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南堂氏の東日本復興計画

久し振りに「泉の波立ち」から転載する。
東日本をいかにして復興するかについて、そのうち論じようと思っていたが、南堂氏が先鞭をつけてくれたので、参考までに掲載しておく。
もちろん、ここに書かれたことのすべてに賛成するわけではないが、いい叩き台になる。
政府主催の復興会議も存在するが、だいたいそういうもので出てくる案は官僚が書いた案がほとんどそのままだと思われるし、官僚というものは新しい構想というものが苦手な連中だから、あまり期待できない。むしろ、素人や子供のほうがいいアイディアを出せる可能性が高い。専門家(役人)というものは基本アイディアを考えさせるよりは、そのアイディアを実現する際の技術的場面で使うべきだろう。


(以下引用)


2011年07月27日
◆ 復興会議の提言への対案
 復興会議は復興の提言を出した。それとは別に、私も対案を提出する。私案として。

 ──  

 《 目次 》

 ■ 基本
  § 救助よりも
  § 地震はまた来る
  § 40年後に地震
  § 単純な復興は不可
  § 先人の教訓
 ■ リアス式海岸部
  § 地形と被害
  § 田老地区
  § 居住禁止
  § 高台の造成は不可
  § 内陸部へ
  § バスを整備
 ■ 平野部
  § 水没対策
  § 小さな住居
  § 地震保険
  § 地盤沈下 
 ■ 気仙沼
  § 気仙沼の教訓
  § ビルの配置
  § ビルの役割
  § 高層ビルはダメ
  § 燃料タンクの炎上
 ■ 防潮堤
  § 防潮堤は無効
  § 内陸部の堤防
 ■愚策
  § 仮設住宅
  § 塩害農地
  § ローカル鉄道
  § 福島で太陽光発電
  § 原発近辺を復興するな
 ■ 結語
  § 津波の塔
  § 震災公園
 ■ 結語


--------------------------------------------------------------------------------


 基本
 § 救助よりも    

 復興に当たって、基本的な理念を示そう。「被災地の人々はかわいそうだから助けよう」という人道的な精神が普通だろう。だが、もっと大切なことがある。それは反省だ。反省して、その反省の記憶を未来に残すこと。これが最も重要なことだ。さもなくば将来、ふたたび1万人以上の死者を出すことになる。

 § 地震はまた来る    

 この地震は特別なものではない。「千年に1度の特別な大地震だ」ということはない。実は今回、気象庁のマグニチュードの基準が変更された。以前は「気象庁マグニチュード」だったが、今回は「モーメントマグニチュード」に変更された。その数値は「マグニチュード9.0」だったが、これを従来の「気象庁マグニチュード」で示すと「マグニチュード8.4」だ。この値は明治三陸地震と同規模だ。百年に一度ぐらいの頻度で起こる。だから百年後には今回と同程度の地震が来るだろう。今回の地震は特別ではないのだ。

 § 40年後に地震    

 明治三陸地震は、今回の地震と同規模だった。その37年後には、昭和三陸地震(マグニチュード8.1)が起こった。それは千名以上の死者を出した。昭和三陸地震は明治三陸地震と関連しているとも言われる。それが正しければ、今から40年後ぐらいに昭和三陸地震の再来があってもおかしくない。しかもそれは深夜に発生するかもしれない。
 地震は深夜に起こることもある。昭和三陸地震はそうだった。その歴史を忘れてはならない。今回の地震はまだ幸運だったのだ。

 § 単純な復興は不可    

 復興と言っても、同じものを作ってはダメだ。同じものを作れば、同じ被害に遭う。新たに作る街並みは、40年後に来る地震への備えが必要だ。つまり、抜本的に作り替える必要がある。では、どうするべきか?
 津波対策として、海際に巨大な防潮堤を作ればいいか? あるいは、巨大な高層ビルを作って、防潮堤のかわりにすればいいか? いや、いずれもダメだ。田老や釜石の防潮堤は、巨大な津波によって破壊された。自然の力はあまりにも巨大であり、人間の力はそれに対抗し得ないのだ。
 大切なのは、自然への謙虚さだ。田老や釜石では、その謙虚さがなかった。だから巨大な防潮堤を作り、自然に対抗できると自惚れた。そのあげく、莫大な死者を出した。1200億円をかけても、その防潮堤は人の命を救うことはできなかったし、かえって「油断」をもたらして、多大な死者を出す結果となった。反省なしに巨額の費用をかけても、逆効果なのだ。

