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勝海舟の言葉

勝海舟の『氷川清話』の中に、東北の大津波に関連して徳川政権の人民救済と明治政権のやり方の違いを述べた部分がある。そして、現代の日本の政府は、まさしく勝海舟から批判されている明治政府とまったく同様である。
「近代」とか「文明」というものが絶対的なものであるかのように思っている人間も多いが、近代の日本政府が人民の上に立つ武士の誇りや仁愛を忘れ、底辺の人民や一般人民の日常生活への配慮を失ったことが、今回の地震と津波の被害を悪化させた原因だろう。
『氷川清話』の中には足尾鉱毒事件についての論評もあり、それもまた経済合理主義と企業の無道徳性において福島の原発事故と同根であるように思われる。「過去に対して盲目なものは、未来に対しても盲目である」とかいう言葉(ワイツゼッカーか?まあ、同じようなことは多くの人が言っていると思う)があるが、我々は近代というもの、西洋文明というもの、科学文明というもの、近代の経済システムというものをもう一度見直し、洗い直す必要がある。それと対比して、昔の東洋の政治を見直してみるのも有益だろう。

(以下引用。表記できない旧漢字を変えた部分がある。)

天災とは言ひながら、東北の津浪は酷いではないか。政府の役人は、どんなことをして手宛をして居るか、法律でござい、規則でございと、平生やかましく言ひ立て居る癖に、この様な時には口で言ふ程に、何事も出来ないのを、おれは実に歯痒く思ふよ。
全体人間は幾ら死んで居るか、生き残りたる者はまた幾らあるか、おれは当局では無いから知らないけれども、兎にも角にも怪我人と飢渇者とは、随分沢山あるに相違はない。
このような場合に手温い寄付金などと言うて、少し計りの紙ぎれを遣った処が、何にもならないよ。昔、徳川時代の遣り口と、今の政府の遣り口とは、丸で違ふよ。今では騒ぎ計りいらくつて(注:「偉くって」つまり大げさで、の意味か)、愚図愚図して居る内には、死ななくもよい怪我人も死ぬし、飢渇者もみんな死んでしまふよ。ツマリ遣り口が手温いからのことだ。何と酷ごたらしいぢやないか。
(中略)
徳川時代は、イクラお医者が開けないと言うても、急場になつてマゴマゴする様な者はなかつたよ。それに、なかなか手ばしつこい事をして療治するから、ドンナ者でも手後れの為に殺す様な事はなかつたものだよ。
左様の風にやつて行くと津波のために無惨なる者も憂き目を見る様な事が無くなつて来る。それから三ヶ年も五ヶ年も、ツマリ被害の具合次第で納税を年賦にして、ごく寛(ゆる)くしてやるのだ。
一方では怪我人や飢渇者を助け、他方では年貢を寛めるから、被害の窮民は悦んで業につく様になるものだよ。かうなればモーしめたもので、安心さ。

 (勝海舟『氷川清話』より。明治29年の津浪についての談話)

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