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ミス・オーティスは残念ながら


昨日書いたように私は村上春樹の小説が苦手(短編しか読んでいないが)なのだが、彼のエッセイは幾つか読んでいる。数日前に市民図書館から借りた中にも彼のエッセイ集(「村上ソングズ」)があったのを思い出して今読んでみたら、一つ新しい知識を得た。
私はシャンソンの「想い出のサントロペ」という歌(引用参照)が好きなのだが、同書中にあるコール・ポーター作詞作曲の或る曲の詞がそれによく似ているのである。
それを下に書き写し、村上春樹訳を参考に作った私の訳もつけておく。


Miss Otis Regrets ミス・オーティスは残念ながら

Miss Otis regrets she’s unable to lunch today  
Madame                    
Miss Otis regrets she’s unable to lunch today  
She is sorry to be delayed           
But last evening down in lover’s lane she strayed 
Madame                     
Miss Otis regrets she’s unable to lunch today   
                        
 
When she woke up and found that her dream of love was gone 
Madame                  
She ran to the man who had led her so far astray  
And from under her velvet gown         
She drew a gun and shot her lover down     
Madame                        
Miss Otis regrets she’s unable to lunch today  


The mob came und got her and dragged her from the jail  
Madame                  
They strung her upon the old willow across the way 
And the moment before she died      
She lifted up her lovely head and cried  
Madame                   
Miss Otis regrets she’s unable to lunch today  
Miss Otis regrets she’s unable to lunch today  



「ミス・オーティスはお詫びしてます」   

ミス・オーティスは残念ながら昼食には参れません  
マダム
ミス・オーティスは今日の昼食をご一緒できないとお詫びしてます
昨夜恋人の小路で道に迷ったのです
マダム
今日の昼食に参れないのが残念だとのことです

今朝目覚め 恋の夢が永遠に去ったことを知り  
奥様
彼女は無情な恋人のもとに駆けつけ
ビロードのガウンの下から
銃を引き抜いて 恋人を撃ちました
奥様
ミス・オーティスは今日の昼食には参れません

群衆が監獄から彼女を引きずり出して引き回し   
奥様
道の向こうの古い柳の木に吊るしました
死ぬ間際に彼女は
その愛らしい頭を上げ 叫びました
奥様     あなた様との約束の
昼食に参れなくて済まないと
昼食をご一緒できなくて済まないと





(引用「ハムレットの世情日記」より)



先日NHKのラジオ深夜便を聞いていたら衝撃的なシャンソンが流れてきた。金子由香利が歌っている「想い出のサントロペ」だ。原曲はコラ・ヴォケールの歌った新劇的シャンソンである。

爽やかな海辺の風のような心地よいイントロ。
主人公の女性が、海辺の別荘の持ち主に手紙を書いている形式で歌は進む。
そして主人公の女性が彼を・・・
ぞくっとする歌詞である。

訳詞

 ♪ この夏はサントロペにはまいりません
お借りしたあの家にはまいりません
この夏はサントロペにはまいりません
他のどなたかにどうぞ貸してください

あなたの家はとても美しく海の夜風がいつでも吹いていました

この夏はサントロペにはまいりません
とても楽しみに仕度もすんだのに
この夏はサントロペにはまいりません
望みをなくし彼も今はいません

あなたの家はとても美しく幸せに満ちた去年の夏でした

この夏はサントロペにはまいりません
私も彼も二度とは行けません
やがて誰かが私を捕らえます

いとしいあの人を、今、殺しました




ここでいともやさしく穏やかな後奏が流れ、
独白がかぶる。

Mon cherie madame,
この夏はサントロペにはまいりません
今年もこれからも・・・

と、多分フランス語の詞では、
毎年借りている貸し別荘の女主人に宛てた手紙の形を取っているので、
書き出しとして、
Mon cherie madameが入っていると思われる。



美しい海辺の別荘、潮風、淡淡と語る主人公。

 けれど、ラストはサスペンス風なショッキングで悲しい結末。


「太陽がいっぱい」とか「悲しみよこんにちわ」
とか、昔のフランス映画のサスペンスはハンサム(または美しい)主人公が恐ろしい殺人事件を起すのだが、あくまでそれはフィクションで、映画の中の美しいサスペンスとして楽しめたから良かった。

