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風邪やインフルエンザ予防になぜ手洗いが有効なのか

「in deep」から転載。
風邪とインフルエンザの区別すら私は不明確なのだが、詳しい人に言わせると、この両者は違うそうである。インフルエンザは全身症状を伴う、とか何とか言うが、咳やくしゃみや鼻水だって全身症状ではないのか、とも思う。体がだるいとか、嘔吐や下痢を伴うこともあるし、伴わないタイプもあるし、ということで、結局インフルエンザとは医者がそう判定すればインフルエンザだ、とするだけなのだろう。

で、インフルエンザ流行となれば、ワクチン接種が「社会的強制風潮」なのだが、ワクチンがインフルエンザに効く確率はゼロに近い、というのが「陰謀実在論者」の間の常識である。要するに、インフルエンザウィルスは毎年、新しい種類のものが出るので、それに合わせてワクチンを作ることは不可能、ということのようだ。また、ワクチン自体がバイキンの溶液のようなものであり、その危険性の方が大きいとも言う。これはインフルエンザ以外を対象とするワクチンも同様であり、たとえば、子宮頸癌ワクチンなど、将来の不妊につながる、とか言われている。もともと、癌の原因さえまだ不明だのに、ワクチンで癌が予防できるなど、怪しい話である。

さて、ワクチン談義はこのくらいにして、風邪の話である。インフルエンザも風邪も同じとして話をする。
通常の風邪の予防手段には「マスク」「手洗い」「うがい」などがある。もちろん、ワクチン接種など無意味、としての話だ。
これらの予防手段の中で何が効果があり、何が効果が無いか、というのは誰にとっても大きな興味の的だろうが、下記記事によると、「手洗い」が一番効果がある、ということになるようだ。
実は、これは医療・保健業界の近年の風邪(インフルエンザ)対策でも同じように言われていることである。
しかし、問題は、「なぜ手洗いが有効か」ということがあまり明確でないことだ。と言うより、私が知らないだけだろうから、ネットで調べてみると、(引用2)のように説明されている。それで納得するかどうか、私はどうも今一つ納得できていないのだが、まあ、薬に頼るよりはマシだから、手洗いはなるべく頻繁にするようにしよう。

要するに、空気中を浮遊するウィルス(乾燥状態)は、案外と体には取り込まれないが、手を何かに触れることで、皮膚接触により一度体に付着したウィルス(粘着状態)は、やがてその人の目や鼻や口などから体内に取り込まれる確率が高い、ということだろうか。
我々がそれほど頻繁に自分の目や鼻や口を自分の手で触れているとは思えないのだが、案外無意識にやっている行為なのかもしれない。であれば、手洗いより大事なのは、無闇に自分の目や鼻や口に触れる癖を意識して治すことだろう。それ以前に、なるべく病院(ウィルスやバイキンの巣である)や人の多い場所などには行かないことが大事である。風邪やインフルエンザにかかったら、まずは会社や学校を休むことは、これは蔓延を防ぐためにも、ほとんど義務にするべきだろう。
ごほごほ咳をしながら会社や学校に来るような馬鹿は、「エンガチョ」扱いにすべきである。まあ、風邪くらいは、「自然の休養命令」である、と思って数日寝ていればいい。それを許さないような会社や学校が異常なのである。


*どうでもいい話だが、上の文章の末尾で「するべき」と「すべき」を混用しているのはわざとである。「べし」は古語がそのまま現代語に残っているものだが、終止形接続なので、「する」を古語とすれば「す」に接続し、現代語とすれば「する」に接続することになる。だから「すべき」でも「するべき」でもいいのだが、通常は現代文として書いているのだから「するべき」が適切だ。しかし、「すべき」派も多いので、まあ、どっちでもいいということである。言葉が先にあって文法ができるのだから、何も杓子定規に文法絶対主義を振り回すことはない。


*今思い出したので追記しておくが、風邪の予防として「うがい」はまったく無意味だそうである。喉までウィルスが入っていれば、それはすでに風邪にかかっている、ということなので、うがいなどでウィルスを撃退することは、その時点でもはや不可能、ということらしい。(うろ覚えの知識であるが。)しかし、口の中は案外食べ物の残りカスがたくさん付着しているので、うがいは口の中の掃除の意味では有益だ。もちろん、毎食後歯磨きをするのが一番いいわけである。


(以下引用)


エラソーなことを言っている間に風邪のようなものをひき

実は、昨日の記事を書いた後に、子どもがぐったりとして帰ってきまして、高熱が出ていました。本人曰く「急に熱くなった」とのこと。その前日までは風邪の気配もありませんでしたし、時事としても、下のようなニュースが出ている真っ直中。

インフル患者140万人、前週の倍近く増加-小児にも拡大・感染研
医療介護CBニュース 2013.01.25

インフルエンザの患者がさらに急増している。国立感染症研究所感染症情報センターによると、14-20日の週に全国約5000か所の定点医療機関を受診した患者数は1施設当たり22.58人で、前週の12.07人の2倍近くに増えた。この値を基に推計した全医療機関の受診者数は約140万人で、今シーズン初めて100万人を超えた。


うちの子も吐いたりしてキツそうだったんですが、数時間後に熱は下がり、夜中には微熱がありつつも元気になり、今回のはインフルエンザではないようです。

とはいえ、上のように流行している現状ですし、風邪などで弱っている時には気をつけたいところであります。

そんなわけで、昨日の記事で「ためしてガッテン」で放映していた「風邪の感染に関しての驚くべき米国での実験結果」について書いたとしていたんですが、私も風邪がうつってしまいまして、なんとなくテンションも下がり(苦笑)、結果だけを書いておきますね。

番組自体は、NHK のこちらの番組案内にある「マスクの予防効果のアップ術」というものですが、そのテーマとはあまり関係のないことです。

番組のラストのほうで、米国の医療機関が、風邪(かインフルエンザ)の感染に関して以下の3つの実験をおこなったことについてふれていました。

写真はイメージです。

[1] 風邪を引いていてマスクを着用した患者と同じテーブルを囲んで短時間過ごす





[2] 風邪を引いた患者が使った容器(コップなど)をさわる





[3] 風邪を引いた患者と網などでを隔てた同じ空間の部屋で三日間過ごす




[3]の意味は、「患者と部屋の空気は共有しているが、体の直接的な接触はない」というためのものだと思います。つまり、それぞれの実験の意味は、

[1] 患者の飛沫が飛ぶ範囲での感染率
[2] 体液からの感染率
[3] 空気からの感染率

だと思います。

私たちが日常、あるいは今まで普通に言われてきていたことでは、なんとなく「風邪のウイルスが大気中を漂っていて、他の人たちに感染していく」というようなイメージがあります。

そういう意味から見ると、3日間という長い時間を患者と空気を共有する[3]の感染率が高い感じがします。

そして、その実験結果。

[1] 8パーセント

[2] 50パーセント

[3] 0パーセント


でした。

細かい点は違うかもしれませんが、大まかではこんな感じです。
というか、[3]の感染率が「ゼロ」だということに驚いたのです。


つまり、ごく簡単にいうと、(実験結果に若干の誤差があっても)「風邪は空気感染しない」と、ほぼ言える数値かと思います。というより、表現に語弊があるかもしれないですが、風邪に空気感染は存在せず、体液からのみ感染することを知りました。


ここから考えると、「効果的な風邪の予防法」がかなり見えてくるのです。特に、「学校や職場の集団感染を決定的に食い止める方法」は上の結果で実はわかると私は思いました。

しかし、上に書きましたように、そんなエラソーなことを書く人間が風邪を引いてしまった状態(苦笑)で、テンションが消えてしまいましたので、いずれまとめて書いてみたいと思います。


しかし、風邪ウイルスが大気を介しての水平感染はしないとした場合、大気中では何してるんですかねえ・・・。ウイルスの存在が消えるわけではないでしょうし。



(引用2)



実は、風邪やインフルエンザなど、病気を引き起こす感染症の多くは、“手”を介して体内に侵入することが多いと言われています。例えば、風邪やインフルエンザの流行期には、ドアノブや電車のつり革など、様々な場所にウイルスが付着しています。そういった場所を触った手で、自分の眼や鼻、口を触ったり、食事をしたりすることで、ウイルスが体内に侵入してくるのです。このような状況では、手にウイルスが付着することを未然に防ぐことは困難です。だから、様々な感染症から身を守るためには、手からの侵入を遮断する「手洗い」がとても大切になるのです。
手洗いは、帰宅時や食事前だけでなく、電車のつり革や共有のパソコン、トイレのドアや会社の入り口など、不特定多数の人が触るようなものに触れた後にも可能な限り行うことが大切です。少し神経質に思われるかもしれませんが、風邪やインフルエンザなどの感染予防のためには、頻繁に手洗いを行うことが何より大切なのです。

こんなところに触れた後の手洗いが大切

• ドアノブ
• 電車のつり革
• 階段の手すり
• 共有のパソコン

ウイルス・細菌は、“手”を介して感染します

1. バイ菌・ウイルスがついたものに手が触れる
2. 眼や鼻、口などを触る
3. バイ菌・ウイルスが鼻や喉など体内に侵入する
4. 体内で増殖する


きちんと手洗いをしているつもりでも、よく観察してみると、水でサッと濡らすだけで終わってしまっているようなケースも見受けられます。でも実は、水やお湯でサッと流すだけでは、細菌やウイルスは落とせません。
石けんを使ったとしても、石けん自体に消毒効果があるわけではないので、しっかりと時間をかけて、洗い残しがないように丁寧に洗わないと効果は半減してしまいます。また、冷たい水が嫌だからといって、熱いお湯でゴシゴシ洗うのもNG。皮膚の油分が奪われて、手荒れの原因となってしまいます。荒れた皮膚は、細菌が大変増殖しやすいことが分かっています。
さらに、きちんと手を洗っても、家族で共有のタオルを使うと台無しです。湿ったタオルで増殖した細菌が再び手に付着してしまいます。
以上のように、普段の手洗いでは、感染予防対策として間違った方法もよく見受けられます。それでは、せっかくの手洗いも、感染の抜け道を作るばかりか、逆効果にもなりかねません。
是非この機会に、毎日の手洗い方法を見直して、正しい確実な手洗い習慣を身に付けてください。


流水と石けんを使い、指先、手の甲、親指、指の間と、洗い残しやすい部分も忘れずに、しっかりと時間をかけて手洗いします。流水はできれば、シャワー状がよいでしょう。時間の目安は、「ハッピーバースデー」の歌を2回歌うぐらいの長さ「約20秒」です。正しい手洗い手順や洗い残しをしやすい箇所は、下の絵を参考にしてみてください。洗い終わったら、流水でしっかりすすぎ、清潔なタオルで充分にふき取ります。

石けんを使った正しい手洗い手順

1. 手のひらをよくこする。
2. 手の甲もよくこする。
3. 指先、爪の間も入念に。
4. 指を交差させて指の間も十分に洗う。
5. 親指はひねり洗いで。
6. 最後に手首も忘れずに!!

