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私の少しヒステリックな食糧安保論

江戸時代を賛美する連中がいるが、私は正反対である。封建時代というのは、完全に階級社会で、階級の最下層の人間(主に百姓。エタ非人は、その体制を糊塗するための存在だ)は奴隷と同じ一生だったと私は見ている。そして、その階層から抜け出すことはほぼ不可能で、百姓をやめたら無宿人や犯罪者として生きるしかなかったのである。武家社会は言うまでもなく、大商人の店や寺院の中ですら階級社会だったと私は見ている。(現代も同じだ、という意見はさておく。問題は百姓という下層階級のことだ。現実は「士農工商」ではなく「士商工農」だった。)

私が一番癪に障るのは、当時の為政者たちの無能さである。武力で支配するだけで、百姓の生産能力を向上させ、しばしば起こる飢饉から人民を守ることができていない。(「お布施米」が可能だったのは、武士階級が、少ない人数のくせに四公六民や五公五民という過度な年貢米を取り上げ、備蓄があったからだ。百姓は種籾以外は備蓄する余裕などなかったのである。)つまり、「新発見」や「改革」は体制の崩壊につながるから危険視され、科学がまったく発達しなかったわけだ。

私は現代人の健康志向からの、農薬や化学肥料の使用を犯罪視する思想を危険思想だと思っている。農薬や化学肥料によって、安定的な農業生産が可能になったのだから。
それ以前は、宮沢賢治が「雨ニモマケズ」の詩(彼の遺言と言っていい)で書いた「寒サノ夏ハオロオロ歩キ」が日本の農業の常態だったのだ。これは、日照不足による飢饉を意味している。昭和前期までそうだったのだ。第二次大戦の敗戦によって欧米から化学肥料や農薬が多量に輸入されるようになって日本は初めて安定的な農業生産が可能になったのである。
ついでに言えば、昭和前期でも飢饉のために娘を身売りさせることが頻繁に行われ、そうした世相への怒りが515や226の原因のひとつであった。
さらに遡ると、江戸時代の飢饉はもっと悲惨で、ひとつの村が全員死んだところもあり、そうした村では食料が無くなると人肉を食った。まず老人や子供という「非生産年齢」の者が食われ、最後は全員が餓死するか自殺したのである。
何が言いたいか。「食糧(食料)生産を軽視する国に存在(生存)資格はない」ということだ。アメリカやイギリス、そして現在の日本がそうなりつつある。
誰かが書いていたが、食糧とは実は「水からできている」。その生育に膨大な水を必要とするからだ。水資源大国である日本が他国から食糧を輸入するとは、他国の国民の貧しい水資源を奪っているということなのである。これはほとんど犯罪行為である。

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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