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原発=資本主義=ユダヤ・キリスト教

曽野綾子のインチキぶりを批判していた頃は面白かった山崎行太郎だが、3.11以降はろくな発言をしていない。右翼なら原発を擁護しなければならないという義理があるわけでもないだろうに、ひどく歯切れが悪く、はっきりと原発擁護発言ができないイライラが昂じてか、原発議論そのものを時流便乗の軽薄な議論だとやっつけている。だが、日本の未来を考える上で、原発問題は最大の問題であり、今、原発を論じなければ言論人たる資格はない。いや、本職の文芸評論だけをやることにしたのなら、それでもいいが、ならばはっきりと「政治経済評論はやめました。私にはその能力はありません」と言うべきだろう。
下記記事は、比較的興味深い内容なので、転載する。
中沢新一はニューアカ(左翼のアカではなく、アカデミズム)という時流便乗的手法で売り出した学者で、私はあまり好まないが、時々鋭いことも言う。
ただし、ここで言っていることは別に珍しいことでも何でもない。資本主義が一神教(キリスト教)を背景にして誕生し成長したのは高校生でも知っているマックス・ウェーバーの説の焼き直しだろう。そして原発は企業と政治がひたすら金を目的として行動するという資本主義の象徴的存在であるのも多くの人が感じていることだろう。
だが、「一神教=資本主義=原発」と並べると、そこに「西洋文明の正体」つまり、その無道義性が際立つのも確かである。
この三題話的組み合わせは、今後原発や資本主義を論じる場合に便利な視点になるかもしれない。
念のために言うが、現在のキリスト教はユダヤ教の要素の濃い思想で、これは初期キリスト教とは大きく変質している。いわばユダヤ・キリスト教と言うべきものである。これは私の偏見でも何でもなく、真面目なキリスト教学者がはっきりとそう言っていることだ。純粋のキリスト教とは、聖書の中の「キリストの言葉」のみである。それも記述者によって変えられてはいるが、それでもその中にあるキリストの思想は読み取れる。

(以下引用)


マスコミにも論壇にも、受け売りの、一夜漬けの震災論議や原発論議が氾濫しているが、そうした付和雷同する議論の洪水にうんざりしている人も少なくないに違いない。私もその一人だが、無論、震災論議や原発論議のすべてが不毛だというわけではない。たとえば、中沢新一の「日本の大転換」(「すばる」6月号)は、マスコミなどに氾濫している表層的な、紋切型の議論とは異なる思想と論理を展開している。中沢は、原発事故を、一神教や資本主義と関連させながら論じる。 つまり、原発が生態系にとって異質な「外部」を、我々人間の住む生態系に持ち込んだとすれば、一神教も資本主義も、同じような「外部」を持ち込んだものだという。その意味で、あきらかに震災と原発事故は同じ種類の事故や災害ではない。大震災も悲劇的な大災害だが、それは、植物が新たに芽生え、生き延びた人間が再び家を立て生活を取り戻すにしたがって復興や再生が可能なのに対して、原発事故の場合は、大震災の被災地と同じような復興や再生は不可能だという。ここまでは誰でも考えそうなことだが、中沢の議論が面白いのは、原発を、宗教や資本主義の問題と結びつけるところだ。中沢はこう書いている、「ほんらい生態系には属さない『外部』を思考の『内部』に取り込んでつくられた思想のシステム、それはほかならぬ一神教(モノティズム)である。『第七次エネルギー革命』の産物である原子力技術の、宗教思想ににおける対応物が一神教なのである」。そして、「第三次エネルギー革命」のさなかの中近東に誕生した一神教の誕生について、モーゼの神との出会いを通じて、こう書く、「世間で知られている神々は、動物の姿をしたり、人間の男や女の姿をしているが、自分はそういうイメージをいっさいぬぐいさった、抽象そのものの神である、という思想が伝わってきた。他の神々は山や川の女神であったり、動物界や植物界を支配する神であったりするのだが、自分はそういう環境世界には所属しない絶対的な神で、むしろ環境世界の外部にいて、そこから世界そのものを創造した神である。」「ユダヤ民族はそういう絶対的な超越の神を信じなければならない、そう火の中なかの声は語った。この体験をきっかけにして、モーゼは人類の宗教思想に革命をもたらす者へと変貌していった。(中略)一神教が重要なのは、それに特有な「超生態圏」的な思考が、西欧においてキリスト教の衰退後に覇権を握った、世俗的な科学技術文明の深層構造にも、決定的な影響を及ぼしているからである。」(続く)

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勝海舟の言葉

勝海舟の『氷川清話』の中に、東北の大津波に関連して徳川政権の人民救済と明治政権のやり方の違いを述べた部分がある。そして、現代の日本の政府は、まさしく勝海舟から批判されている明治政府とまったく同様である。
「近代」とか「文明」というものが絶対的なものであるかのように思っている人間も多いが、近代の日本政府が人民の上に立つ武士の誇りや仁愛を忘れ、底辺の人民や一般人民の日常生活への配慮を失ったことが、今回の地震と津波の被害を悪化させた原因だろう。
『氷川清話』の中には足尾鉱毒事件についての論評もあり、それもまた経済合理主義と企業の無道徳性において福島の原発事故と同根であるように思われる。「過去に対して盲目なものは、未来に対しても盲目である」とかいう言葉(ワイツゼッカーか?まあ、同じようなことは多くの人が言っていると思う)があるが、我々は近代というもの、西洋文明というもの、科学文明というもの、近代の経済システムというものをもう一度見直し、洗い直す必要がある。それと対比して、昔の東洋の政治を見直してみるのも有益だろう。