近頃はあまりに物騒で意味不明な無差別殺人や猟奇的な事件が起こりすぎて、フィクションの中のスリルとして殺人をとらえるのが難しい。

それでも、この曲の美しさが救いで、なんとなく聴いて見たいシャンソンとして人気がある。

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あをによし 奈良の小鹿は ヤバいほど好きよ

「谷間の百合」さんの今日のブログ記事(引用2)が面白かったので、坂上郎女の歌をネットで少し調べてみた。下に引用したもの以外にもまだたくさんあるようだが、この一連の歌は、まるで万葉時代の俵万智である。と言うより、短歌の中で、女性の、日常的で平明な恋歌となると、どうしても俵万智を連想するのが思考的定型になってしまっている。
なぜ坂上郎女の歌を調べたか、というと、「谷間の百合」さんの記事に引用されていた歌の中の「うるほしき」の意味が分からなかったからだ。喉を「うるおす」とは言うが「うるほしき言」とは何だろうか、と思って調べると、某万葉サイトでは「愛しき」と表記されており、納得した。ならば、シャンソンの古典「聞かせてよ 愛の言葉を」ではないか。
なお、下に引用する歌には私が勝手に句読点を付けた。そうでないと現代人には理解が難しい、という判断である。
坂上郎女の元歌はぴんと来なくても、現代語訳は現代の若い女性にも受けそうな内容だ。誰の訳かは知らないが、うまい訳だと思う。
奈良のポスターに付けられたキャッチコピーは私も感心しない。「ヤバい」をいい意味で使うあたりが「現代的だ」という売りなのだろうが、坂上郎女の歌とのつなげ方が強引すぎて厭味である。まあ、それを抜きにして可愛い小鹿を見て「ヤバいほど好きよ」と思うのならば、それは自然なことだ。
本来なら、この記事は「谷間の百合」さんのブログにコメントとしてでも出すようなものだが、長すぎるので、ここに書いた。日常の些末事を推理するのが趣味の私にとって元記事はいい思考素材でありました。

*小鹿の写真を見たい人は、「谷間の百合」さんの方へ直接GO!


(引用1)

656番
【坂上郎女】(さかのうえのいらつめ

我れのみぞ 君には恋ふる。 我が背子が
 恋ふといふことは言のなぐさぞ。

恋しいと想っているのは私ばかり あなたが恋しいよと言うのは口先ばかりだわ

657番
【坂上郎女】(さかのうえのいらつめ

思わじと言いてしものを、 はねず色の
 うつろひやすき 我が心かも。

もう あなたの事を考えるのはやめとうと思ったのに また、あなたを想ってる

(夢人注)「かも」は詠嘆の語。「~だなあ」と訳せばいい。「はねず色の」は不明。

658番
【坂上郎女】(さかのうえのいらつめ

思へども 験もなしと知るものを、
 何かここだく 我が恋ひわたる。

どんなにあなたを想っても仕方がないとわかっているのに どうしてこんなに 恋しく切ないんでしょう

(夢人注)「ここだく」は多いことを表すので、「こんなに」の訳でいい。「わたる」は「~し続ける」意。

659番
【坂上郎女】(さかのうえのいらつめ

あらかじめ 人言繁し。 かくしあらば
 しゐや我が背子 奥にいかにあらめ。 

今から人の噂がたっているのよ ねえあなた まったくこの先はどうなるんでしょうね

(夢人注)「かくしあらば」は「斯く、あらば」に強調の「し」をはさんだもの。「しゐや」は不明。

661番
【坂上郎女】(さかのうえのいらつめ)

恋ひ恋ひて、 逢へる時だに 愛しき
 言尽くしてよ。 長くと思はば。

恋しくて やっと逢えた時くらい 優しい言葉をいっぱい言ってよ 私をいつまでも愛する気持ちがあるのなら





(引用2「谷間の百合」より)



十月二十九日 その二  ポスター




きのうは用があって奈良へ行っていました。

雨のなか、傘を差して歩いていると、上の観光ポスターが目に止まりました。
あまりの可愛さに、しばし、立ち止まって見ていました。
そのうち、どうしても、このポスターが欲しくなりました。
ちょっと距離がありましたが、駅の観光案内所に行きました。

「あのポスターが欲しいのですが」と言うと、あれは非売品だとにべもない返事。
諦めきれず、独り言のように「欲しいのになあ」とかわいく呟いてみたのですが、駄目なものは駄目でした。
それで、貼ってあったポスターを撮ってきたというわけです。

