第3位
「懐かしいってそんなにいいことなのかなぁ」
物語序盤で風間君が言った一言。
これは本当に大人になってみないとわからない部分とも言える、懐かしいという部分。
しんちゃん達はもちろん、頭の良い風間くんでもこれはわからないこと。
このことについては絶対に理解できないでしょうね。時が答えを見つけてくれます。


第2位
「今の日本に溢れているのは、汚い金と燃えないゴミぐらいだ」
ケンがチャコに対して言ったセリフ。
当時も汚い金と燃えないゴミはあったものの、
2011年現在、本当にどんどんそういったものが増えてきたものと思う。
本当の意味でケンのセリフに共感できると思った人も少なくはないのでは?
特に汚い金は・・・(以下略)


第1位
「また、家族に邪魔された・・・」
物語の終盤でチャコと一緒に飛び降り自殺をしようとした時に
屋上に巣を作っていた鳩の親子に邪魔されたときのケンの一言。
自殺しようとする時にしんのすけが「ずるいゾ!!!」も印象深いのですが、
ケンのその後の一言に鳥肌が立ったのでそちらをピックアップ。

皮肉めいた一言ですが、ケンにとっては本心では「救われた」という感情もあると思われる部分。
しんのすけのバンバンジージャンプをオラにもやらせろというセリフにも
受け答えを少し笑いながら「あぁ」という部分も感情がこもっていて好きです。
そして、その「あぁ」というセリフが彼の映画でラストのセリフとなります。

映画の立場上、悪役なのにも関わらず印象に残るものセリフが多かったです。
ひとつひとつ正論部分もあったりと、僕自身あんまりケンが悪い人には思えないんですよね・・・
(まぁ子供狩りの場面はあんまりよろしくないですが)


番外編
「ハハハ!ボクのバスー!」
組長こと園長先生が幼稚園のバスの上に立ったときに言ったセリフ。
この後看板に吹っ飛び、組長先生退場。(よく死ななかったね!)
しかし何故か組長先生、この映画ではメガネがずっと光ってます。コナン状態!
________________________________________
最終的に
過去ばかり見ている人を否定してしまう作品になってしまいました。
結局は未来に生きていけ。踏み出せ。という
メッセージ性のある作品なのではないでしょうか?
最初に書いたとおり、個人的にはケン側の気持ちの方が共感できてしまうのですよね。
でも実際にTVの前で必死に子供が未来を手に入れるために
血だらけで走っていたら未来に生きていきたくなるかもしれませんね・・・



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ハンナ、聞こえるかい

28日の「地球の鉄の時代は終わりブロンズの時代に向かうか?」に載せた動画を昨日は全部見たが、なかなか面白かった。
もちろん、私は英語の聞き取りは苦手なので(書くのはまったく駄目で、読解は一応中卒レベル)理解できたのはたぶん3割から4割程度だと思うが、理解できた範囲でも十分に面白い。英語の得意な人はもちろん、得意でない人もご覧になることをお勧めする。音声は全部英語だが、下に英語字幕が出るので、気になる部分はストップにして字幕を確認するというのもいいだろう。
何人かのスピリチュアル系の人物かと思われる人々が交互に語る合間にさまざまな映像が流れる形式だが、その複数の人物の語りが、まるで一人の人間が語るかのように自然に流れて、心地よいのである。映像も音楽も気持ちがいいから、ヒーリング効果もありそうだ。
私は自分がスピリチュアル系だとはまったく思っていなかったのだが、これを見ると、私とよく似た考えだ、と感じるところが多い。
たとえば、「我々は大きな海の水滴の一つ一つのようなものであり、いわば同一の存在なのだ」という考えは、ネットを通じて同じ考えが共有され、やがて世界は止揚されていく、という私の考えに近い。自我やオリジナリティ、我欲を私が否定的に見ていることは何度か書いてきたはずだ。
この動画の中でも印象に残ったのは、デビッド・アイクの、「すべては選択の問題である。愛を選ぶか、恐怖を選ぶかの」という趣旨の言葉である。
私はこれまで愛という言葉がどちらかと言えば嫌いであった。それは、男女の間では性欲の偽装であり、またあらゆるジャンルの大衆芸術の中で商業的に利用され汚れ切った言葉だ、と思っていたからである。もちろん、スピリチュアル系の人々がやたらに愛という言葉を言うのも気に入らなかった。むしろいかがわしさを感じていたのである。
しかし、我々がそれぞれ大海の水の一滴であるならば、愛はむしろ自然なことである。愛は引力であり、恐怖は斥力だ。水滴と水滴の間には引力しかなく、斥力は無い。
我々は恐怖によって支配されてきた。
恐怖すべきは恐怖そのものであり、それを乗り越えれば、恐怖の支配者のみじめでちっぽけな真の姿が見えるかもしれない。そして、恐怖に満ちた世界より、愛に満ちた世界に生きるほうが幸福であることは言うまでもない。