手洗いミスの好発部位

指先、指の間、親指は、洗ったつもりでも洗えていない、手洗いミスの好発部位です。 色の付いた箇所については、特に意識して手洗いを行うようにしましょう。


手洗いで最も大切なのは、できるかぎり頻繁に行うこと。ウイルスやバイ菌は、どこに潜んでいるか分からないからです。でも、電車の中や帰宅時の玄関、会社の入り口など、手洗いをしなければならない場所で、水道や石けんは身近にはありません。小さな子どもの場合だと、水道が使える状況でも、きちんと手洗いができなかったり、冷たい水を嫌がったりすることもあるでしょう。
そういったときに、アルコール手指消毒剤はとても役立ちます。水もタオルも必要なく、アルコールをすり込むだけで使えるので、水道や石けんが身近にない場合に便利です。もちろん、小さなお子様にも使えます。
有効成分が80%濃度のアルコールなので、ウイルスや細菌に対しても消毒効果をすばやく発揮します。「消毒剤」というと、ちょっと緊張して構えてしまうかも知れませんが、毎日の手洗い習慣の中に上手に取り入れてみてください。きっと、とても便利で重宝するはずです。
私も診察の際はもちろん、普段の生活でもとっても重宝していますよ。皮膚刺激も少なく、手あれもありません。


• オフィスで・・・パソコンに触れたら「手ピカジェル」
• 通勤・通学に・・・つり革・手すりに触れたら「手ピカジェル」
• 公園・アウトドアなどに・・・お弁当を食べる前に「手ピカジェル」
• お家の中で・・・外から帰ったら「手ピカジェル」
• お家の中で・・・せき・くしゃみをしたら「手ピカジェル」


マスクを着用した場合、顔とマスクとの間にはどうしても隙間ができてしまいます。また、ウイルス対策をうたっていても、フィルターの捕集効率は製品によって差があるようです。このため、マスクをすることによってインフルエンザなどの感染を完全に予防することは難しいと考えられます。マスクの効果を過信しすぎるのはよくないでしょう。
ただし、咳やくしゃみの症状がある人がマスクを着用すると、飛沫の発生を大きく減らすことができます。マスクは「人にうつさない」ためにはとても大切です。
マスクを着用する際は、できるだけマスクと顔の間の隙間がないように、自分の顔のサイズに合った製品を選びましょう。また、マスクを外す際に、ウイルスが手に付いてしまっては、せっかくの予防が台無しになってしまうので、マスクを外した後の手洗いも忘れてはいけません。

マスク着用のポイント

不織布マスクは、咳やくしゃみで発生する飛沫の拡散を防いでくれます。
人に感染を広げないように、マスク着用は大切です。マスク着用の際は、顔にピッタリと密着させて、すき間ができないように注意しましょう。

1. マスクを着用したら、鼻からあごのしたまでしっかりと覆い、マスク上部の金具のワイヤーを押さえて、鼻のカーブに合わせます。
2. マスクが隙間なくフィットしていることを確認しましょう。
3. マスク着用の前後に手洗いを行いましょう。






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生の主観的価値と客観的価値

漫画家山本貴嗣(あつじ)のブログ「あつじ屋日記」から転載。

「けなげ」という言葉は幼い者が頑張っている姿に言うものだが、年寄りがこのように前向きに生きる姿にも、微笑ましいと同時に「けなげ」という印象がある。いや、人生の先輩たちに対して、そういう言い方は失礼か。

麻生大臣が、老人の延命治療に対し、終末期老人は「さっさと死ねるように」するべきだ、という趣旨の事を言っているようで、(引用2)それは私が前々から主張していることでもあるのだが、それには保留条件がある。その条件まで含めて言えば、「自分から死にたいと思う人間には、そのための便宜を図ってもいいのではないか」ということだ。麻生大臣の頭にあるのは老人医療費の国家負担のことだけだろう。私の「患者家族の経済問題をもっと考慮して、医療側は延命治療絶対主義を捨てるべきだ」という主張とは少し違うように思う。
今の老人延命治療は、本人がボケ状態になっていてもひたすら生かし続けるというものだから、家族にとっては金銭的に大変な負担であり、「生ける屍」状態の老人を生かしておくために他の家族は極度な生活水準低下や極貧生活を強いられる。そのようなことは、その老人にまともな意識があれば、当人にとっても耐え難い状態のはずである。少なくとも、私ならそう考える。だから私は、年を取って自分一人の力では日常生活が無理な状態になったら自殺する、という意思を自分のブログで書いてきたような記憶がある。(本当にやるかどうかは別である。その時にはあさましく生にしがみつくかもしれない。w)
もちろん、年金や障害者手当を受けることは国民の当然の権利であるから、自分で稼げるかどうかが問題なのではない。私は日常の起居や入浴、排便などに他人の手を借りてまで生きるつもりはない、ということだが、これは主に美意識に基づく私の個人的な思想であり、他の人には無関係な話だ。私が自分自身を「生きる価値無し」と判断した時には、潔く死にたい、と夢想しているだけである。その「価値」は他人が判断するのではなく、あくまで私自身の判断だ。
世の中には、自分だけでの日常生活が不可能でも、その人が存在するだけで周囲の人に好影響を与える老人や障害者は無数にいるだろう。そういう人は主観的にも客観的にも「生きる価値」が大いにある。しかし、私は、あらゆる人間に存在価値があるとは思わないし、逆に存在自体が有害な人間は無数にいると思っている。
念のために言うが、生活に他人の手を煩わすという程度の存在は有害であるとは思わない。政治家や官僚や実業家などの中のある種の「犯罪的存在」の話である。もちろん、本物の犯罪者も「生きる価値無し」である。(ただし、冤罪問題がある以上は、積極的に死刑を実施しろ、とも言わない。)

昭和天皇は生物学研究者でもあったようだが、侍従が天皇にある草の名前を聞かれた時に、「雑草」だ、と答えると、「雑草という植物は無い」と(多分、厳しい口調で)言ったそうである。
私は、昭和天皇の戦争責任問題などは別にして、昭和天皇の人格が優れていたことを、こうした些細な言動の中から窺うことができるように思う。
私のように「生きる価値のある人間と、この世から除去したほうがいい人間がいる」というような思想の人間と、「雑草という植物は無い」と言った昭和天皇とでは、人間のレベルが違うなあ、と思うし、それが天皇教育というものの一つの現れだと思うから、私は「尊皇主義者」なのである。
「雑草という草は無い」という思想は、人間世界に置き換えれば、「あらゆる人間は等しく生きる権利があり、等しく幸福になる権利がある」という、民主主義の根本理念になる、と言えば強弁になるだろうか。
そのような「民主主義的象徴天皇制」というのが今の憲法の特徴であり、特長なのである。だからこそ世界でも稀な、貴重な憲法なのだが、その憲法を弊履のごとく捨てようとする動きが、今日本の政治の中心にある。
そして、国民の生きる権利、幸福になる権利の最悪の否定が、憲法改定の向こう側に待っている戦争であることは言うまでもないだろう。


かなり強引な、というか、支離滅裂な文章展開になったが、まあそれは毎度言うように、私の文章は「行雲流水のごとし」であり、「出ずるかと思えば消え、逝きては永遠に帰るを忘る」ものだからご勘弁願おう。もともとあまり物事を精密に考える頭など無いのである。




(以下引用)



最後まで楽しく


 最近テレビでもCMやってるカリグラフィーの本。
 田舎の母が見て近所の本屋に行ったけど第一号がない(そもそも仕入れてない)貴嗣の近くに売ってないかって先日電話かかってきました。
 アマゾンでも売り切れだったので、近くを回ると幸い一軒目で発見。
 送ったのですが
 母は膠原病やリウマチで手足が不自由になっていて、もう箸も使えずサジで食事をしています。
 若い頃は生真面目なきれいな字だったのが、ミミズが這ったような字になり、本人は悔しがっていますが、私は、一生懸命生きてきた証だから胸張ってればいいよ、と言ってます。
 リハビリにでもなればいいけど、ちょっとペン字は難しいかなあと思いました。

 果たして電話がかかってきて、
 本は届いた、付録のペンとインクは使えないけど、記事だけ読みたい。
 週間で二年以上続くようだが購読できるか。
 医者の話だと最後まで自分は生きてないかもしれないが死んだら解約できるのか、と。

 さっそく書店で聞いて見ると、別に全然問題ないとのことで、購読頼んできました。
 がんばれママ♪

 友人のお母様も、もうかなりの御高齢だけど、なにやら資格試験の突破を目指して(友人は無理だと言ってますが)勉強中で公文にも通っておいでとか。
 老い先短い老人がめげすに前向きに生きてるのを見ると、若いのにグチたれて後ろ向きになってるヒマはないなと、頭をかいてしまいます;
 いや、そういう自分もかなり「古い」方になってきてるんですけど(笑




(引用2)


麻生副総理「さっさと死ねるように」 高齢者高額医療で発言
2013.1.21 13:08

麻生太郎副総理兼財務相は21日開かれた政府の社会保障制度改革国民会議で、余命わずかな高齢者など終末期の高額医療費に関連し、「死にたいと思っても生きられる。政府の金で(高額医療を)やっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろと考えないと解決しない」と持論を展開した。

また、「月に一千数百万円かかるという現実を厚生労働省は一番よく知っている」とも述べ、財政負担が重い現実を指摘した。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130121/trd13012113100011-n1.htm




(引用3「スロウ忍ブログ」より転載)



2013年1月21日月曜日
麻生太郎副総理の終末期医療を巡る発言にマスゴミが揚げ足取り。
http://surouninja.blogspot.jp/2013/01/blog-post_3474.html

麻生太郎副総理兼財務金融担当相が、本日(2013年1月21日)開かれた「社会保障制度改革国民会議」で、終末医療について、「『生きられるから』といって生かされちゃかなわない。それを政府のお金でやってもらうと思ったら、ますます寝覚めが悪い」と述べたとのことである。

