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ローズヴェルトの「金融資本主義」批判

私がしばしば書いてきた「恐怖すべきは恐怖そのものである」という言葉のオリジナルは、ウィキペディアなどによると、フランクリン・ローズヴェルトとされている。私は、チャーチルかと思っていたのだが、政治家として頭角を現したのはフランクリン・ローズヴェルトの方がかなり先だから、こちらがやはりオリジナルなのだろう。言葉の出典を探したついでに、この言葉が使われたローズヴェルトの大統領就任演説を読むと、これが素晴らしい内容なのである。ぜひ、高校社会科の副読本(資料集)に入れてほしい内容だ。だが、ユダ金批判と思われる内容がかなり比重を占めている演説だから、ユダ金支配の世界では、この演説は無視されていくのだろう。
このローズヴェルトの演説(大恐慌の時代に彼は大統領に就任した。)を読むと、彼は「大恐慌」がユダ金の操作で起こったことをはっきりと意識していたように思われる。
そして、今の時代、戦争もまたユダ金たちが「作って」いる。
下記演説を読むと、(electronic journal氏が言う)彼がロックフェラーの回し者だとかいう言説は信じがたい。口でなら何でも言えるさ、と言われるかもしれないが、顔と同様、言葉は人格をも表すものだ。


(以下引用)*赤字部分は夢人による強調。また、原文の誤記を一箇所訂正した。

フランクリン・ローズヴェルトの第1回大統領就任演説



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ハーバート・フーヴァーの大統領就任演説


フランクリン・ローズヴェルトの第2回大統領就任演説


フランクリン・ローズヴェルトの第1回大統領就任演説
作者:フランクリン・ローズヴェルト



この演説は、193334に行われた。
ローズヴェルトは、冒頭で「我々が恐怖すべきことはただ1つ、恐怖そのものなのである」と述べ、世界恐慌に襲われた米国経済を再建するために、恐れず前進するよう呼び掛けた。また、金融業者を恐慌の元凶として指弾し、拝金主義を改めるべきであるとした。外交面では善隣外交政策を進めるとした。更に、議会に対しては強大な行政権を認めるよう要請し、国民に対しては国家から施しを受けるばかりでなく、国家に奉仕するよう訴えた。

演説[編集]



ジョーゼフ・ロビンソン(右)と共に就任パレードに臨む、ローズヴェルト(左)と妻エレノア(中央)


我が同胞たる国民諸君は、大統領に就任する私が、我が国の現状が要求する率直さと決意をもって語ることを期待していることであろう。率直かつ大胆に真実を、全ての真実を語るべき時が来た。我が国の現状に真摯に立ち向かうのを恐れる必要などない。この偉大な国家は必ずや、これまでと同様に耐え抜き、復活し、繁栄する。だから手始めに、私の固い信念について言いたい。我々が恐怖すべきことはただ1つ、恐怖そのものなのである――名状し難く理不尽で不当な恐怖は、撤退を前進へと転換させるために必要な努力を麻痺させてしまう。国民生活が暗黒の時を迎えようとも、率直で活発な指導者に対し、勝利に不可欠な国民の理解と支持を受けた。この危機的な日々にあっても、諸君は再び指導者を支持してくれる。私はそう確信している。


私の側も、諸君の側も、こうした精神で共通の困難に立ち向かう。幸いにも、困難は物的なものに限られている。物価は極度に下落した。税率は上昇した。我々の支払い余力は低下した。政府全体が深刻な歳入減に直面している。取引の流れにおける交換手段は凍結している。枯れ葉と化した企業の姿が至る所に見られる。農家は作物を売る場を見付けられずにいる。多くの家庭が長年の貯蓄を失った。


更に重要なのは、多数の失業者が生き延びるのも困難な状況にあり、同じく多数の人々が低賃金の重労働を強いられているということである。現在の暗い現実を否定できるのは、愚かな楽観主義者のみである。


しかし我々の苦難は、本質的な機能不全から来ている訳ではない。我々は、の異常発生に襲われた訳ではない。我々の祖先が恐れず信念を持って克服してきた危機に比べれば、我々は遥かに恵まれている。自然は今も恩恵をもたらし、人間の努力はそれを増加させてきた。富が目の前にあるのに、まさしく供給面の問題により、存分に活用できなくなっている。主にこれは財貨の取引を司る者らが頑迷かつ無能であるがために失敗し、己の失敗を認めて逃げ出したからである。金融業者の悪辣な行為は心底から忌避され、世論という法廷に立たされている。


