私にとって長い間の謎の一つが「茶道」であった。お茶を飲むだけのことをなぜあれほど面倒臭い儀式にし、しかもそれがなぜ、血で血を洗う戦国時代の武将たちの間ですら広まったのか。
戦国武将に関しては、お茶の席が一種のアジール(「聖別された逃避所・緩衝地帯」という意味としておく)であり、そこでは敵と味方さえも平和のうちに政治的密談を行うことが可能であった、という説があり、戦国武将にとってはこのメリットは大きかったのかもしれない。だが、一般人にとっては「茶を飲むことの儀式化」がなぜ必要だったのだろうか。日常のストレスからの逃避の場ならば、日常以上に強いストレスと緊張を要するような様々な作法や慣習の存在はナンセンスだろう。
茶道の達人たちの中にはそういう外面的な作法に拘らなくてもいい、という人もいるようだが、作法を抜きにした茶道は「茶を飲むだけ」に見える。そこに「茶道の精神」があれば、茶を飲むだけの行為も実は茶道になる、というのが結論になるのかもしれない。ちょうど、キリスト教におけるパリサイ派の「外面的規範を厳格に順守せよ」という行き方に対し、「内面性こそが大事である」、というイエス・キリストの教えが対立するようなものが、茶道にもあるようだ。
では、「茶道の精神」とは何か、と言えば、私は「日常の芸術化」である、と考える。もっと気どった言い方をすれば「日常の聖化」である。もっと普通に言えば、「日常を美に変える」ということだ。つまり、我々の日常の意識の深度が1か2であるならば、それを10にも100にも深めた意識で日常のあらゆることを見直し、その深度で生きることが茶道の精神ではないか、と私は考えている。私が味わう茶の味は、はたしてその茶の味の可能性を100%引き出したものだろうか。私が茶碗を扱う手つきは、果たして「美しい」だろうか。私が茶を入れる段取りは「芸術」だろうか。
もちろん、「茶」は「日常の芸術化」の象徴にすぎない。その意識で毎日を生きることで我々は人生を「高次元の生活」に変えられる、というのが茶道の意味ではないか、と私は妄想するわけである。
茶を飲むことは誰にでもできる。しかし、「茶を本当に飲む」ことは誰にでもできるわけではない、というこの誰にでも参加可能な、不思議な「日常の芸術化」が昔から多くの人の心を捉えてきたのではないだろうか。
コリン・ウィルソンが日本の茶道を知っていたら、ここにこそ「至高体験」に至る道がある、と言ったかもしれない。
なお、念のために言えば、私は世間的な意味での「茶道」体験は一度も無い。利休その他の先人たちも自分たちのやっていることを「茶道」とは言わなかったはずだ。「茶の湯」が「茶道」になったことと、お茶の儀式化や形骸化は並行して進行した気がする。
(以下「がま仙人のブログ(ガマ仙人の徒然草)」より転載)
ワシんちからスーパーまで
買い物に行く間に
日本庭園があって
そこにひっそり茶室がある
(この写真)
たぶん茶室だと思う (茶室じゃなくてもいいけど)
しかも一畳半のものである
もしこれが茶室だとすると
ここのオーナーは相当すごいレベルだと思う
で一畳半の茶室の話をしよう
一疊半の茶室はすべての無駄を省いた
究極の茶室で利休が理想としものだ
禅僧として修行していた孫の宗旦が
利休のわび茶の思想を受け継ぎそれを極め
清貧に徹して「乞食宗旦」といわるまでになった
宗旦が設計する一疊半の茶室は、ついに
床さえ抜いてしまうという徹底ぶりだったんだね
利休はそもそもわび茶を追求してたわけだから
それを徹底的に極めていけば
最終的には宗旦の一畳半の茶室になるんじゃないか
ワシはそう思う
ちなみに今伝わっている茶道は
わび茶じゃないよ
たんなる茶道だよ
きれいな着物着て
お菓子くって
茶碗ほめて
茶道具の値段でびっくりしてみたり
価値のわからない掛け軸を絶賛したり
嫁の嗜みとしての茶道
旦那芸としての茶道
身体動作は美しくなるだろうけど
本来のわび茶じゃない
ワシはそう思う
もともと茶の湯ってさ
禅宗の坊主たちが
眠気ざましで飲んでた茶を作法化して
時の権力者の嗜みになったというだけのもので
たいしたもんじゃない
(中略)
長くなってしまった
わしがいいたいのは
村田珠光や乞食宗旦が
日常やってた清貧な生き方
そのものが茶の道なんだということ
そして禅の道なんだということだよ
そういう達人の極めた道をみてみたいもんだ
ブルーシートの中にガラクタを
詰めるだけ詰め込んで安心しているホームレス
部屋を汚し、ゴミだらけにして
ねっころがってTVを見ている貧乏さん
ここには道とかはない
また
綺麗な着物を着て
窯の値段とか茶碗の値段とかしゃべっているおばちゃんたち
師範の免除がどうのこうのいっている旦那衆
そこにも道はない
あっさりした茶室のような小屋 (別にブルーシートでもいいよ)
掃除がいきとどいた庭に小さな花が咲き (河川敷でもいいよ)
人知れず美しく貧乏している人がいたら
それは間違いなくわび茶を点てられる人です
作法とか関係なく美しいと思うよ
だって、わび茶とは生き方そのものなんだから
ちなみにね
「わびさび」という言語意識は
「美しい貧乏のなかの美しさ」という美意識に基づくもので
日本にしかない素晴らしい美意識です
ユダ金にとってはまったく迷惑な言語意識だよね
o 1. 坊主
o 2011年10月12日 06:30
o
写真の茶室、なんとも言えないほどの
味わい・風情があって、良いですね。
「一畳半の茶室の床を抜く」というのは
驚きました。
床を抜いてしまった茶室というのが
ちょっとイメージしにくいのですが
立ったまま、茶を点てたのでしょうか?