此の麻生の発言について、マスゴミ各社が一斉に叩いている様である。



1月21日 18時12分
麻生氏 終末期医療巡る発言で釈明
21日に開かれた「社会保障制度改革国民会議」で、麻生副総理兼財務大臣が終末期の医療について、「『生きられるから』といって生かされちゃかなわない。それを政府のお金でやってもらうと思ったら、ますます寝覚めが悪い」などと述べました。
このあと麻生副総理は記者会見し、「私の個人的なことであり、終末期医療のあるべき姿を申し上げたわけではない」と釈明しました。

だが、此れは飽くまでも麻生個人の意見であるのだから、其処まで叩く必要も無いと思うし、麻生の考え方が必ずしも間違っているとも俺は思わないけどな。

己の人生を医療業界の金儲けの道具にされたのでは溜まったものでは無いと誰しも思うだろう。「命を救う」という大義名分のもと、上から目線で患者に接する医者のやり方が正しいとは思えないのである。

人間は長生きしてれば何時かは癌になるわけだが、癌自体が死因というよりも、“癌治療”で殺されると言っても過言ではない。癌治療と言う名の“医療ビジネス”で人体実験の末に殺されるくらいなら、癌と共に生きていく道を俺は選ぶけどな。

体の中の黒子(ほくろ)を必死に探し出して、大げさに「癌認定」して、身体を開けたり閉じたりして高価なクスリを延々と投与してりゃ、ヤブ医者や多国籍製薬企業、そして厚労省の役人共はがっぽり儲かるのだろう。だが其の負担は、全部国民(特に若い世代)に降り掛かってくるわけだからね。






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アルジェリアの虐殺事件

このニュースは、今朝のNHK朝のニュースではまだ流されていなかったと思う。6時45分配信だから、この後、緊急速報として流れるのかもしれないが、私は今朝は7時のニュースの一部しか見ていないので、その前に流れた可能性もある。
しかし、こうした人質事件でいつも思うのは、外国の政府というものは人質の生命などほとんど考慮しないということだ。
おそらく、軍の「救出部隊」は、犯人と区別などせずに、人質も銃射したのではないか。もちろん、「死なばもろとも」で犯人たちが人質を先に殺し、その後で軍によって射殺されたという可能性もあるが、普通の頭で考えれば、人質は立て籠もり犯の命綱なのだから、それを自ら殺すことはまずしないだろう。するにしても、自分たちの覚悟を見せるために、一人ずつ「見せしめ」に殺すはずだ。
今回の場合は、軍の「救出作戦」によって人質も一緒に射殺されたと私は見ている。
つまり、「救出」する気は最初から無い、ということだ。それが外国での人質事件ではよく見られるパターンである。
もちろん、犯人側の要求を飲めば、それが「悪しき先例」になって、また同じような事件が起こるから、こうした「断固とした処置」こそが正しいのだ、というのが「やる側の論理」だが、それで殺された人質たちとしては、今後のことよりも自分たちの命を救ってほしかっただろう。
もちろん、私はこの犯行を肯定はしないが、こうした「人命が軽視される世界」というものには疑問を持たざるをえない。
この立て籠もり事件の詳細はこれから出てくると思うが、動機は隣国マリでの政治動乱と関係があるようだ。例によってさまざまな真偽入り乱れた情報が溢れ出てくるだろう。
通常の人間から見れば海外で工場プラントを設置するなどの仕事は、その国にとっては自国の産業発展に寄与してくれる恩人なのだから、その類の外国人を人質に取ったり誘拐したりするのは理解しがたいだろうが、資源輸出国の底辺の人々から見れば、そういう外国人は全部、自国資源の収奪者の一味、と見られているのではないだろうか。つまり、こうした「テロリスト」は、ある意味ではグローバリズムと戦っている、という見方もできるような気がする。
もちろん、だからと言ってテロリズムを容認するわけにはいかないが、しかし、彼らの戦いの動機くらいはぜひ知りたいものである。というのは、彼らの側から流される(信頼できるような)情報はまったくと言っていいほど無いからだ。
なお、アルジェリアはかつてのフランス植民地である。ということは、独立後の政権はすべてフランスの傀儡政権であろう、と私は推定している。






(以下引用)





【アルジェリア法人拘束】日本人2人含む人質30人死亡




産経新聞
2013年01月18日06時45分



 【カイロ支局】アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設で日本人ら多数がイスラム武装勢力に人質として拘束された事件で、ロイター通信は17日夜(日本時間18日早朝)、同国治安筋の話として、日本人2人を含む人質30人がアルジェリア軍による人質救出のための攻撃の過程で死亡したと伝えた。

 同筋によると、死亡した人質のうち、8人がアルジェリア人で、少なくとも7人が外国人とされ、日本人2人と英国人2人、フランス人1人が含まれているという。

 また、国営アルジェリア通信は、軍による救出作戦が17日夜(日本時間18日未明)に終了したと報じた。







(1月19日追記)「産経ニュース」より転載。銃射ではなく爆撃だったようだが、「人質もろとも犯人を殺す」という推測は当たっていたようだ。それにしても他の新聞などではこうした記事(人質の人命無視の暴圧作戦の実情)は出ていないようだから、産経系列はこの事件では頑張っている。




【アルジェリア邦人拘束】

「人質を乗せた車両は爆撃された」 現場逃れた男性が証言 拙速な作戦で多数の犠牲者?
2013.1.18 11:19 [中東・アフリカ]

デジタルグローブが撮影した、アルジェリア南東部イナメナスのガス田施設=2012年10月8日(AP)
 人質を乗せて施設を出発した5台の車列のうち4台が、アルジェリア軍に爆撃された-。アルジェリアの天然ガス関連施設で起きた外国人拘束事件で人質になり、九死に一生を得て現場を逃れたアイルランド人男性が生々しい現場の状況を家族に証言、その内容をロイター通信が報じた。

 「彼ら(犯行グループ)は5台の小型四輪駆動車に人質を積んで施設を出た。まさにそのとき、アルジェリア軍に行く手を遮られた。5台のうち4台が爆撃されて車は大破した」

 男性の乗った車両も損壊して停止。爆撃された他の4台については「乗っていた全員が恐らく死亡したと思われる」と語った。

 男性はまた、「人質たちは口にテープを張られ、首に爆弾をぶら下げられていた」とも家族に証言したという。男性がその後、どのように脱出したかは明らかでない。

 アルジェリア軍による制圧作戦では、どのような攻撃が行われ、何人の人質がなぜ犠牲になったのか、詳細は不明のままだ。男性の証言通りだったとすれば、拙速な作戦で多数の犠牲者が出たとの批判が高まる可能性がある。









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2月15日午前10時には空を見上げよう

「in deep」から転載。
数日前の記事だが、2月15日まであとちょうどひと月なので、掲載するのにいいタイミングかもしれない。もてない青少年の中には、どうせなら2月14日が地球最後の日であればいいのに、と思っている奴もいるかもしれないが、そうはうまくいかない。人生最後の屈辱を味わった翌日に、人生最後の日が来るかもしれないわけだ。
まあ、地球にはぶつからないだろうと予測されているのだが、なにせ月よりも地球に近いところを通過するのである。そう計算どおりに行くかどうか。少なくとも静止衛星にぶつかり、その破片と共に地上落下、そしてその衛星破片や石片のどれかが、あなたの家にちょうど落っこちてきて、あなたにとってのこの世の終わりになるという、「ド※ー・ダー※」みたいな展開もありうるわけだ。
元記事には画像や図表も掲載されているので、興味のある方は元記事へどうぞ。

グリニッジ時で19時25分が最接近なら、日本時間なら9時間前の10時25分が、あなたの人生最後の時かもしれない。もちろん、静止衛星とはその前にぶつかるかもしれないから、その数時間前からカウントダウンしつつ空を見上げているのもいいだろう。晴れてさえいれば午前10時ごろの冬空は美しいはずだ。




(以下引用)


しかし、今回は別のニュースをご紹介します。

まだ少し先ですが、2月15日に地球から非常に近い場所を通過していく小さな小惑星のことを書きます。


なぜかというと、この小惑星のコースが「当初想定されていた距離よりどんどんと近くを通過する軌道となってきている」からです。







近年では最も地球の軌道圏内の近い場所を通過していく小惑星「2012 DA14」


2月15日に地球をかすめる小惑星は「2012 DA14」と名付けられたもので、地球に近い場所を通過することはもともとわかっていたものですが、問題は「そのコースが想定とズレてきている」ということのようです。

下の表は スペースウェザー のページ下段に日々更新されている「地球の近辺を通過する小惑星」の表です。NASA が軌道を把握しているものに関しては、すべて載せられます。




上で赤く囲んだ「2012 DA14」というのが今回書いている小惑星で、大きさは「約 58メートル」と、小惑星としてはかなり小さなものです。通過する距離は、上の表で「 0.09 LD 」と書かれてあるのが距離なんですが、この「 LD 」という単位は、月と地球との距離を「1」としたもので、月と地球の距離は約 38万 4000キロメートルですので、目安として、

1LD = 38万キロメートル

ということでよろしいかと思います。

なので、2月15日の「小惑星 2012 DA14」が通過していく距離はまあ、大体地球から3万キロメートルくらいのところを通過していくということになっていたのですが(これはこれで地球の地殻を通過する小惑星としては非常に近いです)、今朝の「ロシアの声」のニュースで下のようなものがあったのです。





40m級の小惑星DA14、2月15日に地球に接近
VOR 2012.01.12




2月15日に地球に接近する40m級の小惑星2012 DA14の軌道が以前考えられていたよりも遥かに地球に近いことが分かった。最新の研究結果によれば、当初予測より 800kmも地球に近い。

天文学者らによれば、この小惑星の軌道は地球の軌道と交差する。

この小惑星の直径はおよそ45m、重量はおよそ13万トン。万一この規模の天体が地球に落下した場合に発生するエネルギーはTNT火薬2.4メガトンに相当する。しかし現在のところ、計算によれば、地球への衝突の可能性はない。

小惑星2012DA14はグリニッチ時で2月15日19時25分、地球に最接近する。




ということで、刻々と軌道を変化させてきている 2014DA14 ですが、地球に直接影響のあるコースをとる可能性はないでしょうが、ただ、今の予想されるコースの時点で、すでに地球から打ち上げられている「静止衛星などの衛星」に影響を与える可能性が出てきているとはいえるようです。

ちなみに、そのあたりの宇宙空間には私などが想像していた以上に「地球から打ち上げられた物体」が多く、Wikipedia の地球周回軌道によりますと、下のようになっているようです。