(以下引用。表記できない旧漢字を変えた部分がある。)

天災とは言ひながら、東北の津浪は酷いではないか。政府の役人は、どんなことをして手宛をして居るか、法律でござい、規則でございと、平生やかましく言ひ立て居る癖に、この様な時には口で言ふ程に、何事も出来ないのを、おれは実に歯痒く思ふよ。
全体人間は幾ら死んで居るか、生き残りたる者はまた幾らあるか、おれは当局では無いから知らないけれども、兎にも角にも怪我人と飢渇者とは、随分沢山あるに相違はない。
このような場合に手温い寄付金などと言うて、少し計りの紙ぎれを遣った処が、何にもならないよ。昔、徳川時代の遣り口と、今の政府の遣り口とは、丸で違ふよ。今では騒ぎ計りいらくつて(注:「偉くって」つまり大げさで、の意味か)、愚図愚図して居る内には、死ななくもよい怪我人も死ぬし、飢渇者もみんな死んでしまふよ。ツマリ遣り口が手温いからのことだ。何と酷ごたらしいぢやないか。
(中略)
徳川時代は、イクラお医者が開けないと言うても、急場になつてマゴマゴする様な者はなかつたよ。それに、なかなか手ばしつこい事をして療治するから、ドンナ者でも手後れの為に殺す様な事はなかつたものだよ。
左様の風にやつて行くと津波のために無惨なる者も憂き目を見る様な事が無くなつて来る。それから三ヶ年も五ヶ年も、ツマリ被害の具合次第で納税を年賦にして、ごく寛(ゆる)くしてやるのだ。
一方では怪我人や飢渇者を助け、他方では年貢を寛めるから、被害の窮民は悦んで業につく様になるものだよ。かうなればモーしめたもので、安心さ。

 (勝海舟『氷川清話』より。明治29年の津浪についての談話)

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事実の重み

「阿修羅」投稿記事より転載。元記事は「ちきゅう座」で、私も「お気に入り」に入れているものだが、この記事は未読だった。
ネット記事を大きく分けると、「事実」と「意見」の二つになる。読んで面白いのは「意見」であるが、読んで為になるのは「事実」である。ルポルタージュ的記事は、もちろん筆者の主観で見た事実ではあるが、それでもただの意見には無い事実の重みを持っている。下記記事の持つ迫力もその事実の力だ。テレビ画面などではけっして出てこない「ヘドロの臭い」や、悲惨な現実を前にしての「絶望的な心情」など、一般マスコミにしか接しない人間には分からないものだろう。


(以下引用)


★阿修羅♪ > 自然災害17 > 304.html  
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遠吠えしていてはわからなかった!津波に飲み込まれる港町“気仙沼の今”(ちきゅう座)
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/304.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2011 年 5 月 06 日 10:24:43: twUjz/PjYItws


http://chikyuza.net/n/archives/9360

遠吠えしていてはわからなかった!津波に飲み込まれる港町“気仙沼の今”
2011年 5月 5日時代をみる 9条改憲阻止の会

<9条改憲阻止の会>

-ボランティア現地レポート(気仙沼編)-泉 康子
2011年5月3日 連帯・共同ニュース第112号  

■ 長距離バスに飛び乗るまで
3・11以来、テレビの映像を見ながら「何か私に出来ることはないか」と考え続けた方は数知れないと思う。私もそんな一人だった。ひと月間、ピースボートや市民ボランティアセンター、都の生活文化局などを巡ってボランティア難民を続けた後、個人ボランティアを受け入れているという気仙沼と石巻の地図を購入した。続いて持病の薬を準備した。「テント、食料、水、トイレゴム長靴など装備は原則自己責任」と言われ、若き日の山道具の中から、テント、シュラフ、白ヘルメットを取り出してみたものの、トイレ、水で躓いた。すべてを詰めて背負ってみたが「これではバス出発地新宿に辿り着くまでに参ってしまう)と荷をおろした。やはり体力は落ちているのだ。気仙沼へは一ノ関から、石巻へは仙台から通勤する案を思いつきビジネスホテルに次々に電話し、数軒目で運よく5日間づつ確保できた。(被災地の宿は工事関係者、医療関係者で5月末まで満杯)少々お金はかかるが、この大津波の現実を目に焼きつけ、伝えなければという気持で決断した。本屋で手にした吉村昭の「三陸海岸大津波」という記録文学が背中を押した。
4月21日(被災から40日目)10日間の自炊食料に衣類、ゴム長を背負って仙台行きバス(3千円)が走り出した時、緊張と安堵が胸にあふれた。一ノ関経由で気仙沼に着いた。単独行の縦走の日が甦る。