 § 先人の教訓    

 逆に、反省が命を救った礼もある。宮古市・姉吉地区の大津浪記念碑という石碑には、次の文字が刻まれている。「ここより下に家を建てるな。明治29年にも昭和8年にも津浪はここまで来て部落は全滅。生存者、僅かに前に二人、後に四人のみ。幾歳経るとも要心あれ」と。
 先人の教えを子孫は守った。海から離れた高台に家を建てた。そのおかげで死者は一人も出さなかった。反省の記憶が命を救ったのだ。ここで役立ったのは、小さな石碑だったのだ。巨大な防潮堤のかわりに、小さな石碑が、今回の津波から村人たちの命を救ったのだ。
 われわれが未来に残すべきものとしては、立派なビルよりも、もっと大切なものがある。それは、被害のの記憶を風化させないことだ。それが次の被災を予防する。復興の前に理解するべきは、そのことだ。


 リアス式海岸部
 § 地形と被害    

 リアス式海岸の地域では、被害が特に大きかった。津波が湾の奥に進むと、津波が高まるからだ。最大では30メートル以上になったという。これらの地域では、地形の特殊性ゆえ、特別な対処が必要だ。

 § 田老地区    

 田老地区では、巨大な防潮堤が作られた。X字型の防潮堤である。陸から海に突き出した∧型の防潮堤が作られてから、さらに海方向にV型の新しい防潮堤が作られた。しかしこの新しい防潮堤は、今回の津波で破壊され、防潮堤の内側は水没した。死者は多数。
 古い防潮堤の外側は、もともと人の住む場所ではなかった。なのに新しい防潮堤が作られたあと、「そこは安全だ」と思った人々が、そこに住み着いた。そのせいで巨大な死者を出すことになった。つまり、防潮堤への過信が、多大な死者をもたらした。
 ここから教訓が得られる。巨額の金をかけて防潮堤を作ればいいのではない。もっと別の方法がある。

 § 居住禁止    

 巨大な防潮堤のかわりに、頑丈なコンクリのビルを作ればいいか? 現実を見よう。南三陸の庁舎は、鉄骨だけを残して、壁をすべて剥ぎ取られた。女川のビルは、津波に襲われて、倒壊した。津波はそれほどにも強力なのだ。とすれば、「津波に耐えるビルを作ろう」と思っても無駄だ。
 それよりは、危険な土地にはもともと居住しないのが賢明だ。だから、このような土地は、居住禁止にするべきだ。やたらと「復興しよう」と思うよりは、「居住禁止にする」方が大切だ。石碑の教えのように。
(漁業などのために、産業用のビルを作ることはあってもいいが、人間は居住するべきではない。)

 § 高台の造成は不可    

 高台で山を削り住宅地を造成しよう、という案もある。しかし、削った山側部分は崩れやすく、盛り土した谷側部分も崩れやすい。あえて地震で崩れやすい土地を、莫大な費用をかけて造成するべきではない。死者を増やすために大金を使うのも同然だ。

 § 内陸部へ    

 では、どうすればいいか? 内陸部に住宅地を置けばいい。そして、住宅地と沿岸部とを、バスで結べばいい。つまり、通勤するわけだ。電気自転車を使ってもいい。
 それによるデメリットは? 通勤時間20分程度かかることだけだ。なのに、その20分を惜しんだ人々が、沿岸部に住居を据えた。そのあげく、家屋を流され、命を失った。一方、その20分を惜しまなかった姉吉地区の人々は、石碑の教えを守ったので、家屋も命も失わなかった。
 都会の人間ならば、1時間の通勤はざらだ。なのに、20分程度の通勤時間を惜しむ精神が、多大な損害と死者をもたらした。この点を反省するべきだろう。ここでは、政府が注ぐべきは、金ではない。金だけを注げば、その金は無駄になり、おまけに、ふたたび莫大な死者を出す。