地球周回軌道

地球周回軌道とは、月や人工衛星のように地球の周囲を周回する軌道である。

現在、約2,465個の人工衛星が地球の周囲を回っており、6,216個のスペースデブリがゴダード宇宙飛行センターによって監視されている。

またこれまで16,291個を越える物体が地球から打ち上げられ、地球の大気圏内で燃え尽きた。




そのことと、あとは2月15日の当日の予想軌道を示した図を載せた記事がガーディアン・エクスプレスというメディアにありましたので、ご紹介しておきます。

記事にある NASA の説明によると、これほど予測からのコースを変えてきているのは、「重力による軌道のパターンの変化」とのこと。なので、重力の影響次第では、さらにコースを変える可能性も排除できないと述べています。

ここからです。


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Asteroid 2012 DA14 will Flyby Us In Medium Earth Orbit: NASA
The Guardian Express 2013.01.07


NASA によると、小惑星「 2012 DA14」は、地球の軌道内を通過する


地球の近辺を通過する軌道を持つ小惑星 2012 AD14 は、2013年2月15日に地球に最も接近するが、 NASA の「地球近傍天体プログラム ( NEO ) 」によると、その小惑星の軌道から計算すると、地球の静止衛星などに影響を与える可能性があるという。

NASA は「この小惑星が地球に衝突するというような直接的な影響についての可能性はない」ことを明言したが、ただ、 重力による小惑星のコースのパターンのさらなる変化についての可能性は、排除できないという。

NASA によると、2月15日にはこの小惑星は地球から 約 33,000キロメートルの地点を通過するとしているが、地球から約 42,000キロメートルの上空には、地球の軌道を周回している静止衛星があり、赤道上空の約 35,000キロメートルにも静止衛星がある。

下図は NASA のジェット推進研究所のシミュレーションの当日の通過コースの予測。





地球上空 2,000キロメートルまでの低軌道(LEO) から、高度が22,236キロメートル以上の高軌道(HEO) の間には、数多くの地球から打ち上げられた物体がある。それらに影響がないとは言えない場所を小惑星は通過する。


この小惑星 2012 DA14 の直径はおよそ 45メートル、重量はおよそ 13万トン。万一この規模の天体が地球に落下した場合に発生するエネルギーは TNT 火薬 で2.4メガトンに相当する。

NASA によると、現在の計算では最大地球に近づいた場合で、地球の赤道上空の約 27,000キロメートルの位置まで接近する。


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(訳者注) 最初のほうに「ひとつひとつの記事を短めに」って書いておきながら、あまり短くはなってないですね。

どうも効率的に記事をまとめられないです。




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「カラマーゾフの兄弟」第一回はどうだったか

「ドラマ@見取り8段実0段」というブログから転載。
うまい批評である。文章に芸がある。
私の就寝時刻はだいたい夜の6時から7時ごろ、つまりほとんど日没と同時に寝るので、「深夜」11時台のこのドラマは視聴不可能だし、テレビに録画機能も無いのだが、こうしたブログを読むことで大体の内容を知ることができるから、実に結構な時代になったものである。実は「純と愛」の進展も、こうしたネット記事で知ることが多い。それで、何回か見落としても、ドラマの進行についていくことができるわけである。
下記記事で読むかぎり、これは成功したドラマになりそうな予感がする。
第一回の段階ではグルーシェンカもスメルジャコフも出てきていないようだが、どういう俳優がどういう演技をするか楽しみだ。そして、一番の不安材料であった父親(フョードルと言ったか?)役の吉田鋼太郎はなかなか素晴らしい演技であったようで、安心した。彼の演技(殺されても仕方のない奴を演じられるかどうか)如何によって、このドラマを見る側の生理的好悪の念が左右されるという重大な役であったので、まずは一安心である。
しかし、自分で見てもいないドラマについてこんなに熱心に書く自分も何だかなあ、と思わないでもない。(笑)



*もしかして長男の同棲相手の遠藤加奈子とやらがグルーシェンカ役か? 同棲ねえ。それだと、父親との関係はどうなるのだろうか。原作では、先に父親の愛人であったというのがおおっぴらに知られているからこそ、その女に目くら滅法に惚れこむ長男の狂気的情熱や父親への殺意が際立つのだが、はたしてこのドラマはどうなのか。同棲相手とは別に、「グルーシェンカ」がこれから登場するのだろうか。





(以下引用)



【カラマーゾフの兄弟】 第1話 初回感想 【 ドラマ@見取り八段・実0段 】この記事に含まれるタグ :
カラマーゾフの兄弟 市原隼人 斎藤工 林遣都 高梨臨 松下洸平 渡辺憲吉 安藤サクラ 吉田鋼太郎 芳賀優里亜

【カラマーゾフの兄弟】 第1話 初回感想
↑ 2013/01/13 (日) カテゴリー: 2013年「カラマーゾフの兄弟」
そのとき、お父さんへの殺意が芽生えたのではないんですか?


殺意?
んなもん、もっと前からだよ。

…でも殺しませんよ。
   だって親ですから。


カラマーゾフの兄弟 第1話

   
 
原作はドストエフスキーの長い長い長い小説である。
学生時代に読んだ記憶はあるけれども、内容はそれほどくっきり覚えてはいない。

しかし、キャストを見た時点で犯人が誰だかは解っちゃっているので、
ネタバレしないレビューを心掛けたいと思います。(原作通りなら…ね)

そう、原作通りなら…キャスティングの妙を感じる…。
え、理由は言えないけど。


原作は、もっともっと宗教臭い話だった気がする…。

何せ、原作の三男は修道僧だ。
それをドラマでは精神科の医学生にするのね、そうなのね。
宗教世界を取っ払って精神世界に話を持っていくのは、日本の現代のドラマとして
上手い改変の仕方だと思う。

しかし、父上のご遺体は思いっきりキリストだった。


ストーリーは、事件後の取調室から始まり、事件前へと遡る。

長男・満の借金申し出…いや、遺産の生前贈与申し出を機に父親から「家族会議」
として招集された3人の兄弟。

長男・満は、放蕩息子で定職に就かず遊び歩いているダメンズ。斎藤工さんの定番とも言える。
原作でも兄はこんな感じのしょーもないダメンズなので、ほぼ合ってる。

次男・勲は、堅物の弁護士。イッチーには珍しい堅い職業かな…。
しかし、スーツ姿は決まっていた。落ち着いた喋りもハマってる。
原作では、もう少し厭味ったらしい感じ。

三男・涼は、医学生で精神科医を目指している。
繊細で優しく清々しく…のイメージが林遣都くんにピッタリ。
先ほども書いたけれども、原作では修道僧である。

刑事は3兄弟の誰かが犯人だと決めて尋問していく。
冒頭では3人がそれぞれスパゲティ・カレー・オムライス…と、お子様っぽいメニューを
食べている。しかも、警察で。


それにしてもよく食べられますよね。お父さんが殺されたというのに。

腹減ってんだからしょうがねえだろ。

何があったって人間、食べないと生きていけませんから。

黒澤文蔵さんは息子からさえ愛されなかったということですか。
烏目町の有力者でありながら周囲の誰からも死ねばいいと恨まれていた。

…そのお父さんを殺したのは、あなたですか?


その「愛されるはずもない」ような人格の父親を演じている吉田鋼太郎が、とにかく凄いわ。

黒澤の酒好き、金好き、女好き。

と、作中でも言われていたけれども、最低オヤジである。

二言目には「俺の金」「俺の金で教育を受けさせてやった」「俺の金は渡さん」。

子どもの頃の回想シーンではDV親父だし、子どもにも妻にも愛情の欠片もないらしい。

その結果、満の母は男と駆け落ちし、勲と涼の母は自殺した。

この慈悲深く優しい母を安藤サクラが演じている。これは新境地では~。

なのに、父の言う事が酷いんだよねーー。


あのな、お前たちにもこの際はっきり言っとくぞ。
俺の遺産をもらえると思ったら大間違いだよ!

俺はな、お前たちに1円たりとも残すつもりはない。
あのバカ女どもの血を引いたお前たちに俺の金をやると思うとむしずが走るよ。

特にあのくそ女!詩織だよ。

俺の家を血で汚しやがって!

手首を切って死んだ母親の部屋は血まみれだった。
それを悲しむどころか家を汚したと言い切るクソ親父…。

殺されて当然!
みたいなこの役を、本当に憎々しく演じている吉田鋼太郎さん。凄い。


そのとき、お父さんへの殺意が芽生えたのではないんですか?
と、刑事は聞く。

殺意?
んなもん、もっと前からだよ。

目が座っている満。


そして、

…でも殺しませんよ。
だって親ですから。


と、静かに言い放つ勲。

微笑みをたたえたような目で。
でも、決して笑ってもいないし、怒ってもいない。

それが不気味。


ここからEDに入っていくのが、何かカッコ良かった。

演出、上手いなぁ…そして、みなさんの演技も素晴らしい。


今時「カラマーゾフの兄弟」やるって、「Wの悲劇」みたいになるんじゃね…。
と、不安に感じていたんだけど、重々しい映像と演出で安っぽくないドラマに仕上がった。

BGMの選曲も面白い。


もう、とにかくドロドロと真っ黒な内容でカラスもバサバサ飛んでたりしますが、
「カラマーゾフ」が「真っ黒」のような意味なので、黒くて当然なのです。
「Paint It, Black」だよね。


なかなか面白かったです。
今期もこの枠は期待できそう。


原作:「青空文庫」にもありますよん。もちろん無料→「青空文庫/カラマゾフの兄弟」

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

黒澤家当主・黒澤文蔵(吉田鋼太郎)は、海沿いの町・烏目町一帯に多くの土地を持ち
“クロサワ"という会社名で不動産業と建設業を営んでいた。
町の経済は“クロサワ"中心に回っており、町内で文蔵に盾突く者はほとんどいなかったが、
文蔵のビジネスは利益最優先の自己中心的な取引ばかりで恨みを買うことも多く、文蔵は
“クロサワの酒好き、金好き、女好き…"と町中で揶揄されていた。

その文蔵には3人の息子がいた。
前妻・梓との間に生まれた長男・満(斎藤工)と、梓が文蔵に愛想を尽かして出ていった後に
結婚した詩織(安藤サクラ)との間に生まれた次男・勲(市原隼人)と三男・涼(林遣都)。
長男・満は失業中の身で借金も抱えていたが、遠藤加奈子(高梨臨)と同棲しながらヒモのような
生活をしていた。
次男・勲は東京の一流大学法学部、法科大学院を卒業後、司法試験にも一発で合格して東京の
法律事務所で働いていた。
三男・涼は医大生で、寮で暮らしながら精神科医の道を目指していた。