掃除がいきとどいた庭に小さな花が咲き
人知れず清貧に生きる人・・・
そこには、凛とした美しさがありますね。
2.
o 2. が
o 2011年10月13日 00:03
o 床抜きの茶室で
どうやって点てたのか
ワシにはわかりません
ゴザでもひいたのでしょうかね
「凛」という語感もすばらしいですね
日本語って随所に
すばらしいヒントがありますね
昔の人が残してくれた
魔法のキーワードですね
3.
o 3. ポン酢
o 2012年10月23日 14:53
o 古い記事に突然のコメント、申し訳御座いません。
臨済宗の泉田老師が、厳しい生活を過ごされる中「一服の抹茶で至福のひととき」との記事を読み、
禅とお茶の関わりを色々調べて行くうちに、利休さんと「わび茶」、そして茶道に辿り着きました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121019-00000122-san-soci
でも、何だか凄い違和感。
さらに茶道を調べて行くと、茶室への入り方だの座る位置だの、座り方だの立ち方だの、お礼の仕方だの、茶器の鑑賞の仕方だの、「もてなされる方の作法」ばっかが説かれていて。
利休さんや宗旦さんが追い求めた「わび茶」の神髄は、そこにあるのかなぁって。
もてなす方の「精神性」を言われる事はあっても、「作法」とか今の茶道みたいな「儀式化」なんて、考えてもいなかったんじゃないだろうかって。
そんな時に、この記事に出逢いました。
とても嬉しい気持ちになりました。
これで迷う事なく「わび茶」(茶道じゃナイですよw)を始められそうです。
有り難うございます。
戦国武将に関しては、お茶の席が一種のアジール(「聖別された逃避所・緩衝地帯」という意味としておく)であり、そこでは敵と味方さえも平和のうちに政治的密談を行うことが可能であった、という説があり、戦国武将にとってはこのメリットは大きかったのかもしれない。だが、一般人にとっては「茶を飲むことの儀式化」がなぜ必要だったのだろうか。日常のストレスからの逃避の場ならば、日常以上に強いストレスと緊張を要するような様々な作法や慣習の存在はナンセンスだろう。
茶道の達人たちの中にはそういう外面的な作法に拘らなくてもいい、という人もいるようだが、作法を抜きにした茶道は「茶を飲むだけ」に見える。そこに「茶道の精神」があれば、茶を飲むだけの行為も実は茶道になる、というのが結論になるのかもしれない。ちょうど、キリスト教におけるパリサイ派の「外面的規範を厳格に順守せよ」という行き方に対し、「内面性こそが大事である」、というイエス・キリストの教えが対立するようなものが、茶道にもあるようだ。
では、「茶道の精神」とは何か、と言えば、私は「日常の芸術化」である、と考える。もっと気どった言い方をすれば「日常の聖化」である。もっと普通に言えば、「日常を美に変える」ということだ。つまり、我々の日常の意識の深度が1か2であるならば、それを10にも100にも深めた意識で日常のあらゆることを見直し、その深度で生きることが茶道の精神ではないか、と私は考えている。私が味わう茶の味は、はたしてその茶の味の可能性を100%引き出したものだろうか。私が茶碗を扱う手つきは、果たして「美しい」だろうか。私が茶を入れる段取りは「芸術」だろうか。
もちろん、「茶」は「日常の芸術化」の象徴にすぎない。その意識で毎日を生きることで我々は人生を「高次元の生活」に変えられる、というのが茶道の意味ではないか、と私は妄想するわけである。
茶を飲むことは誰にでもできる。しかし、「茶を本当に飲む」ことは誰にでもできるわけではない、というこの誰にでも参加可能な、不思議な「日常の芸術化」が昔から多くの人の心を捉えてきたのではないだろうか。
コリン・ウィルソンが日本の茶道を知っていたら、ここにこそ「至高体験」に至る道がある、と言ったかもしれない。
なお、念のために言えば、私は世間的な意味での「茶道」体験は一度も無い。利休その他の先人たちも自分たちのやっていることを「茶道」とは言わなかったはずだ。「茶の湯」が「茶道」になったことと、お茶の儀式化や形骸化は並行して進行した気がする。
(以下「がま仙人のブログ(ガマ仙人の徒然草)」より転載)
ワシんちからスーパーまで
買い物に行く間に
日本庭園があって
そこにひっそり茶室がある
(この写真)