■ 遠洋漁業の“気仙沼”の惨状―70歳代でも出来る仕事あり―
ボランティアセンターは駅から20分のところ。まずボランティア登録。住所、年齢、緊急連絡先を記入する。特技はと聞かれ力仕事と答える。その後ボランティア保険に加入する。8時30分から9時にかけ、その日要請の来た仕事と人数が読み上げられる。すると集まった100人ほどの人が、それぞれ「行きます」と手を挙げ名乗り出てグループ決定。作業に応じたブラシ、スコップ、1輪車などを積み込み車で移動―大昔の職安の朝の風景。私は2日間、ヘドロかき作業、2日間、物資の整理、梱包作業。ヘドロは床にも畳にもべっとり。提灯の内側にも厚くこびりついている。海から3kのその家には「水はこない」とふんでいたが、津波は、川が盛り上がり水門を越えて遡り2階の床に届きそうなところまで浸水。88才の母と60才代のご夫婦3人で2階に孤立―3日目に消防のボートで救出され避難所へ。ゴム手袋に、ゴーグル、マスク、ゴム長靴で完全武装し、作業したのだが、常にヘドロが運んできた臭いがたちこめている。
「ヘドロ水が目に入ると大変だ、瓦礫に混じったクギを踏み抜くと破傷風になる」と注意を受ける。昨日は二人やられたという。しつこいドロをブラシで落としながら、「富める者も貧しき者も‘偉い’人も凡人も、一回この作業を通過したらきっと何かが変わる」と思いつつ手を動かす。行く先によってはトイレ使用不可能なところもあり、私は尿とりパットをはめて出勤した。
帰ってくると長靴のヘドロを洗い流し消毒。手とノドを消毒する肺を守る行列に並ぶ。災害関連死は災害死の2倍に達するという。気仙沼入りした初日に、私はまず半日かけて港と一番ひどい鹿折(ししおれ)地区をまわり写真を撮った。被災後一月はボランティアを入れず自衛隊と警察で、遺体発見と道路の確保が行われていた。200屯の根室の船が集落に乗り上げ燃えただれ、密集した家々は焼き尽くされている。はるか離れた湾の先端にある石油基地からタンクが津波に押されて飛んできてビルに激突して火を噴いたのが始まりだった。消防車が出動したが、あっという間に引火し消防士は座したまま焼けた。乗用車も船も、重爆撃を受けたようにヘナヘナに押しつぶされ、炎がまわっていた。3日間引火する毎に爆発し黒煙を上げ燃え続けた。塩水をかぶった焼けただれた残骸は、すっかり赤茶色に錆び果てている。家は燃えて一軒も無い。何を見つけたのだろう。カラスが時々舞い降りる。―「私たちはどんな過ちを犯したというのだろう」
私はシャッターを押せずに、呆然と立ち尽くした。同志に友人に伝える言葉が見つからない。
私はただ祈った。1946年満州から脱出し、ピョンヤンで難民生活を終えて帰国した日に見た柱だけの東京駅、熊本の焼け野原もここまでひどくなかった。― 誰にだかわからないが祈り続けた。一番賑わったと言われている港に転じた。途中の街は、いくつもの2階建ての商店が、商品を波にさらわれ堂々とした屋根だけが陥没した母屋に乗っている。木造の商店は瓦礫と化している。はるかに大島の山脈が見える。山火事が起こりライフラインが切断されて孤島になったという大島。港の大通りには、巨大な女川町のマグロ船が乗り上げ聳えている。アカと白のツートンカラーの400屯の船を押し上げた大津波は、一度目より二度目の方が巨大であった。一度目は
たいしたことがなかったので、着のみ着のまま逃げた人々の中の何人かは、一波が引いた後モノを取りに家に戻った。そこえ第2波が来て、海に曳かれて姿を消した。勢いの強い引き波が一気に人々を呑みこんで沖に連れ去った。主客がひっくり返り地球の主役は大津波になった。
気仙沼で1220名が見つかっていない。815名の人は遺体で発見されたが、焼き場が足らず300名ほどが野球場に仮埋葬されている。木の墓標にはG-2-3のような記号が記されている。
人が自然と折り合いそこねた結果を一身に受けて生涯を閉じねばならなかった人々の地は、市街地から車で30分近く山に上がっていったところにある。言葉が凍る。果てしなく続く墓標の列。
明治8年の大津波を参考にして立てられたハザードマップは役に立たなかった。歴史を一千年遡った平安時代の大津波に匹敵する背丈であった。― 土地の人たちは前日の夕方、「いやに太陽が赤いネ」と囁き合っていた。
■ “800人の従業員は解雇せず”の決断 ― 希望の道
・ 80名の従業員を抱える「ししおりタクシー」は本社が津波で崩壊した。社長は運転手一人一人と面接し去るか残るかを打診。38名が社会保険料全額自己負担、賃金は出来高払い制で残り、後は去っていくことになった。
・ 気仙沼市の人口の7割近い人が水産関係の仕事に関連して生計を立てている。世界三大漁場の一つを腹に抱いた遠洋漁業の基地である。遠く太平洋、アフリカなどの外洋からもこの港に水揚げしたり、船のメンテナンスをしたりする基地なのだ。この地の最大手水産加工会社の社長は800名の従業員を抱え「従業員解雇か、休職」の岐路に立たされた。生き残った管理職を集め「解雇か休職か」の討議にかけた。多くは「もし解雇しなければ資金は二ヶ月しかもたないから解雇せざるを得ないだろう」という意見に傾いた。しかしこの討議をうなって聞いていた阿部社長は「全員休職扱い!」を決断した。「休職中も払い続けなければならない社会保険料を負担しても、全員に希望の道を作っておこう。もし解雇してしまえば多くの人々は気仙沼を離れていく。人がいなくなれば漁業基地としての気仙沼は再興できなくなる。人々が一時アルバイトで凌いでも必ず気仙沼に帰ってくる希望の道を作ろう」と英断を下すテレビの画面に向かって私は拍手した。― その時、私のボランティア地に気仙沼を選ぶことに決めた。それまでキセンヌマであったものがケセンヌマに読み変えられた。
■ ボランティアを終え気仙沼を去る日、私はこの人に会いに行った。外出中だったので前夜書いておいた激励の手紙を管理職の一人に手渡し握手をした。
物資仕分け作業の責任者である39才の市女性職員とは親しく会話し、思慮深く気仙沼の将来を背負っているたくましさに感動した。人にはタチナオルチカラガソナワッテイル。その蘇生に触れた感動であった。
6月11日「脱原発100万人集会」で国民的な意志表示を!
現在も継続中の原発災害に対してこの間、各地で様々の行動が展開されてきた。4月10日(日)
の芝公園や高円寺での集会やデモ、東京電力本社前の抗議行動、原発の現状や歴史への言及の集会、それらはいずれも盛会であり、政府やメディアの原発災害の隠ぺいと情報操作に異議を申すものであった。これは6月11日(土)「脱原発100万人集会」文字通り国民的な声、つまりは意志表示として現れようとしている。国民の声を無視する政府やメディアに対して国民の意思と声の所在を示さなければならない。政権保持だけに汲々とする菅政権、政局的な争いの場から逃れられない野党に対して、この災害とりわけ原発災害に対する緊急の、また長い視座での解決策の
実施を要求せねばならない。それは脱原発の歴史的決断と同時に、さしあたっての具体的処置を要求することだ。脱原発とエネルギー政策の転換にいたる径路として「福島原発の暴発阻止」と「浜岡原発停止」をまず現実化することだ。僕らは「脱原発社会」の構想のもとでそれにいたるさしあたっての径路《道筋》を明瞭にすることで国民の意志を具体化せねばならない。
■ 6月11日(土)が国民的な声と意志の表示として目指される中での様々の行動予定や企画ががある。それらの中から主なもの紹介して置きたい。5月7日(土)14時渋谷区役所前交差点集合15時デモ(詳細はHP:http//57nonukes.tumblr.com/).5月16日~20日(国会前座り込み闘争、福島原発暴発阻止・浜岡原発停止)。なお東日本大震災緊急救援市民会議の救援活動は5月7日~9日に第7次行動が予定されている。            (文責 三上治)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye1380:110505〕

