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風が吹いたらゆりかごゆれた

インターネットで「風が吹くとき(風が吹いたら)」の原詩を検索して、アニメ「風が吹くとき」の紹介をしているこのページに出逢ったので、ここに紹介する。
なぜここに転載するのかは言うまでもないだろう。原発事故は原爆投下とまったく同じことなのである。ただ、即死と緩慢な死の違いだけだ。
アニメ「風が吹くとき」および、デビッド・ボウイの歌などもユーチューブにあるので一見をお勧めする。



(以下引用)


風が吹くとき(「When The Wind Blows」)
立澤史郎(1989)

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風が吹いたらゆりかごゆれた
枝が折れたらゆりかごおちた

ぼうやとゆりかご いっしょにおちた


 マザー・グースの残酷さには、子供の頃よりも、むしろ今になってぞっとします。この歌、「WHEN THE WIND BLOWS」(英国版「風が吹いたら桶屋が儲かる」)もそのひとつ。これをそのまま題名とした映画が公開されます。邦題も「風が吹くとき」で,'86年英国制作の長編アニメの日本語版です。

あらすじ

 英国の片田舎に住む老夫婦、ジムとヒルダ。ジムは定年を迎え、これからは愛し合った二人ののんびりとした時間が始まる。
食事時、ラジオは戦争勃発を知らせ、政府は三日以内に核シェルターを作れと言う。窓は白ペンキで塗り、扉を壁に立てかけマットレスをしいて水と食料をキッチンに保存すれば出来上り。でもまてよ、政府の説明書では窓の周辺から薄い、細かなものは除けとあるが、議会の出したそれでは窓には白いシーツを下げろと書いてある。どっちが正しいんだ?保存食の’公式’リストに載っているピーナツバターを忘れている!慌てるヒルダにジムは「僕はピーナツバターは好きじゃないよ、無くたって生き残れるさ」。
 先の第二次大戦の思い出話に、二人は今度も有能で勇敢な指導者が事態を切り抜けてくれると言う。けれど彼らはどの国とどの国が戦っているのかさえ知らない。家具で窓をふさいだり、爆弾を落とさないよう嘆願書を書いたりと、彼らの対策は進む。
 ジムは、大きな紙袋をかぶれば効果があるのではないかとかぶってみて妻にバカにされる。やがて彼は’ヒロシマ’を思いだし、柄のない、まっ白のシャツを着れば体を焼かれずにすむと思い至る。けれどヒルダは「それは日本人のことでしょ(?) 、第一そんな話聞いたことないわ」と取り合わず、クリスマスプレゼントの新しいシャツを着ることを許さない。「じゃあ白の古いシャツはないかな?」けれど妻の対応はそっけない。
 そこへラジオ。「敵のミサイルがわが国へ向けて発射されました。三分で到達します。」ヒルダは洗い物に行こうとしている。ジムは妻をかかえてシェルターへ飛び込んだ。 

           ー 閃 光 ー

 「ちくしょう!」信じられないが、核爆弾が炸裂したこと、そして生きていることを確認する二人。おののくヒルダに「僕たちは今でも幸せじゃないか」とジム。「僕たちの爆弾のこと、ニュースでやってるかもしれない!」何も出るはずがない。電気は?電話は?全てが働かない。街は死に絶えたんだ。
楽しみにしていたテレビ番組がみられないというヒルダ。真っ白なシャツを着たジム。廃墟の生活にも笑顔さえみられる。けれど、そんな個人の幸せも大きな力が踏みつぶしてゆく。
 数日後、ヒルダは体中が痛み、ジムはようやく放射能の影響に気付く。やがて二人の皮膚は斑点におおわれる。妻をいたわり、陽気に振舞おうと歌を唄うジム。その口から血がしたたっていることももはや妻に言われるまで気付かない。毛が抜け始めたヒルダに夫が言う。「女性は丸坊主にはならないよ、これは科学的真理だ。」しかし事実は彼らの知識を超えていた。彼らの信じるシェルターは苦しみを長引かせるものでしかなかった。
 つぎのICBM(大陸間弾道弾)におびえながら、二人は紙袋を身にまとってまたシェルターへはいる。そして再び出ることはなかった・・・  