そんなある日、文蔵が自宅の寝室で殺されているのが発見される。
死体はなぜか奇妙な形をしていた…。
間もなくして3兄弟は“文蔵殺し"の容疑者として連行され、刑事(滝藤賢一)から取り調べを
受けることになる。
刑事は、3兄弟それぞれに父・文蔵を殺す動機があることをつかんでいた。

それは文蔵が殺される2週間ほど前、黒澤家で開催された家族会議が発端だった…。

(あらすじは「Yahoo!TV」より引用)


よろしければ→【2013年1月期・冬クールドラマ何見ます?】ラインナップ一覧とキャスト表と展望






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「カラマーゾフの兄弟」テレビドラマ化

おおっ、こいつは凄いぞ、と思ったが、夜の11時台では私は起きていられる時間帯じゃない。たぶん、見られないな。しかし、青少年の皆さんにはぜひ見てほしいし、原作もぜひ読んでほしい。あれほどの長編を読む「読書体力」は、年を取ると無くなるから、読むのは若いうちです。私は高校の図書館の本で、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」とトルストイの「戦争と平和」などは読んだが、あの読書の時間こそが人生最高の至福の時間であった。それにくらべると、現実の自分の人生なんて、何の輝きもない。それは当然の話でもあるのだ。現実人生には、何のドラマも無くて当然だし、その方がある意味では幸せでもある。ドラマらしいドラマとは、心を揺さぶる事件、つまり基本的には人間の不幸を前提としているのだから。ロミオとジュリエットも最初から周囲に理解されて結婚しました、ではドラマになるはずはない。
読書とは、現実人生よりも高次元の人生を我々の頭の中で体験させてくれるものである。
世界最高の作家の提供してくれる「驚異的な人生体験」が味わえるのに、それを知らないままで終わる人生なんて、私にとっては最悪の人生なのであり、ドストエフスキーとトルストイを読めるだけで、我々の平凡な人生は生きるに値する。
まあ、しかし、原作小説を読んで、読者各自が頭の中に創り出す世界とは違い、テレビドラマや映画は生身の俳優が演じるというだけで、もはやかなりな価値低下が起こるのは避けがたい。特に、日本を舞台にし、話も現代の話にアレンジするようだから、ほとんど「カラマーゾフの兄弟」の原案による二次創作ということになるし、二次創作がオリジナルのレベルに達することは、まず滅多に無い。オリジナルがハイレベルであればあるほど、二次創作は残念なレベルになるのは仕方のないことだ。
せめて、脚本や監督が才能のある人間であればいいな、と願うしかない。
虚淵玄あたりであれば、原作をうまくアレンジして別の傑作を作れるかもしれないが、脚本は誰が担当するのだろうか。
写真で見る限り、長男のミーチャ(ドミートリー)役らしい斉藤工は、なかなか下品さや情熱、野蛮な活力のありそうな感じの顔で、悪くはなさそうだ。次男のイヴァン役の市原隼人は、この顔でどの程度の哲学的知性と虚無性を演じられるか、不明。若い頃の仲代達矢なら文句なしだったのだが。三男アリョーシャ役の林遣人は天使的風貌かどうかは別として、まずまず端正な顔だちだから、これも悪くはなさそうだ。父親役にはもっと下品かつひねくれた風貌の役者が望ましいのだが、成否は吉田鋼太郎という役者の演技力如何だろう。昔なら、小沢栄太郎とか金子信男とか、こうした役柄にふさわしいバイプレーヤーがたくさんいたのだが、今の日本テレビ映画界の役者には不案内なので、誰がいいかは分からない。政界ならば、小悪党風貌の政治家は無数にいるのだが。(笑)
私が演技者なら、一番演じてみたいのは私生児スメルジャコフの役だが、卑屈さと高慢さ、鋭い知性と道徳的退廃を併せ持つ複雑な演技ができるのは、まあ松山ケンイチあたりだろうか。悪魔的雰囲気を持つ俳優はけっこういそうな気がするのだが。案外、お笑い界の人間は性格が悪そうだから、この役にぴったりなタレントも探せるかもしれない。
しかし、この作品のドラマの隠れたエンジンは父親と長男の二人に惚れられて、殺人事件のきっかけになるグルーシェンカという女性なのだが、妖婦性と純心さの二面性を表現できるレベルの女優は誰がいるのだろうか。記事では、グルーシェンカ役が不明であるし、スメルジャコフ役も不明である。
まあ、関西での放送があるかどうかも分からないのだが、ドストエフスキーファンとしては、詳細や先行きが知りたい話題である。


(以下引用)



注目ドラマ紹介:「カラマーゾフの兄弟」 ドストエフスキーの名作を市原隼人主演で映像化
2013年01月12日

連続ドラマ「カラマーゾフの兄弟」の会見に出席した(左から)斎藤工さん、市原隼人さん、林遣都さん、吉田鋼太郎さん
写真特集へ
 俳優の市原隼人さんが主演を務めるフジテレビ系連続ドラマ「カラマーゾフの兄弟10+件」が12日、スタートする。19世紀のロシア文学を代表する作家、フョードル・ドストエフスキーの最高傑作といわれる同名長編小説を、舞台を日本に置き換え映像化した作品で、同局のドラマ10+件枠「土ドラ」の第4弾となる。市原さんが同局の連ドラで主演するのは、04年の「WATER BOYS(ウォーターボーイズ)2」以来約9年ぶり。
 ドラマ10+件は、父殺しの容疑をかけられた3人の異母兄弟を中心に、不況、政治混迷、格差社会、教育問題、就職難、先の見えない若者たちといった現代が抱える影を描く。第1部では、事件の日に至るまでの兄弟一人一人の足跡をたどり、父への殺意の芽生えを幼少にまでさかのぼり浮かび上がらせる。第2部では事件当日を描き、第3部では取り調べから判決までの真相解明を描いていく3部構成の心理ミステリーとなっている。
 市原さんは、3兄弟の次男で、ストレートで司法試験に合格し、東京都内の法律事務所で働く若手弁護士の黒澤勲(くろさわ・いさお)を演じる。勲は理知的で理詰め、感傷を嫌うクールなニヒリスト。絶対的な支配力を持っている父に激しい嫌悪を抱いているという役どころ。また、失業中でヒモのような生活をしているいいかげんで夢見がちな性格の長男・満を斎藤工さん、医大4年生の三男・涼を林遣都さん、父親の黒澤文蔵を吉田鋼太郎さんが演じる。
 第1話は、ある海沿いの町で不動産業と建設業を営む黒澤家当主、黒澤文蔵がある日、自宅の寝室で奇妙な置き方をされて殺されているのが発見された。警察はそれぞれに殺す動機がある文蔵の息子たち、満、勲、涼の3兄弟に容疑者として任意同行を求め、取り調べる。警察がつかんだその動機とは、文蔵が殺される2週間ほど前に開催された黒澤家の家族会議が発端だった……というストーリー。
 ドラマ10+件は12日から毎週土曜午後11時10分放送。(毎日新聞デジタル)







(追記)


「カラマーゾフの兄弟」を読んでみたいが、その長大さに恐れをなしている人は、「徽宗皇帝のブログ」の「小説翻案」というカテゴリーに「カラマーゾフの兄弟」をわずか10ページ程度に圧縮した「業(カルマ)家の兄弟」というのがあります。もちろん、無茶な試みだが、そのエッセンスは味わえるかと思うので、お暇ならどうぞ。
(「酔生夢人=徽宗皇帝」より)







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「現代の古典」を大切にしよう(付:「レ・ミゼラブル」のこと)

何の気無しに自分の書いた過去記事を読み返していたら、2010年4月27日の記事で美輪明宏の「ヨイトマケの唄」のことを書いてあったのを見つけた。
我ながらいいことを書いているし、なかなか先見の明があるではないか、と思ったのだが、世間に埋もれているいい物を発掘紹介するという行為は、これは社会への貢献の一つではないだろうか。
このついでに、書かないでいると忘れそうなことを今書いておく。

今の日本は娯楽が消耗品化していて、大衆芸術の優れた作品が生まれても、わずかの間に記憶から消えていくことが多い。これは悲しむべきことであり、無数のゴミ作品の中にある宝石のような名作を、「現代の古典」つまり、永遠に残し、次代に伝え、世界に広める作品としていくべきだと私は考えている。
「魔法少女まどか☆マギカ」などはそうした作品の一つであり、私はこの正月、それをDVDで再見して、感動の涙で充実した時間を過ごしたのであった。
ほかに、「デス・ノート」実写版の第一巻の海賊版がユーチューブで見られたのも思いがけないお年玉であった。ついでに海外の「デス・ノート」ファンの作った動画なども面白く見た。この「デス・ノート」(原作漫画、実写版映画、アニメ版、それぞれに良い。)や「まどか☆マギカ」などが、私の考える現代の古典だが、日本ではこれらが「オワコン」(終わったコンテンツ)扱いされていなければ幸いである。

なお、昨日は偶然に時間の都合がよかったので、映画の「レ・ミゼラブル」を見たが、評価は微妙だ。力作だし良心作だが、セリフを全部歌にしたために曲に時間が膨大に使われ、ドラマがかなり薄くなっている印象である。もちろん、「民衆の歌が聞こえるか」が歌われた時には涙が流れそうなくらい素晴らしかったのだが、全体としては、ミュージカル耐性の無い人にはかなり辛い作品だったかもしれない。そして、原作のデティールの味わいは、わずか数時間の映画で表すのはもちろん不可能であり、映画を見ただけでこの作品を理解したつもりにはならないほうがいい。(追記:ネットでの感想を見ると、大絶賛が多く、年末にこのブログで自分では未見のこの映画をお勧めした責任上、少しほっとした。現在、この映画は大ヒットしているようだ。)
実は昔の良心的アニメ番組「ハウス家庭名作劇場」(と言ったと思う。「フランダースの犬」や「赤毛のアン」などの秀作や「トム・ソーヤーの冒険」「足長おじさん」などの愚作が混在していた。もちろん、原作ではなく、アニメとしての愚作ということだ。)の末期に作られた「レ・ミゼラブル(少女コゼット)」は、原作の優れたアニメ化であり、女性キャラが幼稚な少女漫画絵であったために内容も低レベルと思われているが、内容自体は実に見事に原作の精神を伝えている。稀有なアニメ化の一つである。機会があれば鑑賞することをお勧めする。









(以下、私自身の過去記事の再掲載)









