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確実に起こること

私にとって気になる記事を二つ掲載しておく。両方とも「ダイヤモンドオンライン」からである。一つは食料問題、もう一つは雇用問題だ。両方とも夏頃から顕在化してくる。特に雇用問題は、派遣社員の雇用が6月打ち切りとなっているところが多いようだから、その頃に大量の失業者が出ることになるだろう。食料問題は、東北地方の田畑が津波被害に遭っているから、今年の秋の米は例年より収穫量がかなり落ち込むはずだ。
この二つの問題について政府は今から対策を講じる必要があるが、おそらく何もしないで、問題が表面化してから「有識者会議」でも開いて、「まず調査のうえ、善処します」ということになりそうである。そして、調査のための新しい機関を作り、その調査報告書が出たら、それで政府の仕事は終わり、ということになる。その間、国民はどんどん首吊り自殺をし、政府は「これで無駄飯食いが減った」とほくそえむわけである。


(以下引用)





世界が不安視する日本の食糧輸入
今後重視すべきは「ムダの削減」
――需給バランスを安定させ、穀物価格の上昇を防ぐためには、どうすればよいか。
 国内での増産に加え、先進国が協力して備蓄を増やしていくことが必要だ。とりわけ日本については、「ムダの削減」が重要になる。
 日本は国内でコメ、小麦などの穀物を年間1000万トン生産しているが、一方でその3倍となる3000万トンの穀物を輸入している。つまり国内では、合わせて4000万トンが供給されていることになる。
 ところが、実際人々の口に入るのはその半分の2000万トンに過ぎない。残りは残菜や賞味期限切れなどの理由で、捨てられてしまうという。これは、全くもって大きなムダである。
 人口1億3000万人弱、国土38万平方キロメートルの日本が1000万トンの穀物しか生産していないことに対して、人口も国土も日本の半分程度の英国では3000万トン、日本より国土が1割小さいドイツも5500万トンの穀物を生産している。国際マーケットがこれだけきつくなっている時代に、日本が3000万トンも穀物を輸入し、しかもその多くがムダになっている状況は、明らかにおかしい。
 これを見ても、日本人は食糧不足に対する危機感が薄いと思う。むしろ、「コメや小麦は余っているから、もっと備蓄を減らしたほうがよい」と言う人さえいる。しかし、国内でコメが余る理由は、食糧の自給体制が整っているからではなく、3000万トンもの穀物が当たり前のように輸入されているからだ。中国と共に、日本の過剰な穀物の輸入は国際マーケットで不安視されている。
 今後、食糧が高騰すれば、ムダの削減や食育が浸透する可能性はある。ゆくゆくは食糧不足が顕在化し、国内で大増産へと舵を切ることになるだろう。
 ただしそうなったときに、日本に弾力的な農業生産力があるかどうかは甚だ疑問だ。多くの農家が資金不足や人手不足に悩んでいるし、水利施設の管理費は事業仕分けで6割も削られてしまった。こんな状態で、来るべき危機にどうやって対処するつもりだろうか。この機会に、日本も食糧に対する考え方を改めるべきだろう。
穀物は単なる商品でなく「政治財」
大震災を機に危機感を取り戻せるか
――3月中旬に発生した東日本大震災では、被災地の農業が大きな打撃を受けた。大震災は日本の食糧市場にも影響を与えるだろうか。
 今回の大震災では、不安を募らせた消費者の買い占めにより、スーパーやコンビニの店頭から、おにぎり、弁当、カップ麺、パンなどの食糧が一斉になくなった。商品の原料ベースで見ると、これは穀物が消えたことに他ならない。異常事態における穀物は、足りないとなるとパニックを引き起こすことから、単なる商品ではなく「政治財」に変わり得る重要なものなのだと感じた。
 震災の影響で一時的に食糧不足が顕在化すれば、穀倉地帯では「まず自分たちの食糧を確保しよう」という意識が強まり、都会への「売り惜しみ」が生じるかもしれない。ライフラインが完全に復旧していない影響もあり、品薄でパニックになればさらなる買い占めが起きる可能性もある。
 その結果、「食糧の自給にもっと力を入れるべき」という議論が盛り上がる可能性はある。

質問1 食糧不足を解消するにはどうしたらいいと思う?
国内でもっと増産する さらに輸入を増やす 先進国が協力して需給をコントロールする 個人レベルでムダを出さないように心がける その他






