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投機行為と生活行為

「日経ビジネスオンライン」から転載。
記事の最初の部分だけだが、ここまで読めば十分、という気もする。むしろ、ここに書かれた部分をネタに、あれこれ考える方が、面白い。私にとってのネット記事というのは、「自分の頭を他人の思想の運動場にする」(ショーペンハウエルが「読書の害悪」について述べた言葉)ことではなく、自分が思考を楽しむためのネタ拾いの場である。
さて、

「なぜわが社は『何億円もの失敗よりタクシー代にうるさい』のか」

に似た疑問を持ったことのある人は多いだろう。
この疑問への答えとして最初に思いつくのは、
「何億円もの失敗の責任者は、通常、社内の有力者か、そのお気に入りであり、権力者やその周辺人物の失敗の責任が問われることはまずない」
というものだろう。
これは、安倍内閣の枢要の地位にいる人物や周辺の人物があきれるほどの失敗や失言を繰り返しても、実質的な責任を取ったことはまったく無いことからも容易に理解できることだ。
だが、こんなのは「俗な話」で、あまり面白くはない。
もう一つの解答(回答、と書くべきか)、これが私が先ほど思いついて、そのためにこの記事を書く気になった「思想」だが、それは

「ビジネスには常に投機的部分があり、誰でも計画が予定通りに行くとは思っていない。(ビジネスが常に計画通りに行くなら、ビジネスでの失敗は周到な準備と熟考さえすれば原理的に存在しないことになる。)『何億円ものビジネス計画』は、『投機』であるから、失敗の可能性は最初から折り込み済みで、ただ、そういう失敗の可能性を口に出すのは縁起が悪いから、言霊信仰の日本では、よほどダメな計画でない限り、会議などではあまり言わないだけだ。そしてそのビジネスが失敗しても、最初から失敗は想定内だから、特に大きく咎めることはしないのである。一方、『タクシー代』は毎日の『生活』である。これには『失敗』はありえない。あるのは『不正行為』だけである。だから、会社は厳しく咎めるのである」

というもの。
長くなったが、要は「投機か生活か」という違いである。金額が何億円だろうが、その失敗はただの失敗で、「不正行為」ではない。野球選手が好機に三振をしても、それは「不正行為」とは言えないようなものだ。もちろん、ファンからは「クソバッター」と野次られるだろうが、それだけのことだ。しかし、その野球選手がヤクザから金を貰ってわざと三振したとしたら(それがわざとかどうかの判定は事実上不可能だが)、それは不正行為となる。タクシー代の誤魔化しはそういうものだ。金額の大小の問題ではない。
だが、会社に何億円もの損害を与えた幹部がその後も同様に重用され、会社に損失を与え続けるとなると、話は別である。そして、そういう企業がだいたい斜陽企業となっているはずである。

議題の1案件の審議に要する時間は、その案件にかかわる金額に反比例する

というのは、要するに、あるところまで来たら、後はバクチだ、というのを誰でも潜在的に知っているからである。
「先の分からないこと」を決めねばならないなら、何年悩もうが、5分で決めようが同じことである。
私の好きな言葉の一つに「大きな決断は軽くやれ」というのがあるが、それは「自分の無意識を信じろ」ということだ。自分の無意識が警告をするならば、たとえどんなに客観的状況が良く見えても、その決断はたぶん誤りである。将来を完璧に見通せるならば、それは人間ではない。

多くの人間は、ビジネスというものが投機(ギャンブル)であるとは思っていない。だが、新起業の会社の9割ほどが2年以内(あるいは1年以内)に消滅するという事実は、ビジネスが投機であることを明確に示しているのである。しかしまた、ロバート・キヨサキが言うように、サラリーマンでいる限り、「貧乏父さん」でいるしかないことも、事実である。「金持ち父さん」になるには、企業するか、投資家になるか、しかないだろう。どちらもギャンブルであることは言うまでもない。



(以下引用)


なぜわが社は「何億円もの失敗よりタクシー代にうるさい」のか?

今でも役立つ60年前の書『パーキンソンの法則』

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2015年3月4日(水)


1/5ページ


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今回取り上げるのは――
Parkinson, C.N. 1957. Parkinson's Law and Other Studies in Administration. Houghton Mifflin Company, Boston: MA. (日本語訳版:『パーキンソンの法則』1981年)


 「パーキンソンの法則」という言葉は、どこかでお聞きになった方も多いかもしれません。本書は10章からなり、今回はその中から3つに絞ってご紹介します。手に入れた日本語版もやや古いので、訳や解釈をより今の状況に合わせるために原本を取り寄せている間に時間がかかってしまい、いつもより掲載が遅れたことをお詫びします(したがってこのコラムでの日本語訳は、日本語版の日本語訳と若干異なっている場合がありますのでご了承ください)。


 この本が出たのが1957年ですから、なんと58年前、約2世代前になります。「そんな古い本、役に立つの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、「法則」は何年たっても「法則」です。1000年たったら「重力」が変わるわけではないですし、たとえば「九九」がいつ発明(?)されたのか知りませんが、現在も、そして将来も、すべての計算の基本になることは間違いないでしょう。


 アメリカでも、慶應ビジネススクールでも、MBAの授業ではよく企業の事例などを短くまとめた(といっても、長いものは40ページを超えたりしますが)「ケース」を使って討議を行います。その時に必ず出るのが「このケースは古いのでは」「もっと新しいケースを使ってほしい」といった質問・要望です。経営書でもよく「最先端の経営手法」なんていう帯がついていたりしますが、「新しい=よい」というのは、多くの場合幻想です。もう少し正確に言えば、「新しい知識=枝葉」の場合がほとんどで、本当に経営に役立つのは「世代を超えて生きてきた法則=幹(あるいは根)」なのです。もちろん、技術の世界では最先端が重要なのですが、こと人間(及びその人間の集まりである組織)にかかわる限り、幹をきちんと理解できるかどうかが優勝劣敗を決めるのだと思います。成功企業の経営者が「当たり前のことを当たり前にやっているのすぎない」とほぼ異口同音におっしゃるのを聞いても、それは明らかではないでしょうか。


 ちなみに、経営の勉強の場合「知識が多い=よい」いわゆる、「more=better」という前提も間違っていることが結構多いのではと思いますが、この点はまた別の機会に。

巨額の資金取引の意思決定(High Finance)

 そもそも私がこの本を買ったきっかけは第3章のHigh Financeのところにあった「凡俗の法則(the Law of Triviality)」を別のところで読んだからです。


 「the Law of Triviality」を直訳すれば「些末の法則」ということですが、これを「凡俗の法則」と訳した日本語版はなかなか味があると思います。この法則は、ずばり次のように言い表すことができます。

議題の1案件の審議に要する時間は、その案件にかかわる金額に反比例する

 つまり、何億、何十億の投資案件よりも、何万円の話のほうが会議で長く議論になるというのですが、本当でしょうか?(ただし、「関心喪失点(the point of vanishing interest)」というものがあり、気軽に寄付できる額、賭けで失ってもいいと思っている額が下限のようだと指摘されています)。


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仙人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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