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奨学金地獄

「村野瀬玲奈の秘書課広報室」から転載。(姓が「村野瀬」で名が「玲奈」らしい)
奨学金制度が貧困ビジネスの一つ、つまり貧乏人から金を巻き上げる営利事業になっている、という現状をレポートした記事の一部である。
まあ、資本主義とはすべてを金に換算する制度、とも定義できるわけで、慈善の意図で始まった制度もやがては金儲けの制度になっていくのは自然の流れだ。
そのうち親子関係も友人関係もビジネス化するかもしれない。いや、一部の親は子育てを、子供を育てて、その子供に自分の老後の面倒を見させようというビジネスとして捉えているかもしれない。子供の方もそう考えているとすれば、親子関係は、子供が物心つくと同時に破綻するのも当然だ。
友人関係も「ギブアンドテイク」のビジネスならば、相手に利用価値が無くなれば赤の他人になるのも当然である。
話が現代人間関係論になったが、すべてが金に換算されるというこの社会の根底を変えることは難しい。ボランティアという「無償の行為」さえも「政府や企業の経費節減」のために利用される有様だ。とにかく、金は魔物である。と言うよりは金は人間を魔物にする、と言うべきだろう。金自体には罪はないが、人間の過度な欲望や恐怖、不安が人間に金を神格化させる。
なぜ大学に行くか、と言えば、「職に就くため」である。高卒ではほとんど仕事が無いからだ。しかし金が無いと大学に行けないから金を借りる。つまり、「将来の金を得るために、今金を借りる。その借金の利息が膨らんで、将来の貧困生活が確定的になる」というのが奨学金地獄である。かと言って、高卒のまま社会に出れば、そこにも貧困生活が待っている。まさに「進むも地獄、止まるも地獄」だ。
こういう社会を作ってきたのは誰か。
あなたであり、私である。
国政選挙でのこれまでの無責任な投票行動が、今の日本を作ってきたのだ。
もちろん、奨学金地獄は、今の日本の「格差地獄」の一例にすぎない。金の有り余る連中にはまったく無縁の別世界の話である。まさに黒澤の「天国と地獄」だ。あの誘拐犯がスラム街から仰ぎ見た豪邸の姿が今の「99%対1%」の1%の象徴なのだ。
もちろん、正当な競争の結果、1%と99%に分かれたのだ、1%を羨望したり憎んだりするより、自分が努力しろ、と1%の連中は言うだろう。
はたしてそうか? 競争は正当に行われているか?
真面目に努力すれば望む大学に進め、望む会社に就職でき、望むように正社員になれ、望むように出世でき、望むように定年まで勤められ、望むように年金がもらえるか?
それが高度成長期末期までの黄金時代の話でしかないことを誰でも知っている。
日本人が稼いだ金は他国に吸収され、一部の人間に吸収され、日本人は働いても働いてもその大半は非正規社員として貧困が運命づけられている。そういう社会で公正な競争がありうるだろうか。当然ながら、わずかな果実は一部の人間によってあらかじめ独占されているはずだ。そのおこぼれをめぐって死闘を繰り返すのが貧民である。
だが、なぜそうなったのか。
なぜ高度成長期の日本、「一億総中流化」の日本は消えたのか。
それが意図的バブル崩壊と、国際金融家による日本資産収奪、日本から米国への恒常的貢納、小泉改革による格差社会の到来などに主な原因があることを専門的経済学者はほとんど語らない。連中は「制度」の一部なのである。与えられた枠組みを維持し、強化し、国民を眠りこませるという制度だ。まさに「ゼイ・リブ」の中に出るガイコツ顔の連中の一部だ。
奨学金制度の話が、この社会全体の「見えない制度」の話になってしまった。
長くなりすぎたので、ここまでにしよう。



(以下引用)


