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国債という特異な借金

毎日jpから転載。
国債とは担保の無い借金だ、という指摘は、案外多くの人の盲点になっているかと思うので、記事を転載する。担保の無い借金になぜ応じる人がいるかというと、相手が国(政府)だからだ。もちろん、国が民間銀行に強制的に買わせているからでもあるが、一般人・一般投資家・機関投資家が国債を買うのは、政府を信用しているからだろう。「親方日の丸」ではないが、国家(政府)は無限の財布を持っていると思っているわけである。
だが、太平洋戦争の間に政府は戦争遂行のために多くの国民に国債を買わせ、その国債は日本の敗戦で紙屑になった。私は、子供の頃にその紙屑と化した日本国債の現物を見た一人である。そういう歴史的経験を持った人間が少なくなってくると、国家(政府)というものに簡単に騙される人間が増えてくるわけである。

ついでだが、本当は「政府=国家」ではない。政府とは国民の使用人にすぎず、真の国家とは国民のことである。政府とはしばしば国民に敵対する存在であり、ならば、どちらが真の国家かと言えば、明らかに国民こそが国家なのである。


(以下引用)


国債発行と債務不履行=リコー経済社会研究所長・元日銀理事、稲葉延雄


 どこまで人を信用するか--お金を貸す際によく考えねばならぬ点である。時として、貸した資金を返してもらえないこと(債務不履行=デフォルト)があるからだ。

 このための備えとして資金の貸手が求めるのが、担保である。借りた人の信用(返済能力)を補完する役割を果たす。例えば米国では、住宅ローンの債務不履行が今なお多発しており、貸手金融機関の抵当権行使も高水準となっている。

 しかし、国の借金(国債発行)の場合には、一般に担保がない。基本的には、人々は国を信用して資金を投下している。従って、一国の国債が債務不履行になりかねないとなると大騒動になる。

 先週もギリシャの国債問題を巡って関係者間で大議論が行われ、ようやく第2次支援策がまとまった。EU(欧州連合)とIMF(国際通貨基金)の支援に加え、投資した民間銀行も償還延期や一部債権放棄に応じることとなった。これは事実上の債務不履行である。それでもギリシャにとって債務負担の軽減は十分でない。民間銀行にとっても、さらなるデフォルトリスクはなお小さくないとの見方が多い。

 こうした国債の過大な発行を未然に防ぎ、人々の信用を確保するため、実は種々の工夫が講じられてきた。例えば、米国では連邦債務の上限が法律で定められている。日本では、赤字国債発行のために特例公債法の成立を毎年求めている。

 皮肉なことに、これらの歯止め策により、両国とも国債発行困難化のリスクが目前に迫っている。しかし、こうした制度が本来後押しするのは、財政再建策のための真摯(しんし)な議論であり、国の債務に対する信認確保に向けたたゆまぬ取り組みのはずである。日米の立法府の役割は大変に重い。

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