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騙す人、騙される人

「井口和基」ブログより転載。
いわゆる「御用学者」というものの存在を世間が広く知るようになったのはもちろん福島原発事故のせいだが、大学の先生というものは基本的に御用学者になるものである。そうでないと生活できないのだから当然だ。マスコミに登場する評論家も同様であり、スポンサーにとって都合の悪い発言をする人間がマスコミに登場できるわけがない。広瀬隆(つい、「広瀬正」と書いてしまった。「マイナス・ゼロ」!)のように真実を発言する人間がテレビから干されていたのは当たり前である。
つまり、公の場での発言はすべて嘘と建前である、ということになるのだが、大の大人でもテレビで誰それが言う言葉を本気で信じていたりする。こういうのがB層なのである。(ただし、その嘘には90%くらいは事実も混ざっているというのが騙しのポイントだ。)
井口博士や藤永茂博士は、おそらくそういう世間のしがらみから離れた人間なのだろう。そういう人間の発言だけが信頼できるというのは悲しい話である。


(以下引用)


私がフリーの理論物理学者になった頃の1996年、だれもが私を蔑んだ。プータロー、職無し、キチガイ、きっと人間性に問題があるのだ、変な人。さまざまな評価を頂いたものである。何かを書けば、ルサンチマン、嫉妬のせいだなどと言われたものである。

しかし、あれから15年。今ほどフリーの科学者でいることが誇らしい気持ちにさせてくれたことはない。自由に思考し、自由に発言し、自由に行動できる。これこそアカデミズムの源泉であるからである。

今では、大学や国立や企業の学者でいることすなわち「御用学者」の汚名を着る時代である。事実、その通り。大学の学者や企業の学者は何ものから高額の資金援助を受けている立派な御用学者である。だから、その視点は国民や市民や人類の側からではなく、あくまで上から視線でものをみる。

一般に、どの職業にもいわゆる「職業病」というものがある。医者はだれをみても患者と錯覚し、だれに対しても患者に話すように話す。先生はだれをみても生徒と錯覚し、だれに対しても生徒に話すように話す。会社の経営者はだれをみても部下と錯覚し、だれに対しても部下に話すように話す。官僚はだれをみても一般人と錯覚し、だれに対しても一般人に話すように話す。これとまったく同様に、学者はだれをみても学生と錯覚し、だれに対しても学生に話すように話す、というわけである。

まあ、そんな感じだから、今や学者は理論物理学者といえども権力の犬に成り下がってしまったというのが、昨今の状況である。これは科学がビッグサイエンスになったことや科学が還元論の呪縛から逸脱できないことなどの弊害である。井戸の中のカエルは大海を知らない。例え大海の中であったとしても、たこ壷のたこは自分が大海にいることを知らない。

我々「20世紀型」の教育や専門教育を受けて来た人間にはこういった特徴があるということを肝に銘じておくべきだろう。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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