「雇用問題と健康問題」あるいは「国内問題」や「日々の雑感」をこのブログでは扱おう、というのが大体の方針だが、私は方針を立てるのは好きだが守るのは嫌い、と言うより義務となると何でも嫌いなので、立てた方針もあまり意味が無い。
計画するのは大好きなのである。自分のことだけでなく、国家百年の大計、なんてのも考えるのは好きだ。まあ、「白昼夢」に耽るのが好きなのだろう。
そういう人間の夢想だから、私の文章に実証性や正確さを求めてもらっては困る。ただ、世間にはあまりに真面目すぎる人間が多すぎて息が詰まるので、私のようなルーズな人間もその毒消し効果くらいはあるだろう。真面目な人間の困ったところは、他人にまでその真面目さを強要するところで、それが日本の地獄化の一因だと私は思っている。
私は権威とか定説とか常識というものをほとんど信じていない。権威というのは他人を恐れ入らせるための芝居であるし、定説とは「現在有力な仮説」でしかないし、常識とはその地域でのみ有効な便宜的知識でしかない。進化論もビッグバン理論も私にとってはただの仮説だ。ところが、それが権威となり、社会的圧力になるから問題だ。
全世界的禁煙運動なども私が疑わしく思っているものの一つである。なぜ、これほど根拠の怪しげなものが、これほど全世界的な広がりを持って強制されているのか、と考えればここには何かの裏事情がある、と考えるのが私流の考え方だ。
それが何かは分からない。確かに喫煙は体に害はあるだろうが、「副流煙の被害」と言われると、それほどのものか、と思う。まあ、女性などが煙草の匂いがカーテンに付くのが嫌い、という気持ちは分かるが、煙草の精神的効用を考えれば、煙草呑みの権利は守るべきだと私は思っている。もっとも、煙草のもたらす鎮静効果はただの深呼吸の効果と煙草の匂いの効果なのかもしれない。煙草の匂いがいい匂いの一つだというのは確かだが、それも嫌な臭いと思う人もたくさんいるだろうから、強いて言い張る気はない。
煙草と肺癌の関係については、下の記事にあるように、(グラフのコピーができなかったが、喫煙人口がどんどん低下しているのに肺癌による死亡者数はどんどん上がってきているというグラフだ)どうも相関関係は無いようだが、まあ、肺の中にタールを付着させるのが体にいいはずはないだろう。大麻解禁になれば、煙草よりも健康的に瞑想的気分になれるかもしれないが、今のところは日本では大麻は吸えない。となれば、合法的に瞑想的気分になるには禅でもするのが一番だろうか。私の見る煙草の効用とは、「簡便に瞑想的気分を与えるもの」なのである。
昔から小説中の名探偵の多くがパイプ煙草などを嗜むのはその故である。
(以下引用)
2012/9/1
「科学者テスト・・・自分は科学者になれるか?:武田邦彦氏」 その他
科学者テスト・・・自分は科学者になれるか?:武田邦彦氏
「tabacowosuutosinanaitdyno.226-(7:35).mp3」をダウンロード
最近、ある若手の技術者を対象にした教育をしたときに、おもしろいことがありました。それは「タバコと肺がん死のグラフを見て、どのようにデータを解釈するか」という出題です。
グラフは単純でここに示したもので、データは紛れがない単純なもので、このグラフに載せた「肺がん死の数」も「喫煙率」もよく知られたもので反論はありません。このグラフを見て、次のどのような反応をするかで、自分が科学者になれるかが分かると私は教育を通じて感じました。
1) ムカッとくる、
2)変なデータだと思う、
3)ウソだと思う、
4)点線のところなどが気になる、
5)寿命が延びているから、その影響があると思う、
6)喫煙率が下がると肺がん死が増えると理解する。
7)タバコを止めると肺がんになるのだなと思う。
教育をした私の感じとしては、1)から3)のように感じる人は自然科学を選ばない方が良い人、4)の人は技術者になっても成功しない人、5)は何とか技術者になれる人、そして6)と7)は技術者として成功する人のようです。
