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白鯨#14

第18章 最初の獲物

大烏賊を見た翌日、クィークェグは、愛用の銛を砥石で研ぐのに余念がなかった。
「イカの野郎が見えたらな、とたんにマッコウの野郎が出てくるんじゃ」
そう、彼は私に教えた。
我々が今航海しているインド洋は、鯨の漁場としては有名ではない。だから、私はクィークェグの言葉を話半分に聞いていたのだが、その日のうちに彼の言葉の真実が証明された。
真昼のインド洋は、凪いで蒸し暑く、マストの上の見張り台に立っていた私と他の二人の水夫は、ほとんど居眠り状態だったが、睡魔に襲われてあやうくマストから転げ落ちそうになった刹那、私が海面に見たのは、まさしく鯨の姿だった。
風下の、およそ四十尋ほどの距離に、のんびりと潮を噴いているそいつの黒い姿は、平和そのものを絵に描いたようなものだったが、私は自分の発見に動顛し、他の二人を揺すぶり起こした。
我々の叫び声に、船の乗員たちはたちまち船室から飛び出してきた。
海面に下ろされた四つの短艇は、相手を驚かせぬように、こっそりと鯨めに近づいていった。だが、やがて鯨は、歓迎すべからざる客たちに気づいて、水面下に潜り込んだ。
我々は、鯨がどこに現れるか、海面を注視して待った。
やがて、鯨は再びその巨大な姿を海上に現し、本格的な逃走に取り掛かった。
「追え、追え、稲妻みたいに追っかけろ!」
鯨にもっとも近かったスタッブは、わめいて乗員を励ました。
「ウッ、フゥ! ワッ、ヒィ!」
タシュテゴがインディアン特有の掛け声をわめく。
「キィ、ヒィ! キィ、ヒィ!」
フラスクの舟のダグーもそれに劣らぬ野蛮な声を上げている。
「カ、ラ! クゥ、ルゥ!」
クィークェグがうなり声を上げる。
もっとも早く銛の投擲距離に達したのは、やはりスタッブの舟だった。
「立て、タシュテゴ! やっつけろ!」
スタッブの怒鳴り声で、ゲイ岬のインディアンは弾かれたように立ち上がり、ほとんど鯨を見るまでもなく銛を投じた。
銛は見事に刺さり、鯨とスタッブの短艇との間は一条の縄でつながれた。次の瞬間、苦痛から鯨は速度をいっそう速め、スタッブの舟は鯨に引っ張られて猛烈な速さで海の上を走りだした。鯨に縄を切られないために、捕鯨索には十分な長さが準備してあるが、鯨に引っ張られて轆轤から恐ろしい勢いで繰り出されるその縄は煙を上げている。
「索を濡らせ、索を濡らせ!」
轆轤の側の水夫が、自分の帽子で海水を汲んで縄にかける。じゅっと水蒸気が立ち上る。
やがて鯨は、大きな荷物を引っ張って泳ぐのに疲れて力を失い、速度をゆるめた。
「たぐり込め、たぐり込め!」
スタッブは、そう命令して、タシュテゴと位置を代えて舳先に立った。
舟が鯨と平行する位置に来ると、スタッブは投げ槍を手にして、一擲、また一擲と鯨に槍をぶつけていった。
今や、鯨の体のあちこちからは血が噴き出し、鯨は急速に力を失っていっていた。
頃は良し、と見たスタッブは舟を鯨に横付けにさせ、一際長い槍を鯨に刺した。そして、鯨の生命の最後の一滴を搾り取ったのである。
鯨は断末魔の一暴れをして水夫たちを慌てさせたが、やがて完全に力尽きて海上に静かにその体を横たえた。
(もちろん、私は別の舟に乗っていたのだから、この一部始終を見ていたわけではないが、断片的見聞を総合すれば、詩人的想像力によって他の細部は明瞭に想像できるのである。そのあたりは、読者の諸君にも了解しておいてもらいたい。すべて、飛躍やご都合主義の無い文学とは、詩的精神の欠如した無味乾燥の別名でもあるのだから、あまり固いことは言わないで欲しいのである。)







































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それだけで人生は生きるに値します。

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