東京で、愛知で「大規模派遣切り」が進行中
非正規社員を襲う“6月危機”と“9月危機”
「このままだと、6月末には全国に失業者が溢れることになります」
 派遣ユニオン書記長の関根秀一郎さんはこう予測している。
 工場城下町として知られる群馬県伊勢崎市。ここには、派遣会社の寮として使われるワンルームマンションがかなりあるが、4月9日、関根さんが訪れてみると半分以上がガラ空きの状態だったという。すでに派遣切りは始まっているのだ。
派遣ユニオン書記長・関根秀一郎さん
「会社や工場が被災し、自宅待機を命じられている派遣社員は数知れない。その多くが近く失職に追い込まれる可能性が高い」と関根さん。1ヵ月、もしくは3ヵ月という細切れ契約が多いことを考えると、Xデーは震災の3ヵ月後、つまり6月末という計算になる。
 しかも、これは被災地に限った話ではない。
「震災にともなう労働相談は東京が最多。愛知や埼玉、神奈川も多い。とくに大手自動車メーカー部品工場従業員からの相談が目立っています。
 下請け部品工場が被災して稼働をストップすると、在庫がないから親請け工場も身動きが取れなくなる。まさに“ジャストインタイム”の弊害が出た格好です。部品の“ジャストインタイム”の流れがストップすると、人間の“ジャストインタイム”、派遣による労働力の調達がまっ先に止められる。
 必要な時に必要な人材を、という派遣制度は、“必要がなくなればすぐ切れる制度”でもある。こんな制度を放置しておいちゃ絶対にダメだ」
 被害は派遣社員にとどまらない。“6月危機”の次に到来が予想されるのは“9月危機”だ。半年契約をしている工場の期間工たちが大量解雇される危険がある。さらに来年春、そして再来年春には正社員のリストラが進む可能性もある。「最終的に失業者の規模はリーマンショックを超えるのではないか」と関根さんは見ている。
未曾有の大失業時代を迎えるかもしれない日本。非正規雇用の若者たちはそんな時代をどう生き抜けばいいのだろう。
 ひとつだけはっきりしているのは、「国はアテにできない」という現実だ。
「厚生労働省ではこのほど、雇用保険失業給付の特例措置を設けた。これは、『会社が震災で直接被害を受け、無給で休業することになった場合は、離職してなくても失業給付が受けられる』というもの。一方、会社が直接被害を受けていない場合は、労働基準法26条にしたがって休業中の賃金が支払われなければいけない。
 ところがここに大きな隙間があるんですね。計画停電で休業している会社はその間の賃金を支払わなくていいのか、という問題です。厚生労働省は『26条には該当しないので、賃金を払わなくていい』という通達を出している。これは昭和26年に出された通達にならったものとか。だけどね、60年も前の通達ですよ?」
 昭和のシステムをいまだに踏襲しつづけている国。おかげで計画停電中、無給状態に陥った多くの人々の間では「家賃が払えない」といった悲鳴が相次いだ。この問題に限らず、老朽化したシステムの“隙間”は今後次々に露わになる可能性もある。
「その場しのぎの施策も多すぎる」と関根さん。たとえば「緊急雇用創出事業」。国の交付金を原資に、自治体などが失業者に働き口を提供するというものだ。とはいえ、就労できる期間は最長でも原則1年。
「期間が満了するとしかたなく生活保護を受ける人が多い。結局、解決にならないんですよ」
小さなパイを上手に分け合う知恵
「国をアテにできないからこそ自分たちの安心は自分たちで守らなければ。それには孤立せずみんなで危機に立ち向かうことだ」と関根さんは表情を引き締めた。
「労働需要はしばらく元通りになることはないでしょうね。復興景気も一部の産業に限られるでしょうし。僕らが今、考えなければいけないのは、経済を回復させてバリバリ稼ぐ方法じゃない。安心して働き続けられる社会をみんなで作ることではないでしょうか。
 停電でネオンの消えた渋谷の街を歩いていると、『この方がなんか落ち着くな』と感じるんですよね。豊富に電気を使える便利な世の中は悪くないけど、便利になればなるほど、人は生産活動に駆り立てられる。“増やす”のでなく“維持していく”。低成長・低消費時代に合った生き方、価値観に、今こそ転換するチャンスかもしれません」
 そのためには、小さなパイを上手に分け合う仕組みが必要だ。具体的には、労働者派遣法や有期雇用に関する法律を改正し、働く人を簡単に切り捨てられないようにすべき、という。お手本になるのは、合理的な理由なくして有期雇用契約ができないフランスやドイツ。とくにフランスでは働く人の均等待遇が進んでいる。
 キーワードは“シェア”。一人勝ちをめざすのでなく、みんなで痛みを分かち合う時代が到来している、ということなのだろうか。







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権利の上に眠る者

「独りファシズム」から転載。
記事の前半は放射能障害がどのようなものかが書かれていたが、ネットに触れる程度の情報リテラシーのある人間なら常識だろうから省略する。

大事なのは、冒頭に書かれた「国家賠償法第一条」である。役人というものは、自己保身を第一義とする連中だから、こういう法律を作る場合には、まっ先にこの条項を入れたわけである。どうせ国民の99%は一生読むこともない文章なのだから、これに文句をつけられることもないというわけ。
要するに、丸山真男の「であることとすること」という有名な文章に引用されている「『権利の上に眠る者』はやがてその権利を失う」、という趣旨の言葉が現実化したわけである。
我々は民主主義を上から与えられたが、その民主主義を守る努力をしてこなかった。そしてやがて日本の民主主義は「国民主権」から「役人主権」に書き換えられていたのである。


(以下引用)