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情緒的記事と印象操作

読売オンラインから転載。読売新聞は最低のゴミマスコミ(俗に言うマスゴミ)だが、情報として利用するのはかまわないだろう。

着のみ着のままで避難した被災住民の生活は困窮の極致にあるはずだが、その報道があまりに少なすぎる。特に、義援金の給付の現状についての報道がほとんど無い。
下記記事は、私の推測だが、「恵まれた部類」の被災者の話ではないだろうか。つまり、勤めていた職場から65万円もの見舞金が出るというのは相当に幸運な話である。たいていは、その職場そのものが無くなっているはずだ。あるいは最初から仕事の無い人間もいるだろう。そうした人間には職場からの見舞金など、あるはずはないし、また職場は無事でも見舞金など出さない職場も多いだろう。出す義務はないだろうから。その職場自体が存続の危機にある時に、見舞金を出せるだろうか。
この記事に取り上げられたのは、偶然的に取材した相手なのか、それとも意図的に、「被災者は大変だけど、実はこんなに援助もされているのだよ」という印象操作をするために選ばれたのかは不明である。子供に携帯ゲーム機を買い与えたという話だけでも、「なんだ、余裕があるじゃないか」という印象につながるだろう。こうした印象の堆積が、被災者への無関心や忘却となる可能性もある。あるいはそれが狙いである可能性もある。つまり、政府の棄民政策の一環だ、というのは邪推しすぎるか?
市からの見舞金5万円があったというのも、この市だけのことか、それともすべての自治体で見舞金が出ているのかまで報道するべきだろう。特定の1個人を例として挙げるだけでは、被災者全体の置かれた状況など分かりはしない。こういう「情緒的記事」が日本のマスコミにはあまりに多すぎる。いや、わざとそういう記事にしてはいるのだろうが。


(以下引用)

 東日本大震災からもうすぐ2か月。


 着の身着のままで難を逃れた被災者の中には所持金が底をつく人も出始めた。全国から集まった義援金の申請受け付けは始まっているが、まだ手元に届いていない人も多い。避難所で使う机から子供の学用品まで、救援物資では補えない様々な出費があり、被災者からは「このままでは生活できない」との悲鳴も上がる。

 「避難所にいてもお金は出ていくばかり」。宮城県名取市の文化会館で避難生活を送るパート店員の女性(29)はそう顔を曇らせる。女性は津波で壊滅的な被害を受けた同市閖上(ゆりあげ)で母(53)と中学1年の弟(13)、小学1年の長男(6)の4人で暮らしていた。自宅は津波で流され、家にいた弟は半月後に遺体で見つかった。