確かに彼らも努力はしたが、それは時代遅れの方法に基づく努力であった。信用崩壊に直面した彼らが提案したことといえば、融資額の増加のみである。利潤を餌にして偽りの指導力に従うよう国民を誘導するという手法が使えなくなった彼らは、泣き落としで信頼を回復しようとしている。彼らは利己的な世代の法則しか知らないのである。彼らは展望を持っていない。展望がなければ、国民は滅びてしまう。


金融業者は、我々の文明という殿堂における高位から逃げ出した[1]。今こそ、その殿堂に古き真理を甦らせよう。復興の程は、我々が単なる金銭的利益よりも崇高な社会的価値をどこまで重視するかに懸かっているのである。


幸福は、単なる金銭の所有の中にある訳ではない。達成の喜びや、創造的努力による感動の中に存在するのである。儚い利益を狂ったように追ううちに、勤労の喜びと道徳的な刺激を忘れるようなことは、もはやあってはいけない。真の運命は与えられるものではなく、我々が自身や同胞に与えるものだという教訓が得られるならば、この暗黒の日々にも、苦労するだけの価値はあろう。


物的な富を成功の尺度にするのは誤りだと認識することは、公職や高い政治的地位を優位性や個人的利益という尺度だけによって評価するという誤った信念の放棄に繋がる。銀行や企業が繰り返してきた所業は、厳粛な信託が冷酷で利己的な悪行であるかのように思えてしまうほどのものであったが、こうした所業に終止符を打たねばならない。信頼感が薄れるのも無理はない。何故ならば、実直に、敬意を持ち、義務を尊び、誠実に守り、利他的な行動をして始めて、信頼感は醸成されるのであって、これらがなければ信頼感などあり得ないからである。


しかし復興に必要なのは、倫理的変革だけではない。この国には行動が、しかも今行動することが必要なのである。


最大の優先課題は、国民を職に就けることである。賢明かつ勇敢に取り組めば、この問題は解決不可能ではない。戦時の非常事態への対処と同様に、政府自体が直接雇用すれば、ある程度は達成し得る。だが同時に、国内の天然資源の利用を促し、再編する上で必要な計画も達成せねばならない。


それと共に、人口が工業地帯に偏っている事実を率直に認め、全国規模での再配分によって、各々の土地に適した人材を配置し、土地のより良い利用を提供する努力をせねばならない。そのためにできることは色々ある。農産物価格を引き上げることや、都市の産品に対する購買力を高めること。小さな家や農場が差し押さえられて損失が膨らむという悲劇を、現実的手段によって防ぐこと。連邦政府、州政府、地方自治体が、大幅な歳出削減要求に直ちに従うよう主張すること。現状では分散的で、不経済で、不平等になりがちである、救助活動を統合すること。公的性格を明確に有する、運輸、通信その他全ての事業に関する、全国的な計画と管理。多くの方法があるが、単に語るだけでは何ら貢献しない。我々は行動せねばならない。しかも迅速にである。


最後に、我々は仕事を再開するに際し、旧体制の悪弊の復活に対する2つの予防措置を必要とする。全ての銀行業務、信用取引、投資を厳しく監督し、他者の資金を用いた投機に終止符を打たねばならない。そして、充分にして健全な通貨を準備せねばならない。


目標は以上の通りである。私は現在これらを遂行するための詳細な措置を、新しい議会の特別議会で要請すると共に、諸州が直ちに援助するよう求めたい。


この行動計画を通じて、我々は国家を再建し、収支を均衡させる。国際貿易関係も極めて重要であるが、現時点では健全な国内経済の確立が先である。優先課題に最初に取り組むことこそ実際的な政策であると、私は考える。国際経済の見直しによって世界貿易を元に戻す努力を惜しむ気はないが、国内の非常事態はその成果を待っていられない。


国家復興に向けたこれらの具体的手段を導く基本方針は、単にナショナリスティックなものではない。合衆国内の多様な要素の相互依存を重視すること――古くからの、そして永久に重要な、米国の開拓魂の発露を認識すること――このことをまず考慮すべきなのである。これこそ、復興への道である。これこそ、近道である。これこそ、復興の継続に対する、最も強い保証なのである。