国家賠償法第1条には、行政上の瑕疵があろうとすべからく役人は免責となることが謳われています。厚生労働省の役人が4000万人の年金台帳記入漏れをしようが、財務省の役人が外貨準備金運用で30兆円の為替損をだそうが財政投融資で260兆円規模の焦げ付きをつくろうが、経済産業省の役人が原発の監督行政で下手うって1000万人を被爆させようが、公務員個々へ責務は遡及されず、賠償責任は国、つまり国民の税金に依拠するものと規程されているわけです。

いかなる社会や時代においても、結果責任を問われない組織や個人が腐敗するのは常でしょ。いずれにしろ福島原発を発端とする未曾有の惨劇は、特権階級と化した公務員を頂点とする利権複合体のジェノサイドでありホロコーストであり、ガタガタ屁理屈をぬかしたところでポルポトやスターリンに匹敵する自国民の大量殺戮です。

電力会社に非難が集中しているようですが、利権構造において連中は底辺の属性であり、本丸の悪党は連綿と無軌道な原発行政を推進した経済産業省エネルギー庁を筆頭とする官僚機構でしょ。利権ヒエラルキーにおいて、これに連なる推進派議員やマスコミは所詮連中の実働部隊にすぎません。つまり公務員が親と子供を殺し、土壌と水を汚染し、財産と仕事を奪い、文化と共同体を破壊し、経済と産業を遺滅させているわけです。

くりかえしますが利権複合体のマネーロンダリングシステム中核にあるのが独立・特殊・公益法人群です。これらに貸し付けられた財政投融資債(年金・郵貯・簡保マネー)約360兆円のうち推計75%が不良債権と化し、過去7年だけでも欠損穴埋めと利払のため国庫=税金から約18兆円が拠出されています。これだけの金があれば、国民負担なく震災の復興に使うこともできたわけです。さらに特別会計から金の流れを遡及してみれば、各種租税の引き上げ目的は暫定的な復興財源ではなく、官僚の不労所得のために起債された財政投融資債の償還が主眼であるとわかります。

結局のところ、強者はとことんまで貪り、弱者はどこまでも喰われるという、この醜悪な現実こそが我々の社会の基本原理であり、国家の本質とはすなわちノーメンクラツーラ(官僚支配階級)の私物に他ならないということです。

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てんでんこ

「ウェッジ インフィニティ」というウェブマガジンの記事である。
集団行動を学校教育で叩き込まれた現代日本人は、非常事態に対して自己判断ができない。下記の記事は岩手の小中学生相手に防災教育、具体的には津波への対処を教えて、生存率約99%という「奇跡」を起こした人の手記だが、その根本にあるのが「自己判断」「他人の指示をあてにするな」ということだ。いわゆる専門家というものがいかにいい加減な存在であるかは、福島原発事故関連の無数の御用学者で世間の人間もよく分かるようになってきたが、しかし、ではいざという時どうするかというと、「責任者の指示に従う」というのがほとんどだろう。その責任者というものが現場には実は存在もしていないというのが福島原発事故だったわけである。
「てんでんこ」つまり、各自が自己判断せよ、というのは日常を生きる上での基本でもある。


(以下引用)


 防災教育の総仕上げとして子どもや親に教えたことは、端的に言うと「ハザードマップを信じるな」ということだ。ハザードマップには、最新の科学の知見を反映させた津波到達地点や、安全な場所が記されているが、これはあくまでシナリオにすぎない。最後は、自分で状況を判断し、行動することの大切さを伝えたかった。そうは言っても、子どもたちには不安が残る。だから、どんな津波が来ても助かる方法があると伝えた。それが逃げることだ。

 もう一つは、自分の命に責任を持つことだ。三陸地方には、「津波てんでんこ」という昔話が伝えられている。地震があったら、家族のことさえ気にせず、てんでばらばらに、自分の命を守るために1人ですぐ避難し、一家全滅・共倒れを防げという教訓である。私はそこから一歩踏み込み、子どもに対しては「これだけ訓練・準備をしたので、自分は絶対に逃げると親に伝えなさい」と話した。親に対しては子どもの心配をするなと言っても無理なので、むしろ、「子どもを信頼して、まずは逃げてほしい」と伝えた。

 どれだけハードを整備しても、その想定を超える災害は起きうる。最後に頼れるのは、一人ひとりが持つ社会対応力であり、それは教育によって高めることができる。私は、今回の震災で命を落とした少女たちの声に耳を傾け、防災教育の広がりに微力を尽くしていきたいと、あらためて思いを強くしている。

WEDGE5月号特集「『想定外』を生き抜く力」では、他に以下の記事が読めます。
・自衛隊の訓練が津波と原発の差を生んだ
・海外での異常時にこの国は自国民を守れるか
・ゆで卵5人で1個 岩手・助け合いの現場を歩く
・原発被災後のエネルギー戦略の視点



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江戸社会への回帰

どういう巡り合わせか、昨日から右側の陣営に属する人間を褒めるような記事を転載しているが、べつに私が「転向」したわけではない。もともと転向するほど強固な左翼でもない。私の友人知人親戚の大半もほとんどは保守主義者である。私は現実人生では「隠れ左翼」なのである。