帰って調べてみると、外にも何人かブログに貼っておられました。
子鹿の可愛さに夢中だったので、「ヤバイほど好きよ。」というキャッチコピーを認識したのは帰宅してからでした。
センスがいいと評判だったということですが、わたしには分かりませんでした。
あまりいいようには思えませんでした。

このコピーの横に小さい字で(。。。と大伴坂上朗女が詠まれました)とあります。
その大伴坂上朗女のうたはこれです。

「恋ひ恋ひて、逢えるときだにうるほしく、言尽くしてよ長くと思わば」

この「うた」を現代のコピーライターは「ヤバイほど好きよ。」と表現したのです。

わたしもコピーを考えてみようかなと闘志が湧いてきました。
可愛い子鹿にも似合うようなコピーを。


このポスターを紹介したいだけの記事でした。



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日常の芸術化

私にとって長い間の謎の一つが「茶道」であった。お茶を飲むだけのことをなぜあれほど面倒臭い儀式にし、しかもそれがなぜ、血で血を洗う戦国時代の武将たちの間ですら広まったのか。
戦国武将に関しては、お茶の席が一種のアジール(「聖別された逃避所・緩衝地帯」という意味としておく)であり、そこでは敵と味方さえも平和のうちに政治的密談を行うことが可能であった、という説があり、戦国武将にとってはこのメリットは大きかったのかもしれない。だが、一般人にとっては「茶を飲むことの儀式化」がなぜ必要だったのだろうか。日常のストレスからの逃避の場ならば、日常以上に強いストレスと緊張を要するような様々な作法や慣習の存在はナンセンスだろう。
茶道の達人たちの中にはそういう外面的な作法に拘らなくてもいい、という人もいるようだが、作法を抜きにした茶道は「茶を飲むだけ」に見える。そこに「茶道の精神」があれば、茶を飲むだけの行為も実は茶道になる、というのが結論になるのかもしれない。ちょうど、キリスト教におけるパリサイ派の「外面的規範を厳格に順守せよ」という行き方に対し、「内面性こそが大事である」、というイエス・キリストの教えが対立するようなものが、茶道にもあるようだ。
では、「茶道の精神」とは何か、と言えば、私は「日常の芸術化」である、と考える。もっと気どった言い方をすれば「日常の聖化」である。もっと普通に言えば、「日常を美に変える」ということだ。つまり、我々の日常の意識の深度が1か2であるならば、それを10にも100にも深めた意識で日常のあらゆることを見直し、その深度で生きることが茶道の精神ではないか、と私は考えている。私が味わう茶の味は、はたしてその茶の味の可能性を100%引き出したものだろうか。私が茶碗を扱う手つきは、果たして「美しい」だろうか。私が茶を入れる段取りは「芸術」だろうか。
もちろん、「茶」は「日常の芸術化」の象徴にすぎない。その意識で毎日を生きることで我々は人生を「高次元の生活」に変えられる、というのが茶道の意味ではないか、と私は妄想するわけである。
茶を飲むことは誰にでもできる。しかし、「茶を本当に飲む」ことは誰にでもできるわけではない、というこの誰にでも参加可能な、不思議な「日常の芸術化」が昔から多くの人の心を捉えてきたのではないだろうか。
コリン・ウィルソンが日本の茶道を知っていたら、ここにこそ「至高体験」に至る道がある、と言ったかもしれない。
なお、念のために言えば、私は世間的な意味での「茶道」体験は一度も無い。利休その他の先人たちも自分たちのやっていることを「茶道」とは言わなかったはずだ。「茶の湯」が「茶道」になったことと、お茶の儀式化や形骸化は並行して進行した気がする。




(以下「がま仙人のブログ(ガマ仙人の徒然草)」より転載)




ワシんちからスーパーまで
買い物に行く間に
日本庭園があって
そこにひっそり茶室がある
(この写真)

たぶん茶室だと思う  (茶室じゃなくてもいいけど)
しかも一畳半のものである
もしこれが茶室だとすると
ここのオーナーは相当すごいレベルだと思う

で一畳半の茶室の話をしよう

一疊半の茶室はすべての無駄を省いた
究極の茶室で利休が理想としものだ
禅僧として修行していた孫の宗旦が
利休のわび茶の思想を受け継ぎそれを極め
清貧に徹して「乞食宗旦」といわるまでになった
宗旦が設計する一疊半の茶室は、ついに
床さえ抜いてしまうという徹底ぶりだったんだね