 § バスを整備    

 どうせ金を掛けるなら、交通に金を掛ける方がいい。つまり、内陸部と沿岸部とを結ぶバスの補助金だ。デマンドバスなどを整備すれば、人々は内陸部に住める。そうすれば、石碑の教えを守ることができる。


 平野部
 § 水没対策    

 平野部では、高い津波は襲ってこない。仙台の海岸部でも、家屋が浸水したぐらいで済んでいる。とすれば、なすべきことは、水没対策だ。
 これについては、「4階以上の避難ビルをあちこちに作る」という対策がある。実際、それで人命については済むだろう。平野部では、人命よりも財産権(家屋)の問題が大きくなりそうだ。

 § 小さな住居    

 個人住宅などの小さな住居は、被害に差が出た。仙台では、木造の家は、ひび割れなどが起こって、住めなくなっていることが多い。津波よりも地震のせいだ。一方、鉄筋コンクリの住宅は大丈夫だった。
 政府は、全壊した木造家屋に 300万円の補償をするようだ。その金で木造建築をつくっても、40年後にまた壊れるだろう。それは無駄だ。むしろ、鉄筋や鉄骨製の頑丈な家屋を作るように推奨するといい。

 § 地震保険    

 この地域には、「地震・津波保険」を提案したい。全壊した家屋への補償をするが、そのかわり、今後は強制的な保険を設定する。そして木造建築には保険料金を高額にする。このことで、木造から鉄筋や鉄骨製への移行を促す。
 このような高額な保険には、住民の反対が予想される。しかし、安易に妥協すれば、次には多大な人命が失われかねない。たとえば「爺さんが金を惜しんで木造にしたから、孫が死んだ」というふうに。それでは子孫に顔向けができない。なるべく木造を避けるべきだ。鉄筋や鉄骨は耐用年数が長いというメリットもある。国は融資などで面倒を見るといいだろう。

 § 地盤沈下     

 石巻などでは、地盤沈下が激しく、地面が水没する。これに対しては、「各地のガレキを運んで、かさ上げする」という案も考えられる。そうすればガレキ処理と水没対策の一石二鳥だ。
 しかし、それには巨額の金がかかるので、お勧めできない。むしろ、水没した地域は、放棄するべきだ。仙台付近には、人の住んでいない農地がいっぱいある。その農地を住宅地に転用すればいい。
 莫大な金を費やて自然を改造するのは無駄だ。むしろ人が別の土地に移動する方がいい。政府が金を出すなら、「自然を改造する費用」ではなく、「人が引っ越しのための費用」だろう。


 気仙沼
 § 気仙沼の教訓    

 気仙沼の地形は、リアス式海岸とも言えるし、平野部とも言える。中間的だ。ここを津波が襲った。さらに津波は、川を遡行して、堤防を越えて、堤防のそばにあるビルを津波で倒壊させた。このことから教訓が得られる。

 § ビルの配置    

 津波への対策として、「岸辺に建てたビルを防潮堤のかわりにする」という案がある。しかし、その案はダメなのだ。防潮堤のかわりとなったビルが、防潮堤が崩れるのと同じように、倒壊してしまうからだ。(気仙沼の例からわかる。)
 では、どうすればいいか? ビルを横に広げて、津波を防ごうとすれば、ビルは倒壊する。しかし、ビルを縦に並べて、津波を受け流すようにすれば、ビルは倒壊しない。
 つまりビルは、津波を止めようとするのではなく、ビル自体が倒壊しないことを目的とする。そうなるように配置するべきだ。(そもそも、「ビルで津波を阻止しよう」というのは、思い上がった発想だ。コンクリの塊である防潮堤でさえ、津波には崩されてしまったのだ。)

 § ビルの役割    

 ビルは津波を阻止できない。しかしビルは津波の勢いを弱めることはできる。だから、岸辺や堤防のあたりに、ビルをたくさん建てておくことは、それなりに有益だ。ただ、ビルそのものが壊れてしまっては、効果も半減する。ビルが壊れない仕組みも必要だ。
 そのためには、「1階をピロティ形式にする」ことも大切だ。実際、今回の津波でも、1階をピロティ形式にしたビルは倒壊しにくかったと判明している。

