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生と死についてのいくつかの想念

中学生向けの本である「死をみつめて」という哲学書というか、雑文集を読んでいて、いろいろと考えたので、メモだけしておく。これは、この本の内容ではなく、そこから触発された私の想念である。

1:「天上天下唯我独尊」は、釈迦の教義には反する困った作り話というかセリフだが、これが、釈迦が生まれたまさにその時に言われたことを考えると、「この世界で、(私という個人にとって)私という存在、私の生命こそが至上の価値である」という、誰にとっても当たり前の言葉になる。そして、それは「自分が生きているということが自分にとっては唯一の現実である。自分が存在しなければ世界は存在しない」という当たり前の認識になるだろう。人生とは自分の死という唯一の消失点に向かって歩いていくことであり、しかも生きている間、その消失点は(空想として以外)ほとんど見えないのである。

2:死が眼前に見えた時、人は恐怖に襲われ、生命の希少さと貴重さを意識する。これを「生命飢餓感」という言葉で言ってもいい。(岸本英夫という人の用語)

3:キリストが処女から生まれ、死から復活したという「崇高なインチキ」。(埴谷雄高)

そのほかに、地球の生命体の中で自分の同類を殺すのはほぼ人間だけである、ということ(「私は、私達人間ほど、他の生物をやたらにとって食い、そして娯楽のためだけにも殺す地上最凶悪の生物はいないと繰り返し述べてきていますが」埴谷雄高)、そしてそのことをほとんど誰も不思議に思わないということの不思議を考え、そこに政治や組織や権力の発生機序を少し考えたのだが、まだ思想的萌芽にすぎない。手塚治虫の「火の鳥」に、これに近い内容の話があったかと思うが、やはりこれは文章によってこそ明確になる思想だろう。

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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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