チャップリンの『独裁者』の最後は、ハンナという恋人に呼びかける愛の言葉であった。
その『独裁者』のラストシーンでのチャップリンの「人類史上最高に感動的な演説」をここに引用しておく。どこのサイトから採ったか失念したが、そのサイトの管理者による訳文も付けておく。




(以下引用)



人類史上最も感動的なスピーチ
JUGEMテーマ:反戦・非戦




I'm sorry but I don't want to be an emperor.
That's not my business.
I don't want to rule or conquer anyone.
I should like to help everyone if possible; Jew, Gentile, black men, white.
We all want to help one another.
Human beings are like that.
We want to live by each others' happiness, not by each other's misery.
We don't want to hate and despise one another.
In this world there is room for everyone.
And the good earth is rich and can provide for everyone.
The way of life can be free and beautiful, but we have lost the way.

Greed has poisoned men's souls; has barricaded the world with hate; has goose-stepped us into misery and bloodshed.
We have developed speed, but we have shut ourselves in.
Machinery that gives abundance has left us in want.
Our knowledge has made us cynical; our cleverness, hard and unkind.
We think too much and feel too little.
More than machinery we need humanity.
More than cleverness, we need kindness and gentleness.
Without these qualities, life will be violent and all will be lost.
The aeroplane and the radio have brought us closer together.
The very nature of these inventions cries out for the goodness in man; cries out for universal brotherhood; for the unity of us all.

Even now my voice is reaching millions throughout the world, millions of despairing men, women, and little children, victims of a system that makes men torture and imprison innocent people.
To those who can hear me, I say "Do not despair."
The misery that is now upon us is but the passing of greed, the bitterness of men who fear the way of human progress.
The hate of men will pass, and dictators die, and the power they took from the people will return to the people.
And so long as men die, liberty will never perish.

Soldiers!
Don't give yourselves to brutes, men who despise you and enslave you; who regiment your lives, tell you what to do, what to think and what to feel!
Who drill you, diet you, treat you like cattle, use you as cannon fodder!
Don't give yourselves to these unnatural men---machine men with machine minds and machine hearts!
You are not machines!
You are not cattle!
You are men!
You have a love of humanity in your hearts!
You don't hate!
Only the unloved hate; the unloved and the unnatural.

Soldiers!
Don't fight for slavery!
Fight for liberty!
In the seventeenth chapter of St. Luke, it’s written “the kingdom of God is within man”, not one man nor a group of men, but in all men!
In you!
You, the people, have the power, the power to create machines, the power to create happiness!
You, the people, have the power to make this life free and beautiful, to make this life a wonderful adventure.
Then in the name of democracy, let us use that power.

