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東京都庁とはどのような場所か

「壺斎閑話」記事の一節で、東京都庁の内部がどういうものか、よく分かる。昔は「伏魔殿」と言われていたが、現在も似たりよったりのようだ。どのような組織も似たりよったりであるのが当然で、それを私は「組織悪」と言っている。「悪」というのも大袈裟かもしれない。
まあ、都の「外郭団体」が、定年公務員の有給暇つぶし場所であることも良く分かるし、壺斎氏自身、それに罪の意識は無い(無かった)ようだ。つまり、公務員はお武家様か。

(以下引用)言うまでもないが、自分自身の過去を語る以上は自己美化や韜晦があるのは当たり前であるので、そういう姿勢で読むべきだろう。


都庁という組織はこれといった人事政策をもっていたわけではない。かなり行き当たりばったりなところがあった。特徴を強いてあげれば減点法がまかりとおっていたということくらいだろう。何らかの不祥事を犯した人間は、減点法の基準に従って減点される。その結果は以後の人事に反映される。不祥事の中には、議会との間に深刻なトラブルを起こしたとか、女性との間で不適切な行為があったとかいったものがある。そういう不祥事を起こすと、まず出世コースから外されるのである。病気休職はかならずしも不祥事とは言えぬが、しかし人事上の効果としては同じように扱われた。小生は長期の病気休養がもとで出世コースから外された人間を多数見てきたから、それとの対比で、自分も同じような憂き目を見るだろうということはわかった。じっさいその通りになった。復職後、小生は自分が通常コースから外され、いわゆる飼い殺しの境遇に陥ったと思い知らされたのである。
そんなわけで、再開発事務所副所長になって以来、六十歳で定年退職するまでの十年間、小生はどうでもいいようなポストをたらいまわしされた。それも忘れたころにそろそろ異動する頃合いだと言われて異動させられるのである。とはいえ小生は、仕事には手を抜かなかった。亀戸大島小松川地区は、そろそろ完了が視野に入ってきた時期に差し掛かっており、事業を終了させるためには、抵抗する者に対して収用の網をかけるとか、債務の返済を怠っている者に対して強制徴収をかけるといった措置を断固としてとった。そうした小生の姿勢を批判する者もあった。もっとやわらかなやり方はないのかね、と言うのである。そういう奴に限って、仕事の進行管理にはうるさかった。仕事はきちんとやれといいながら手荒なことはやるなと平気で言うそんな奴を見て小生は、猿山の猿みたいな奴らだと思った。上意を受け仕事の進行管理には厳しいが、仕事のやり方は微温的たれと言うのであるから、或る意味猿山の猿以上に猿的である。
建設局で六年過ごしたあと、最後の四年間を交通局で過ごした。一応交通局参事という処遇だが、実際には課長級の職である。南千住自動車営業所の所長という扱いになった。部長級の者が課長級の職を兼務するという位置づけだが、実際には懲罰人事と言ってよかった。なぜ小生が懲罰人事を受けねばならぬのか、その秘密はなんとなくわかった。交通局の幹部の中には、以前仕事のことで小生に意趣をもったものがあって、その腹いせをしてやろうという魂胆が見えてきたのである。交通局というのは、じつに閉鎖的な組織で、しかも陰湿なところがある。そんなところで長い間暮らしていると、性格が曲がってしまうらしい。交通局はいわゆる現業系の組織である。清掃局もそうだったが、現業系の局はしょっちゅう不祥事が起こる。交通局の場合は、料金の着服とか飲酒運転といったものが多かった。そうした不祥事は、幹部にとっては自分自身の命取りにつながるので、なんとか責任を逃れようとする。一番手っ取り早いのは、現場に責任をなすりつけて、自分らは責任逃れに集中することである。そういう幹部が多かった。そんな連中を見ると小生は、野良犬みたいな奴らだと思ったものである。
こんな具合で、小生の役人生活は、後半に至って不本意なものになったとはいえ、全体としてこれを見れば、なかなか変化に富み、屈託することのなかったものだったと総括できるのではないか。その意味で小生は、自分の役人人生に悔いはない。
定年退職した後二年ほど外郭団体に在職した。当時管理職は六十歳でやめることになっており、やめたあとは局から再雇用先を紹介されるというのが慣例になっていた。再就職先を世話するのは局の総務部長の仕事である。当時の総務部長は清掃局の後輩だった。その男に呼ばれて話をしたところ、やけに高圧的である。自分を上司として尊敬しろと言わんばかりなのである。小生はこの男におべっかを使ういわれはないから、自然な態度で接していたところ、それが気に食わぬようだった。それで小生に向かい、自分の再就職は自分で始末しろというような趣旨のことを言った。小生は、特にひるむ様子は見せず、淡々と接し続けた。この男は若い頃から裏表を感じさせるところがあり、相手によって態度を変えた。自分より弱いと思った者に対しては高圧的に振舞うのである。要領のいいところもあり、多摩地区のさる有力議員に取り入り、その議員の力で市長にさせてもらった。市長になると、持ち前の性格で好き勝手なことをやったようだ。そのうち、一女性職員から性的な暴行を受けたと訴えられた。当初はしらばくれていたが、形勢不利は避けられず、辞職に追い込まれた。
小生が外郭団体でついた仕事は、普通なら係長級の退職者がつくポストである。おそらく総務部長のいやがらせであろう。それについては、小生の仕事上の不始末が理由にされたらしい。その団体には労働組合の委員長をやった男がいて、その男がしきりに小生に同情してくれた。その不始末とは、労働組合の現職の書記長が不正に給与を受給しているというものであり、当時都の不正を暴くと豪語していたさる都議の追求するところであった。そんな問題は、基本的には労働組合と局幹部の間の問題なのであるが、それを書記長の職務上の上司たる小生が責任を擦り付けられたのである。そのいきさつを知っている元委員長は、小生を親方と呼びながら、親方には本当に申し訳ないと言うのであった。事情を知っている南千住営業所の管理係長も局の幹部の鼻をあかしてやりましょうよと言って憤慨していたが、小生は、余計なことはするなといって諫めたものである。ともあれ、交通局というのは、じつに魑魅魍魎な組織というべきものであった。
この外郭団体では例の豊饒たる熟女たちと仲良くなることができたし、また、仕事が全くないので、毎日好きなことができた。小生が当時始めたばかりのウェブサイトの運営は、この団体での余暇時間を活用して行ったものだ。しかし長い間やる気はなかった。二年ほどで辞表を出した。団体の幹部は、厄介者が始末出来て安心したに違いない。

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酔生夢人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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