ヨイトマケの唄

  (父ちゃんのためなら エンヤコラ
  母ちゃんのためなら エンヤコラ
  もひとつおまけに  エンヤコラ)


1 今も聞こえる ヨイトマケの唄
  今も聞こえる あの子守唄
  工事現場の昼休み
  たばこふかして 目を閉じりゃ
  聞こえてくるよ あの唄が
  働く土方の あの唄が
  貧しい土方の あの唄が

2 子供の頃に小学校で
  ヨイトマケの子供 きたない子供と
  いじめぬかれて はやされて
  くやし涙に暮れながら
  泣いて帰った道すがら
  母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た

3 姉さんかぶりで 泥にまみれて
  日にやけながら 汗を流して
  男に混じって ツナを引き
  天に向かって 声をあげて
  力の限り 唄ってた
  母ちゃんの働くとこを見た
  母ちゃんの働くとこを見た

4 なぐさめてもらおう 抱いてもらおうと
  息をはずませ 帰ってはきたが
  母ちゃんの姿 見たときに
  泣いた涙も忘れ果て
  帰って行ったよ 学校へ
  勉強するよと言いながら
  勉強するよと言いながら


5 あれから何年経ったことだろう
  高校も出たし大学も出た
  今じゃ機械の世の中で
  おまけに僕はエンジニア
  苦労苦労で死んでった
  母ちゃん見てくれ この姿
  母ちゃん見てくれ この姿

6 何度か僕もぐれかけたけど
  やくざな道は踏まずに済んだ
  どんなきれいな唄よりも
  どんなきれいな声よりも
  僕を励ましなぐさめた
  母ちゃんの唄こそ 世界一
  母ちゃんの唄こそ 世界一


  今も聞こえる ヨイトマケの唄
  今も聞こえる あの子守唄
  (父ちゃんのためなら エンヤコラ
  子どものためなら エンヤコラ)


丸山明宏、現美輪明宏の「ヨイトマケの唄」である。この中に出てくる「土方」という言葉が放送禁止用語であるために、この唄をマスメディアの中で聞くことはできない。これほど倫理観にあふれた高潔な歌が放送禁止歌であるということに釈然としない気持ちになるのは私だけではないだろう。
丸山(美輪)明宏はオカルトチックなところは敬遠したくなるが、作詞家としての才能、歌手としての才能は大変なもので、彼が訳したシャンソン「アコーディオン弾き」の歌詞は大傑作である。一度、聞いてみると良い。

現在の日本では、マスメデイアの中でシャンソン、カンツォーネなどを聞く機会がほとんど無い。ずいぶんいびつな音楽状況だと思う。これによる若者たちの「機会損失」はずいぶん大きいだろう。本当に良いものを知らず、ただ日本国内とアメリカで生産される文化の中だけで生きているのである。いわば、文化的鎖国の状態ではないか?

酔生夢人
2010-04-27 08:49
随想(ノンジャンル)
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(付録)アニメ「レ・ミゼラブル」のネット評価。肯定論否定論区別せずに載せておく。子供が見ても大人が見ても楽しめるアニメだが、親が子供と一緒に見て、人間の善悪や、優れた人格とは何か、社会の不合理や悪と戦う勇気などについて話し合うのもいいかと思う。






作品紹介(あらすじ)

■ 名劇№24 ( 全52話予定 ) ■


人は何の為に生き、何の為に愛するのか…
心の暗闇を照らし出す美しい魂の輝き。

革命のパリ、ジャン・ヴァルジャンを追い続ける冷酷なジャベール警部からの手に汗握る逃亡、
情熱に燃える青年マリユスと成長したコゼットの美しい恋の物語。

幼いコゼットを連れパリからやってきた母・ファンティーヌは、仕事を探してモンフェルメイユ村までやって来ました。

[詳細]


放送:BSフジ (CSチャンネルでも放映予定) 配信:BIGLOBEストリーム


原作

ビクトル・ユーゴー 「レ・ミゼラブル」より



監督

桜井弘明



脚本・シリーズ構成

金春智子



キャラクターデザイン

渡辺はじめ 吉松孝博



美術設定

伊藤主計



美術監督

中村光毅



音響監督

早瀬博雪



音楽

松尾早人



アニメーション制作

日本アニメーション


[詳細]


日本 開始日:2007/01/07(日)


公式サイト
1. 世界名作劇場「レ・ミゼラブル 少女コゼット」







【良い点】
話の内容がよくできている

【悪い点】
絵が他の名作劇場シリーズと違って今風すぎる。昔の平凡なシンプルな絵の方が親しみやすかったと思います。

【総合評価】
昔から好きだった名作劇場シリーズが復活して期待していた作品でした。最初は絵がどうしても苦手でしたが、見ているうちに気にならなくなりました。
絵でこの作品を判断されている方、多いと思いますが、この作品は本当に面白いです。
中盤、少しダラダラした展開になるところがありますが、革命前辺りからなんかは、夢中になりました。

全体的に飽きないストーリーで、序盤は見るのも辛い展開だったのが本当に終わりの方では、悲しい出来事なども多くありましたが見ているだけでこちらも幸せを感じるほどのハッピーエンドだったと思います。

また、他のレ・ミゼラブルと違い、コゼットを主人公にしているのもこのアニメの特徴です。

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2012/02/13

BSの民放で放送された作品なので知名度はかなり低い作品だと思います。かく言う私も本放送時は全く知りませんでした。
絵柄はかつてやっていた名劇のそれとは大きく異なり、いわゆる現代風の萌えアニメ的な感じです。ですが、内容は本格的な
名劇作品であり、多くの人々が織り成す見ごたえのある重厚な歴史アニメになっています。最初から最後までドラマチックな
展開が待っており、飽きることなく最後まで観ることが出来ました。また、作画のレベルも高く10年ぶりに再開した関係者の
意気込みが伝わりました。個人的に見て名劇の中でもトップクラスの作品であると思います。

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【総合評価】

原作は文庫版を既読で、少女コゼットは全話視聴しています。

ヴィクトル ・ ユゴー著であるレ ・ ミゼラブルと言えば、不朽の名作として有名な作品ですが、ミリエル司教様の素晴らしさが延々と書かれており、歴史的な事実説明や文化説明なども長く、また、話が前後したりしますので、読み易いとは言い難いかと思います。 勿論、不朽の名作と言われるだけあって面白いのですが、ユゴー爺さんの語りが長く苦痛に感じたりします。 勿論、これは個人的な感想ですので、読み易いと言う方も居られると思います。

本来はジャン ・ ヴァルジャンを主人公とした群像劇ですが、この作品はコゼットを主人公としているのが特徴だと言えます。 コゼットを主人公としたのは、世界名作劇場だからと言う理由かもしれませんが、時系列がスッキリしていて観易いと思います。

パリ編以降、コゼットの存在感が薄くなってしまうのは、「群像劇」 ですので許容範囲ではないかと思います。 そもそも序盤から、コゼット、ファンティーヌ、ヴァルジャン、ジャヴェールと複数の視点で描かれています。 この作品の視聴後に、何故、今までコゼットを主人公としたレ ・ ミゼラブルがなかったのかと不思議に思った程です。

コゼットを主人公としただけではなく、良い変更だと思える部分が多々見られます。 トロミエスを登場させず、コゼットの実父は死亡扱いとしたことで、ファンティーヌを母として持ち上げることに成功しました。 ヴァルジャン、マリウスがテナルディエに金銭を渡さなかったこと、オリジナルキャラであるアランが市長代理を務め、モントルイユ ・ シュル ・ メールが廃れなかったこと、ガヴローシュとシュシュの存在と結末、特にジャヴェールの結末の変更は素晴らしかったと思います。

原作では、コゼットはファンティーヌの記憶がなかったのですが、アニメ版では記憶がありますので、ファンティーヌが亡くなったことを知る話や墓参りに行く話など、多数の感動的なオリジナルエピソードが生まれました。 細かい部分を挙げればキリがない程、沢山あると思います。


気になった点と言いますか、トロミエスを登場させなかった為、コゼットをワーテルロー亭に預ける件の説得力が欠けることです。 時系列がスッキリした為、コゼットとファンティーヌの苦境が過去ではなく、現在進行形となっています。 それ故、コゼットをワーテルロー亭に預けたまま、一度も会いに行かなかった (本当は行けなかった) ことが、何故 ? と疑問に感じてしまう方がいるかもしれません。

特に黒硝子工場を解雇された時などは、良い機会だから会いに行けば良いのに…、と言った具合に、より顕著に感じてしまうのではないでしょうか。 まあ、モントルイユ ・ シュル ・ メールからコゼットの居るモンフェルメイユまでは、かなり遠いですので簡単に行き来は出来ないのですが…。 時代背景などの説明を、作中でするべきだったのではなかったのか ? と思っています。

また、六月暴動において、ABC (アベセ) の友のメンバーが次々倒れていく中、一滴の血も流れないのは拙かったのではないかと思っています。 如何に子供向けとは言え、まるで演劇のような雰囲気で優雅に人が倒れていく描写は、流石にどうかと思ってしまいます。 過度な表現は控えるべきだと思いますが、適切な描写をするべきだったのではないかと思っています。


OP ・ ED 共に良い曲だと思います。 どちらも最後まで曲も映像も変わりませんが、序盤の展開などを忘れさせない為、総集編のような役割を OP ・ ED の映像が果たしていたと思っています。 BGM も良く、作中でコゼットやガヴローシュが歌う 「魔法の子守唄」 は、切なくて、もう堪らないと言う感覚にさせられ、特に良かったと思っています。

雰囲気を壊さないように、A パート、B パートの展開に合わせてアイキャッチの音楽を使い分けているのも好印象です。 最終話が 「銀の燭台」 とは、何と心憎いサブタイトルでしょうか、制作サイドのセンスの良さを感じます。

好意的に観ると 「彼女は犬を愛した」 と言う一文から、「シュシュ」 が登場したのではないかと思えるのですが、恐らくは世界名作劇場の名物だから登場したのでしょうね。 しかし、この 「シュシュ」 はガヴローシュと共に、コゼットの苦境をマイルドにする効果があり、この作品には欠かせない存在だったと思います。

もう一つ世界名作劇場の名物と言えば、「食べ物が美味しそうに見える」 と言うのがありますが、この作品も例に漏れず、とても美味しそうに見えました。 ああ言うシチュエーションだからこそ、美味しそうに見えるのでしょうね。

「レ ・ ミゼラブル 少女コゼット」 是非、ご覧になってみてはいかがでしょうか。 原作未読の方は勿論、原作既読の方にも、十分満足の行く作品に仕上がっているのではないかと思います。