利休はそもそもわび茶を追求してたわけだから
それを徹底的に極めていけば
最終的には宗旦の一畳半の茶室になるんじゃないか
ワシはそう思う

ちなみに今伝わっている茶道は
わび茶じゃないよ
たんなる茶道だよ
きれいな着物着て
お菓子くって
茶碗ほめて
茶道具の値段でびっくりしてみたり
価値のわからない掛け軸を絶賛したり
嫁の嗜みとしての茶道
旦那芸としての茶道
身体動作は美しくなるだろうけど
本来のわび茶じゃない
ワシはそう思う

もともと茶の湯ってさ
禅宗の坊主たちが
眠気ざましで飲んでた茶を作法化して
時の権力者の嗜みになったというだけのもので
たいしたもんじゃない

(中略)

長くなってしまった
わしがいいたいのは
村田珠光や乞食宗旦が
日常やってた清貧な生き方
そのものが茶の道なんだということ
そして禅の道なんだということだよ

そういう達人の極めた道をみてみたいもんだ
ブルーシートの中にガラクタを
詰めるだけ詰め込んで安心しているホームレス
部屋を汚し、ゴミだらけにして
ねっころがってTVを見ている貧乏さん
ここには道とかはない

また
綺麗な着物を着て
窯の値段とか茶碗の値段とかしゃべっているおばちゃんたち
師範の免除がどうのこうのいっている旦那衆
そこにも道はない

あっさりした茶室のような小屋    (別にブルーシートでもいいよ)
掃除がいきとどいた庭に小さな花が咲き   (河川敷でもいいよ)
人知れず美しく貧乏している人がいたら
それは間違いなくわび茶を点てられる人です
作法とか関係なく美しいと思うよ

だって、わび茶とは生き方そのものなんだから




ちなみにね
「わびさび」という言語意識は
「美しい貧乏のなかの美しさ」という美意識に基づくもので
日本にしかない素晴らしい美意識です
ユダ金にとってはまったく迷惑な言語意識だよね






o 1. 坊主
o 2011年10月12日 06:30
o
写真の茶室、なんとも言えないほどの
味わい・風情があって、良いですね。




「一畳半の茶室の床を抜く」というのは
驚きました。

床を抜いてしまった茶室というのが
ちょっとイメージしにくいのですが
立ったまま、茶を点てたのでしょうか?





掃除がいきとどいた庭に小さな花が咲き
人知れず清貧に生きる人・・・

そこには、凛とした美しさがありますね。
2.
o 2. が
o 2011年10月13日 00:03
o 床抜きの茶室で
どうやって点てたのか
ワシにはわかりません

ゴザでもひいたのでしょうかね

「凛」という語感もすばらしいですね
日本語って随所に
すばらしいヒントがありますね

昔の人が残してくれた
魔法のキーワードですね
3.
o 3. ポン酢
o 2012年10月23日 14:53
o 古い記事に突然のコメント、申し訳御座いません。
臨済宗の泉田老師が、厳しい生活を過ごされる中「一服の抹茶で至福のひととき」との記事を読み、
禅とお茶の関わりを色々調べて行くうちに、利休さんと「わび茶」、そして茶道に辿り着きました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121019-00000122-san-soci

でも、何だか凄い違和感。
さらに茶道を調べて行くと、茶室への入り方だの座る位置だの、座り方だの立ち方だの、お礼の仕方だの、茶器の鑑賞の仕方だの、「もてなされる方の作法」ばっかが説かれていて。
利休さんや宗旦さんが追い求めた「わび茶」の神髄は、そこにあるのかなぁって。
もてなす方の「精神性」を言われる事はあっても、「作法」とか今の茶道みたいな「儀式化」なんて、考えてもいなかったんじゃないだろうかって。

そんな時に、この記事に出逢いました。
とても嬉しい気持ちになりました。
これで迷う事なく「わび茶」(茶道じゃナイですよw)を始められそうです。
有り難うございます。

