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いろはにほへと、散りぢりに

「村野瀬玲奈の秘書課広報室」から転載。
まあ、半分は冗談に近い提案だが、「瓢箪から駒」ということもある。
しかし、「日本A」と「日本B」という名称には異議がある。「A」と「B」には上下関係があるように聞こえる点だ。だから「B層」という表現があるのだ。まあ、新自由主義者たちの国を「日本B」にすればいいのだが、それも受け入れられないだろう。
ここは、生徒の作文を採点する時に上下の差別をしないために「雪・月・花」と付けたと言う誰かの(名前が出てこない。漱石門下の有名な随筆家で、黒澤の「まあだだよ」のモデルのあれだ。)故事に倣って「日本雪組」「日本月組」とするのはどうか。それじゃあ宝塚だって? まあ、いいじゃないか。風流な名前だし。
ついでに経団連や右翼の老人だけ集めて「日本紅葉組」とし、時々落ち葉焚きをするとかね。

*記事タイトルは久保田万太郎の俳句の一節。


(以下引用)


日本大改革のための、日本国「二分割」案 (世界愛人主義同盟公約 (11))
• ジャンル : 政治・経済
• スレッドテーマ : 税金
   

日本国民の多くは政治や政治家に不満を持っています。日本国民の政治への期待が裏切られ続けていること、いろいろな面で民意がなかなか政治に反映されないことについて日本国民は怒っています。

日本をどのように「改革」をすれば政治と社会と国民生活が良い方向に行くかという問題には安易な回答はありません。

たとえば、税制や社会保障制度や教育費に関する政策。国民の多くが反対する消費税値上げを、公約に背いて民主党は自民党・公明党と一緒になって強行しています。民自公は担税力の低い層への優先的な増税が日本のために必要だと説きますが、論理的に現実的に言っても、低所得者層への負担を増やす消費税値上げは、雇用の不安定化も加わって日本社会を不安定にし、崩壊させる要因としてはたらくことは確実です。

その他の政策についても同じようなことが言えます。

民意と政治の間のねじれが明らかです。

そこで、私が日本の政治リーダーだったら、こうしてみたいというアイデアを一つ提案します。

それは、日本を二分割して(仮称)「日本A」と(仮称)「日本B」に分けるのです。世界には人口規模が数千万クラスの「先進国」、「大国」はいくつもありますから、日本を二分割してそれぞれ数千万人規模の国としても国の規模自体は問題にはならないはずです。

そのうえで、「日本A]と「日本B」で、いわゆる議員選挙を減らして、それぞれに別々の政策を最初から実施させるのです。

たとえば、「日本A」は徹底した新自由主義政策の国として編成します。富裕層に所得税減税をし、法人税減税をし、消費税率を上げ、社会保障は削って自己責任とします。そのような方向性の政策を支持する人たちは意外に多いですから、「日本A」の運営に問題はないでしょう。

そして、たとえば、「日本B」は徹底した再分配機能の強化をした社会民主主義政策の国として編成します。富裕層や利益をあげている大企業に応分の税負担を求め、中間層や低所得層にも必要な負担を求める代わりに、社会保障を充実させ、医療や教育を無料とします。そのような方向性の政策を支持する人たちも意外に多いですから、「日本B」の運営にも問題はないでしょう。

つまり、日本に政府を「A」と「B」の二つつくるわけです。

では、この「日本A」と「日本B」の区切りはどうするかというと、納税者単位で選んでもらうのです。個人が「自分は日本Aに所属したい」、「自分は日本Bに所属したい」と申告し、法人(営利企業など)も「当社は日本Aに所属したい」、「当社は日本Bに所属したい」と申告して、それぞれの所属国に納税します。

すると、たとえば、「日本A」の人が医療を必要とするときは、「日本A」では医療保険は自己責任となっていますから、保険の負担は低いですが、万一病気になったら医療費は高額となります。「日本B」の人は医療保険や税金の負担は「日本A」よりは高いですが、万一病気になっても医療費はかかりません。

教育費、年金なども同様に、「日本A」と「日本B」で別々の運営をします。

ですから、同じ地域内で「日本A」の国民と法人、「日本B」の国民と法人が混在することになりますが、それぞれの自国政府とやりとりしますので、政府の運営にもそれぞれの国民生活にも問題はないはずです。

そのうえで、「日本A」と「日本B」の間の移動を個人にも法人にも自由にしてしまうのです。そうですね、たとえば、税年度が替わるタイミングで一年に一回、「日本A」と「日本B」の間を移動するかどうか個人にも法人にも選んでもらいます。そうすれば、個人も法人も自分が合理的なシステムだと感じる「国」に移って、その「国」を自分で支える意思が芽生えるでしょう。「両国間」の移動が自由ですから、何年もこの制度を続ければ、どちらの「国」の制度が合理的であるかもわかってくるはずです。

一国二政府にするための技術的な問題は多々あることは予見できます。だけど、それらは工夫次第で、すべてとは言いませんがある程度解決できると思います。解決できない問題は両国共通の政策をとりあえずは適用すればいいでしょう。

何より重要なのは、(たとえば)新自由主義者も社会民主主義者も、どちらにも一定の満足がもたらされる制度であるということです。そして、双方の方法を同時並行して検証し改善することができると期待されるということ、これは無視できないメリットではないでしょうか。

私は、こういうアイデアこそが日本の大改革だと思います。自民党の復古的改憲やら維新の会の維新八策なんて、失敗があらかじめ見えていますし、国民の中の不満は解消されません。選挙をしても、自分が投票したい候補はほとんどいない、というのが多くの人の感覚であるはずですから、政治と民意の間のねじれも解消されないはずです。それでは日本はいつまでたっても今のような混乱した政局が続くばかりで、国民に満足ももたらさないし、社会も経済も国民生活も不安定なままでしょう。

それを解決しようというのが、この「日本国二分割」のアイデアです。二分割ではなくて、もう少し政策の範囲を広げて三分割にしてもいいでしょう。

日本では、選挙で議員を選んでも政治が良くならないとしたら、国民が自分で所属したい国を選ぶというアイデアが、私の、いえ、私の所属する社員一人のサイバー政治団体(笑)「世界愛人主義同盟」の選挙公約です。ということで、この記事を「世界愛人主義同盟公約」の不定期連載シリーズの一つとしましょう。(これでこの不定期シリーズ11個目の記事です。)

説明が粗くて十分に具体的でないと感じる方もいると思いますが、趣旨はおわかりいただけたと思います。読者のみなさんのご意見やご提言がありましたら、お待ちしています。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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