世界政策の分野においては、善隣外交政策を採るべきであると考える。断固として己を尊重し、そうするが故に他者の権利を尊重する。己の義務を尊重すると共に、隣人の世界における合意の神聖さを尊重する。


思うに、国民全体が己の相互依存性を今ほど実感したことはあるまい。我々は単に与えられるだけれはなく、与えねばならない。前進するには、訓練された忠実な軍隊として、共通の規律のために犠牲を厭わず行動せねばならない。何故ならば、こうした規律がなければ、進歩も為されず、指導力も効果を持ち得ないからである。我々には、こうした規律のために己の生命と財産を進んで差し出す覚悟があるはずである。何故ならば、そうすることで、より大きな利益を目指す指導力が生まれるからである。より大きな目的が、かつては武装闘争時にのみ喚起されてきた、義務感による結束を伴った神聖な責務として、我々全てを拘束すると誓いつつ、こうした指導力を提供したいと私は考えている。


この誓いの下、共通の問題にひたむきに規律をもって挑む国民という偉大な軍隊の指導者としての地位を、私は躊躇せず受け容れる。


こうした構想に基づく行動、こうした目的に向けた行動は、我々が先人から受け継いだ統治形態の下で実現し得る。我が国の憲法は実に簡素で実際的なので、特殊事情に対しても、強調と配列の変更によって、本質的形態を失うことなく常に対処し得る[2]。だからこそ我が国の憲法制度は、近代世界が生んだ最も持続性のある政治機構であるということを自ら証明してきたのである。それは、大幅な領土拡大、対外戦争、激しい内紛、世界関係といった数々の圧力にも対処してきた。


行政権と立法権との間に常に保たれている均衡は、我々が直面する未曾有の課題に対処するに最適な状態にであることが望ましい。だが、遅滞なき行動を求める未曾有の要求の故に、公的手続きに関して、通常の均衡から一時的に逸脱する必要が生じることもあろう。


私は憲法が定める義務の下で、傷付いた世界の只中にいる、傷付いた国民が必要とするであろう措置を勧告する用意がある。これらの措置、または議会がその経験と叡智から生み出す措置を、憲法が定める権限の枠内で、速やかに採択するよう努める。


私は措置を勧告することが私の憲法上の義務を負う覚悟が必要な場合がある被災の世界の真っ只中に襲われた国家。これらの措置、またはその経験と知恵から構築することが議会のようなその他の措置は、私は迅速な導入に持って、私の憲法上の権限の範囲内で、求めなければならない。


だが、議会がこれら2つの道のいずれも採らないとしても、そして国家の非常事態が続くとしても、私は己が直面する明確な責務という道から逃げたりしない。私は、危機に対処するための唯一残された手段――我が国が外敵に侵略された際に私に与えられるであろう力と同等の、広汎な行政権――を議会に要求する。


託された信頼に、私は時代に相応しい勇気と献身をもって応える。必ずや応えて見せる。


我々は、国民の結束という暖かい勇気を得て、眼前に待ち受ける困難な日々に立ち向かう。古く貴い道義的価値観を追求することを明確に自覚する。老いも若きも同様の義務を断固として果たすことで得られる、高い充足感をもって。円熟した国民生活が永久に続くようにすること、それが我々の目標である。


我々は、本質的民主主義の将来を疑わない。米国民は失敗した訳ではない。必要に迫られた彼らは、活発な直接行動を望むとの負託を示した。指導者の下で規律と方向性を求めた。己の願望を叶えるために私を選出した。私は、彼らの負託を受け入れる所存である。


この国民的宣誓において、我々は謹んで神の御加護を願う。主よ、我々各自を護り給え。主よ、来たる日々において、私を導き給え。

訳註[編集]

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  1. 元の位置に戻る ↑ 『新約聖書』の「マタイによる福音書」第2112-13節を想起させる表現である。なお、本文中で「金融業者」と訳した部分の原文は「money changers(金銭を交換する人、両替商)」であり、英語版の新約聖書でも同様の表現が見られる。また、大量の株取引を行う投機家も「money changers」に含まれていると思われる。

  2. 元の位置に戻る ↑ 「強調と配列の変更(changes in emphasis and arrangement)」とは、米国が時代に応じて行ってきた解釈改憲を指す。

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