ムカッとくる、つまり1)番の人は科学者には不向きです。学問というのは「心」が入らないようにして、確実な事実と明快な論理で構成されるものですから、そこに「心」や「先入観」が入っては成功しません。
タバコに関しては多くの人がいろいろな「感情」を持っています。煙が嫌い、火事の心配、汚らしい、図々しい、かっこいい、大人の雰囲気・・・などです。でも、データを見るときに「頭」と「心」を分離できるのが科学者ですから、どうしても感情が入るという人は科学の道は止めた方が良いでしょう。
また、「ウソだと思う」という3番ですが、これも不適切です。つまり、データを見るときにはまずは信頼できるデータを見ることですが、喫煙率と肺がん死の関係はこのデータしか日本には無いのですから、「ウソ」であると言うことになると、他にデータが無ければならないことになります。
このような時「ウソ」という感じを持つのは、「自分の先入観と違う」という事です。先入観の方がデータより重要であると考える人は技術者にはならない方が良いでしょう。科学は常により真実に近く、より新しいデータを求めるものです。そして科学者の辛いことはこれまで10年間以上の信じてきたデータでもある時点からそれが間違っていることを認めなければならないことがあります。その時に「自分を捨ててデータを採る」という苦痛を克服しなければならないからです。
・・・・・・・・・
科学の経験が深く、謙虚な気持ちで観察をしたいと思っている場合、データに接したときに、それまでのすべての知識、先入観をいったん横に置いて事実を見ます。それは「学問は進歩する」、あるいは「今、正しいと思っていることでも覆ることがある」という確信です。だから、たとえ「タバコを吸うと肺がんで死ぬ」と考えていても新しいデータをまずは素直に見る習慣がついています。
さて、このグラフはあまりにも傾向がハッキリしていて、「喫煙率が下がるほど、肺がん死が増える」ということですから、もし他の原因がなければ「タバコを吸うと肺がん死が防止できる」、あるいは「タバコを止めると肺がん死になる」ということを意味しています。でも、そこまで一気に行くことができる人も少ないと思います。
・・・・・・・・・
ところで、厚労省の報告などを見ると、「タバコを吸うと何倍、肺がんにやりやすい」などという数字が多く出てきます。それはどこのデータでしょうか。たとえば1990年に肺がんで死んだ人が4万人います。この時の喫煙率は約60%ですから、肺がんで死んだ人の内、タバコを吸っていた人が60%なら、タバコを吸っていても吸っていなくても肺がんになる比率は同じということになります。
しかし喫煙してすぐ肺がんで死ぬわけではなく、肺がんで死ぬ人の多くは20年ほどタバコを吸っていて、70才で肺がんになるというようなケースですから、20年前の喫煙率というと、1970年ですからほぼ80%となります。だから肺がんで無くなった人の80%がタバコを吸っていたとすると、「タバコと肺がんは関係がない」ということになります。
つまり、ここに示したような「真逆」なデータが有る限り、ある少数のデータで「タバコを吸うと肺がんで死ぬ」という結論を出すためには、全体の傾向を否定するような強力な証拠が必要ですし、なによりそれが公開されていることです。厚労省のデータは生データ、整理の仕方、判定基準などなにも書いていないのです。特に厚労省の天下り団体で「健康促進団体系統」のパンフレットなどには、結論だけが書いてあってまったく科学の判断ができません。
ある国の委員会で委員の一人が素データを求めたところ、「禁煙に反対する人にはデータを見せない」と言われたという有名な事件があります。反対する人にこそデータをよく説明し、納得してもらうのが学問の手順ですが、それをしないということは政治であって学問ではないということを証明しています。
「喫煙を禁じる」というのは日本国憲法で定められた「基本的人権」に抵触するのですから、かなり精密なデータと整理が公表されることが必要です。日本国は科学技術立国で技術者が250万人もいるのですから、充分な説明をして国民的な合意をえることが国の義務でもあります。