Let us all unite.
Let us fight for a new world, a decent world that will give men a chance to work, that will give youth a future and old age a security.
By the promise of these things, brutes have risen to power.
But they lie!
They do not fulfill their promise.
They never will!
Dictators free themselves but they enslave the people!
Now let us fight to fulfill that promise!
Let us fight to free the world!
To do away with national barriers!
To do away with greed, with hate and intolerance!
Let us fight for a world of reason, a world where science and progress will lead to all men’s happiness.
Soldiers, in the name of democracy, let us all unite!

Hanna, can you hear me?
Wherever you are, look up Hanna!
The clouds are lifting!
The sun is breaking through!
We are coming out of the darkness into the light!
We are coming into a new world; a kind new world, where men will rise above their hate, their greed, and brutality.
Look up, Hanna!
The soul of man has been given wings and at last he is beginning to fly.
He is flying into the rainbow.
Into the light of hope!
Into the future!
The glorious future!
That belongs to you, to me, and to all of us.
Look up, Hanna!
Look up!

≪和訳≫

私は皇帝になんかなりたくない。
そんなことは私のやりたいことではない。
私は人を支配したり征服したりするのは嫌いだ。
できれば人の手助けになりたい。
ユダヤ人であれ、キリスト教徒であれ、黒人であれ、白人であれ。
みんなお互い助け合いたい。
人間とはそういうものだ。
人の不幸によってではなく幸せによって生き たい。
お互い軽蔑したり憎しみあったりしたくない。
この世界はみんなのものだ。
地球はすべての人に豊かさを与える。
人生は本来自由で美しい。
しかし、われわれは道を誤った。

貪欲が人の心を蝕んだ。
憎悪が世界を遮断した。
人を機械人間にして悲惨な戦争と流血に巻き込む。
生活は効率的になったが、みな殻に閉じこもってしまった。
豊かさを与えるはずの機械は欠乏を生み出した。
知識は人を皮肉屋にしてしまった。
賢さは堅苦しい不親切を生み出した。
人は考えるばかりで、感じることをやめ てしまった。
われわれには機械よりも人間性が大切だ。
賢さよりも親切心や優しさが必要だ。
これがなければ人生は暴力に満ち溢れ、すべてが失われる。
飛行機やラジオのおかげでお互い身近になった。
これらの発明はまさに人間性を求めている。
普遍的な兄弟愛、そしてみんなが一体となることを求めている。

私の声は今でも世界中の人たちに届いている。
数百万の絶望した男性、女性、子供たち、そして人を苦しめ無辜の人たちを投獄する社会の犠牲者たちが聞いている。
私の声が聞こえる人たちに言う、「絶望してはいけない。」
今降りかかっている不幸は一時的な貪欲と、人間の進歩を恐れる人たちの恨みによるものである。
人間の憎悪は永遠ではない。
独裁者は必ず死ぬ。
そして人民から奪った権力は人民に返される。
人間が死を免れない以上自由が滅びることは決してない。

兵士よ!
野蛮人に身をゆだねてはならない。
彼らは君たちを軽蔑し、奴隷にし、統制し、ああせよ、こうせよと命令して考え方も感じ方も鋳型にはめてしまう。
君たちは猛訓練にあけくれ、減食させられ、牛馬のごとく扱われ、間に合わせの人間にされてしまう。
このような非人間を信じてはならない。
機械の心を持った機械人間は信用できない。
君たちは機械ではない。
家畜でもない。
人間だ!
君たちの心は人間性を求めている。
憎悪することではない。
憎悪するのは愛をなくした人間だけだ。
愛をなくした者と非人間だけが憎悪するのだ。

兵士よ!
奴隷になるために戦ってはならない。
自由のために戦おう。
ルカ書十七章にこうある、「神の王国は人の心の中にある。」
人の心とはみんなのことである。
君のことである。
君たち民衆こそが権力を持っているのである。
機械を作る権力。
そして、幸せを作る権力を。
君たち民衆こそがこの世を自由に美しくする力、この人生をすばらしい冒険にする力を持っているのだ。
今こそ民主主義の名においてその力を行使しようではないか。