 「ギリギリの生活をしていた」という女性の当時の貯金はわずか5万円。避難所の救援物資は十分ではなく、近所のショッピングセンターでカップラーメンや下着を買った。弟の行方を捜すため、車で仙台市などの避難所を回り、途中からはガソリン代を節約するため自転車を購入。避難所生活の長期化で衣装ケースやテーブルも買った。所持金はみるみる減った。

 新1年生の長男のランドセルは無償提供を受けたが、「もらい物ばかりでは惨め」と、筆箱だけは好きなポケモンのイラストが入ったものを買った。気分を紛らわせようと携帯ゲーム機を買い与え、出費は10万円を超えた。スーパーでのパートの仕事は被災から約10日後に復帰したが、その間の給与はなく、勤め先から計65万円の見舞金が出て、何とかしのげた。

 名取市からは3月下旬に見舞金10万円が支給されたきり。義援金の申請受け付けも始まっていない。5月中旬に市内の雇用促進住宅に入居できることになったが、家財道具をもう一度そろえるのにいくらかかるか分からない。母は体調を崩し、仙台市内の病院に入院、お見舞いに行くのにもガソリン代がかかる。弟の葬儀もこれからだ。「行政はもっと早く対応してほしい」と訴える。

(2011年5月9日03時08分 読売新聞)

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ビーゼニクの告発

「Rockway Express」より転載。おそらく、このような世界史的重要性を持ったニュース・情報も、表マスコミにはけっして載らないだろう。
アメリカ政府の元高官がはっきりとこのように証言したことの意味は重い。
アメリカの世界統治戦略、世界支配戦略はすべて9.11を起点とし、9.11を口実としているのだから。


(以下引用)


米政府トップ内部告発者:ビン・ラディンは2001年に死亡・9・11は内部犯行

在りし日のビン・ラディン

◆5月7日

 元国務次官補代理だった、スティーブ・R・ピーゼニクが、ビン・ラディンは2001年に死亡し、また9月11日同時多発テロは内部犯行である、と語ったと言う。

 既に上記の件では5月3日号の「オサマ・ビン・ラディンは二度死ぬ」や、5月5日号の「ビン・ラディン殺害報道の背後にある計画」で示したことではあったが、改めて信頼できる筋からの証言が出てきた、ということになりそうだ。

 ビン・ラディンの死因は「マルファン症候群」ということは、ここではじめて目にする病名だが、2001年にアフガンのトラボラ渓谷のどこかで死亡した、ということはこのピーゼニクも語っている。

 そうするとアメリカのSEALが殺害した人物は一体誰だったのか、という問題が出てきそうだ。ビン・ラディンのダブルだとか、兄弟だとか、いろいろ考えられるが真相は藪の中だ。妻や子供もいるから、どんな証言が出てくるのか・・・このままビン・ラディンが殺害された、ということで収まるのか・・・

 もしも以下にあるように、元国務次官補代理のピーゼニクが本当に議会や法廷で証言した場合、事態はどう展開するのか興味深いが、そのような事態になるかどうか、将来のことは分からない。ただし、このように、隠されてきた事柄が明らかにされる時代に入ってきたことだけは確かであろう。そしてその傾向はますます強まることだろう。


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●米政府トップ内部告発者:ビン・ラディンは2001年に死亡・9・11は内部犯行
http://www.veteranstoday.com/2011/05/04/top-us-government-insider-bin-laden-died-in-2001-911-a-false-flag/
【5月4日 posted by Veterans Today】

 元国務次官補代理のスティーブ・R・ピーゼニクは、連邦大審問で、9月11日同時多発テロが偽旗攻撃であったと彼に直接語ったトップの将官名を証言する用意があると言っている。
 
 「ビン・ラディンは既に何ヶ月も前に死んでいる」と語り、また政府は彼の遺体を利用する政治的に一番都合の良い機会を待っていたと語った。ピーゼニクは、1980年代初期にアフガンでソ連相手に代理戦争をしていた時、ビン・ラディンと面会し、彼と共に仕事をしたことから、事態を良く知る立場にいたことになろう。

 米政府内のトップのインサイダーであるスティーブ・R・ピーゼニク博士は、異なる三人の大統領の下で影響力ある地位にあった人物で、現在でも国防総省と係わっている者だが、昨日のアレックス・ジョーンズ・ショーでオサマ・ビン・ラディンは2001年に死亡しており、米軍のトップの将官が9月11日同時多発テロは偽旗内部犯行であったということを彼に直接語ったということを連邦大審問で証言する用意ができている、と語った。

 ピーゼニクは、「陰謀論者」として無視することはできない。彼は国務次官補代理として、ニクソン、フォード、かーターという三人の大統領の下で働いてきた人物であり、レーガンとブッシュ(父)の時にも彼ら大統領の下で仕事をした人物なのだ。現在も国防総省顧問として働いている。海軍の大佐であったピーゼニクは誉高いハリー・C・ソロモン賞をハーバード・メディカル・スクールで受賞しているが、同時期、MITのPhDになっている。

 国務次官補代理としてロレンス・イーグルバーガーにより引き抜かれ、「心理戦、テロ対策、異文化間交渉のための戦略戦術の基礎的教義を国務省、軍、情報機関その他の部署のため」作成した。その間、後に世界で利用されることになった人質救出のための基本的戦略をも作成した。

