韓国語?意味不明
キャンプシュワブの海岸の金網にはたくさん辺野古基地反対のリボンが結び付けられている。それは当然日本語「だけ」とは限らない。

ところが頭の弱い皮相的な見方しかできない、歴史を知らない連中は(とくにネット上での反韓ウヨクなど)騒いでいるという。バカじゃなかろか?

ことほど左様に、まだ全学連が沖縄にいたとか、沖縄ローカルの紙面が左よりとか、本土のイデオロギー政党が騒いでいるだけとか、ルーピー鳩山が寝た子を起こしてしまったとか、バカの上塗りのような論調が多くみられる。

けれど、

国家権力は今度の総選挙でこの「辺野古」問題をひたすら隠したままであり、沖縄県知事選で占めされた民意など一顧だにしていない。

ようするに、

原発も辺野古も「金目」で解決済みのつもりだから、もっぱらアベノミックスという「経済対策?」に焦点を絞り込んでおり、今以上の議席数増加をうかがっているだけなのだ。

もちろん、

権力がそうなのは「さにあらん」なのだが、日本本土のマスコミも辺野古の問題を「総選挙」の話題から外すことに血眼になってしまっている。いまさら、「もう諦めては?」というアドバイスも耳たこなんだけど、「それでも」僕はマスコミの「良心」を問い続けるしかない。

なぜなら

マスコミは「最後は」売れて何ぼの世界でしかないことを、僕は嫌というほど骨身に知らされてきたからである。

ということは、

今の国民が安倍晋三に従いたいという希望があるから(もちろん権力の狗もいるだろうけれど)、マスコミはそれにこたえているというしかないのである。

ニワトリが先か卵が先かといえば、僕はハッキリしている。まず愚民があってマスコミの愚報道があるのであって、マスコミが愚報道するから国民が愚民化したというのは、逆だと思っている。

なぜなら、

権力の狗=新聞、テレビを見なければいいだけのことである。けれど、そうなっていないではないか。

いくら言論規制?(自主規制)があろうとも、兵糧攻めがもっとも効果があると思われるのだけけれど、皆さんはどう考えられているのだろうか。僕には納得できない。

そして

現実は、、、減ってきてはいるがいまだに大多数の人が惰性で新聞をとり、テレビを見続けているのである。

さらに

悪いことに問題は、そういった新聞テレビ信者こそが「確実に」投票所に足を運ぶということである。


とまれ

辺野古の問題つまり沖縄の基地問題が単純にそれだけかといえば実は残念ながら反対派が言いたくない歴史だってあるのだ。

たとえば

かって久志村辺野古地区(現名護市辺野古区)には「村おこし」を目的として、地元側が積極的に米軍基地を誘致したというまぎれもない歴史がある。キャンプ・シュワブ使用が開始されたのは56年だが、当時はまだ小規模で、それほど本格的な基地ではなかった。

ところが

沖縄返還後、近隣の土地が訓練所や施設として次々に提供され、基地の敷地面積は拡大していた時代でだったことをわすれてはならない。はっきいりうと、50年代の沖縄ではその一方で島ぐるみで軍用地反対運動が展開されて射た時代でもある。それで米軍側も配慮して基地の拡大には慎重な時期だったのだが、なぜか辺野古のキャンプ・シュワブでは誘致活動が「特に」盛んだったのだ。逆に言えば「それほど」貧しかったともいえるのだが、、、。

しかし

当時の住民の意識はそう(誘致)であったと思っている(すくなくとも僕は実際にそのころも沖縄を訪れてそう感じた)。

とくに経済的に厳しい状況に置かれていた辺野古地区では、村の発展の決め手として米軍誘致を決定、村長が村議会議員全員の署名を集めて、米軍の民政長官に陳情したのである。それでそれまで慎重に対応していた米軍側も、村の熱心な陳情と、海兵隊の訓練場の必要に(も)迫られていたことから、誘致に応じたという「事実」があるのだ。

当時の辺野古地区では地主の8割以上が自ら望んで米軍と契約したという記録も残っており、59年の基地完成の際には大規模な祭りも開催された。

そのころは沖縄が戦前から県庁所在地の那覇を中心に、南部の開発が進んでいたのも厳然たる事実であり、米軍基地も南部に集中しており、北部側は長い間、経済格差に悩まされていたのだった。貧しい北部の村々が、雇用促進、電力、水道などのインフラ整備、米軍病院による医療サービスの充実などを求めて米軍を頼ったというのも責められないがまぎれもなく「事実」である。

さはさりながら、

だからといって、少女が米兵にレイプされ、大学にヘリが落ちたからと言って、北部の基地を縮小したいからといって、お前たち自身が望んだキャンプシュワブを拡張してなにが悪いという、国家権力と仲井間周辺の奴らの「言い分」には到底うなずけない。

なぜなら、

米軍の責任者が「辺野古が埋め立てられたからといって普天間がすぐ変換されるわけではない」といっているし、また別のアメリカの高官は「住民が反対しているのを押し切ってまでやる必要はない」といっていると聞く。

そして

何より、反対派の分断を図った自民党内部や公明内部にすら基地建設への異論が噴出し、しかも仲井間自身がいきなり自分の選挙公約を裏切ったことが県民の「怒り」に火をつけたのだ。

だから、

文太兄いは、そんな仲井間に「弾はまだ一発のこっとるがよぅ」とぶつけたのであった。

にもかかわらず、

総選挙では辺野古を一切語らず逃げおおせるとでも思っているのだろうか。ならば俺も兄貴の無念を晴らしてやりたいと思うのが人情というものだ。

今回のの総選挙はしかし、もっとも大事な「原発」問題と「辺野古」をなぜもんだいにしないのか?

べつに原発再稼働に賛成でも反対でも、辺野古埋立に賛成でも反対でもいいから堂々と自分の主張を明らかにして総選挙の争点にすればいいと思う。

なんでそんな単純な民主主義の「初歩」すら遠ざけるのだろうか。

もし、

知っていて避けるのであれば、「政治家」や「マスコミ」は自ら、、、

「卑怯者」と天下に公言しているもの同じである。