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情緒的記事と印象操作

読売オンラインから転載。読売新聞は最低のゴミマスコミ(俗に言うマスゴミ)だが、情報として利用するのはかまわないだろう。

着のみ着のままで避難した被災住民の生活は困窮の極致にあるはずだが、その報道があまりに少なすぎる。特に、義援金の給付の現状についての報道がほとんど無い。
下記記事は、私の推測だが、「恵まれた部類」の被災者の話ではないだろうか。つまり、勤めていた職場から65万円もの見舞金が出るというのは相当に幸運な話である。たいていは、その職場そのものが無くなっているはずだ。あるいは最初から仕事の無い人間もいるだろう。そうした人間には職場からの見舞金など、あるはずはないし、また職場は無事でも見舞金など出さない職場も多いだろう。出す義務はないだろうから。その職場自体が存続の危機にある時に、見舞金を出せるだろうか。
この記事に取り上げられたのは、偶然的に取材した相手なのか、それとも意図的に、「被災者は大変だけど、実はこんなに援助もされているのだよ」という印象操作をするために選ばれたのかは不明である。子供に携帯ゲーム機を買い与えたという話だけでも、「なんだ、余裕があるじゃないか」という印象につながるだろう。こうした印象の堆積が、被災者への無関心や忘却となる可能性もある。あるいはそれが狙いである可能性もある。つまり、政府の棄民政策の一環だ、というのは邪推しすぎるか?
市からの見舞金5万円があったというのも、この市だけのことか、それともすべての自治体で見舞金が出ているのかまで報道するべきだろう。特定の1個人を例として挙げるだけでは、被災者全体の置かれた状況など分かりはしない。こういう「情緒的記事」が日本のマスコミにはあまりに多すぎる。いや、わざとそういう記事にしてはいるのだろうが。


(以下引用)

 東日本大震災からもうすぐ2か月。


 着の身着のままで難を逃れた被災者の中には所持金が底をつく人も出始めた。全国から集まった義援金の申請受け付けは始まっているが、まだ手元に届いていない人も多い。避難所で使う机から子供の学用品まで、救援物資では補えない様々な出費があり、被災者からは「このままでは生活できない」との悲鳴も上がる。

 「避難所にいてもお金は出ていくばかり」。宮城県名取市の文化会館で避難生活を送るパート店員の女性(29)はそう顔を曇らせる。女性は津波で壊滅的な被害を受けた同市閖上(ゆりあげ)で母(53)と中学1年の弟(13)、小学1年の長男(6)の4人で暮らしていた。自宅は津波で流され、家にいた弟は半月後に遺体で見つかった。

 「ギリギリの生活をしていた」という女性の当時の貯金はわずか5万円。避難所の救援物資は十分ではなく、近所のショッピングセンターでカップラーメンや下着を買った。弟の行方を捜すため、車で仙台市などの避難所を回り、途中からはガソリン代を節約するため自転車を購入。避難所生活の長期化で衣装ケースやテーブルも買った。所持金はみるみる減った。

 新1年生の長男のランドセルは無償提供を受けたが、「もらい物ばかりでは惨め」と、筆箱だけは好きなポケモンのイラストが入ったものを買った。気分を紛らわせようと携帯ゲーム機を買い与え、出費は10万円を超えた。スーパーでのパートの仕事は被災から約10日後に復帰したが、その間の給与はなく、勤め先から計65万円の見舞金が出て、何とかしのげた。

 名取市からは3月下旬に見舞金10万円が支給されたきり。義援金の申請受け付けも始まっていない。5月中旬に市内の雇用促進住宅に入居できることになったが、家財道具をもう一度そろえるのにいくらかかるか分からない。母は体調を崩し、仙台市内の病院に入院、お見舞いに行くのにもガソリン代がかかる。弟の葬儀もこれからだ。「行政はもっと早く対応してほしい」と訴える。

(2011年5月9日03時08分 読売新聞)

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