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大映特撮映画讃

井口博士のブログに載っていた「大魔神」の動画が面白いので、試しにこちらにもコピーしてみる。
私は子供の頃は東宝特撮映画のファンだったので、大映特撮映画など馬鹿にしていてほとんど見なかったのだが、この「大魔神」の特撮は素晴らしい。今のCGには無い「質感」と「巨大感」「迫力」がある。
CGの方が一見リアルに見えるのだが、実は本当の映画的迫力という点では昔の特撮の方が上だったのではないだろうか。初代ゴジラの、あの迫力は、CGでは不可能だろう。それに、昔の映画は「見せ方」が上手い。撮影角度を工夫することで、迫力を出し、特撮のアラを隠すことに長けていた。今は、技術が進化したために逆にそういう面での工夫がまったく無くなったのではないか。
しかし、この「大魔神」は欧米には輸出できないな。(やっても不評だろう)なぜなら、悪役の大名が最後に大魔神に殺されるのだが、それが「十字架」に磔にされる形で殺されるのである。これはキリストの磔刑への愚弄である、とされるのがオチだ。










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空を見上げること

いやあ、「純と愛」は「愛と誠」ではなく、「タッチ」だったんだねえ。しかも、逆ヴァージョン。双子の兄弟の「でがらし」の方が先に死に、何でも優れている方が生き残る。残された方は、あまりに恵まれた自分が、まるで兄弟の死に何かの責任があったかのように罪の意識を持ちながら生きていく、という話だったんだ。まあ、純の方は「南ちゃん」とは違って、この兄弟とは無関係に生きてきたわけだが、「家族の問題」を抱えている、という点では愛と同じである。ドラマの先行きは、この二人が力を合わせて家族の問題を解決していく、という方向なのかな。べつに「ホテルマン出世物語」では無さそうだ。
漫画的教養があると、「純と愛」はいっそう面白い、というのは冗談で、このドラマはただドラマとして面白いのだが、多分こういうタイプのドラマを受け付けない層は多いだろう。「梅ちゃん先生」後半の、視聴者を舐め切ったあのいい加減なドラマ作りを真面目に見るような層には、こういう「変化球」タイプのドラマは嫌われるはずである。そういう人は「女王の教室」と「家政婦の三田」でも見て、遊川和彦という脚本家がいかに優れた脚本家であるかを復習しておくことをお勧めする。特に「女王の教室」は稀に見る傑作である。

さて、週末なので、秋晴れの天気にふさわしい気持ちのいい文章を紹介しておく。
神秘思想家でIT技術者のKAYさんの文章だ。
私自身、空を見上げるのが大好きで、世界の名画をただでプレゼントする、と言われても、それがゴッホだろうがセザンヌだろうがレンブラントだろうが、「空を見上げる権利」とは引き換えにはできないと思っている。まったく、こういう素晴らしいものがこの世には存在しているのに、空を見上げない人間は大損をしているのである。
外に出る用事があれば、その時は、必ず空を見上げるとよい。それだけでもその一日の収穫としては十分だ。


(以下引用)


現代人は、空を見上げることが少ない。
昔は、空を見ないのは悪人と相場が決まっていたものだが、確かに、青空や星空を見上げる悪者など、あまりピンとこない。
また、人は不幸になると空を見なくなるが、本当は空を見上げないから不幸になるのである。
空に意識を向けると、高い波動の直撃を受ける。
空の向こうを見晴るかすようにずっと見ていると、不思議なことに、意識は自分の中に届くのである。そこはハートの座であり、おかしな言い方であるが、空の向こうに自分がいるのである。
空を見上げると、心は受容的になる。心が広がり、大抵のものは受け入れることが出来るようになるからだ。
せっかく空が見える場所で、ずっとスマートフォンを見ているような人が多いが、実に残念なことだ。
たびたび空を見上げ、受容性が高まると、他惑星の宇宙船や天使も姿を見せるようになるだろう。彼らを見つけるのは、ただ偶然によるのではない。心の受容性で決まるのである。
子供の頃は、授業中に空を眺め、ぼーっとしていると、心の深奥がかえって活性化し、果てしない空の向こうで、天使と話をしているのを感じることがあった。それを想像と言うのだろうが、想像は空想と違う。想像は現実よりリアルなこともあるのだ。
頭を空にして空を見上げていると、胸の中に不意に何かが浮かび、それを忘れずにいると、種子が太陽の熱を感じて、土の中から芽吹くように、あなたも宇宙の根源に向かって伸びるようになるだろう。






