今回取り上げるのは――
Parkinson, C.N. 1957. Parkinson's Law and Other Studies in Administration. Houghton Mifflin Company, Boston: MA. (日本語訳版:『パーキンソンの法則』1981年)
「パーキンソンの法則」という言葉は、どこかでお聞きになった方も多いかもしれません。本書は10章からなり、今回はその中から3つに絞ってご紹介します。手に入れた日本語版もやや古いので、訳や解釈をより今の状況に合わせるために原本を取り寄せている間に時間がかかってしまい、いつもより掲載が遅れたことをお詫びします(したがってこのコラムでの日本語訳は、日本語版の日本語訳と若干異なっている場合がありますのでご了承ください)。
この本が出たのが1957年ですから、なんと58年前、約2世代前になります。「そんな古い本、役に立つの?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、「法則」は何年たっても「法則」です。1000年たったら「重力」が変わるわけではないですし、たとえば「九九」がいつ発明(?)されたのか知りませんが、現在も、そして将来も、すべての計算の基本になることは間違いないでしょう。
アメリカでも、慶應ビジネススクールでも、MBAの授業ではよく企業の事例などを短くまとめた(といっても、長いものは40ページを超えたりしますが)「ケース」を使って討議を行います。その時に必ず出るのが「このケースは古いのでは」「もっと新しいケースを使ってほしい」といった質問・要望です。経営書でもよく「最先端の経営手法」なんていう帯がついていたりしますが、「新しい=よい」というのは、多くの場合幻想です。もう少し正確に言えば、「新しい知識=枝葉」の場合がほとんどで、本当に経営に役立つのは「世代を超えて生きてきた法則=幹(あるいは根)」なのです。もちろん、技術の世界では最先端が重要なのですが、こと人間(及びその人間の集まりである組織)にかかわる限り、幹をきちんと理解できるかどうかが優勝劣敗を決めるのだと思います。成功企業の経営者が「当たり前のことを当たり前にやっているのすぎない」とほぼ異口同音におっしゃるのを聞いても、それは明らかではないでしょうか。
ちなみに、経営の勉強の場合「知識が多い=よい」いわゆる、「more=better」という前提も間違っていることが結構多いのではと思いますが、この点はまた別の機会に。
巨額の資金取引の意思決定(High Finance)
そもそも私がこの本を買ったきっかけは第3章のHigh Financeのところにあった「凡俗の法則(the Law of Triviality)」を別のところで読んだからです。
「the Law of Triviality」を直訳すれば「些末の法則」ということですが、これを「凡俗の法則」と訳した日本語版はなかなか味があると思います。この法則は、ずばり次のように言い表すことができます。
つまり、何億、何十億の投資案件よりも、何万円の話のほうが会議で長く議論になるというのですが、本当でしょうか?(ただし、「関心喪失点(the point of vanishing interest)」というものがあり、気軽に寄付できる額、賭けで失ってもいいと思っている額が下限のようだと指摘されています)。