思いつくまま

 昨年の九月、京都の書店でこの原作の絵本を見つけました。40ページにぎっしり書き込まれた原作は、言葉で反核をうたうのではなく、ただ淡々と夫婦の会話と行動を追っています。原作者は、「(この作品を創ったのは)反核運動のためでも、政治意図によるのでもない。」と言っているそうです。つまり「核」問題に対する判断は全て読者(視聴者)に託されているのですが、これが英国では50万部のベストセラーとなり、各国で話題となって、昨年はついに映画化されたわけです。今回の公開はこれを日本語吹き替えしたものです。
 原作はレイモンド・ブリッグズ。私は彼の作品「スノーマン(雪ダルマ)」が大好きなのですが、(これも昨年映画化されて成功を収め、最近は某スープのCMにこのフィルムが使われています)今回の「風が吹くとき」は、少し悲しくもファンタジーの世界に遊ぶ彼の他の作品とは一見ひどく違い、大変面食らいます。しかし彼の言葉はその疑問を氷解してくれました。
 ジムがしたように、ちょっとした工夫で核爆弾の影響をやわらげることはできる、しかし最終的に個人がその影響から逃れることはできない。そんな状況下で、多くの市民はどの様な思考と行動を取るのだろうか。それを描きたかったと作者は言っています。つまり彼の制作上の興味は社会問題ではなく、(彼の両親がそうであったように)市井の人々の瞬間瞬間の言動であるのです*。最後の最後になって、彼らがどの様な会話をするのか、今まで信じていたものに対してどの様な態度を取るのか、じっくり観てみたいと思います。そこで、ー私たちにできることは何か?ーそれを考えるか否か、それは当然私たちの問題でしょう。
 監督はG.T.ムラカミという日系人、日本語版監督は大島渚です。この監督陣も興味あるところですが、やはり捨て置けないのは音楽。主題歌をデビッド・ボウィ、サウンドトラック全体の構成を (あの)ロジャーウォータースが担当しています。言うまでもなく彼はバンド「ピンク・フロイド」で現代社会の論理や様々な意味の環境破壊を鋭く告発してきた人。その音楽がレイモンド・ブリッグズの絵とどう反応しあうのか、今回のロードショウの楽しみの一つです。     
 最後に蛇足。原作を読んでいて強く感じるのは、(子供と自然の媒体としての文学作品の重要性、早い話が)マザーグースの存在の大きさです。冒頭の歌(詩)が背景(原体験)としてあってこそ、この作品の内容が読む(観る)人に深く関わってくるのだと確信したわけです。マザーグース体験を介して染み込んでくる”恐ろしさ”、これは日本人には理解しにくいものかもしれません。
 けれど、理屈でなく子供の頃の体験を通じて直感的に膨らむ恐ろしさ、自分の大切なものが奪われることに対する恐れ、そう言うものは誰にでもあるはずです。いわゆる「自然保護」や「反核」の行動、これらもおそらくそうした感覚に裏打ちされているはずです。そうでなければ空論でおわってしまうだろう、久しぶりに原作を読んで、そう思っているところです。
 この長編アニメ、自然教室の子供さんとご家族にも、是非観てもらいたいと思います。数少ない、だれでも”気楽真面目に”行ける映画。友人、夫婦、親子孫連れ、もちろんひとりでも、この夏の思い出にしてください。
(「都市と自然」誌)(千里山生協会誌)

*:この作品は,現実と紙一重ではありながら,やはり一種のファンタジー.でも気付いてはいけない現実世界とファンタジーの関係を垣間見てしまった気にもさせられます.(2000年11月)

((C)立澤史郎)

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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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