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批評することへの批評

私は芸術作品の批評というものには概して懐疑的である。
そもそも批評者自体に芸術に対する理解力があるかどうかが問題であり、理解力の無い人間には、もちろん批評する資格も無いはずだ。しかし「万民平等」という民主主義の誤解は批評の世界にも浸透しており、自分の独断と偏見を「批評」として言い広める人間は多い。自分の批評は自分の「独断と偏見」であることをむしろ誇り顔で言うくらいだ。
私のブログなど、独断と偏見の最たるものだが、しかし、作品を酷評する場合は、作品自体に欠陥があるのか、それとも自分が理解できていないのを一応は自分自身の中で反芻して考えてはいるつもりだ。
世の中には大胆な人間もいるもので、点数制の映画批評掲示板でフェリーニの不朽の名作、『道』に10点満点で5点とか6点とか平気で付けている人間がいるが、こういう人間は最初から映画を語る資格など無い、と私は独断で断罪する。芸術作品を理解するだけの頭も知識も無い人間が、日本語が使えるというだけで何でも語る資格はある、と思っているわけだ。こういう連中には虫酸が走る。自分が理解できないならば、黙っているがいい。
私が天上の音楽だと思っているヘンデルの「ラルゴ」のようなクラシック音楽を、退屈だ、と言う人間がいてもいいし、私のように、演歌やハードロック、ラップを聞かされるのは拷問に等しい、と思う人間がいてもいいだろう。趣味はそれぞれだ。しかし、何かを理解できない場合に、その対象が本当に無価値なものなのか、それとも自分にそれを理解できる能力や感性が無いのか、を少し立ち止まって考えるのがいい。
今の時代は、あまりに自分への反省の欠如した「傲慢な批評」が多すぎる。


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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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