何度も言うが、左翼とは、現在の社会を変えなければいけないと切望している人間のことなのだ。今の社会によって苦しんでいる人間が無数にいるのに、その社会をそのままにしておくことは国民全体に対する犯罪的行為である、と思うから社会変革を望むのである。その意味では、「保守主義とは所有に伴う傾向である」という言葉ほど保守主義の本質を示した言葉はない。
つまり、現在の社会から利益を得ている「既得権益層」が保守主義の中心にあり、それが無数の犠牲を要求しているのである。
もちろん、誰でも今の政治社会体制から恩恵を得ている部分はあるが、それが構造的に一部の人間の犠牲の上に成り立っているのなら、そのような社会を肯定することは、私はしたくない。

下記記事は船井幸雄のホームページに掲載されていた記事の一部で、直接には「つむじ風」ブログで知った。
筆者(語り手)は自衛隊の教官の方であるからマルクス思想を敵と見做しているが、実は私にとってもマルクス思想は、ある意味で敵である。つまり、マルクス思想の戦闘性が社会主義(共産主義)の本質と思われたために、本来は多様性をもっていた社会主義全体が世界中で嫌悪され攻撃されるようになったからである。
日本共産党がマルクス主義と決別することができれば、日本の政治に新しい潮流が生まれる可能性もある。

前置きが長くなった。
下記記事にある「江戸社会への回帰」が、私の思想と一致しているので、これを掲載する。


(以下引用)


"本物の情報"を自分で選び取ることが大切


池田:結局、テレビなどで表に流される情報というのは、流す側のPR的要素があって、スポンサーの利益が出るために流しますので、客観的に見て、本物の情報が流れないのは当然なのです。だから本物の情報を知りたいと思うと、自分から選びとるしかありません。そういうこともあって、勉強を始めました。
 いま、大量に出回っている食品に含まれる添加物の量というのはすごいですよ。やはり人間にとって、とくに組織のリーダーになるような人にとって一番大切なのは健康管理ですから、食生活も日本人本来の和食に戻るのがいいと思いますね。戦後、牛乳を普及させたのはアメリカの洗脳だと思いますよ。


―牛乳の普及はアメリカの洗脳…。「戦後、アメリカが日本人の高い精神性が復活することを恐れて、食生活や文化、教育などを徹底して欧米化した」と船井も言っていますが、池田さんも同じお考えでしょうか?


池田:そうですね。その通りだと思います。戦後どころか明治維新でまず、主に日本の上層部を洗脳することで日本人の精神性の50%は奪われたと思います。そして第二次世界大戦以降はマスメディアが一気に発達したので、いろいろマインドコントロールできますから、結局、ほぼ100%の日本人の本来の心が失われていったのです。アメリカと同じ考え、すなわち「今だけ、自分だけ、お金だけ」となってしまったのです。




自分の存在を否定してくるものの正体を突き詰める


池田:先ほどお話しました通り、私は少年工科学校にいた時、「税金泥棒」と言われました。その時、自分の存在を否定されたように感じたのです。
 人間何がつらく悲しいかというと、自分の人格、そして自分の存在そのものを否定されることほどつらいことはないのです。当時の自衛隊に対して、反対している人は何も考えないかもしれません。しかし言われなき反対で、弱い立場にいる人はずっとつらかったのです。自己存在の否定…すなわち「お前なんかいない方がいい」と言われることが人間にとって一番ショックなことなのです。
 そこで私は「自分たちの存在を否定してくる敵の正体は何なのか?」そして敵の弱点をしっかり見つけて、そこに理論的にも勝たないかぎり、自分が否定されたものを克服できないと思いました。


池田さんの読書記録ファイル。池田さんは18才の時から読書記録をつけており、自らの"読書道"をお持ちです。船井幸雄の本の読書記録もたくさんあります。
 それで防衛大学では国際関係論という学科に入りました。そこでまず、敵は共産主義、その中でもマルクス・レーニン主義だと思いましたので、マルクスの哲学、基礎を徹底的に検証しました。するとこの理論の人間観には問題点・欠陥があると分かったのです。 
 マルクスの人間観は要するに、「周りのものが変われば人間は変わる」という唯物史観ですね。しかしそれは人間に対する考え方が甘いと思います。人間というのはまず「心・意識ありき」だと思います。
 そのように、根本にある思想が間違っているので、時がたつにつれて、「形だけ、力だけ」で統制していく社会になってしまい、やがては共産主義は崩壊するだろうと予測しました。卒論でも「マルクスの人間観とその欠陥」というテーマで書いたのですよ。見事に当たりましたね。


―そうですか。では今の資本主義についても、矛盾があるからいずれは崩壊するとお思いでしょうか?