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批評することへの批評

私は芸術作品の批評というものには概して懐疑的である。
そもそも批評者自体に芸術に対する理解力があるかどうかが問題であり、理解力の無い人間には、もちろん批評する資格も無いはずだ。しかし「万民平等」という民主主義の誤解は批評の世界にも浸透しており、自分の独断と偏見を「批評」として言い広める人間は多い。自分の批評は自分の「独断と偏見」であることをむしろ誇り顔で言うくらいだ。
私のブログなど、独断と偏見の最たるものだが、しかし、作品を酷評する場合は、作品自体に欠陥があるのか、それとも自分が理解できていないのを一応は自分自身の中で反芻して考えてはいるつもりだ。
世の中には大胆な人間もいるもので、点数制の映画批評掲示板でフェリーニの不朽の名作、『道』に10点満点で5点とか6点とか平気で付けている人間がいるが、こういう人間は最初から映画を語る資格など無い、と私は独断で断罪する。芸術作品を理解するだけの頭も知識も無い人間が、日本語が使えるというだけで何でも語る資格はある、と思っているわけだ。こういう連中には虫酸が走る。自分が理解できないならば、黙っているがいい。
私が天上の音楽だと思っているヘンデルの「ラルゴ」のようなクラシック音楽を、退屈だ、と言う人間がいてもいいし、私のように、演歌やハードロック、ラップを聞かされるのは拷問に等しい、と思う人間がいてもいいだろう。趣味はそれぞれだ。しかし、何かを理解できない場合に、その対象が本当に無価値なものなのか、それとも自分にそれを理解できる能力や感性が無いのか、を少し立ち止まって考えるのがいい。
今の時代は、あまりに自分への反省の欠如した「傲慢な批評」が多すぎる。


