第22章 棺桶
私がピークォド号の運命について不吉な予感を抱いたのは、ピップの事だけのためではない。今や私の無二の親友となったクィークェグが、突然に熱病にかかり、生死の境をさまようことになったのは、船がシナ海を出て日本海近くにさしかかろうとした頃だった。
鯨の皮はいったん脂肉室に運び込まれた後、釜で煮られて油を取り、取った油は樽に詰められて船底に貯蔵されるわけだが、この獣肉のくさい臭いとむっとするような温気、湿気の籠る穴倉での労働は、さほど上品な人間でなくても御免蒙りたいと思うような仕事である。この栄えある仕事はなんと銛手の仕事の一つでもあるのだ。昨日は十字軍の騎士として雄々しく敵と戦った男が、翌日には畑で肥担ぎをするようなものではないか。
とにかく、この不潔な、悪疫の温床のような場所で連日働いているうちに、クィークェグは熱病にかかったのである。日を追って彼はやつれにやつれていった。
彼はほとんど物も言わず病苦に耐えていたが、ある日、傍にいた者に、船大工を呼んでくれと頼んだ。船大工とは、船中の何でも屋であり、ボートの修理からエイハブの義足の製作まで何でもやるが、彼がこの野蛮人に頼まれたのは、棺桶だった。つまり、死を覚悟したクィークェグは、あらかじめ自分の永遠の寝床を用意しておこうと考えたのである。で、実際にそれは寝床になったのだが、但し、それは彼が死んでからではなかった。
出来上がった棺桶を見たクィークェグは、自分をその中に寝かせてくれ、と周りの者に頼んだ。
「とてもいい。楽じゃ」
棺桶の中に横たわったクィークェグは満足そうに呟いて、自分の周りにビスケットの袋と真水の瓶を置かせ、彼の小さな守り神ヨジョを入れて、棺の蓋を閉じさせた。蓋は革の蝶番で棺にくっついていたが、蓋が閉じられると我々の前には無言の棺桶が横たわるだけであった。
やがて中から声がして、「出してくれ」とクィークェグは言った。
こうして死を迎える準備ができると、驚いたことにクィークェグの病状は逆に急速に快方に向かった。
後でクィークェグが説明したところによると、こうである。棺の中に横たわって、死のうと考えた時に、この世でやり残した事はないかどうか、彼は思いめぐらしてみた。そして、陸上で果たさねばならないちょっとした義務のあった事を思い出し、まだ死ぬわけにはいかぬ、と考え、死なないことにしたのだそうである。
聞いていた者たちは、不思議そうな顔で、いったい死ぬとか生きるとか、自分の勝手な気持ちや好みで出来るものかと聞いてみた。
「そうだ」とクィークェグは答えた。
彼の言葉では、鯨とか嵐とかいった人力を超えた大きな力で死ぬ以外は、病気くらいで人間は死ぬものではない、ということである。老衰で死ぬ連中も、「もうこれくらいでいいじゃろう」と思うから死ぬのであり、そう思わなければいつまでも生きているはずだ。……まあ、無知な野蛮人の事だから、眉唾物の話ではあるが、病気に及ぼす意思の力というものは、我々ひ弱な文明人が考えるより大きなものではあるらしい。
とにかく、こうしてクィークェグは死の淵から甦り、彼の棺桶は衣装その他の物入れになったが、後にそれは私が譲り受けることになるのである。もっとも、それは棺桶として使用するためではなかったが。
私がピークォド号の運命について不吉な予感を抱いたのは、ピップの事だけのためではない。今や私の無二の親友となったクィークェグが、突然に熱病にかかり、生死の境をさまようことになったのは、船がシナ海を出て日本海近くにさしかかろうとした頃だった。
鯨の皮はいったん脂肉室に運び込まれた後、釜で煮られて油を取り、取った油は樽に詰められて船底に貯蔵されるわけだが、この獣肉のくさい臭いとむっとするような温気、湿気の籠る穴倉での労働は、さほど上品な人間でなくても御免蒙りたいと思うような仕事である。この栄えある仕事はなんと銛手の仕事の一つでもあるのだ。昨日は十字軍の騎士として雄々しく敵と戦った男が、翌日には畑で肥担ぎをするようなものではないか。
とにかく、この不潔な、悪疫の温床のような場所で連日働いているうちに、クィークェグは熱病にかかったのである。日を追って彼はやつれにやつれていった。
彼はほとんど物も言わず病苦に耐えていたが、ある日、傍にいた者に、船大工を呼んでくれと頼んだ。船大工とは、船中の何でも屋であり、ボートの修理からエイハブの義足の製作まで何でもやるが、彼がこの野蛮人に頼まれたのは、棺桶だった。つまり、死を覚悟したクィークェグは、あらかじめ自分の永遠の寝床を用意しておこうと考えたのである。で、実際にそれは寝床になったのだが、但し、それは彼が死んでからではなかった。
出来上がった棺桶を見たクィークェグは、自分をその中に寝かせてくれ、と周りの者に頼んだ。
「とてもいい。楽じゃ」
棺桶の中に横たわったクィークェグは満足そうに呟いて、自分の周りにビスケットの袋と真水の瓶を置かせ、彼の小さな守り神ヨジョを入れて、棺の蓋を閉じさせた。蓋は革の蝶番で棺にくっついていたが、蓋が閉じられると我々の前には無言の棺桶が横たわるだけであった。
やがて中から声がして、「出してくれ」とクィークェグは言った。
こうして死を迎える準備ができると、驚いたことにクィークェグの病状は逆に急速に快方に向かった。
後でクィークェグが説明したところによると、こうである。棺の中に横たわって、死のうと考えた時に、この世でやり残した事はないかどうか、彼は思いめぐらしてみた。そして、陸上で果たさねばならないちょっとした義務のあった事を思い出し、まだ死ぬわけにはいかぬ、と考え、死なないことにしたのだそうである。
聞いていた者たちは、不思議そうな顔で、いったい死ぬとか生きるとか、自分の勝手な気持ちや好みで出来るものかと聞いてみた。
「そうだ」とクィークェグは答えた。
彼の言葉では、鯨とか嵐とかいった人力を超えた大きな力で死ぬ以外は、病気くらいで人間は死ぬものではない、ということである。老衰で死ぬ連中も、「もうこれくらいでいいじゃろう」と思うから死ぬのであり、そう思わなければいつまでも生きているはずだ。……まあ、無知な野蛮人の事だから、眉唾物の話ではあるが、病気に及ぼす意思の力というものは、我々ひ弱な文明人が考えるより大きなものではあるらしい。
とにかく、こうしてクィークェグは死の淵から甦り、彼の棺桶は衣装その他の物入れになったが、後にそれは私が譲り受けることになるのである。もっとも、それは棺桶として使用するためではなかったが。
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