みんなで団結しよう。
新しい世界を作るために戦おう。
人に労働のチャンスを与え、若者に未来を与え、老人に安全を与えるまともな世界を作るために。
独裁者はこういう約束をしながら権力を握った。
しかし、彼らはうそつきだ。
約束を守らない。
絶対に守らない。
独裁者は自分自身を自由にするが民衆を奴隷にしてしまう。
さあ、約束を果たすために立ち上がろう。
世界を開放するために立ち上がろう。
国家間の壁を打ち破るために。
さらば、欲と憎悪と非寛容!
科学と進歩がすべての人を幸せに導く理性の世界を作るために立ち上がろう。
兵士よ!団結しよう!民主主義の名の下に!

ハンナ、聞こえるかい。
どこにいてもいい、空を見上げるんだ、ハンナ!
雲が晴れていくのが見えるだろう?
太陽が輝き始めた。
われわれはようやく闇から抜け出し光の中にいる。
新しい世界に入ったのだ。
人間が憎悪、貪欲、残忍を克服した優しい新世界に。
見上げてごらん、ハンナ!
人間の魂が翼を持ち飛び立とうとしているんだ。
ほら、虹の中に飛んでいく。
希望の光の中に!未来の中に!
この輝かしい未来は君のものだ。
私のものだ。
そして、みんなのものだ。
いいかい、ハンナ、見上げるんだ。













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地球の「鉄の時代」は終わり、「ブロンズの時代」へ向かう?

「ハートの贈り物」というところに載っていた動画である。
長いのでまだ最初の10分くらいしか見ていないし、私は英語の聞き取りが苦手なので、言われたことの10分の1しか理解できないが、なかなか面白そうなので転載しておく。
要するに、アセンションはさりげない形で起こったのではないか、という私の妄想を補強するような内容に見えるから、我田引水のために転載するわけだ。(笑)
だからと言って、私が「あっち側」つまり、チャネラーとか神秘思想家の側に行ったわけではない。私は、易の話などもするが、「完全に否定されていないことは存在する可能性がある」という信条であるだけで、まずは現実を実際に変えていくことが大切だと思っている点では大多数の現実主義者と同様である。
ブログを書くことも、一つの「怠惰な社会改善活動」のつもりなのである。まあ、趣味や娯楽として書いているというのが半分だが。












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牢獄の中で味わう自然

「内田樹の研究室」に素晴らしい文章が引用されていたので、それを転載する。
ある政治犯であった人物が、かつての獄中体験の一部を語ったものだが、これがまるで散文詩なのである。実に美しい文章だ。
後の方に内田樹の訳も載せるが、中学三年生から高校一年生くらいでもだいたいは読める平易な英文であり、英文で読む方が美しさをより感じられると思う。意味の分からない単語が出たら、辞書など引かず、前後関係からだいたい推測できる言葉を当てはめればいいのである。





(以下引用)



2012.12.26


朴聖煥先生のこと




I have been in the prison for 13 and half years as a political prisoner.
When I was first imprisoned, I was cast in a tiny solitary cell for the first six months without being permitted even a book to read. I was hungry and so lonesome.
But the greatest hardship I met with in prison was that there was no music there. But later on I came to know that music was there. In summer, when it began to rain at a distance, first came the smell of dust and then the sound of rain. It came nearer and nearer to my attentively listening ears. The sound became bigger and bigger and bigger. And suddenly the rain began to pour down and drummed violently on the tin-roofs of the old prison buildings. Then there were the sound of the water gushing out of the gutters and the creaks of the iron bars and the gates. Throughout the prison there was a flood of music. And suddenly the lightening came running across the sky and the thunder a little later, making the musical performance more dramatic. What a spectacular music it was!