池田:そうですね、そう思います。99.9%の人は今のアメリカを中心とする資本主義の思想の中でやってきていますが、それがどんどん行き詰ってきています。今が本当に大きな変化の時期だと思います。
 船井先生もおっしゃっていますが、この地球という星は、まだ『宇宙学』(コスモロジー)で言うところの"不良星"です。それが1段階上の"優良星"に進化できるかどうか、現在が境目の時だと思っています。だから1万年に1回くらいの心の転換が必要になってくるのだと思います。


すばらしい江戸時代文化への回帰


池田:これから先の時代、世の中は、私たちは日本人の本来の姿、すなわち江戸文化的な時代になっていくのだと思います。


―江戸文化? これから私たちは、江戸時代の文化のようになると思われますか?


池田:そうですね。そう思います。私が考える「人間の本来の生き方」というのは、江戸文化的な、自然や共生を大切に思う生き方ですね。だから私たち日本人にとっては、祖先がやってきた当たり前の生き方に回帰するということなんですよ。


―なるほど。江戸時代というとどうしても「封建的であまりよくない時代」というイメージがあるのですが、江戸時代の文化というのはそんなにすばらしかったのでしょうか?


池田:そういう江戸時代に対するマイナスのイメージは明治政府が作為的につくったものなのですよ。明治政府の良さを印象づけるためにね。江戸時代は本当にすばらしかったです。たとえば江戸は人口約100万人で、世界一人口の多い都市でした。当時、ロンドンやパリの人口は60万人前後です。江戸は緑にあふれ、クリーンで美しい町だったのです。
 また、日本は縄文時代から土の文化です。土の文化は自然と共に生きています。そこでは今でいうリサイクルが非常に発達していました。

 江戸時代の具体的な生活については、渡辺京二さんの『逝きし世の面影』(平凡社刊)という本がとても参考になると思います。これは幕末前後に日本の近代化のために欧米から訪れた約4000人の外国人が残した手記をそのまま訳して編纂されたものです。客観性があり、参考になると思います。
 その本には、「日本に行ったら、物乞いをするどころか、子供たちがにっこり笑って『うちに遊びにおいでよ』と誘ってくれ、家に行くと、ごはんは食べさせてくれ、お風呂まで入れてくれた。寝るときは鍵さえかけないで寝られるほど安全で、帰るときにはおみやげまでくれた。なんてすばらしい国なんだ!」と、その人間性の高さにビックリしたことなどがたくさん書かれています。
 また各家には庭があり、人間の出した糞尿を肥料にして有機の野菜をつくっていたようです。治安的にも安全で、100万人の都市に警察官はわずかな人数で足りたようです。
写真が趣味という池田さんが最近撮ったマロウ(別名:ウスベニアオイ)。




 さらに驚くのは、例えば目の不自由な人に対して、現代の感覚では、お金を寄付するという発想になりますが、そうではなく、按摩(あんま)とか琵琶法師など、目の不自由な人にしかなれない職業を特権として与えていたのです。お金を与えるのではなく、職業を与えていたのです。だから、目が見えなくても自立して一生生きていけるのです。まさに、私たちが今向かおうとしている、本来の人間のやるべきことをすでにやっていたわけですよ。それに感動しましたね。
 一方、ヨーロッパは石の文化ですから、確かに見栄えはいいですよ。しかしながら、その実態はどうかというと、まずトイレは、壷の中にするのですよ(笑)。壷に入れたら、窓からポチャンと捨てるだけですよ。だから下に人がいたり、通りに人がいたりしたらたまらないですよね。そのため町中臭いし、日が照るとハエなどが出てきて、すぐに病原菌が流行するのですよ。それで香水の文化が発達したというわけです。


日本人の本来の姿は、武士道精神そのもの


池田:日本人の本来の姿というのは、究極の"誠の道"、すなわち武士道の精神そのものだと思います。映画の『ラストサムライ』などは侍の姿として参考になると思いますよ。
 武士道精神を持つ人は、お金も名誉も、地位も、命さえも何もいらない。そして自分の大義、信じるもののために全力で尽くします。これが伝統的な武士道です。これが日本人の"誠の道"だと思いますね。それを体現したのが、江戸時代の侍だったり、時代は違うけれども、特攻隊で亡くなった若者たちかもしれません。そういう意味で自衛官というのは、人のために命をかけて尽くすことを使命としていますから、武士道の精神が残っていると言えると思います。
 そしてその武士道に対峙するのが、悪い意味での資本主義だと思います。それは「今だけ、自分だけ、お金だけ」なのですね。


部長室には池田さんの息子さん達の少年野球の写真が大切に飾られています。


 そのようなすばらしい"日本人の誠の心"が、明治維新、第二次世界大戦など100年を通じて無くされてきた…というのが私の持論です。確かに明治維新はすごいことでした。戦後の発展も目覚しいものがありました。しかしそれだけでは物事の半分しか見られていないと思うのです。そんな経緯があって、成り立っている社会がいまの日本なのです。
 「物事の根本はどこにあるのか」ということを探求するのが私の心の一つの形なのです。
 だからある意味、大それたことを言いますと、船井幸雄先生の生き方と同じなんですよ。
 「人間は何のために生きるか」「宇宙の構図は何なのだろうか」…ということが、ずっと私の探求のテーマだったのです。