(平成24年8月28日)
武田邦彦
計画するのは大好きなのである。自分のことだけでなく、国家百年の大計、なんてのも考えるのは好きだ。まあ、「白昼夢」に耽るのが好きなのだろう。
そういう人間の夢想だから、私の文章に実証性や正確さを求めてもらっては困る。ただ、世間にはあまりに真面目すぎる人間が多すぎて息が詰まるので、私のようなルーズな人間もその毒消し効果くらいはあるだろう。真面目な人間の困ったところは、他人にまでその真面目さを強要するところで、それが日本の地獄化の一因だと私は思っている。
私は権威とか定説とか常識というものをほとんど信じていない。権威というのは他人を恐れ入らせるための芝居であるし、定説とは「現在有力な仮説」でしかないし、常識とはその地域でのみ有効な便宜的知識でしかない。進化論もビッグバン理論も私にとってはただの仮説だ。ところが、それが権威となり、社会的圧力になるから問題だ。
全世界的禁煙運動なども私が疑わしく思っているものの一つである。なぜ、これほど根拠の怪しげなものが、これほど全世界的な広がりを持って強制されているのか、と考えればここには何かの裏事情がある、と考えるのが私流の考え方だ。
それが何かは分からない。確かに喫煙は体に害はあるだろうが、「副流煙の被害」と言われると、それほどのものか、と思う。まあ、女性などが煙草の匂いがカーテンに付くのが嫌い、という気持ちは分かるが、煙草の精神的効用を考えれば、煙草呑みの権利は守るべきだと私は思っている。もっとも、煙草のもたらす鎮静効果はただの深呼吸の効果と煙草の匂いの効果なのかもしれない。煙草の匂いがいい匂いの一つだというのは確かだが、それも嫌な臭いと思う人もたくさんいるだろうから、強いて言い張る気はない。
煙草と肺癌の関係については、下の記事にあるように、(グラフのコピーができなかったが、喫煙人口がどんどん低下しているのに肺癌による死亡者数はどんどん上がってきているというグラフだ)どうも相関関係は無いようだが、まあ、肺の中にタールを付着させるのが体にいいはずはないだろう。大麻解禁になれば、煙草よりも健康的に瞑想的気分になれるかもしれないが、今のところは日本では大麻は吸えない。となれば、合法的に瞑想的気分になるには禅でもするのが一番だろうか。私の見る煙草の効用とは、「簡便に瞑想的気分を与えるもの」なのである。
昔から小説中の名探偵の多くがパイプ煙草などを嗜むのはその故である。
(以下引用)
2012/9/1
「科学者テスト・・・自分は科学者になれるか?:武田邦彦氏」 その他
科学者テスト・・・自分は科学者になれるか?:武田邦彦氏
「tabacowosuutosinanaitdyno.226-(7:35).mp3」をダウンロード
最近、ある若手の技術者を対象にした教育をしたときに、おもしろいことがありました。それは「タバコと肺がん死のグラフを見て、どのようにデータを解釈するか」という出題です。
グラフは単純でここに示したもので、データは紛れがない単純なもので、このグラフに載せた「肺がん死の数」も「喫煙率」もよく知られたもので反論はありません。このグラフを見て、次のどのような反応をするかで、自分が科学者になれるかが分かると私は教育を通じて感じました。
1) ムカッとくる、
2)変なデータだと思う、
3)ウソだと思う、
4)点線のところなどが気になる、
5)寿命が延びているから、その影響があると思う、
6)喫煙率が下がると肺がん死が増えると理解する。
7)タバコを止めると肺がんになるのだなと思う。
教育をした私の感じとしては、1)から3)のように感じる人は自然科学を選ばない方が良い人、4)の人は技術者になっても成功しない人、5)は何とか技術者になれる人、そして6)と7)は技術者として成功する人のようです。
ムカッとくる、つまり1)番の人は科学者には不向きです。学問というのは「心」が入らないようにして、確実な事実と明快な論理で構成されるものですから、そこに「心」や「先入観」が入っては成功しません。