In the yards and in every nook and cranny there grew various kinds of plants. Even out of the cracks on the high concrete fence there were living tiny wild plants. They had their four seasons. In spring, they awoke and raised their green fists. In summer, they boasted of their exquisite flowers. In autumn, if a careful observer, you could watch how they were busy with the harvest. And in winter, the thin dry stalks of wild plants, high up on the top of the concrete wall, were waiting for the spring to come enduring steadfastly the piercing north wind.
The winter in prison was terribly cold. There were no stoves, no heating system whatsoever. The temperature in the room was almost the same as that of the outside of the building. If you put a bowl of water in your room, you would find a lump of ice in there in the morning. In the freezing night I was cold and lonesome. Yet my consciousness became so still and so concentrated and my senses so keen and vulnerable. My breathing became silent prayers. When there was a full moon in the cold sky, the moonlight flooded in through the small window of my cell and painted blue waves of the ocean on the opposite wall. I arose and tiptoed to look out at the trees in the yard. In the moonlight they were thrilling with joy as well as with cold, just as I was. I said ‘Hi’ to them in a low, quiet voice and they returned ‘Hello’ in a shy motion, we could have long consoling talks with each other.
But, alas! Since I was released, I have lost that stillness in the routine of daily life.



























私は政治犯として13年半獄中にありました。
私が最初に投獄されたとき、私は六ヶ月間狭い独房に放り込まれました。そこでは一冊の本を読むことも許されませんでした。私は飢えて、そして孤独でした。
監獄にいていちばんつらかったことはそこに音楽がないことでした。けれども、やがて私はそこにも音楽があること知りました。夏になって、遠くに雨の気配がした時のことです。最初は埃の匂いがして、それから雨音が聞こえたのです。雨音は聞き耳を立てている私の耳元までしだいに近づいてきました。音はしだいに大きく、大きく、大きくなりました。そして突然雨が降り注ぎ始め、古い獄舎のトタン屋根を荒々しく叩き始めたのです。雨樋を流れ落ちる水音と鉄格子と鉄の扉をきしませる音が響き渡りました。次いで稲妻が空を切り裂き、少し遅れて雷鳴が轟き、この音楽の演奏をさらに劇的なものとしたのです。なんとみごとな音楽だったことでしょう!

庭にも隅にも割れ目にもさまざまな種類の植物が繁茂していました。高いコンクリート壁の亀裂からさえ生命力あふれる野生の植物が生えてくるのです。植物たちにはその四季があります。春には、植物たちは目覚め、その緑の拳を突き上げます。夏には見事な花を誇らしげに咲かせます。秋には、子細に観察すれば、彼らが収穫に忙しい様子が見て取れるはずです。そして冬になると、その細く乾いた茎は、コンクリート壁のはるか上で、刺し通すような寒風にしっかりと耐えながら、春の到来を待つのです。
冬の監獄は恐ろしい寒さでした。そこにはストーブも、およそ暖房器具に類するものは何一つありませんでした。室温はほぼ外気温と同じでした。ですから、室内の器に水を張っておくと、翌朝にはそれが氷の塊になっているのです。凍えるような夜、私は冷え切って、ひとりぼっちでした。しかし、私の意識は鎮まり、深まり、五感はひりひりするほど鋭敏でした。私の息づかいは沈黙の祈りに似たものとなっていました。寒空に満月が浮かぶと、月光は独房の小さな窓を通して獄舎のうちに溢れかえり、反対側の壁に大海原の青い波を描き出します。私は起き上がり、つま先立ちになって庭の木々を眺めました。月光を浴びた木々は喜びと寒気で震えていました。私もそうでした。「やあ」と私は低い、静かな声で彼らに呼びかけました。「やあ」と彼らははずかしそうに身をよじって返答してくれました。そんなふうにして私たちは長い間、心を慰めるおしゃべりを交わしたのです。

しかし、何と言うことでしょう!あの静けさは釈放されてから後、日々の生活の営みにまぎれているうちにかき消えてしまったのでした。







(追記) 私自身の英語力が中学生レベルであることは何度か言っている。先ほど、MIKEという人から英文のコメントが届いたが、内容がほとんど理解できないので非公開にさせてもらった。





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