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新自由主義とは何か

「東海アマ」ツィッターから転載。
この大学生は、素直で善良な人間だと思うが、同じような人々のために、念のために「資本主義の否定イコール社会主義、あるいは共産主義」とは限らない、と言っておこう。
もちろん、私も「どちらかと言えば社会主義」の方なのだが、ただ、完全な社会主義も完全な資本主義(自由主義)も存在しないのであり、実際にはその折衷でどの国家も動いているのである。したがって、社会主義を完全否定するのも資本主義を完全否定するのも間違いだ。
私が否定しているのも資本主義ではない。

私が否定しているのは「新自由主義」であり、それを私流に言えば「強欲資本主義」である。具体的には小泉改革以来の日本社会がそうであり、それはアメリカのレーガン、イギリスのサッチャー以来、世界の資本主義の大勢になったものだ。それらの国ではすべて貧富の差がどんどん拡大し、福祉費用はどんどん削減され、中間層は貧困層へと転落した。そして上位数パーセントの富裕層が富の大半を独占するようになったのである。つまり、国民の大半の犠牲の上にほんのわずかな富裕層が豪華な生活を楽しむという社会が私の言う「強欲資本主義」だ。しかも、政治がそれをバックアップし、低所得層から高所得層への恒常的な富の移転(吸い上げ)が制度化されてしまっている。
こうした社会で下から上に行くのは非常に困難である。そのためには「競争」に打ち勝ち、他人を蹴落とさねばならない。そのようにして上に行った人間は他人の不幸に同情するような心性を失っている。上に行けた自分は努力をしたのであり、負けた人間は努力が足りなかったのだ。そういう怠け者や負け犬になぜ(福祉政策などで)援助する必要がある。それでは自分の努力の意味がなくなるではないか。そういう万人平等の結果を与える思想は「アカ」の思想だ、というわけだ。
そして、下の人間たちのそういう「競争」の結果として得られる利益を、上の人間は自分は何もしないでも手に入れられる。それが「強欲資本主義」である。それを「新自由主義」と言うのは、彼らが「すべての規制を取り払い、いくらでも強欲な企業活動が自由にできるようにしろ」という主張をしているからである。つまり、自由とは庶民の自由などではない。
かといって、社会主義にも欠点があるのはもちろんであり、それを論じると長くなるから、今日はここまでとする。


(以下引用)


» prometeusp ミナミちゃんに振られた大学生
tokaiamaがリツイート
@ @tokaiama 僕も少し前まで、資本主義下の自由競争で1人1人が頑張るのが大事なんだと思ってた。 でも今は、原発事故を通して資本主義が「他人の人生を台無しにしてでも富を得たい」 という欲望を正当化する為の物だと分かってしまった。 だから今は東海アマさんの主張が正しいと分かる。
12時間前

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