「ギャラリー酔いどれ」から抜粋転載。近藤誠医師の著作の引用らしい。
なるほど、言われてみれば、お産の時仰臥するのは不自然な姿勢である。下記記事で触れている「お産椅子」のようなものに座って、下から胎児を受ける方が、楽に分娩できるのではないか。医学に限らず、このルイ14世の事例のように、恣意的な理由で始まった事柄が、権威化され、その後も伝統として盲目的に続いていくことはたくさんありそうな気がする。
まあ、私はビッグバン説も進化論も信じない、という人間だが。(笑)特にビッグバン説など、ユダヤ教の神による天地創造という話と大同小異だと思っている。たぶん、ユダヤ人物理学者が言い出したのだろう。誰にも証明のしようが無いことが学問的な定説となっている馬鹿げた状況だとしか私には思えない。何とかの赤方偏移がどうこう、とか、「預言者、二人会えば、笑う」式の誤魔化しだろう。同様に新しい迷信である地球温暖化論がインチキであることはまもなく世界的に受け入れられるだろう。すべて、「専門家」による商売にすぎない。
私のような、学問には懐疑的な人間が易は信じるのか、と言われそうだが、信じているのではなく、「天にいる何者かのアドバイスかもしれない」と考えているだけだ。「天にいる誰かが俺を好いている」はポール・ニューマンの或るボクシング映画の原題の直訳である。(日本題は忘れた。)別に、その誰かは天にいなくてもいい。自分自身の中の無意識的直観でもいいのである。それを引き出すきっかけが易の言葉なのである。ある種のブレインストーミング(古い言葉だな)とも言える。
学問(や専門家)は真実めかして人を騙すからタチが悪いし、その被害も甚大だ。
例によってとっ散らかった文章になったが、まあ、そのまま載せることにする。ここは、その程度の駄弁ブログである。
(以下引用)
☆お産の「聖域」が男に取り上げられてしまった
女性の忍耐強さは、副作用があっても耐える人が多いことから、
医者からは扱いやすいと思われています。その一つがお産の現場であり、
そこでは女性の人権を無視した医療がまかり通っています。
その象徴が分娩台です。
病院で行なうお産は分娩台に仰向けになって行なうのが一般的とされていますが、
本来、お産は仰向けになって行なうものではないのです。
お産は太古の昔から、立って行なうか座ってするものでした。
なぜならその形のほうが重力をかけやすく、あまり力まなくてもすむからです。
時々ニュースで、妊娠していた女子高生が
トイレで産んでしまったという話を聞きますが、
座って前かがみのほうが自然に降りてきやすいのです。
ウンチだって、のけぞってする人はいないでしょう。
それが仰向けになってしまうと、産道が上(のぼ)り坂になり、
重力に逆らって子宮の収縮力と腹圧だけで産まなければならない。
そのためにあんなにイキんでも、なかなか生まれないのです。
ではなぜ、いつから、仰向けで産むようになったのか?
事の発端はヨーロッパです。
それは女性たちの聖域であったお産の現場に、
男が介入してくるようになったことが始まりだったのです。
有史以前から、お産は女性同士の相互の援助によって行なわれてきましたが、
16世紀にイギリスで男性の助産師が登場しました。
彼らは本来、散髪屋であったことから”床屋外科医”と呼ばれ、
彼らが考案した「鉗子」
(かんし・胎児の頭をはさんで引き出す金属製のトングのようなもの)を用い、
難産の外科的処置を行ないました。
17世紀にはフランス国王ルイ14世が、愛妾のお産に男性の助産師を招集し、
王の命令で、妊婦を台の上に仰向けにして出産させたことから、
仰向けの分娩が始まりました。
そこにはルイ14世の性的嗜好があったと言われています。
以後、ヨーロッパの上流階級では王様にならい、
男性の助産師を呼ぶのがトレンドとなり、
それまで伝統的に行なわれていた分娩椅子は姿を消し、
分娩台に仰向けになるのが主流になっていきました。
19世紀に産科学会が設立されると、男たちは医師としてお産に介入を始めました。
このようにして女性たちは病院で男性の産科医によって管理されるようになり、
(妊婦には不都合な姿勢であるにもかかわらず)、
医療処置がしやすい分娩台の上で仰向けになってお産するようになったのです。
(『それでも医者にお産をまかせますか?』ロバート・メンデルソン著 草思社)
こうして日本で行なわれていた伝統的な産婆術も、
敗戦後のGHQの指導のもと西洋式に大きく転換が行なわれ、
自宅出産から医療施設での出産へと移行することになりました。