評価は 「最高」 とします。



[共感]
2012/02/13 本作への分析が非常に素晴らしいです。特に作品への魅力が引き出せており、私もリアルタイムで視聴しましたがこのレビューを読んで懐かしさが込み上げてきました。 by 墨汁一滴


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2009/06/30

原作は読んでません
絵は萌えというよりも、なんかカレイドスター思い出しました。キャラデザ的に。

1話1話がちゃんと作られていると感じた物語は言うまでもなく、声優の演技もかなりよかったですね
52話と長く楽しめるのもいいですね。
OPEDも良い曲です。EDはかなり好きでした

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2008/10/01

ジャン・バルジャンではなくてコゼットをメインにっていうのがこの作品のコンセプトであった筈であるが、そうでもなかったね。余り変えすぎても原作の原型を留めなくなってしまうし、それは名作劇場としても避けたかった所であろうから、しょうがないといえばしょうがないか。

映画やら舞台で散々視聴してきた作品なので真新しさみたいなのは全く無かったのも楽しめなかった要因であるのかな、他のレ・ミゼラブルと比較しても余り上手くいってなかったと思うし、アニメとしてもそれ程面白いと感じなかったっていうのがこの作品の感想である。

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2008/09/21

まず、私は、この評価をつけるにあたって、原作との比較は、なしにした。
【良い点】
opとedである。また、1830年代のフランスの状態を良く表していた。(ヨーロッパと違う表現などもみられたが)

また、よいシーンが多かった、心から泣けるシーンもあった。(あげるときりがないが)

最後に、私たちが生きている今にも考えさせるないようもふくまれていた。

【悪い点】
コゼットの主人公としての薄さ、後半の修道院のあとから、マリウスとジャンがほとんど主役になってしまったこと。

【総合評価】
本当は、文句のつけようのないアニメである。昨今のアニメでも、こんなストレートなのは、ないだろう。コゼットは、主役として、薄かったが、エポニーヌとの対決、母親に報告に行く話、ある程度の見せ場は、あったはずだ。最後にopとedの映像が変わって欲しかったのと時間の進みがわかりにくい感じがしたのは、残念だが、このアニメは、何度見ても良いアニメだと思う。

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2008/07/19

これ、途中から観たのですが
「運命の糸」を感じさせられるシンプルでピュアな物語。

その糸を乱すもの、たぐり寄せるもの、この二つがこの作品の大きなテーマの「人は変われるか」に結実している。昨今の作品ではなかなか真正面から描かれないもの。さすが長尺。さすが名劇。
作中で盗賊団の一人が「あいつらは俺たちには一生わからんものを知っているらしい」といったような事を口にしてましたが、そういうものが描かれている。ヴァルジャンを始め、エポニーヌやジャヴェールの結末もそうした意図に即したものに。

作中でコゼットが成長しているにも関わらず、バルジャンから幼いコゼットへ手が差し伸べられる OP、 幼いコゼットが母への想いを綴る ED は最後まで変わりません。そこには変わらんとする中で決して忘れることのない変わらぬ想い、という主張を感じます。

コゼットとマリウスが守られる存在であまり活躍できないのですが、二人には先人からの愛と恩恵を受け継ぐ者という役割が持たされている。二人の得た幸せは、平和な時代に生きる我々の幸せについて考え直してもらう存在に思われます。その意味ではコゼットが主役の位置付けになるのですが、物語としての主人公はやはりヴァルジャンでしょう。彼の一生を描き切ったのですから。
あと、ヴァルジャンの窮地を脱する知恵と経験が際立ってましたね。それと、やはり金の力は大きい、ということ。あの頃の馬車って今で言えば専属タクシーみたいなもので結構お代は高そう。

裏を返せば、この作品は「持てる者」へのメッセージ的色彩が強い。終盤はそうした色を出そうとするあまり引っかかるものを感じたのも事実(特にマリウスと彼の老父…彼らも変われてはいますが、その質は異なる)。
あと、多少近視眼的に見ないとつらい部分も。例えばヴァルジャンの警戒心やジャヴェールの彼への執着…それ自体は人物像として内容にきちんと役立てられていますが、状況との整合性が不自然でこじつけっぽく感じる所もしばしば。学生達の革命蜂起バリケード戦にしても同様。
原作は未読なのですが、人物は善人寄りに振られているようです。また、パリの街の描写もおそらく相当に口当たりが軽いものにされている筈。汚水処理とか。この辺の綿密さは原作とは比べるべくも無さそうですが、そもそもメディアも受け手層も異なりますし。

ただ、これはピュアな願いを伝える物語であり、そうした突っ込みをはねのける輝きは感じ取れるものでした。
名劇自体評価する尺度を持ち合わせていないですし、過去の名作群との比較では多少持ち上げ過ぎな気もしなくはないのですが、昨今では異色の存在という部分も加味して「とても良い」にしておきます。ランク付けは気が引ける、というのが本心。

(余談)
野暮な突っ込みなど入る余地もないくらい超絶ピュアな恋話…こいつには悶絶させられた。
何せ<花>通信ですからね。今の時代じゃ奥手も古風もいい所です。調べてみた所、中世の恋愛観は男性優位は無論のこと、特に上流階級では恋愛ドキドキは危険なものとして否定的な考えが支配的だったそうです。(だとするとマリウスがテナルディエの脅しに屈しなかったのも実は大変勇気の要る行為だった筈。)
んまぁ、マリウスでなくとも我々ボンクラはコゼットにイチコロですよ。そのぶん、女性層からは微妙に受け取られるのかな。名塚先生は偉大です。ファンは必見…義務ですよ、義務。

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[推薦数:1] 2008/07/17

世界名作劇場復活オメデトデス
実に泣けるSTORYだね。コゼット・・
こういうAnimeは久々だよ

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[推薦数:1] 2008/06/10

DVDで全部見ました。
世界名作劇場・復活記念作品という事で、期待していましたが…

復活最初の作品だからなのか、後に残した課題が多くあった気がします。
本作最大の問題点は何より、主役である筈のコゼットが空気であった事ですね。
元々原作の主役はジャンであった事も目立たなくなってしまった理由なんでしょうけど、特に終盤はジャンとマリウスだけで物語は成り立っていました。
コゼットがここまで目立たなくなったのは、原作を無視すると、個性のなさが最大の理由でしょう。
彼女に持った印象は正直、『ごく普通の女の子』。
ジャンに救われてからは悲劇のヒロインではなくなるし、ポルフィのような明るさ、無邪気さもない。
笑ってもどこか暗い印象。…そんな感じでした。
特にジャンに救われてからは、不幸でもなんでもなくなります。
コゼットは決して悲劇のヒロインなんかじゃない、というのが私の意見。
エポニーヌの方が作品における悲劇のヒロインではないのか、って思った程です(だから私は今でもエポニーヌの方が好きです)。
また、原作でもそうでしたが、コゼットとマリウスがくっつくのはやっぱり嫌でした。
だってマリウス、第三者から普通に見ればただのストーカーじゃないですか(^^;)
時代が違えば、彼は間違いなく犯罪を犯している事になります。
悲劇の最期を迎えたエポニーヌが最後まで救われないのが、本当に許せないんです。
ストーカーとごく普通の女の子が結ばれる展開は…共感得にくいと思います。
結局、コゼットは最終回直前に母の事を知る為に色々しますが、これがなければ本当に印象がないままでした。
それと、マスコットのシュシュに至っては完全にいらない存在。
名作劇場シリーズに動物は当たり前のようにいますが、シュシュは動物の役割を果たしているように全然見えませんでした。
最終回もジャンが主役のようでしたし。
何よりも『人は変わる事が出来る』という物語根本のテーマがコゼットにとって最後まで無縁だったというのも…

それから、主題歌にも難があります。
歌はとても良い曲です。名曲扱いしても全く問題ありません。
しかし…問題は映像です。
物語の途中でコゼットは成長するのに、映像は幼い彼女のまま。
それにもう一度言いますが、コゼットはジャンに助けられてからは不幸ではなくなります。
この辺が、作品らしさと非常に矛盾している気がします。
エンディングに至っては、コゼットの母・ファンティーヌは10話程で退場にも関わらず、そのまま最後まで『大好きよ、ねぇお母さん♪』ですからね…
もう少し作品の空気を読むべきではないかと(誤解のないように言っときますが、私、一応この歌好きですからね)…。

しかし、内容はとてもいい仕上がりになっています。
元々原作も長く、オリジナルが作りにくいからなのか、1話1話は重厚な仕上がりです。
名作劇場最大の特徴である、日常のあるがままの姿も忠実に描かれていますし、作品のクオリティはかなり高レベルである事は間違いありません。
近年はこのような1年かけて作るアニメはなくなってますから…かなり貴重です。
ガヴローシュやジャヴェールが最後には助かり、テナルディエが警察に捕まる展開はむしろ誉めます。
これも一応原作を無視している展開ですが、子ども向けアニメでは、このような勧善懲悪はある程度守らなければいけませんから…。

クオリティは高く評価しますが、細かい違和感をマイナスして、評価は限りなく普通に近い『良い』です。
本作が残した課題を、『ポルフィ』を始め、これからの作品が解決する事を願います。



[共感]
2008/10/15 第2段落と第4段落の指摘がとても的確です。原作通りで仕方がないのですが、この作品のヒロインはエポニーヌの方がふさわしい気がします。 by coinboard


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[推薦数:1] 2008/03/11

地上波からBSフジへ乗換え、10年ぶりの再開を果たした世界名作劇場の近作。
きっかり1年間、休みなく52話が定時に放映されたのは、BSデジタルのイマイチ浸透してなさ加減がもたらした恩恵かも(年末年始の特別編成やスポーツ中継の影響がほぼない)。

本邦においても馴染み深い「レミゼ」を原作通りオッサンの物語とするのではなく、養女となるコゼットの側から描いた点がまず評価できる。
これを見てしまうと、なぜ今までこういう翻案がなかったのかと思えてしまう(もしかするとアニメ以外の作品にはあったかもしれないが)。なにせ過去には主人公の性別を変えたことさえある名作劇場、この程度のアレンジはかわいいものだ。
絵柄はカレイドスターのまま、なんとも萌えキャラ然としたコゼットのインパクトは絶大。
そんなコゼットが成長し、マリウスと結婚して初めて本格的にジャンの過去(それこそがレミゼ本来の導入部)が語られる。
この倒置構成は、ジャンの人生の秘密といった趣を生み、彼のモノローグやジャベールとの因縁などに垣間見える断片から謎を解き明かす楽しみを、本作で初めてレミゼに触れた視聴者に与えた。
最終話に付けられた「銀の燭台」というサブタイトルの何と心憎いことか。