 ピーゼニクはヘンリー・キッシンジャー、サイラス・バンス、ジョージ・シュルツ、ジェームズ・ベーカーの下で政策プランナーとして仕事をした。ジョージ・W・ブッシュの選挙キャンペーンの仕事もした。彼の履歴は、過去三十年間以上に渡って、情報サークル内の最も深い部分を知る一人であることを示している。

 トム・クランシーの小説に出てくるジャック・ライアン、また1992年の映画「パトリオット・ゲーム」でハリソン・フォードが演じた登場人物は、スティーブ・ピーゼニクが下地になっている。

 2002年の4月、ピーゼニクはアレックス・ジョーンズ・ショーで、ビン・ラディンは既に「何ヶ月も前に死亡している」と語った。また、米政府は彼の遺体を政治的に最も都合の良い時に利用することを考えている、と語った。ピーゼニクは、1980年代初期にアフガンでソ連相手の代理戦争をしている時、ビン・ラディンと面会しているので、事態を良く知る位置にいたことになる。

 ピーゼニクは、オサマ・ビン・ラディンは、2001年に死亡した、と語った。「何か特別の作戦で殺されたのではなく、医者として私は、CIAの医者が彼を治療したことを知っていたし、彼がマルファン症候群の患者であったことは、情報名簿に載っていたことだ」と語り、米政府はビン・ラディンが死亡したことをアフガンに侵略する以前に知っていたと語った。

 マルファン症候群とは、変性遺伝子疾患で、治療する方法はない。この病気は患者の寿命を短縮するものだ。

 「彼はマルファン症候群で死亡した。ブッシュ(子)はそれを知っていたし、情報仲間では知られていたことだ」とピーゼニクは語った。CIAの医者が2001年7月にドバイのアメリカ病院に彼を訪問していたことを指摘した。

 「彼はマルファン症候群のため重篤状態だった。彼は死につつあったと言える。おれで誰も彼を殺す必要性は無かった」と語り、ビン・ラディンは9月11日同時多発テロ直後にトラボラ渓谷で死亡した。

 「情報仲間あるいはCIAの医者はこの状況を報告したのかと言えば、イエスだ、間違いなくイエスだ」とピーゼニクは述べた。パキスタンの敷地内で殺害されたという1日の主張に対しては、ホワイトハウスから公表されたビン・ラディンを殺害する襲撃作戦のライブ画面の写真の件で、「一群の人々が座ってあたかも緊張しながら画面を見ているこの全体のシナリオは、ナンセンスだ」と語った。

 「これは完全なでっち上げだ。狂ったアメリカ劇場にいて信じ込まされようとしている・・・なんでまたこんなことを繰り返すのか・・・9年前、既にこの男は死んでいるのだ。何故、米政府は繰り返しアメリカ人を騙そうとするのか」とピーゼニクは問いかけた。

 「オサマ・ビン・ラディンは完全に死んでいるのだから、ビン・ラディンを攻撃したり対決したり殺すことなど出来なかったはずだ」と語り、冗談に、ただ一つの可能性は、特殊部隊が遺体安置所を攻撃したということはあったかも、と語った。

 ピーゼニクは、イカサマ攻撃を行うという決定は、オバマが支持率で最低になっていたからでまた、出生記録問題に直面していたからだ、と語った。


 「彼はアメリカ人以上にアメリカ人であることを示す必要性に迫られていた・・・彼は好戦的で無ければならなかった」と語り、また何百人ものパキスタン人を殺害した無人機プレデターに対するパキスタンで高まる緊張と反対世論を前に、そのパキスタンを孤立化させる方法として茶番劇が仕組まれた、と述べた。

 「これは仕組まれたものだ。つまり、皆で座ってシットコム(コメディ)を見ている時、ホワイトハウスのオペレーション・センターだが、ゾンビのような大統領が出てきて、9年前に死んでいるオサマ・ビン・ラディンを我々は殺(や)った、と我々に告げるわけだ」とピーゼニクは語り、これを「今まで聞いた中で、最大の嘘だ、つまり馬鹿馬鹿しいということ」と語った。

 ビン・ラディンを殺害した、という政府のアメリカ人に対する説明を「お寒い冗談」として否定し、ピーゼニクは、「彼らは、オバマは出来る男であると見せること、彼がアメリカで出生していないかもしれないという疑惑、彼の生い立ちに関するあらゆる疑問、かれの経歴のあらゆる不審な点などを否定し、彼は信用できる人物であり、それでこの大統領を再選させようと躍起になっていたのだ。それで再度アメリカの一般人が騙されるのだ」

 ピーゼニクの断言する、ビン・ラディンがほぼ10年前に死亡していた、ということは、多くの世界の国家元首らの間や情報専門家らの間では言われてきたことである。

 ビン・ラディンは、「アメリカ人を9月11日同時多発テロで扇動したと同じ方法で戦争を行うために利用されたのだ。ブッシュ(子)とチェイニーが生み出したテロの世界という物語を正当化するためである」とピーゼニクは指摘した。

 昨日のアレックス・ジョーンズ・ショーでのインタビューの間、ピーゼニクは、有名な将軍から直接、9・11事件は起きるに任せたもの(スタンドダウン)であり、偽旗作戦であり、そのことを暴露した将軍の名前を連邦大審問で証言する用意がある、と語った。