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黒だろうが白だろうが、鼠を取るのがいい猫だ

私は「漸進的社会主義者」のつもりだから、右翼とは対立する考えの持ち主だ。だが、今回の大震災の被害者救助に対して、右翼集団の一つと目される日本財団が大きな支援をやっていることを知ったので、公平を期すために掲載しておく。特に漁船を失った漁民に対し、1億円を無利子で貸すというのは、相当なものだ。政府の無為無策に比べると実に立派なものである。だからと言って彼らのふだんの行為のすべてが正当化できるということはもちろん無いが、善行は善行として顕彰しよう。
タイトルは、昔、中国の政治家の誰かが言った言葉。言いかえれば、右だろうが左だろうが、困っている人を救う者が(この際は)いい人間である。


(以下「笹川陽平ブログ」より引用)


緊急記者会見 [2011年03月30日(水)]
「東北地方太平洋沖地震への救援活動」その30
―緊急記者会見―

※日本財団第一次被災者救済策発表

①死者・行方不明者に各一人5万円を支給
②漁船を失った漁民に最大1億円、3年間返済猶予の上15年で返済。無利息
③NPOボランティアの100万円を限度に迅速支援

①広域被災地には、2,500ヶ所余の避難所での生活を強いられている方々、自宅の1階は泥で埋まり2階でひっそりと生活されている方もおられ、被災された方々の避難生活の現状は千差万別である。被災から18日、最低限の生活は確保されたものの、将来への具体的な展望のない生活は、避難民の精神を着実に追い詰めている。

死者・行方不明者を出したご家族の嘆きはいかばかりであろうか。察するに慰める言葉もない。

避難所での生活が落ち着けば、亡き親族に花束を手向け、線香を立て、好物であった酒や饅頭などをお供えしたいであろうに。

筆者は昭和20年3月10日、東京大空襲で被災した。親戚を廻り、ささやかな食事にはありついたが、現金のない生活のつらさをいやというほど味わった。そんな経験もあり、今回の死者・行方不明者の遺族・親族に、死者・行方不明者一人当たり5万円の弔慰金又は見舞金を送ることを決定した。

現在の死者・行方不明者は約2万9千人であり、約15億円を大至急現地にお届けする。

②報道で見る被災者の漁民の姿は一様に深刻である。海に生きた男がすべてを失い、漁業での再起を放棄しようとする映像に涙した。三陸の漁業を絶やしてはならない。

筆者を含め、日本中の人々が三陸の魚介類を楽しみに生活してきた。彼らに再起のほのかな光を提示することによって、今一度、海に出る気力の回復といつの日か我々の食卓に三陸の珍味を提供願いたいものだ。

③NPO、ボランティアは、日頃、専門としている仕事があるにもかかわらず、乏しい金をやりくりしてガソリンを買い、遠路、被災地で活動して下さっているが、この方々への政府、企業からの支援は皆無に等しい。

2,500ヶ所の避難所に1ヶ所10名としても25,000名の人手がいる。その上、町を覆った泥土の処理等々、被災地の復興の初期段階には膨大なボランティアの支援なくして不可能である。
しかし、彼らには政府からは一銭の援助もなく、ただ黙々と働き、夜は寝袋で眠りに就つく。
これらの無私の活動に、日本財団は物心両面の支援をしたい。

この三点の日本財団の具体的な支援が起爆剤となり、政府や関係筋が連動してくれることを願って止まない。

Posted by 笹川 陽平 at 09:00 | エッセー(essay) | この記事のURL | コメント

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風が吹いたらゆりかごゆれた

インターネットで「風が吹くとき(風が吹いたら)」の原詩を検索して、アニメ「風が吹くとき」の紹介をしているこのページに出逢ったので、ここに紹介する。
なぜここに転載するのかは言うまでもないだろう。原発事故は原爆投下とまったく同じことなのである。ただ、即死と緩慢な死の違いだけだ。
アニメ「風が吹くとき」および、デビッド・ボウイの歌などもユーチューブにあるので一見をお勧めする。



(以下引用)


風が吹くとき(「When The Wind Blows」)
立澤史郎(1989)

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風が吹いたらゆりかごゆれた
枝が折れたらゆりかごおちた

ぼうやとゆりかご いっしょにおちた


 マザー・グースの残酷さには、子供の頃よりも、むしろ今になってぞっとします。この歌、「WHEN THE WIND BLOWS」(英国版「風が吹いたら桶屋が儲かる」)もそのひとつ。これをそのまま題名とした映画が公開されます。邦題も「風が吹くとき」で,'86年英国制作の長編アニメの日本語版です。