なるほど、言われてみれば、お産の時仰臥するのは不自然な姿勢である。下記記事で触れている「お産椅子」のようなものに座って、下から胎児を受ける方が、楽に分娩できるのではないか。医学に限らず、このルイ14世の事例のように、恣意的な理由で始まった事柄が、権威化され、その後も伝統として盲目的に続いていくことはたくさんありそうな気がする。
まあ、私はビッグバン説も進化論も信じない、という人間だが。(笑)特にビッグバン説など、ユダヤ教の神による天地創造という話と大同小異だと思っている。たぶん、ユダヤ人物理学者が言い出したのだろう。誰にも証明のしようが無いことが学問的な定説となっている馬鹿げた状況だとしか私には思えない。何とかの赤方偏移がどうこう、とか、「預言者、二人会えば、笑う」式の誤魔化しだろう。同様に新しい迷信である地球温暖化論がインチキであることはまもなく世界的に受け入れられるだろう。すべて、「専門家」による商売にすぎない。
私のような、学問には懐疑的な人間が易は信じるのか、と言われそうだが、信じているのではなく、「天にいる何者かのアドバイスかもしれない」と考えているだけだ。「天にいる誰かが俺を好いている」はポール・ニューマンの或るボクシング映画の原題の直訳である。(日本題は忘れた。)別に、その誰かは天にいなくてもいい。自分自身の中の無意識的直観でもいいのである。それを引き出すきっかけが易の言葉なのである。ある種のブレインストーミング(古い言葉だな)とも言える。
学問(や専門家)は真実めかして人を騙すからタチが悪いし、その被害も甚大だ。
例によってとっ散らかった文章になったが、まあ、そのまま載せることにする。ここは、その程度の駄弁ブログである。
(以下引用)
☆お産の「聖域」が男に取り上げられてしまった
女性の忍耐強さは、副作用があっても耐える人が多いことから、
医者からは扱いやすいと思われています。その一つがお産の現場であり、
そこでは女性の人権を無視した医療がまかり通っています。
その象徴が分娩台です。
病院で行なうお産は分娩台に仰向けになって行なうのが一般的とされていますが、
本来、お産は仰向けになって行なうものではないのです。
お産は太古の昔から、立って行なうか座ってするものでした。
なぜならその形のほうが重力をかけやすく、あまり力まなくてもすむからです。
時々ニュースで、妊娠していた女子高生が
トイレで産んでしまったという話を聞きますが、
座って前かがみのほうが自然に降りてきやすいのです。
ウンチだって、のけぞってする人はいないでしょう。
それが仰向けになってしまうと、産道が上(のぼ)り坂になり、
重力に逆らって子宮の収縮力と腹圧だけで産まなければならない。
そのためにあんなにイキんでも、なかなか生まれないのです。
ではなぜ、いつから、仰向けで産むようになったのか?
事の発端はヨーロッパです。
それは女性たちの聖域であったお産の現場に、
男が介入してくるようになったことが始まりだったのです。
有史以前から、お産は女性同士の相互の援助によって行なわれてきましたが、
16世紀にイギリスで男性の助産師が登場しました。
彼らは本来、散髪屋であったことから”床屋外科医”と呼ばれ、
彼らが考案した「鉗子」
(かんし・胎児の頭をはさんで引き出す金属製のトングのようなもの)を用い、
難産の外科的処置を行ないました。
17世紀にはフランス国王ルイ14世が、愛妾のお産に男性の助産師を招集し、
王の命令で、妊婦を台の上に仰向けにして出産させたことから、
仰向けの分娩が始まりました。
そこにはルイ14世の性的嗜好があったと言われています。
以後、ヨーロッパの上流階級では王様にならい、
男性の助産師を呼ぶのがトレンドとなり、
それまで伝統的に行なわれていた分娩椅子は姿を消し、
分娩台に仰向けになるのが主流になっていきました。
19世紀に産科学会が設立されると、男たちは医師としてお産に介入を始めました。
このようにして女性たちは病院で男性の産科医によって管理されるようになり、
(妊婦には不都合な姿勢であるにもかかわらず)、
医療処置がしやすい分娩台の上で仰向けになってお産するようになったのです。
(『それでも医者にお産をまかせますか?』ロバート・メンデルソン著 草思社)
こうして日本で行なわれていた伝統的な産婆術も、
敗戦後のGHQの指導のもと西洋式に大きく転換が行なわれ、
自宅出産から医療施設での出産へと移行することになりました。
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