コゼット視点であるため、テナルディエ一家との関連性が強調され、後半での彼らの描写に奥行きと説得力が備わった。
それぞれが、あってもなくても大勢に影響ない一エピソードに埋没することなく、後々までリフレインされ、そのこと自体にも意味がある。
完結した小説を元にしているからこそ可能となる構成なのだろうが、と言って誰しもできる芸当でもあるまい。
学校に通えないコゼットが学ぶことの喜びを知るくだりは、パリ編でのジャンの学校建設という目標へと繋がっていく要点だった。
絵的には最も華やかだった修道院での暮らしは数話にとどまり、やや物足りなさを覚えたが、コゼットの結婚式で再び彼女たちが姿を見せてくれたのは嬉しい配慮だ。

エポニーヌのコンプレックスはひょっとすると視聴者の大半が抱いているかも知れないから、特に念入りに演出されていたと感じる。
微妙に揺れる感情を演じきった笹本優子の実力もあって、とりわけ成長したエポニーヌは秀逸なキャラとして完成した。
マリウスの部屋に少々強引に上がり込み、法律書(だろう)を開いてみても読み取ることができなかった彼女の、哀愁あふれる苦笑がたまらなく心をうつ。
「コゼットとエポニーヌ」は二人の最後の邂逅を桜井監督自らのコンテで物語った屈指の名編であった。

本作と原作との大きな違いはキャラの生死にある。
バリケードで撃たれ、原作ではそのまま息絶えたガブローシュが、アニメオリジナルの愛犬シュシュに救われる。
ジャベールは自殺することなく、かつてのジャンのように生まれ変わる道を選択した。それゆえクライマックスにおいてテナルディエの動向に決着をつけることができたのは大きな成果。
ここでもやはり、なぜ原作はそういう展開ではなかったのかと疑問が起きてしまう。単に価値観の差だと片付けられはしないと思うのだが…。

要所要所で改案・補足を実践してきた本作だが、疑問を覚える箇所もなくはない。
例えばマリウスに対し、コゼットとエポニーヌが一目惚れと相成っても、成就するのはコゼットである。
どちらかと言うと先にマリウスがコゼットにモーションを掛けていたのは事実だが、彼のエポニーヌに対する態度がどこかしら上流気取りに感じられてならない(それが演出意図かも知れないが)。
対比としてマブーフがエポニーヌを「妖精」と評した一連のシークエンスにすこぶる好感を抱くのは必然。
この愛すべき二人がバリケード最初の犠牲者となる運命は、過酷に我々に訴えてくる。
またアベセの友の蜂起についても、庶民の自由獲得という目的とバリケードという手段とが、どうしても結び付かない。ここはアニメなりの解釈があっても良かったのではないか。

ジャンの逝去をもって物語は完結したが、ジャベールとガブローシュが生き延びたことで新たな意義と希望が生まれた。
アランたちが建てた施設を「コゼットのお母さんの革命だ」と表現したガブローシュのセンスを真似るとすれば、本作は「レ・ミゼラブルの革命」と言ったところか。
「人は変わることができる。人類もだ」というジャンの提言は、それ単独では大袈裟に聞こえかねない。だが1年間に渡るこの物語を見届けたなら素直に受け入れられる。
原作を、名作劇場を、日本のアニメを、そして視聴者を、本作はどう変えることができたのだろうか?
たとえ市民が立ち上がらなかったとしても、革命が失敗したわけではない。



[共感]
2008/06/11 感嘆しました。 by せんぬき


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2008/01/20

【総合評価】

子ども向けアニメとは思えないほど、ていねいに原作に向き合っていたと思います。子ども向けゆえのさまざまなアレンジがあり、仮におとな向け番組という視点から見たとすると、そういった点は気になるものかもしれませんが、子ども向け番組としてみた場合には必要なアレンジをしつつ原作の中核を生かしたものになっていると感じます。
とくに、この原作は映画化されると、ともすると、ジャン・バルジャンの英雄譚にされてしまいがちで、市長としての活躍、逃走劇、地下下水道の場面などがジャンを中心に感動的に描かれるケースが多いのですが、このアニメでは、コゼットを主役にしたことによって、ジャン・バルジャンだけでなく、ファンティーヌやマリウス、エポニーヌなど、多くの「主役」が「脇役」に貶められることなく、生きたことが何よりもよかったと思います。とくにファンティーヌは、ほかの映画などでは「ジャンに助けられる哀れな母親」のようにしか描かれませんが、このアニメでは、身を落としながらも我が子との再会を希望に、正しく生きようとした母親のせつないまでのけなげな生き方が浮き彫りになっています。これこそ、ビクトル・ユーゴの描きたかった「レ・ミゼラブル」(惨めなる人々)の世界ですし、それが捨象されずに描かれたのは、ほかの映画版「レ・ミゼラブル」にはない優れた点だと思います。セリフには、その後のフランスの変化を感じさせる歴史的な視点が入っており、革命の敗北の物語であるにもかかわらず、明るい未来を予感させるつくりになっているところもいいですね。1832年の革命以降、フランスは48年の革命やパリ・モミューンを経験し、二度の大戦のあと、いまの生活者中心のフランス社会へと変遷を遂げますが、そういった歴史の中の一ページとしてこの作品を見ると、また違った楽しみ方ができるのではないかと思います。ユゴーはフランスの現代を知りませんが、アニメスタッフは革命のその後のフランスをよく知っているわけで、ファンティーヌたちの犠牲の上に、やがては保育所や学校がつくられ、社会保障が充実していくという歴史の流れを頭に置きながら作品を見ると、歴史の一断面を子ども向けに描いたよくできた作品だなあとしみじみと思ってしまいます。

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2008/01/04

まだ4話しか見ていませんが、一応コメントだけ残しておきます。

とりあえず、作画が今風になったことは別に気にしてないです。
名作劇場だって、少しは今風になってもいいと思いますし(ただ、ジャヴェールの悪人面したあの顔は…彼は本物の悪人ではないのですよ)。
ただ、内容がちょっと苦しいかな、と。
原作は今読んでいるところですが、かなり難しいです。
そんなアニメを、果たして子どもたちに理解することができるのでしょうか?
これはかなり製作するにあたってしっかり考えてほしいと思います。

それから、主人公・コゼットの個性が全然感じられないかな、と。
声もかなり浮いてますし。あの声、成長してもそのままなのでしょうか…?
これもどうなるか…こっちに関してはかなり不安の要素のほうが多いです。

子ども向けアニメとしてふさわしいのか、私としては『NO』な気がしますし、そこだけでも悪い寄りにしてもいいのですが…
名作シリーズの復活は素直にうれしいので、それをプラスして、普通寄りで。

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2007/10/21

名劇復活したんですね。
見ていないのでコメントだけ。

しかし絵面がまたえらい「イマ風」になりましたなぁ・・・(HPで確認)。
コゼットちゃんのお目々がおっきい。
「少女漫画絵」でないのが名劇のよさだったと思うんですが・・・
(細めの目が多かったので、作品によって作画が違うのに気付かなかった小さい頃)。
んでジャベールが極端に悪役っぽい顔なのが不満です。

それはさておき、「少女コゼット」という案は悪くないですね。
昔、岩崎書店から出ていた名作シリーズでは、アニメ同様「少女コゼット」となっていましたし。
子供向けにしようと思ったら、コゼット主役でもどうにかなるもので・・・
(ちなみに、他の子供向けの本では、前半ばっさり切ってマリウス主役になってたので、それに比べれば無理は随分少ない)。

何はともあれ、名劇が復活したのは嬉しいことです。
最初にやるのが、何で「レ・ミゼラブル」なのかは謎ですが・・・。

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2007/04/30

現在17話まで完了しました。オンエアにリアルタイムで付いていく作品は久しぶりです。
今年になって少々ヒマになったってこともありますが。
録画消化でも3話か4話で挫折することの多い私がこれだけフォローしているということで、つまり
現時点での感想は「素晴らしい ! 」です。もう手放しで褒めてしまいましょう。
作画はあまり気にする方ではないですが、この点も一貫して高いレベルで安定しており感心します。
さすが名劇の面目躍如といったところかと。地上波でないのが惜しまれます。

名塚コゼットの破壊力と名劇のネームバリューで観始めたのですが、ストーリーも十分に楽しんでます。
原作を読了していますが (とにかく大長編で大変でした・・・) そこはそれ名劇ですから
どんどん改変されるわけで、読んでいるから先の予想がつくとは言えません。
原作の冒頭はミリエル司教関連の記述が延々と続くのですが、本作ではザックリ端折られた(数分で終了 w )のが
少々呆気なかったなぁ、というくらいですね。
ファンティーヌの凄まじいまでの悲惨さが薄められたのは、まあ子ども向けアレンジとして妥当でしょう。
とにかく、どの年齢層でも、原作を読んでいてもいなくても楽しめる作品になっていると思います。
16話ではいい年こいて滂沱の涙・・・ベタベタな演出にすっかり乗せられました。

この先もっとも気になるのは、マリウスとは一体何者でどのように登場するのか、ですね。
当初、アラン (原作に登場しないオリジナルキャラ) とマリウスは同一人物なのだろうと思っていましたが
公式サイトの紹介文によればそうではない様子。しかし未だに同一人物説を捨てきれません。
アランはいい奴ですから、コゼットは何処の馬の骨ともわからないマリウスなんかよりアランとくっ付けばいい。
・・・なんて、単なる願望・妄想ですね。それもこれもコゼットが可愛すぎるせい。

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2007/04/11

可もなく不可もなくといったところ。
原作からすれば、随分削られた部分が多いのも世界名作劇場としては珍しい部類。

コゼットを主人公にしてしまった部分が凄まじい気がする。
返って原作とは異なったレ・ミゼラブルの新しいストーリーが誕生した。と評したい。

前半はとても直視できないような内容が多く、小公女セーラに匹敵するほどつらい内容だったが、
やっとそこから脱却し、少しずつ、「幸せ」という「永遠のテーマ」に近づいていくという視点から見れば、

不幸というテーマはあるものの、土から芽がでて息吹をあげて最後に花を咲かせるという王道のストーリーというコンセプトが成り立ち、見るものを引き立てる形になりそう。

今後、どういう内容になるかが見もの…。
最終的な評価は下せませんが、現時点では、"良い"で






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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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