 「彼らは攻撃を行った」と語り、関係者の中で、ディック・チェイニー、ポール・ウォルフォウィッツ、スティーブン・ハドレイ、エリオット・アブラムス、コンドリーザ・ライスらの名前を直接係わった者たちとしてピーゼニクは語った。

 「これはスタンドダウンを呼ばれていた。偽旗作戦、アメリカ人を動員するための虚偽の宣伝・・・ウォルフォウィッツのスタッフのその将軍が私に語ったのだ。私は連邦委員会の前に出て、個人名を証言するつもりだ。そうすることで、この問題を明らかにすることができる」とピーザニクは語った。彼は、「ものすごく怒りに満ちている」と言い、「それが起きたことを知っていた」と述べた。

 「私は士官学校で、スタンドダウンと偽旗作戦を教えたことがある。それを自分の全ての作戦隊員に教えたのだから、アメリカ人に対して行われたことが何かを私は正確に分かったのだ」と彼は語った。

 ピーゼニクは、連邦裁判所で、9・11事件が内部犯行であるということを彼に告げた将軍の名前を暴露する意思があることを繰り返し述べ、「そうすることで、馬鹿馬鹿しい限りの9・11委員会でなく、我々がこの問題を明らかにすることができる」と語った。

 ピーゼニクは自分はリベラルではなくコンサベイティブないしはティーパーティーメンバーだと説明し、この国が何処に向かっているのか、ということについて深く憂慮しているアメリカ人だというだけだ、と語った。

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貧乏人ジェノサイド

「たんぽぽ日記」から一部転載。
これから政府による大幅で広範囲な福祉削減が起こるだろうと、私は予測していたが、それが現実化しつつある。
福祉にたよっている人間の生活は、たいていは生きる上での最低生活である。それが少しでも削られることは、「生きるための最低水準を下回る」こと、つまり「生きていけない」ことになるのである。福祉の削減とはそういうことだ。よく、福祉を利用して働かずに暮らす暴力団員の話などが福祉削減の根拠に出されるが、わずかな事例を全体に広げて論じるのは詭弁の常套手段である。

要するに、福祉の削減とは、政府による殺人である。


(以下引用)


2011年05月07日
化けの皮を脱ぎ捨てる


国は生活保護給付額の減額を検討し始めた。
事故を起こした東電のリストラをも要求した。

この2件については、もっともらしいと思われる向きもあるが、
「国民の生活が一番」を主張し、
また、労働組合が組織票となっている民主党であるという視点から見れば、
至って不合理な話である。

震災や事故をきっかけとして、
「国民の生活など本当はどうでも良い」
「組合など票集めのため」
という本心をはっきりと打ち出してきた。
こうして日本社会は、少しづつ破壊されてゆくのである。

東電は社員をリストラするのではなく、
賃金のカットや、ワークシェアリングによって人件費をカットするべきだ。
ただ社員だけ切って、失業者を増やし、
その穴埋めに非正規労働者を雇い入れれば、
雇用が不安定化するだけだ。

しかも、原発の孫受け、3次下請けの人材派遣会社は、
暴力団系の請負企業が多いと聞いている。
暴力団の資金源が増えるだけではないか。

東電労働組合出身で、民主党の支持母体である連合の会長だった、
笹森清がこの時期に菅内閣の特別顧問であるということが、
この話の整合性をますますおかしくする。

笹森は福島原発爆発を防ぐために、
なんら役には立たなかったのだが、
それでは、一体何のために菅内閣の顧問をしているのか?
おそらく東電労組との連絡は取っているはずだと思われるが。

役に立たないのであれば、
班目と一緒にさっさと首を切ってしまえばよいものを。
リストラが必要なのは、こちらの方であろう。

原子力安全委員会委員長でありながら、
何の手も打たずに福島原発を爆破させた班目。
そんな人間さえ菅は辞めさせていないのだ。

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東日本ソーラーベルト構想

「つむじ風」ブログに孫正義講演の書き起こしが載っていて、それが非常に興味深い(まあ、べつに新しい情報があるわけではないが、日本有数の金持ちが本気で自然エネルギー開発に取り組もうという決意が伺われる)ので、その一部を掲載する。長い記事なので、現状分析部分は省略し、今後の方針の部分だけ。


(以下引用)