 § 高層ビルはダメ    

 「高層ビルを作れば津波に対抗できる」という案もありそうだが、ダメだ。第1に、莫大なコストがかかるので、無理だ。第2に、「地震でエレベーターが止まってしまう」という難点もある。今回もそう追い右例が多かった。下手をすると、2階あたりでエレベーターが止まって、エレベータのなかで水死しそうだ。

 § 燃料タンクの炎上    

 別の教訓もある。気仙沼では、燃料タンクがいくつも爆発して、そこらが火の海になったのだ。さながら焦熱地獄である。人々は津波の被害だけに目を奪われているが、火の被害も重要だ。石油タンク・ガスタンクの地震対策も怠ってはならない。


 防潮堤
 § 防潮堤は無効    

 津波対策というと、防潮堤が話題になる。しかし今回の教訓は、「巨大な津波には防潮堤は無効だ」ということだ。日本一と言われた田老の防潮堤も、1200億円をかけた釜石の防潮堤も、破壊された。復興で巨大な防潮堤を作るのは無駄だ。

 § 内陸部の堤防    

 ただし、注意。防潮堤がみな無駄だったわけではない。田老の防潮堤も、内陸側の防潮堤は有効だった。仙台でも、盛り土してある高速道路が防潮堤の役割を果たして津波を阻止し、有効だった。岩手県普代村では、内陸部にある水門が、津波の遡行を阻止したので、上流側では被害を免れた。(下流側は壊滅したが。)
 以上のことから結論が得られる。それは「海岸部にある防潮堤は無効だが、内陸部にある防潮堤は有効だ」ということだ。では、なぜか? 海岸部にある防潮堤は、海から来た津波の直撃を受ける。一方、内陸部にある防潮堤は、津波が陸上を這いながら勢いをそがれるのだ。
 だから、「防潮堤を作るならば内陸部に作れ」と言える。換言すれば、海岸から一定範囲の陸地は、水没を前提として、見捨てる必要がある。そこには事業用のビルもない方がいい。海岸から一定の範囲は、緩衝地帯として、何も設置しない方がいい。何かを置くべきだとしたら、砂防林のような樹林だ。それが津波の勢いをそぐ。そして、緩衝地帯よりも内陸側に、防潮堤を構築する。これがベストだろう。


愚策
 なすべき対策ではなく、なしてはならない対策も考えよう。

 § 仮設住宅    

 仮設住宅には、法定費用の280万円を超えた400万円程度が投入される。一方、全壊した住居の補償として、300万円程度を支払う。合計700万円。それでいて、2年後ぐらいには取り壊される。そんなもののために多額の金を払うのは、もったいない。どうせなら、永続的な住宅を建築する方がいい。
 仮設住宅は、なるべくやめた方がいい。どうしてもやるなら、まず400万円を現金で渡してから、その現金で購入してもらう方がいい。そうすれば無駄をする人はいなくなるはずだ。

 § 塩害農地    

 塩害の農地はどうするか? 対策として、除塩に国が9割補助するそうだ。しかし、これは非合理すぎる。なぜならは、稲作はもともと赤字事業だからだ。赤字事業のために大金を投入するのは不合理だ。どうしても除塩をやるなら、地主が自分でやればいい。国は、地主に一定の補償金を与えるだけでいい。その金で除塩するか農作放棄するかは、地主に任せればいい。
 常識的には、補償金を得た地主は、内陸部の休耕地を借りて農作をする。それでいい。あえて除塩のために莫大な金を投入する必要はない。

 § ローカル鉄道    

 ローカル鉄道は、線路や駅舎が津波で破壊され、復旧には莫大な費用が必要だ。国が援助するべきか?
 実は、ローカル鉄道は、もともと赤字で、JRから分離されたものだ。復旧しても赤字である。赤字事業のために、巨額資金を投資するのは無駄である。しかも、40年後には、また津波で破壊される。
 どうせ金を出すなら、もっといい方法がある。線路を埋めて、道路にして、そこにバスを通すのだ。そして、浮いた費用で、バスの補助金にする。たとえば、月額3千円のバス代の半額を補助する。住民にとっては、安くて済むので、ありがたいだろう。
 ただし、別案もある。鉄道を復旧するが、その鉄道は土盛りして、内陸堤防にする。その土盛りには、放射性のガレキを使う。そのための費用は、鉄道建設費ではなく、放射性のガレキの処分費と、内陸堤防の建設費を使う。このことで、コストを浮かせて、鉄道を復旧する。