たぶん茶室だと思う (茶室じゃなくてもいいけど)
しかも一畳半のものである
もしこれが茶室だとすると
ここのオーナーは相当すごいレベルだと思う
で一畳半の茶室の話をしよう
一疊半の茶室はすべての無駄を省いた
究極の茶室で利休が理想としものだ
禅僧として修行していた孫の宗旦が
利休のわび茶の思想を受け継ぎそれを極め
清貧に徹して「乞食宗旦」といわるまでになった
宗旦が設計する一疊半の茶室は、ついに
床さえ抜いてしまうという徹底ぶりだったんだね
利休はそもそもわび茶を追求してたわけだから
それを徹底的に極めていけば
最終的には宗旦の一畳半の茶室になるんじゃないか
ワシはそう思う
ちなみに今伝わっている茶道は
わび茶じゃないよ
たんなる茶道だよ
きれいな着物着て
お菓子くって
茶碗ほめて
茶道具の値段でびっくりしてみたり
価値のわからない掛け軸を絶賛したり
嫁の嗜みとしての茶道
旦那芸としての茶道
身体動作は美しくなるだろうけど
本来のわび茶じゃない
ワシはそう思う
もともと茶の湯ってさ
禅宗の坊主たちが
眠気ざましで飲んでた茶を作法化して
時の権力者の嗜みになったというだけのもので
たいしたもんじゃない
(中略)
長くなってしまった
わしがいいたいのは
村田珠光や乞食宗旦が
日常やってた清貧な生き方
そのものが茶の道なんだということ
そして禅の道なんだということだよ
そういう達人の極めた道をみてみたいもんだ
ブルーシートの中にガラクタを
詰めるだけ詰め込んで安心しているホームレス
部屋を汚し、ゴミだらけにして
ねっころがってTVを見ている貧乏さん
ここには道とかはない
また
綺麗な着物を着て
窯の値段とか茶碗の値段とかしゃべっているおばちゃんたち
師範の免除がどうのこうのいっている旦那衆
そこにも道はない
あっさりした茶室のような小屋 (別にブルーシートでもいいよ)
掃除がいきとどいた庭に小さな花が咲き (河川敷でもいいよ)
人知れず美しく貧乏している人がいたら
それは間違いなくわび茶を点てられる人です
作法とか関係なく美しいと思うよ
だって、わび茶とは生き方そのものなんだから
ちなみにね
「わびさび」という言語意識は
「美しい貧乏のなかの美しさ」という美意識に基づくもので
日本にしかない素晴らしい美意識です
ユダ金にとってはまったく迷惑な言語意識だよね
o 1. 坊主
o 2011年10月12日 06:30
o
写真の茶室、なんとも言えないほどの
味わい・風情があって、良いですね。
「一畳半の茶室の床を抜く」というのは
驚きました。
床を抜いてしまった茶室というのが
ちょっとイメージしにくいのですが
立ったまま、茶を点てたのでしょうか?
掃除がいきとどいた庭に小さな花が咲き
人知れず清貧に生きる人・・・
そこには、凛とした美しさがありますね。
2.
o 2. が
o 2011年10月13日 00:03
o 床抜きの茶室で
どうやって点てたのか
ワシにはわかりません
ゴザでもひいたのでしょうかね
「凛」という語感もすばらしいですね
日本語って随所に
すばらしいヒントがありますね
昔の人が残してくれた
魔法のキーワードですね
3.
o 3. ポン酢
o 2012年10月23日 14:53
o 古い記事に突然のコメント、申し訳御座いません。
臨済宗の泉田老師が、厳しい生活を過ごされる中「一服の抹茶で至福のひととき」との記事を読み、
禅とお茶の関わりを色々調べて行くうちに、利休さんと「わび茶」、そして茶道に辿り着きました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121019-00000122-san-soci
でも、何だか凄い違和感。
さらに茶道を調べて行くと、茶室への入り方だの座る位置だの、座り方だの立ち方だの、お礼の仕方だの、茶器の鑑賞の仕方だの、「もてなされる方の作法」ばっかが説かれていて。
利休さんや宗旦さんが追い求めた「わび茶」の神髄は、そこにあるのかなぁって。
もてなす方の「精神性」を言われる事はあっても、「作法」とか今の茶道みたいな「儀式化」なんて、考えてもいなかったんじゃないだろうかって。
そんな時に、この記事に出逢いました。
とても嬉しい気持ちになりました。
これで迷う事なく「わび茶」(茶道じゃナイですよw)を始められそうです。
有り難うございます。
PR