<孫氏> 東日本ソーラーベルト構想。この東日本がだいぶん震災でやられて、塩害で10年間畑植えられないということですから、震災にあった所にドカッと世界最大のソーラー発電、ついでにそこに風の発電あるいはその他の発電もいれたらどうだ。これが雇用を促進する。被災者が雇用がなくて困っている。膨大な雇用の機会を提供し、そして明るい日本の未来を安心安全な未来を提供できる。こういう事をやってはどうかということを振興プロジェクト・復興プロジェクトとしてやったらどうかという風に思います。
ちなみに今日本でいくつかありますけども、世界では世界最大がカナダの97メガワットその他いろいろあります。しかし風力発電もあります。風力発電もっと伸びています。日本はたった2ギガワットですけども、中国では26ギガワット、世界では160ギガワットということで、急激に伸びています。日本はほとんどほったらかしに近い状態ですが、これもやっていただきたい。
デンマークのこのような海を使った風力発電例も出てきます。海だとか陸地でこの潜在的に、風力発電できる所というのは、日本の電力を全部まかなえるくらい、実は風力発電の潜在的能力もあるということでございます。それをやるためには、今まで問題だったのは送電線、これを電力会社が心から受け入れてほしいということであります。風力発電については、買いたくないという意図ありありの値段で今まで買ってた。採算が合わないぎりぎりの、いかさず殺さず採算合わない、しかも電力作ってもあまり受けないという、いやいや路線できてるから日本は風力がぜんぜん伸びていない。これで誰がつくるのということです。これをこの機会をもとにですね、今回の事故をベースに、世界のトレンドに日本も政策転換すべきだ。 太陽熱発電というものもあります1.3ギガワット。原発が一か所で一基で1ギガワットの発電容量がありますのでこれはこのタワーにワーット太陽の光を集めてそしてそこで熱を発生させて発電する。この一か所で1.3ギガワット原発に相当するのを作っている事例が建設中です。ほかにもトラフ型とかですね、これスペインです。ディッシュ型とかいろんなものがあります。
ですから私は自然エネルギー財団でこういう世界での事例を徹底的に調べて、日本の風土に何が一番あうのかと、どれが一番コストパフォーマンスがいいのかと、危険性が少ないのかという事の事例をどんどん紹介し日本の制度改革についての提言も行っていきたい。
地熱発電、地熱も日本はトップクラスの技術をもっている。東北に豊富な地熱発電の資源が眠っているということであります。すでに18か所で地熱発電が現在現実に行われていて地熱発電世界中で急激に伸びてる。日本製の地熱発電の機械が世界の75%を占めている。日本の技術は世界1だと。にもかかわらず日本では地熱発電が少ない。なぜか誰がそれをいやいやで受けないような体制を作っていたかということですね。地熱発電伸びてたんですが、ここ何年か、10年間止まりっぱなし。なぜか、先ほどの風力と一緒でですね、買いたくない促進させたくないという意図ありありだと。ですからまだまだあと98%開発余力がある。 主な課題こういうのがあります。これ調査開発稼働までのリードタイム。手続きがなんか役所がまたいろいろうるさいこと言っているようですね。そういうものもこの際改めてもらわないといけないということであります。地熱発電の潜在的場所がどこにあるかというと、国立国定公園内にある、つまり国が持っている、国が意思決定さえすれば、国難を救えると。何のために政府があるんだと、こういう一番困っている国難の時にこそ、国立公園内で地熱発電ができるところは、その山登りにきていないような所は、国民を救うために使ったらどうだということであります。
ということで今、今までに日本は原子力発電に30%頼っていました。今最近は25%くらいまで減ってきていると思いますけども、これを自然エネルギーの部分を一気に増やそう。これからは火力も高くなっていくよということです。自然エネルギーの構成比率を10年後はヨーロッパは25から30%にしようとしています。日本はまだ9%です。それがエネルギー自給率も日本は低いと自然エネルギーであれば自給できると。自給できると。そういう意味でも防衛できるのではないか。これから将来10年20年経つと石炭石油はコストが上がる一方、原発もコストが上がる一方。一方自然エネルギーは量産効果が効いて、テクノロジーが進化して、コストが下がる一方。先ほどありましたね、アメリカの事例のこのX軸で去年クロスオーバーした。まさにこれからますますそうなる。
だからどっちに国の政策をもっていくべきか。論じるまでもない。一回だけ国民は、覚悟しないといけない。今一軒あたりの平均電力コストが1カ月8000円です。日本の各家庭の1カ月の電気代8000円です。これが8500円くらいまで一時的にあがると、一時的に自然エネルギーを促進しようと思えば。先ほどの20年40年、電量買い取り義務というものを政策で決めると一時的にちょっとだけ上がります。でもそのあと量産効果が効いて安くなります。一方その政策をとらないで、石油石炭・原発に頼ったままでいくと間違いなく今から上がる一方になります。上がった後では手遅れですということですね。
ですから今のうちに早くこの政策転換をしましょう。つまり一回だけ1時的に500円平均各家庭の電気代が上がるということを国民が腹をくくりましょう。これをやらないとどっちみち税金とられるんです、事故が起きると。今事故が起きたから増税しようと話が今まさに議論されてますね。東電が払いきれないコストは国が払う。国が払う金は政治家がもっているのではないのです。政治家が払ってくれるのではないのです。国民が税金で払うわけです。国に補償せよつまりわれわれ国民が払わなければいけない。結局高くなるんです。だったら自然エネルギーを受け入れるということで、一回だけ500円くらい上がるという覚悟をしよう。将来的には結果的にそれはむしろコストダウンにつながる。安心安全が一時的に500円のコストアップで買えて、将来は明るい未来のビジョンがあると。日本が復興できると。子供たち孫に責任とれる国家が作れる。カギはこれです。先ほども申し上げたとおりです。
そろそろおわります。
40円20年メガソーラーの場合で40円住宅の場合の屋根で42円。40円20年全量買い取り。電力会社がこれを拒否しないで積極的に電気を受け入れるということをやりさえすれば、この1行の法案で日本の解決策が見えると電力のですね。これが私のメッセージでございます。2011年エネルギー政策転換の年、単なる批判に終わらない建設的な議論をしましょうということでございます。ありがとうございました。 【転載終了】

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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