あらすじ

 英国の片田舎に住む老夫婦、ジムとヒルダ。ジムは定年を迎え、これからは愛し合った二人ののんびりとした時間が始まる。
食事時、ラジオは戦争勃発を知らせ、政府は三日以内に核シェルターを作れと言う。窓は白ペンキで塗り、扉を壁に立てかけマットレスをしいて水と食料をキッチンに保存すれば出来上り。でもまてよ、政府の説明書では窓の周辺から薄い、細かなものは除けとあるが、議会の出したそれでは窓には白いシーツを下げろと書いてある。どっちが正しいんだ?保存食の’公式’リストに載っているピーナツバターを忘れている!慌てるヒルダにジムは「僕はピーナツバターは好きじゃないよ、無くたって生き残れるさ」。
 先の第二次大戦の思い出話に、二人は今度も有能で勇敢な指導者が事態を切り抜けてくれると言う。けれど彼らはどの国とどの国が戦っているのかさえ知らない。家具で窓をふさいだり、爆弾を落とさないよう嘆願書を書いたりと、彼らの対策は進む。
 ジムは、大きな紙袋をかぶれば効果があるのではないかとかぶってみて妻にバカにされる。やがて彼は’ヒロシマ’を思いだし、柄のない、まっ白のシャツを着れば体を焼かれずにすむと思い至る。けれどヒルダは「それは日本人のことでしょ(?) 、第一そんな話聞いたことないわ」と取り合わず、クリスマスプレゼントの新しいシャツを着ることを許さない。「じゃあ白の古いシャツはないかな?」けれど妻の対応はそっけない。
 そこへラジオ。「敵のミサイルがわが国へ向けて発射されました。三分で到達します。」ヒルダは洗い物に行こうとしている。ジムは妻をかかえてシェルターへ飛び込んだ。 

           ー 閃 光 ー

 「ちくしょう!」信じられないが、核爆弾が炸裂したこと、そして生きていることを確認する二人。おののくヒルダに「僕たちは今でも幸せじゃないか」とジム。「僕たちの爆弾のこと、ニュースでやってるかもしれない!」何も出るはずがない。電気は?電話は?全てが働かない。街は死に絶えたんだ。
楽しみにしていたテレビ番組がみられないというヒルダ。真っ白なシャツを着たジム。廃墟の生活にも笑顔さえみられる。けれど、そんな個人の幸せも大きな力が踏みつぶしてゆく。
 数日後、ヒルダは体中が痛み、ジムはようやく放射能の影響に気付く。やがて二人の皮膚は斑点におおわれる。妻をいたわり、陽気に振舞おうと歌を唄うジム。その口から血がしたたっていることももはや妻に言われるまで気付かない。毛が抜け始めたヒルダに夫が言う。「女性は丸坊主にはならないよ、これは科学的真理だ。」しかし事実は彼らの知識を超えていた。彼らの信じるシェルターは苦しみを長引かせるものでしかなかった。
 つぎのICBM(大陸間弾道弾)におびえながら、二人は紙袋を身にまとってまたシェルターへはいる。そして再び出ることはなかった・・・  

思いつくまま

 昨年の九月、京都の書店でこの原作の絵本を見つけました。40ページにぎっしり書き込まれた原作は、言葉で反核をうたうのではなく、ただ淡々と夫婦の会話と行動を追っています。原作者は、「(この作品を創ったのは)反核運動のためでも、政治意図によるのでもない。」と言っているそうです。つまり「核」問題に対する判断は全て読者(視聴者)に託されているのですが、これが英国では50万部のベストセラーとなり、各国で話題となって、昨年はついに映画化されたわけです。今回の公開はこれを日本語吹き替えしたものです。
 原作はレイモンド・ブリッグズ。私は彼の作品「スノーマン(雪ダルマ)」が大好きなのですが、(これも昨年映画化されて成功を収め、最近は某スープのCMにこのフィルムが使われています)今回の「風が吹くとき」は、少し悲しくもファンタジーの世界に遊ぶ彼の他の作品とは一見ひどく違い、大変面食らいます。しかし彼の言葉はその疑問を氷解してくれました。
 ジムがしたように、ちょっとした工夫で核爆弾の影響をやわらげることはできる、しかし最終的に個人がその影響から逃れることはできない。そんな状況下で、多くの市民はどの様な思考と行動を取るのだろうか。それを描きたかったと作者は言っています。つまり彼の制作上の興味は社会問題ではなく、(彼の両親がそうであったように)市井の人々の瞬間瞬間の言動であるのです*。最後の最後になって、彼らがどの様な会話をするのか、今まで信じていたものに対してどの様な態度を取るのか、じっくり観てみたいと思います。そこで、ー私たちにできることは何か?ーそれを考えるか否か、それは当然私たちの問題でしょう。
 監督はG.T.ムラカミという日系人、日本語版監督は大島渚です。この監督陣も興味あるところですが、やはり捨て置けないのは音楽。主題歌をデビッド・ボウィ、サウンドトラック全体の構成を (あの)ロジャーウォータースが担当しています。言うまでもなく彼はバンド「ピンク・フロイド」で現代社会の論理や様々な意味の環境破壊を鋭く告発してきた人。その音楽がレイモンド・ブリッグズの絵とどう反応しあうのか、今回のロードショウの楽しみの一つです。     
 最後に蛇足。原作を読んでいて強く感じるのは、(子供と自然の媒体としての文学作品の重要性、早い話が)マザーグースの存在の大きさです。冒頭の歌(詩)が背景(原体験)としてあってこそ、この作品の内容が読む(観る)人に深く関わってくるのだと確信したわけです。マザーグース体験を介して染み込んでくる”恐ろしさ”、これは日本人には理解しにくいものかもしれません。
 けれど、理屈でなく子供の頃の体験を通じて直感的に膨らむ恐ろしさ、自分の大切なものが奪われることに対する恐れ、そう言うものは誰にでもあるはずです。いわゆる「自然保護」や「反核」の行動、これらもおそらくそうした感覚に裏打ちされているはずです。そうでなければ空論でおわってしまうだろう、久しぶりに原作を読んで、そう思っているところです。
 この長編アニメ、自然教室の子供さんとご家族にも、是非観てもらいたいと思います。数少ない、だれでも”気楽真面目に”行ける映画。友人、夫婦、親子孫連れ、もちろんひとりでも、この夏の思い出にしてください。
(「都市と自然」誌)(千里山生協会誌)