タバコに関しては多くの人がいろいろな「感情」を持っています。煙が嫌い、火事の心配、汚らしい、図々しい、かっこいい、大人の雰囲気・・・などです。でも、データを見るときに「頭」と「心」を分離できるのが科学者ですから、どうしても感情が入るという人は科学の道は止めた方が良いでしょう。
また、「ウソだと思う」という3番ですが、これも不適切です。つまり、データを見るときにはまずは信頼できるデータを見ることですが、喫煙率と肺がん死の関係はこのデータしか日本には無いのですから、「ウソ」であると言うことになると、他にデータが無ければならないことになります。
このような時「ウソ」という感じを持つのは、「自分の先入観と違う」という事です。先入観の方がデータより重要であると考える人は技術者にはならない方が良いでしょう。科学は常により真実に近く、より新しいデータを求めるものです。そして科学者の辛いことはこれまで10年間以上の信じてきたデータでもある時点からそれが間違っていることを認めなければならないことがあります。その時に「自分を捨ててデータを採る」という苦痛を克服しなければならないからです。
・・・・・・・・・
科学の経験が深く、謙虚な気持ちで観察をしたいと思っている場合、データに接したときに、それまでのすべての知識、先入観をいったん横に置いて事実を見ます。それは「学問は進歩する」、あるいは「今、正しいと思っていることでも覆ることがある」という確信です。だから、たとえ「タバコを吸うと肺がんで死ぬ」と考えていても新しいデータをまずは素直に見る習慣がついています。
さて、このグラフはあまりにも傾向がハッキリしていて、「喫煙率が下がるほど、肺がん死が増える」ということですから、もし他の原因がなければ「タバコを吸うと肺がん死が防止できる」、あるいは「タバコを止めると肺がん死になる」ということを意味しています。でも、そこまで一気に行くことができる人も少ないと思います。
・・・・・・・・・
ところで、厚労省の報告などを見ると、「タバコを吸うと何倍、肺がんにやりやすい」などという数字が多く出てきます。それはどこのデータでしょうか。たとえば1990年に肺がんで死んだ人が4万人います。この時の喫煙率は約60%ですから、肺がんで死んだ人の内、タバコを吸っていた人が60%なら、タバコを吸っていても吸っていなくても肺がんになる比率は同じということになります。
しかし喫煙してすぐ肺がんで死ぬわけではなく、肺がんで死ぬ人の多くは20年ほどタバコを吸っていて、70才で肺がんになるというようなケースですから、20年前の喫煙率というと、1970年ですからほぼ80%となります。だから肺がんで無くなった人の80%がタバコを吸っていたとすると、「タバコと肺がんは関係がない」ということになります。
つまり、ここに示したような「真逆」なデータが有る限り、ある少数のデータで「タバコを吸うと肺がんで死ぬ」という結論を出すためには、全体の傾向を否定するような強力な証拠が必要ですし、なによりそれが公開されていることです。厚労省のデータは生データ、整理の仕方、判定基準などなにも書いていないのです。特に厚労省の天下り団体で「健康促進団体系統」のパンフレットなどには、結論だけが書いてあってまったく科学の判断ができません。
ある国の委員会で委員の一人が素データを求めたところ、「禁煙に反対する人にはデータを見せない」と言われたという有名な事件があります。反対する人にこそデータをよく説明し、納得してもらうのが学問の手順ですが、それをしないということは政治であって学問ではないということを証明しています。
「喫煙を禁じる」というのは日本国憲法で定められた「基本的人権」に抵触するのですから、かなり精密なデータと整理が公表されることが必要です。日本国は科学技術立国で技術者が250万人もいるのですから、充分な説明をして国民的な合意をえることが国の義務でもあります。
(平成24年8月28日)
武田邦彦
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