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「源氏物語」の弁証法的構造について

久しぶりに、世相と無関係な風流事について書く。
この前、市民図書館から借りてきた大野晋の『源氏物語』が面白かったので、備忘も兼ねて、一言書いておく。
私は以前、予備校で国語専門の講師などをしていたが、「源氏物語」は未読である。あんな膨大な作品、よほど心の余裕が無ければ読めるものではない。しかし、断片的な原文を通してでも、その素晴らしさは感じられ、隠居でもしたらじっくりと読みたいな、とは思っていた。で、私はもともと大野晋のファンでもあったので、この『源氏物語』を図書館で見つけて借り出したわけである。
これが、なかなかの名著で、私の大好きな「考える楽しさ」を満喫させるものであった。但し、白状するが、その中の語学的考察部分はほとんど飛ばし読みした。そういうものは国語教師時代に飽きるほどお付き合いしている。
で、一言でこの作品のポイントを言えば、「源氏物語は弁証法的作品である」ということになるだろうか。いや、そう気どった言葉を使わなくても、「二項対立的構造を持った作品だ」でもいい。こっちの方が難しいか。
源氏物語には異なる物語系列が入っている、と言うのは、「宇治十帖」とその前の部分(ここでは「本篇」と呼ぼう)との違いを見れば誰でも分かることだが、実は、宇治十帖の前の部分(本篇)自体に全く異なる物語系列があり、それがうまく組み合わされているためにこれまでは、あまりその事が気づかれていなかったと言うのである。学会ではこの説はけっこう前からあり、「紫の上系統」と「玉蔓系統」とか言われていたようだ。(いちいち元の本を参照しないので、誤記していたら御免。)で、大野晋はそれをさらに分けて、「宇治」以前を三つに分け、a系統b系統c系統とし、「宇治」を d系統として4部分の物語系統がある、とした。
ここからが面白いのだが、その4部分が二項対立的なのである。
簡単に私流にアレンジして書くと、まずaは「致富伝説」つまり「成功譚」であり、物語の王道である。光源氏という世に稀なスーパーヒーローがこの世の最高の栄華を得るまでの話だ。もちろん、その間に浮き沈みもあるが、それは成功に至るステップにすぎない。物語の薬味のようなものだ。
b系統は、その反対に「失敗譚」である。a系統では深く追求しなかった「成功の陰に存在する失敗」を物語として追及した、より文学的な話だ。これは作者が藤原道長という権力者の傍でさまざまな実体験を積むことで得た社会的知識や人間性の知識に基づいている。書かれた時期自体が、a 系統とb系統では異なり、それが後から見事に嵌め込まれたのだろう、ということである。もちろん、紫式部の天才があってできた奇蹟的作業である。
このa系統とb系統が弁証法の「正」と「反」の関係であることは誰でも分かる。
ではc系統とは何か。それは「本篇」最後の部分、光源氏の老年を描いた部分である。aもbも、青春期という点では同一だ。それに対立する老年の物語がc系統である。これまた「正」と「反」である。だが、「上昇」に対する「下降」を描いた物語的深化はあるが、真の意味での「合」ではない。いわば、仮の「合」だ。
ただ人間の一生を描くだけなら、いくら長く書いても、誕生から死までを描いても、それは読む人には「面白かった」で終わりだ。物語がただ正と反の連続では止揚は無い。それが通常の「物語」の限界である。だが、作者紫式部はもっと深いものを追究したかった。それは「人生に救いはあるのか」という問題だ。様々な幸福や不幸が積み重なって、死が来たら、それで人生が終わり、ではあまりに虚しい。特に、恵まれない人生を送った人間にとっての救いは何なのか。要するに、ここで作者は物語から文学へ、あるいは文学から哲学へと歩みを進めたのだ。それが、あの暗い「宇治十帖」の存在理由である。
作者は最初から、この「宇治十帖」は暗く、救いのない話だ、と断っているらしい。だが、それは表面上のストーリーであって、この「宇治十帖」において「源氏物語」はただの物語から哲学へと飛翔している。つまり、「合」がここにある。
「本篇」が「光源氏」という「光の世界」であるのに対し、「宇治十帖」は「無明の世界」である。ここに出てくる薫や匂宮は源氏の陰画やカリカチュアであり、本当の主人公は、大君、中の君、浮舟である。つまり、光源氏(男)が次々と手折って捨ててきたり面倒を見たりしてきた女たち、男を主人公とすれば、ただの脇役にすぎなかった女たちにとって生きる意味は何なのか、というのがここでの真の問題なのである。したがって、ここで初めて物語全体に真の結末、つまり弁証法的な「合」が与えられたわけだ。
描かれた人生を結論すれば、それは「無明」つまり「闇の世界」である。しかし、現生を無明と見ることは、それは当時のエートスから言えば仏(信仰)による救いしか解決は無い、という話になる。したがって、仏による救済の「暗示」が、物語全体での「合」ということになるだろうか。
「無明の世界」が人生への結論だ、というのはかなり救いのない思想であり、作者自身が本気でそう思ったかどうかは分からないし、それ以前に、この要約は私がかなり恣意的にまとめたものだから、大野晋の『源氏物語』とは掛け離れた内容になっている。(笑)
だが、「源氏物語」がそういうシンメトリカルな数学的構造を持った作品であることは確かだろう。
紫式部が漢学の深い教養を持っていたことはよく知られている。そして、漢文の特徴は「対句」である。対句は単なる表現法ではなく、物事を対比することで考察を進める思考法でもある。これは中国的弁証法だ。ならば、その思考法に慣れた紫式部の「源氏物語」が弁証法的構造を持っていることに不思議はない。
さらに付け加えれば、この「岩波現代文庫」の『源氏物語』には丸谷才一が解説を付けているが、これが小説の実作者の観点から、(全体的には絶賛しながら)大野晋の思考の欠陥を指摘している、という、本文の「正」に対する「反」の働きをしていて、これをも含めてこの本全体が弁証法的構造になっていて実に面白い。そして、最後の「合」は、もちろん読者の心に生じる思考である。(うまく、オチがついたかな。)


(追記)
大野晋はこの著作の中で「弁証法」という言葉は一度も使っていない。これは私が同作品のヒントで考えた「発展的考察」なので、私の言葉で同作品を読んで、騙された、と言わないように。だからこそ「最後の『合』は読者の心にある」と書いたのである。そんな『合』の無い読書など、つまらないではないか。
ついでに紫式部の「源氏物語」の構造を数式化しておく。a、b、c、dは本文中に書いた物語系列である。

① a:b
② (a+b):c
③ (a+b+c):d

という三つの弁証法的構造が積み重なって、一つの統一的作品を作る、という奇跡的な構成である。言うまでもないが、②は①に対して「合」となり、③は②に対しては「合」となるわけである。さらに、③に対する「合」を読者が考えることになるだろう。


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