*:この作品は,現実と紙一重ではありながら,やはり一種のファンタジー.でも気付いてはいけない現実世界とファンタジーの関係を垣間見てしまった気にもさせられます.(2000年11月)

((C)立澤史郎)

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ネット戦争

井口和基氏のブログによれば、原発に関し、政府発表に反するネット記事を全部削除するように、プロバイダー各社に政府から通達が行ったそうだ。
これまでもつむじ風氏のブログ強制閉鎖などの事件があったが、今後は情報弾圧をいっそう強化するということだ。気になる情報は、早めに自分のパソコンに取り込んでおくことをお勧めする。これからは政府と国民の情報戦である。いたちごっことも言う。
ネットというジャングルでは、ゲリラのほうが有利であるかもしれない。我々もみな「ネットゲリラ」になるべきだろう。
そこで、希望されるのが、P2P、つまり、パソコンからパソコンに、プロバイダーを通さずに通信できるシステムである。これは、あの詐欺師臭い風貌の苫米地博士が言っていることだが、彼は洗脳と情報についての権威の一人ではある。彼のこの提言は聞くに値する。


(以下、井口氏のブログから転載)


みなさん、こんにちは。

いよいよ、菅直人の盟友で影の総理、元全共闘の仙石由人率いる日本政府が、ただならない動きを出したようである。以下のものである。


日本ネット検閲

日本が公式に福島原発事故に関する真実の検閲を命じる

自由な民主主義国家だと思われている日本、そこは言論の自由に価値を認め守っていると思われているが、その日本が公式に、政府の「災害は終わり、放射能の危険はもはやない」という公式の立場に反するコンテンツをサイトから削除する命令を通信企業やウエブ管理者に公式に出した。

検閲で抑圧しようと意図しているいわゆる噂については、ほとんどのものが噂ではなく真実であろう。
例えば、日本は、いくつかの国は日本からの輸入で放射能がある車を受け取ったと報告しているにもかかわらず、放射能を帯びた車は噂であると抑圧しようとしている。
日本は放射能を帯びた魚というウソの噂を抑圧しようとしているが、しかし実際のところ、放射能を帯びた魚が捕れていて、日本とアメリカは魚は食べても安全であると言っている。食物の米連邦の制限値の2400%であるにもかかわらずだ。(2400% 未確認)

Asia-Pacific Journalの一部

いわき市の中学校の入学式で、校医が生徒と父兄に対して、「放射能問題は既に終わっています。何の問題もなく学校に来たり、外に行けます。悪意のあるゴシップに怯えることはないのです。」と教えた。

Japan Officially Orders Censorship Of Truth About Fukushima Nuclear Radiation Disaster

The government charges that the damage caused by earthquakes and by the nuclear accident are being magnified by irresponsible rumors, and the government must take action for the sake of the public good. The project team has begun to send “letters of request” to such organizations as telephone companies, internet providers, cable television stations, and others, demanding that they “take adequate measures based on the guidelines in response to illegal information. ”The measures include erasing any information from internet sites that the authorities deem harmful to public order and morality.

Source: Asia Pacific Journal

このソース記事はこれ。
Fukushima Residents Seek Answers Amid Mixed Signals From Media, TEPCO and Government. Report from the Radiation Exclusion Zone
このグーグル翻訳はこれ。
福島県の住民は、政府と東京電力のメディアから、シーク回答の中混合信号。

いやはや、こうなるとこれからは英語が読めないとまったく真実が手に入らなくなるということである。このまま行けば、福島県民は、日本政府官僚、東電業界のための、「人民の壁」にされてしまいかねないということである。

かつて福島では「会津戦争」というものがあったというが、今度はまたこの地で原発戦争が起きかねないということである。困ったことである。

いずれにせよ、現政府の元左翼過激派出身の政治家たちは、あの青春時代の記憶に舞い戻り、いまやすべてを敵に回しても良いという、誤った覚悟が芽生えてしまったのではないかと私は恐れているというわけである。

こうなると、かつて仙石由人がバリケードを張って、東大安田講堂の屋上に篭城したように、国会や首相官邸に篭城しないとも限らないということである。

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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
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趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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