2.現状

 奨学金を受けている大学生(昼間部)の割合は、1998年には23・9%であったのが2010年には50.7%にまで上昇した。実数で見ると、98年の約50万人から2011年には127万人へと増加している。一方、2000年から2010年までの10年間に、学費は5万円増加したのに対して、生活費は28万円も減少し、10年前の3分の2の水準にまで低下した。これは、家計からの給付額が2000年の156万円(全収入の72.4%)から123万円(61.7%)へと激減したのが影響している。東京の自宅外通学者の場合、仕送り額は2000年の11万9300円から2010年には9万1600円に減少した。大学生の生活を支える親の経済力が、低下し続けているのである。その分、奨学金は18万円(8.5%)から40万円(20.3%)に増加し、働かなくては修学困難な学生が37.6%から40.7%に増加する反面、家計からの収入のみで修学可能な学生は39.9%から32.8%に減少した。

 このように今や学生の生活にとって必要不可欠な存在となった奨学金であるが、日本の奨学金の約9割に当たる奨学金事業費を運用している日本学生支援機構の奨学金はすべてが貸与制である。しかも政府はこの約10年、奨学金制度の改悪を続け、一般財源による無利子枠は拡大せずに有利子枠のみ約10倍に拡大させた結果、有利子枠の比率は75%を占めるまでに至っている。このため、無利子貸与の申請者の約8割が不採用になるという。有利子貸与は3万、5万、8万、10万、12万(大学院は15万円、法科大学院は22万円まで)からの選択制だが、仮に有利子奨学金を毎月12万円、4年間借りた場合、貸与金額は576万円で返済総額は775万円(金利3%で計算)となり、毎月3万2297円ずつ20年間かけて返済しなければならない。つまり、20代の平均年収の約3倍の借金を卒業時に背負うことになるのである。高校から大学院卒業まで借りたある相談者は、返済総額が2000万円、毎月の返済額が7万5000円に上り、「家賃より高い」と頭を抱えていたという。

 文科省はこれを「返済能力の範囲内」と位置づけているが、終身雇用・年功序列を柱とする日本型雇用が崩壊し、大卒の内定率も就職率も低下し、若者の失業が長期化するなかで、親も本人ももはやその負担を担い切れないのが現状である。奨学金返還者の中には、祖母の年金から返済している例もあるという。

 また、ある公立大学に入学してきた授業料や生活費を全く支払うことのない学生は、日本学生支援機構の有利子奨学金を月12万円ずつ借りているが、卒業後の返済が心配で鬱病になってしまったという。「なぜ学費が払えないのに入学したのか」とカウンセラーが聞くと、高卒では就職先がないのだという。実際、高卒者の求人数は1992年の168万件から2003年にはわずか20万件と87%も激減しているという。高校卒業後の就職先がないから大学に行かざるを得ない構造が生まれているのである。

 また、精神疾患で会社を辞めた相談者は、「医者から長時間の仕事は無理といわれ短時間のアルバイトで月5万円の収入で生活しています。現在、返済猶予を受けていますが、その5年の期限がまもなく終わります。食べていくだけでもやっとの生活なのに月2万円の奨学金の返済はできません。奨学金を借りたことでこれほどつらい思いをするとは思いませんでした」と語っている。

 返済が困難になった場合、返済を猶予する制度はあるものの、猶予期間は最大で5年間にすぎず、猶予を打ち切られ延滞者となると年利10%の延滞金が加算される。正規雇用に就けなかった場合は、「返したくても返せない」という返済困難に陥ることは容易に想像できるが、今や大学を卒業しても4割が正規採用されないという。近年の新自由主義的「構造改革」によって低賃金・不安定雇用が拡大し、年収200万円以下の労働者が1000万人を超えた。奨学金の延滞6カ月以上の者のうち「年収300万円未満」の者の割合は、過去3年で、84%から87.5%に上昇した。しかも、なんとか返済し続けている無延滞者にも低所得層が広がり、約半数が年収300万円以下という。

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