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技術と文化の相互移転

尼崎の事件についてのニュースもあるのだが、爽やかな休日に読みたい内容でもないだろうから、今日は別の話にする。日本をいかにして再生させるか、という話だ。


「レジデント初期研修用資料」というサイトから転載。
「新しい市場の作りかた」という本の要約の一部だが、ここには重要なヒントがあると思う。現代の日本や世界の産業界の閉塞状況を解決するヒントだ。
文中の


「ある技術を必要としている文化」と、「それが必要な文化を見つけられない技術」とをつなぐ仕組みの不在


の逆の例が、たとえば日本のアニメや漫画の世界的進出である。ここでは「技術」と「コンテンツ」を同一視しておくが、日本の漫画やアニメを作ったのはまさしく日本の文化であり、世界はそれを「必要としていた」のだ。
実際、日本のアニメや漫画によって「生甲斐」を得たという、世界の若者の発言は驚くほど多いのである。彼らの日本へのあこがれは、さまざまな掲示板やツィッターなどで語られている。
極端な話になるが、仮に、イスラエルとパレスチナが和解することがあるとすれば、それはお互いの兵士が同じ日本アニメによって「生甲斐」を得ていたことを、お互いが知るような場合だろう。同じ存在への愛情は、お互いへの共感へと結びつくのは当然のことだ。
そういう意味では、アニメや漫画そのものが「世界共通文化」でもあるわけだ。
話が大きくなったが、単に商売や生産業の話に限定しても「技術」と「文化」の相互移転を考える、というのはこれからの世界にとって大事な発想だろう。
そういう意味での「グローバリズム」には、私は必ずしも不賛成ではない。今のように「安い労働力」を求める多国籍企業のためのグローバリズムは人間を不幸にするだけだから、断固として否定するのだが。


(以下引用)


• 「新しい市場の作りかた」の前半では、「技術」と「文化」との関係が物語られる。技術と文化というものは、どちらか一方で成立するものではなく、お互いに補間しあうことで、はじめて市場が回り出す
• 技術をどれだけ極めても、それが同じ文化のもとに開発されたものならば、いつかは天井にぶち当たる。枯れた技術でも、違った文化のもとに水平展開されると、技術は新たな伸びしろを得ることができる
• 「ある技術を必要としている文化」と、「それが必要な文化を見つけられない技術」とをつなぐ仕組みの不在が招く不幸はいろんな業界にあるのではないかと思う。本書では主に、産業界について、具体例で持ってそうした関係の大切さが説かれるけれど、自分たちの業界にも、似たような問題は今でも横たわる

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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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