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市民社会に根を広げる暴力の存在

「つむじ風」ブログ記事のこの部分が面白いので転記する。


(以下引用)


その喧嘩の啖呵は、これまた、尋常ではないことをツイッターに公開しまくっている。この人、何を考えているのであろう。こう言うことで日本のリーダーを本当に目指しているのであろうか?



 日本流ではない。



 どこかの国のようだ?! と思われるのは、必定だろう。



 罵詈雑言、悪態の吐き放題、先に吐いた方が勝ちの世界が、どこかにある。決して、我が国ではない。そう感じた者は私一人ではないだろう。



 このことが、出自の自己証明である。



 ヤクザの言葉に、『かまし』と言う言葉がある。ヤクザの喧嘩は、『かまし』の応酬だ。そのためにヤクザの子分衆は、日常、『かまし』の練習に明け暮れるのである。これは本当の話である。



 不肖、私の友人(別に親しくもしていないが・・)に、かつて、或組事務所にわらじを抜いていたものが居たが、その証言であるから、間違いはない。



 ヤクザの喧嘩は、初歩的には『かまし勝ち』で終わるのである。



(引用終わり)


私にはヤクザや暴力団との面識は無いが、そういう連中は「見れば分かる」はずだ。というのは、彼らは自分たちがヤクザや暴力団であることをアピールすることがシノギ(生活手段)の大前提であるはずだからだ。要するに、他人に怖がられることで恐喝行為をし易くするわけだ。そのためには、自分が「そういう存在」であることをアピールする必要がある。「黒塗りのベンツ」や派手なヤクザ風背広は彼らの趣味と言うよりは制服的なものなのである。警官の制服と同じことだ。どちらも「威圧」が目的である。
他人を威圧することで生きている人間は、正体を隠そうとしても猫を被り切ることができなくなる。そのうちに「お里が知れる」わけだが、目のある人間は、最初からそれが見えている。橋下のマスコミ登場の初期から、私が彼に激しい嫌悪感を抱いていたのは、彼の正体が見えていたからである。
橋下は「喧嘩が強い」ことが自慢なようだが、相手の親が暴力団かヤクザであると知っていれば、誰でも逃げるに決まっている。つまり、ヤクザや暴力団はこの世の「特権階級」なのである。そういう存在に対し警察がほとんど手をつけず、見逃しているのは、尼崎の事件を見れば分かることだ。
あの事件の一番の問題は、何十年にも亘ってあのような悪事を働きながら、あの「私設暴力団」の存在が問題化しなかったことだろう。つまり、「問題化しないという問題」である。





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