 § 福島で太陽光発電    

 福島で放射性物質を浴びた農地をどうするべきか? 「太陽光発電をすればいい」という案もある。しかし、コストを考えれば、不可能だ。太陽光発電の補助金を出せば、超巨額になるからだ。どうせ補助金を出すなら、休耕地としたまま、農家に所得補償をすればいい。
 農家には、その後、別の土地の休耕地で農業をしてもらう。全国各地にある休耕地で農作がなされ、かわりに、福島の土地が休耕地になる。これでつじつまは合う。この際、休耕地の場所が交換されするだけだ。この方が、無駄がなくて、合理的である。

 § 原発近辺を復興するな    

 原発近辺の土地(特に10キロ圏内)は、高濃度の放射線で汚染されている。ここをどうするか? セシウムの半減期は30年だが、30年たったら住めるわけではないし、百年以上も居住不可となるだろう。その期間は、人の寿命を超える。ならば、「戻れない」とはっきり示すべきだ。
 できれば居住禁止にするべきだが、余命が少ない高齢者にまで「住むな」と無理強はできない。では、どうするか? 「居住禁止にはしないが、居住を推進はしない」という方針を取るといい。それはつまり、「ここを復興しない」ということだ。
 具体的には? 「人を引き寄せるために金を使わない」ということだ。そもそも、原発は危険だ。とすれば、「原発から遠ざけるため」に金を使うべきだ。なのに現実には逆に、「人を引き寄せるため」に金を使った。これは本末転倒だ。そのせいで、原発の近くに多くの人々が引き寄せられた。
 今後はその政策を逆方向に転じるべきだ。どうせ金を使うなら、原発に引き寄せるためでなく、原発から引き離すために使うべきだ。金は、そこを復興するために使うよりは、そこから転居するために使うべきだ。浪江町などは、段階的に、ゴーストタウンにするべきだろう。住民には気の毒だとは思うが。


 記念碑
 現在から未来へと記憶を残すために、記念碑となるものを残すといいだろう。

 § 津波の塔    

 例の石碑に似たものとして、津波の塔を作るといい。各地の公園に、「ここまで津波が来ました」と水深を記した塔を構築する。それを見るたびに、人々は「この高さまで津波が来たんだ」と思い出すことができる。これが子孫のために残せる最大の贈り物だろう。
 姉吉地区の人々は、先祖の送ってくれた石碑のおかげで、家屋と命を救われた。それと似たものを、われわれが子孫に贈るべきだ。われわれが先祖から贈られた知恵を、後の世代に伝えるべきだ。それも、石のように風化しない形で。

 § 震災公園    

 さらに、「震災公園」というものを整備するといい。復興にあたって、一定の広い面積を確保して、公園とする。(特に海岸沿いが好ましい。)
 そこには、「津波の塔」を置くだけでなく、桜を植える。その桜は、今はまだみすぼらしいが、50年以上たつと、桜の巨樹になり、人々は花見に来るようになる。素晴らしく大きな桜を見ながら、「この見事な桜は誰が植えたのだろう」と思う。そのとき、先人が子孫への教訓として贈ったのだ、ということがわかる。
 50年以上立てば、たいていの人が津波の記憶を忘れてしまっている。ちょうどそのころ、桜は素晴らしく大きな姿で、人々に何かを教える。人々の記憶が褪せたころに、桜の美しさはいっそう素晴らしくなる。


 結語
 本項では、冷たいことも述べた。しかし、生命を守るためには、仕方ない。政府の方針の基本は、「人命を救うこと」を最優先とするべきだ。「故郷に住みたい」「わが家に住みたい」という住民感情はわかるが、そのことで人命をないがしろにすることがあってはならない。厳しくても心を鬼にする覚悟が必要となる。たとえ住民に罵られても、住民の命を守るべきだ。特に、黙っている子供たちの命を。


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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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