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空を見上げること

いやあ、「純と愛」は「愛と誠」ではなく、「タッチ」だったんだねえ。しかも、逆ヴァージョン。双子の兄弟の「でがらし」の方が先に死に、何でも優れている方が生き残る。残された方は、あまりに恵まれた自分が、まるで兄弟の死に何かの責任があったかのように罪の意識を持ちながら生きていく、という話だったんだ。まあ、純の方は「南ちゃん」とは違って、この兄弟とは無関係に生きてきたわけだが、「家族の問題」を抱えている、という点では愛と同じである。ドラマの先行きは、この二人が力を合わせて家族の問題を解決していく、という方向なのかな。べつに「ホテルマン出世物語」では無さそうだ。
漫画的教養があると、「純と愛」はいっそう面白い、というのは冗談で、このドラマはただドラマとして面白いのだが、多分こういうタイプのドラマを受け付けない層は多いだろう。「梅ちゃん先生」後半の、視聴者を舐め切ったあのいい加減なドラマ作りを真面目に見るような層には、こういう「変化球」タイプのドラマは嫌われるはずである。そういう人は「女王の教室」と「家政婦の三田」でも見て、遊川和彦という脚本家がいかに優れた脚本家であるかを復習しておくことをお勧めする。特に「女王の教室」は稀に見る傑作である。

さて、週末なので、秋晴れの天気にふさわしい気持ちのいい文章を紹介しておく。
神秘思想家でIT技術者のKAYさんの文章だ。
私自身、空を見上げるのが大好きで、世界の名画をただでプレゼントする、と言われても、それがゴッホだろうがセザンヌだろうがレンブラントだろうが、「空を見上げる権利」とは引き換えにはできないと思っている。まったく、こういう素晴らしいものがこの世には存在しているのに、空を見上げない人間は大損をしているのである。
外に出る用事があれば、その時は、必ず空を見上げるとよい。それだけでもその一日の収穫としては十分だ。


(以下引用)


現代人は、空を見上げることが少ない。
昔は、空を見ないのは悪人と相場が決まっていたものだが、確かに、青空や星空を見上げる悪者など、あまりピンとこない。
また、人は不幸になると空を見なくなるが、本当は空を見上げないから不幸になるのである。
空に意識を向けると、高い波動の直撃を受ける。
空の向こうを見晴るかすようにずっと見ていると、不思議なことに、意識は自分の中に届くのである。そこはハートの座であり、おかしな言い方であるが、空の向こうに自分がいるのである。
空を見上げると、心は受容的になる。心が広がり、大抵のものは受け入れることが出来るようになるからだ。
せっかく空が見える場所で、ずっとスマートフォンを見ているような人が多いが、実に残念なことだ。
たびたび空を見上げ、受容性が高まると、他惑星の宇宙船や天使も姿を見せるようになるだろう。彼らを見つけるのは、ただ偶然によるのではない。心の受容性で決まるのである。
子供の頃は、授業中に空を眺め、ぼーっとしていると、心の深奥がかえって活性化し、果てしない空の向こうで、天使と話をしているのを感じることがあった。それを想像と言うのだろうが、想像は空想と違う。想像は現実よりリアルなこともあるのだ。
頭を空にして空を見上げていると、胸の中に不意に何かが浮かび、それを忘れずにいると、種子が太陽の熱を感じて、土の中から芽吹くように、あなたも宇宙の根源に向かって伸びるようになるだろう。






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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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